009
エイダのモニターに映し出されたのは、憎むべき異形でありながら、どこか痛ましい姿だった。迫り来るハジュン、クループ・アーツマーは、獲物を定める猛獣のように、その無数の鋭い眼を私の操るヴァジュラ、エイダに据え、執拗に狙い続けていた。隣で奮戦する雷人くんのアルチスなど、まるで眼中にないかのように。
初めての実戦で、私の動きは訓練通りにはいかなかった。イメージが定まらず、回避行動は常に後手に回る。迫り来る巨大な影から懸命に身をかわすのが精一杯だった。ナーダは悲鳴のような金属音を上げ、装甲は徐々に傷つき、赤熱したエネルギーが漏れ出している。
狙いが変わったのならば、と雷人くんの操るアルチスが、クループ・アーツマーの巨大な胴体に向けて渾身の力を込めた爆砕鉄拳を叩き込んだ。その瞬間、けたたましい破砕音と共に装甲が抉り開かれ、赤黒い体躯の内部が露わになった。そこで目にしたのは、信じられない光景だった。それは人間の上半身。昨日まで、私に冷たい嘲弄を浴びせていた、息栖美沙希さんの顔があり、苦悶に歪んでいたのだ。
「……息栖さん!?それよりも、どうすればいいの?助けられるの?」
動揺で全身が震え、思考が凍り付く。そんな私の声に、雷人くんが力強く通信機越しに叫んだ。
「助けたいと思うなら、それを願ってカルマドライブを回すんだぜっ!カルマドライブは俺たちの想像を超えた力を持ってるんだぜ!!」
私と息栖美沙希さんとの学校での関係は、決して良好とは言えなかった。むしろ、深い確執があった。ハジュンカルトの信者の家族というだけで、彼女の憎悪の矛先は常に私に向いていた。そのせいで、私の学校生活は暗いものだった。クラスメイトから阻害され、一人で孤独に過ごす毎日。
それでも、今、目の前で苦しむ息栖さんを、私は心の底から助けたいと強く願った。ハジュンの被害を受ける人は、もう誰もいなければ良い。私のその願いは、熱を帯びた感応波となってナーダを伝い、共鳴するように、雷人くんと月華の操る機体にも、目に見えない力が注ぎ込まれていくのがわかった。
「今なら、貫けるかもしれない。私がハジュンの足を止める。雷人は殴り合いに備えて!」
月華が冷静に、しかし確かな狙いでハジュンの巨大な足を射抜いた。炸裂する銃弾が、ハジュンの動きを一瞬封じる。その僅かな隙を突き、雷人の操るアルチスが紅蓮の炎を噴き上げながら肉薄し、叫んだ。
「うぉぉぉぉぉ!俺は、何が何でも助けを止めるつもりはないんだぜっ!!」
露出した人間の上半身に、渾身の力を込めた拳を抉り込ませた。鈍いブチブチという破壊音と共に、無理やり引き剥がされた人間の部分は全て、真っ赤に染まりながらもアルチスの腕の中に収まった。
その間、クループ・アーツマーは何もしなかったわけではない。むしろ、生まれた隙にカギ爪による4連撃を繰り出し、アルチスに大打撃を与えていた。胸部装甲はボロボロになり、火炎閃を一回撃てるかどうかというほどに半壊している。人間部分を失ってもなお、異形のハジュンは激しく蠢き、無茶苦茶に周囲の瓦礫を薙ぎ払う。依然、その無数の鋭い眼光は私、そして私の駆るエイダだけを捉え、執拗に追いかけてくる。まるで、雷人くんの存在など眼中にないかのように。私という存在を憎んでいた息栖さんの憎しみを受け継いだと言わんばかりに。
雷人くんが必殺のエネルギー砲、火炎閃を放つが、クループ・アーツマーは4本の腕を交差させて防ぎ切った。
「マジかよ!」
一撃に賭けた雷人くんが悲痛な叫びを上げる。巨大なハジュンの動きは鈍ったものの、その狙いは依然として私に向いていた。ボロボロになったカギ爪に切り付けられ、エイダはどんどんと損壊していく。ダメージ判定がもう少しで大破を示すところまで来ていた。それでも、私は諦めない。雷人くんだって、月華だって諦めてはいなかった。私は精神を集中させて読経を読み上げる。その声がエイダの両腕から響き渡り、二人へと流れ込んでいく。
「最後の支援を受け取って!月華!雷人くん!!」
エイダの最後の力を振り絞って、雷人くんと月華に力を分け与える。この動きでエイダは活動停止となった。全てを出し切り完全な隙を晒した私へと、クループ・アーツマーが襲いかかってくる。
「させるかよっ!」
酸の嵐を口部から撒き散らし、相手の装甲を弱体化させ、連続して火炎閃を放った。それは先ほどのものよりも強大な熱量を放ち、ハジュンの再度の防御を上回っていく。ガードの腕が燃え尽きていく中、クループ・アーツマーの頭部に紗月のライフルによる狙撃が叩き込まれた。
「これでチェックメイトよ。」
