#10「おかえり」
「アンリッッ!!!!」
叫びながら、必死に走る。
異常な程大きい、耳を劈くような爆発音が聞こえた。
きっと、アンリがあの力を使ったんだ。
アンリの力、<壮烈>のオーラによる破壊力は私も目にしたことがある。数年前に初めて魔獣狩りに同行した時に、アンリが扱ったあの力...。魔獣の体内へ拳を撃ち込んだと思ったら、内側から激しい爆発が幾度も繰り返され、最終的に魔獣は骨の残骸を残すのみとなった。
あの力を使われた魔獣はきっとタダで済むはずがないだろう。...だが、それはアンリが絶対無事である保証にはならない。あの力を使った後のアンリは最悪の場合で気絶をしてしまう。
「生き残る為に」。アンリのあの言葉を信じたい......。だけど...もし、もしも、あの爆発を受け、まだ猪が動ける状態だったら――?そうでなくても、アンリの気絶、それ自体がアンリの体へ重い負荷となっていたら――?
嫌な想像は止まらない。全身が強い力で地面に引っ張られているような重苦しい感覚を覚えながらも必死で前に進む。
幾つもの木々を掻き分け、進んだ先で1人立つ女性の姿が見えた。
――お母さんだ。
よく見ればアンリを抱えている。
「お母さん!!」
私の声に反応したお母さんは、こちらを向く。
「安心して、スズネ。アンリは無事よ。」
その言葉を聞き、一瞬心臓がキュッとなったかと思うと、腰が地面へ落下した。
「――い゛っ」
安堵で全身の力が抜けたようだ。地面に腰を打ち声が出たが、何よりアンリが無事で良かった......!
「この子、本当にギリギリまで動けてなかったみたいなの。赤いオーラを使おうとしているのが視えたからギリギリまで様子を見ることにしたけど、あと一瞬、アンリの動きが遅ければ私があの猪を切り捨ていたわ。」
――お母さんから告げられた事実に背筋が凍る。
アンリの行動がどうあれ、お母さんによって無事は確保されていただろう。だが、アンリはあの瞬間、お母さんに助けてもらえる事なんて考えていなかったはずだ。それなのに、そんな危ない選択をとってしまうなんて...。そもそも、アンリにそんな選択を取らせてしまうような状況しか作り出せなかった自分が嫌になる。"減衰"の力が回りきっていなかったことにも気づけず、猪が"圧縮"を扱う可能性も全く考えていなかった。だいたい一番最初だって眠っているからと油断して...
「スズネ。」
お母さんの声で我に返る。
「後悔は後になさい。まだあなた達に与えた試練を終わらせたつもりはないわよ。」
私の心を読んだかのように強い口調で咎められる。
試練はまだ終わっていない...。
今日の組み手から魔獣狩りまでの試練について私は事前に知っていた、というよりアンリ以外の村のほぼ全員が聞かされていたことだ。その事前に聞いた内容では、魔獣を倒すまでではなく、2人で家に帰ってくるまでが試練だということだった。
でも......
