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二十三話 喜びと嬉しさと

 数十分後ーーーー


「お願いします、味見係さん」


「……はいっ」


 緊張のあまり唾を飲み込みつつ。鍋の中身をお玉で掬って、少量小皿に移す。


 小皿を差し出す先は言わずもがなーーーー味見係、フィオ。


 俺の緊張が伝播したからか、それとも目の前の料理を前に期待感を露わにしてなのか。


 彼女もまた、俺と同じように。ごくりと喉を鳴らしていた。


「では、いただきます」


 ふーっ、ふーっ、と。二度、その小さな口から空気が吹きかけられる。


 出来立てゆえ、そこからは未だ僅かに湯気が上がっていたが。


 やがて……唇が、触れた。


「どう、でしょうか?」


「……」


 ずずっ。啜るようにそれを口内に入れると、そっと目を閉じて。吟味するように、数秒。


 ほぼ液体状のため咀嚼音は無い。


 その代わりに、それがその細い喉を通る音だけが僅かに響いて。


 目が、開く。


 視線が交錯し、息が止まる。


 同時に、俺の耳に届いたのはーーーー


「なんですかこれ……とっっっても、美味しいですっ!!」


「ふぅぅぅぅ……っ」


 率直で、それでいて最も嬉しい……そんな言葉だった。


 舞い込んできた安堵感に、完全に無意識だった無呼吸状態が解かれて。口から空気が漏れ出し、体の強張りもほぐれていく。


「よかったぁ。その言葉を聞けて安心したよ」


「す、凄いですカイト様。こんなに美味しいビーフシチュー、初めてです!!」


「はは、大袈裟だなぁ」


 そう言いつつも。じんわりと、心の内を「嬉しい」という感情が埋め尽くしていった。


 こんなに美味しいのは初めて、か。


 思えば、自分の料理を誰かに褒められるのなんて初めての体験だ。


 バイトのキッチンというのは、自分の作ったものを食べたお客さんの感想を聞くことができない。


 作ったらそこで終わりなのだ。現実には映画とかでよくある「シェフを呼んでちょうだい!」みたいな展開は訪れないし、もし仮に呼ばれるとしたらそれは何か料理に致命的な問題(アレルギーや食中毒等)が生じたか、難癖をつけられて「作った奴を呼べ!」とでもホールの奴に客とも呼べないクレーマーが噛み付いたかのどちらかで、いずれにしろ直接謝罪しなければならなくなった時くらいのものだ。ちなみに俺は後者の方だけ一度経験したことがある。あれは中々にクソな一件だった。


 また、自炊している料理の方に関してはそもそも誰かに食べさせたことすらないし。


 でも、そうか。


(……こんなに、嬉しいことだったんだな)


 お金を稼ぐためだの、適当に腹を満たすためだのではなく。


 誰かのために……誰かを喜ばせるために料理をする。そして実際に喜んでもらって、美味しいと言ってもらって。


 それがこんなに嬉しいことだなんて。思いもしなかったな。


「言っておきますけど、誇張していませんからね。こんなに美味しいの……どうやって作ったんですか!?」


「え? あ、ああ。それはだな……」


 ぐいっと顔を近づけて食い付いてくるフィオに、この数十分のうちに行った試行錯誤を語る。


 はじめは、正直ヤバかった。


 意気込んだはいいものの、とにかく使えるものが少なすぎて。ビーフシチューなんてもってのほかだったのだが。


「なんか色々と豊富だったからな。ふんだんに使ってみたんだよ」


 あの後ーーーーフィオが一度キッチンから離れた後のこと。


 彼女は「そういえば」と何かを思い出し、それを俺に告げるために戻ってきたのである。


「もしかして、あれらがお役に立った感じですか?」


「ああ、それはもうめちゃくちゃな。フィオが思い出してくれたおかげだよ」


「! えへへ……」


 フィオが俺に伝えてきたもの。


 それはーーーー彼女が使わないゆえに忘れていた、数々の調味料の存在だった。


 元々料理の知識が乏しかったらしく、そのうえ普段の食事も簡素なものばかりだったことの弊害もあるのだろう。


 この家の調味料は、六つだけじゃなかった。


 一部はキッチンの収納スペースに、また一部は食糧庫とは別の、解凍し終わった食材の余りなどを入れておくーーーー小さな冷蔵庫に。それぞれ保管されていたのだった。


 増えた調味料の数は、ゆうに十を超えていた。


 マヨネーズやケチャップ、バターに加え、コンソメにわさび、からし等々。それはもう多種多様に。


 そのおかげで光明が見えた俺は、まずデミグラスソースを自作。続いて切った野菜と共に鍋で煮込み、なんやかんやと味の調整を繰り返しながらビーフシチューの肉無しバージョンを仮で完成させたというわけである。


 フィオの味の好みは分からなかったため、とりあえず俺の好みな感じで調整を効かせてみたのだが。どうやら彼女の味覚にも的確にヒットしたらしい。


「とまあ、ひとまずそんなわけで。あとは肉に下味つけてからとろとろに煮込んで混ぜ合わせれば完成だ」


「ぐ、具材無しでもここまで美味しいのに……まだこれ以上進化すると言うんですか……っ!」


「おうとも。さっきのはあくまで味見用だからな」


「じゅるっ……」


「どうどう。まだもう少しかかるけど、待っててくれな」


 さて、佳境は超えた。


 フィオにもっと喜んでもらうため。そしてさっき味わった嬉しいを、もっともっと接種するため。



 あともう少し、頑張るとしよう。

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