四十四話
あれは、まだ俺が日本にいた頃。
初めて食べてーーーー衝撃を受けた食べ物がある。
『なんだこれ……んまぁっ!?』
その名も、チーズ牛丼。
元々俺はたまに牛丼屋に行くこと自体はあったが、基本的には普通の牛丼しか食べることはしていなくて。あったとしても十回に一回、ごく稀に期間限定の商品を食べるかどうかくらいなものだった。
だがそんなある日。何がきっかけだったか、本当にふとそれが気になって。一人、カウンター席で注文してみたのである。
するとどうか。俺はあっという間にあの暴力的な味の虜になってしまって。それからはもう、普通の牛丼を頼むことは無くなってしまったのだった。
ちなみに、「チーズ牛丼」という言葉そのものが現代のSNS社会で何を意味する言葉として使われているのか知ったのは、それを食べた日の翌日のこと。まあとはいえそういうのは気にしたら負けだと思ったし、何よりやはり美味しかったから。それからも俺は牛丼屋に行くと、必ずと言っていいほどチーズ牛丼を食べるようになった。
そして、そんな歴史があるからこそ。ふと、おむすびを結んでいる時に思ったのである。
(あれをおむすびにしたら……絶対美味いよな)
と、いうわけで。俺は速攻鍋でチーズを溶かし、その上に焼いたお肉を乗せて混ぜ合わせ、ほどよくチーズが固体になるよう冷ましてからこっそりと結んだ。
そんなこんなで……今に至る。
「ふぐむぅ……」
「ごめんごめんびっくりさせて。俺もそんなん作ったの今の今まで忘れてたんだよ」
なるほど、どおりでずっしりと重くなるわけだ。
なにせ、あのチー牛おむすびを作った時、俺はお肉とチーズを和えて固めた。
つまりお肉とお肉の隙間を液体であるチーズがびっちりと埋め、隙間を無くしたのだ。きっと他の具材に比べ、明らかにあれだけ密度が化け物になっていたことだろう。
当然、フィオはまさかおむすびの具としてチーズが採用されているなんて考えもしなかったに違いないし。あんなことになってかなり驚いたと思うが……
とはいえーーーーやはり引きが強いな。
「でも、どうだ? めちゃくちゃ美味いんじゃないか? それ」
「…………」
もきゅっ。もきゅもきゅもきゅっ。
ようやくチーズが千切れ、かじりついた部分のお米と共に具材が口内に収まると。フィオは静かに、それらをまとめて咀嚼していく。
チー牛おむすびなんて、生憎と俺は一度も作ったことはない。今回のは完全に思いつきのそれで、味見だってしていないからどういうふうに仕上がったのかは未知数だ。
しかしどうだろう。ご飯、海苔、チーズ、お肉。それらが一つに融合したそれが……美味しくないなんてことがあるだろうか。
少なくとも、俺はーーーー
「……ごくんっ」
「!」
ごくんっ、と。フィオが咀嚼を終え、それがあの細い喉を通っていく音が僅かに耳に届く。
フィオは血が怖いという理由で料理こそできなかったけれどお肉そのものは好きだし、チーズも同様に。ならあとは、おむすびとして完成度さえ低くなければ、きっと……
「……めちゃくちゃ美味しいじゃないですか」
「本当か!? よかった……」
彼女の返答に。俺は思わずほっとして肩を撫で下ろす。
もし不味く仕上がってしまっていたらどうしようかと思ったが。どうやら、おむすび化は成功だったらしい。
「これ、なんて名前の具になるんですか? チーズとお肉……ですよね?」
「え? ああ、これはな。日ほーーーーじゃない。俺の元いた故郷で親しまれてた、元は丼ものなんだよ」
「丼……?」
「ああ、この国ではあんまり親しみ無いか? 丼っていうのはな、底の深い容器にご飯を敷いて、その上に具材を乗せる食べ方のことだ。んで俺が好きだったのは『チーズ牛丼』って名前の丼。名前の通りご飯の上にチーズとお肉を乗っけて食べてたそれを、思いつきでおむすびにしてみたんだよ」
「な、なるほど……」
俺の説明に頷いて。新しい知見得たフィオは、チー牛おむすびをもう一口。
再びみょーんっ、とチーズが伸びるが、今度は慣れた手つきでその部分をカットすることで対応し、咀嚼して……やがてすぐに、幸せそうな笑みを浮かべた。
「これは……初めての食感です。チーズとお肉とお米が合わさるとこんなに美味しいんですね。こんなの、想像したことすらありませんでした……」
どうやら随分と気に入ってもらえたようで。本当に何よりだ。
そうか。確かに俺も初めてチーズ牛丼を食べた時、かなりの衝撃が走ったもんな……。きっと今、フィオはその時の俺と同じような感覚を味わっているのだろう。なんとも羨ましい。
にしても……
(な、なんか見てたら、俺も食いたくなってきたな……)
しまった。エンタメ性も考慮して二十個のおむすびは全て違う味にしてしまったけれど。やっぱりせめて同じ味を二個ずつは用意するべきだったかもしれない。
チー牛おむすび。一体あれはどんな味に仕上がっているのだろう。チー牛と全く一緒なのか……それともおむすびにしたことによって、なにか違いが出ているのか。
気になれば気になるほど、あれを食べたいという気持ちは連なっていって。無意識のうちに唾を飲み込みながら。俺はフィオの手の中にあるそれを、じぃっと見つめてしまっていた。
「……ふふっ。カイト様も食べますか?」
「へっ!? い、いやでも……」
「だって、顔に食べたいって書いてありますよ?」
「う゛っ」
痛いところを突いてくると、微笑んで。その小さな手で器用に、おむすびを半分に割っていく。
途中、お肉とチーズが溢れ出そうになったが……なんとか抑え込むと。やがて二つに分かれたおむすびの片方が、差し出されたのだった。
「半分こ……しましょう?」