月華が静かに宣告し、ハジュンの動きが完全に停止した。
雷人くんが振り返り、驚嘆の表情でモニター越しの私に話しかけた。
「すごいな、佐藤さんの助けでこんなに威力が跳ね上がるもんなんだな。心強いぜ!」
月華もモニター越しに息を呑んだ。
「ハジュンの動きが、ずっと鈍くなって見えたわ。」
私は、まだ震える手を操縦桿から離せずにいた。まさか、自分の力が二人を助けられたことを。ハジュンは紗月の銃弾でその活動を停止し、紫の塵となって消えていくところだった。全てが終わったと感じ、ようやく私も一息つくことができた。 同時に、アルチスの腕の中にいた息栖さんも息を吹き返した。
「…えっ!?何がどうなってるの?私は一体…。」
アルチスを膝立ちにさせ、地面に手を添えさせる。各人が操縦席から降りてくる。月華は支部の管制へ状況のクリアを報告していた。
「息栖さん。キミはハジュンになっていたんだぜ。」
雷人くんが息栖さんに替えの服になるものを渡しながら指摘する。渡された服を手に持ったまま、息栖さんは涙を流しながらも、私に謝罪の言葉を紡いだ。
「私は、ハジュンの存在を許せなかった。そのハジュンを崇める人たちを許容することができなかった。あなたもハジュンを崇める人間だと、そう思うとあなたが憎くてたまらなかった。でも、あなたは本当は違ったのね。こうして、ハジュンを倒す側の存在なのだから。ごめんなさい、私はあなたを責めることで自分を正当化していた。そうすることで、私はハジュンを信じる人を罰していたつもりになっていたのね。でも、ハジュンになってしまうような人間なら、私も同じなのよね。」
私はその謝罪の言葉を受けながら、ゆっくりとかぶりを振った。
「大丈夫、あなたは悪くない。そう思う。あなたが何をしていたとしても、あなたが罪を背負うことはない。」
その言葉を聞いて、目を真っ赤にしながら息栖さんは顔をあげた。とても、信じられないという目をして。
「佐藤さん…。私は、あなたに酷いことを。そう、とても酷いことをしてきたのよ。なんで、そんな風に許せるの?」
元から、私には憎しみの感情はなかった。ただ、私はハジュンを敬うような気持ちはないと伝えたかっただけだった。
「私は、憎しみに囚われるのではなく、目の前の苦しむ人を救いたいの。あなたも、その一人。私もその一人だったから。」
本当は、お父さんもお母さんも救いたかった。人の道に戻してあげたかった。でも、それはもう叶わない。だから、まだ間に合う人を救いたい、そう思っていた。そう思うと、サドゥーになったのは必然だったかもしれない。私は、ハジュンに囚われた人を救いたい。そのための力を手にしたという思いを強く胸に秘めて、私は息栖さんの手を取って立ち上がらせた。
「あなたと私は対等になったわ。これで、私とあなたは本当の意味で付き合えると思うの。どうかな、息栖さん。あなたの言葉を聞かせて?」
できる限り、私は彼女を追い詰めないように言葉を選んだつもりだ。私は、私をハジュン云々に関係なく付き合ってくれる人と話したい。月華と雷人くんがそうであるように。
「私は、あなたのようにはなれないと思う。全てが全てを水に流したような感じにはなれない。でも、あなたを一人の人間として認めることはできると思う。私も、人間として認めて欲しいから。ごめんなさい、こんなことができなかったのよね、私は。」
「良いんだよ、息栖さん。私だって、お父さんとお母さんを認めてあげれることはできなかった。でも、それが正しいと思う。ハジュンに与していたんだもの。憎んで当然、弾いて当然だと思う。ただ、私は違うってことを認めて欲しかっただけだから。あなたもハジュンになった。でも、ハジュンの存在を許していない。なら、それで良いと思う。ハジュンは人間と相入れない存在だから。」
私が割り切りすぎているのだろうか?でも、私にはどうしても息栖さんを憎むことはできなかった。
「よし!とりあえず、ダルマチャクラに帰ろうぜ。息栖さんも帰るにも家は無くなっちまったしな。とりあえず、ダルマチャクラなら当面過ごす場所は用意できるぜ。家族も無事に避難してるみたいだぜ。」
息栖さんの家族が無事だと知って、安堵した。私の時は、全てが失われてしまったけれど、彼女は失われることはなかった。少し、その運命の差が羨ましかったりもするけれど、望んだところで帰ることはないことを私は思い知っている。
月華が、何か察したのか肩を抱いてくれた。私はコツンと額を月華の肩に預けて静かに涙を流していた。
私は、サドゥーとしてハジュンと戦い続けることを、この涙に誓った。