「私が手を出したら失格っていうのは考えなくていいわ。私は結局最後まで手を出さなかったし、今だって抱えたアンリをあなたに手渡そうとしているだけ。こんなものはノーカンよ。」
お母さんに手を出されたら失格。それが今回の魔獣狩りのもう一つのルールだった。あくまで見守っているのは最悪の事態を避ける時のためであり、最初からお母さんありきで助けを求めるようならば失格であると、そこを見るための試練でもあった。
「さ、あなたの大事なアンリよ。こんなところでいつまでも座ってないで、早く帰ってらっしゃい。」
お母さんから差し出されたアンリを両手で受け取る。アンリを私に預けるとお母さんは、すぐに振り向き走り去ってしまった。
―――。
しばらくの後、立ち上がる気力が戻ってきた...。
両腕で抱えたアンリをそのまま連れ帰るのは難しいので、一度下ろし背中に担ぎ上げる。
「.........帰ろっか、アンリ。」
背中のアンリに一声かけ、歩き始めた...。
―――。
しばらく歩いて行くと、来る時にも通った小屋が見えた。すでに誰かがいる気配はなく、おじさんたちやトトさんまでもが村へ帰ってしまったのだろう。あくまで今回の試練は私たちだけでどこまでやれるかというものだ。そのため、魔獣狩りが成功した時点でお母さんがみんなを帰したのだろう。
――とはいえ、そのお母さんは未だどこかで見守ってくれているのだろうけど。
目的の魔獣を倒したとはいえ、まだ森の中だ、突然新しい魔獣がやってくる可能性もゼロではない。仮にこの状況でそんなことになったらどんなに弱い魔獣でもきっと無事ではいられないはずだ。そんな状態で私たちを置いていくほどお母さんは非情ではない。
まあ、こんな試練を受けさせるようなスパルタだけど...。
そんなことを考えながら歩みを進めていると周りの木々が疎らになり始め、空がひらけた。
すでに太陽は西へ傾き始め、虹が東の空に架かっていた。
「アンリ、今はどっちに行けば村か分かるかな...?今は午後だから、赤は左だからね。」
魔獣の元へ向かう途中の会話を思い出し、アンリに語りかける。未だアンリは気を失っているが、心なしか先ほどまでより安定した寝息を立てているように思える。
「よし、あともう一息。」
自分を鼓舞し、歩みを進める。とはいえ村は10数km先なので、まだまだかかりそうだ。
―――。
ようやく、村の門がすぐそこまでという位置まで辿り着いた。既に陽は沈み始め、頭上に架かる虹の周りは赤くなっていた。
ふと思ったが、空が赤い時にアンリは正しく虹の赤色の向きを正しく判断できるだろうか...?紫で教え直した方がいいかも...あ、でもそれだと夜が...
「おお!スズネ!アンリ!帰ったか!」
いつの間にか村の門を潜っていたらしく、村の通りでロセおじさんに声をかけられる。
「うん、でも、家に着くまでが、試練だから。」
声を出して気付いたが若干息が上がっていた。歩いてきただけだったとはいえ、今日はかなりハードな1日だった、だいぶ疲れが溜まっているのだろう。
「おとーさー...あ!スズネおねーちゃん!」
ロセおじさんを呼びに来たのか、リーネが姿を見せる。
――そういえば......。
「......リーネ、ごめんね。約束したのに、髪やってあげれなくて。」
「ううん。おとーさんゆってたよ、おねーちゃんたちマジューたおしたんだって!すごいんだって!だからだいじょうぶ!」
「......そっか、ありがと。」
リーネの頭を軽く撫でる。いい子だ。
「リーネ、お姉ちゃんたち疲れてるから、その辺でな?」
「はーい!」
「スズネも、呼び止めて悪かったな、お前たちの母さん、さっき戻ってきてから早く帰ってやんな。」
「うん。」
おじさんに返事をして歩みを再開する。
「さっき」か...。
やっぱり、ギリギリまで見守ってくれていたようだ。なんだか胸が温かくなる。
―――。
村の北側、緩やかな坂道を登っていき私たちの家の屋根が見えてきた。今朝、アンリがあそこにいたことが随分昔のことのように感じる。それくらい今日という日は、濃い一日だった。
坂道を登り切ると、2つの人影が見えた。
「スズネ!アンリ!」
ずっと外で待っていたのか、お父さんとお母さんが立っていた。お父さんは私たちに駆け寄ると強く抱きしめてくれる。
「よく、頑張ったな...!」
きっとお母さんから話を聞いたのだろう。震えるような声で私たちに労いの言葉をかけてくれた。
「本当によく頑張ったわ。」
お母さんも後から近寄り、お父さんの反対側から優しく抱き寄せてくれる。
「お父さん、お母さん...」
ようやく帰って来れたんだという実感が胸に湧いてきた。胸の中心から温かいものが身体中へ広がっていく...。
「「おかえり」」
「――ただいま......!」
こうして私たちの試練の幕は閉じた。