012
本来なら、中学一年生として学業に励むところを月華はヴァジュラに乗るための訓練と並行して行っていた。それと同時に月華と綾人の初めての顔合わせから、月華と綾人の間ではメールでのやり取りが始まった。お互いの愛機となる紗月の状況を知ったり、鹿島支部の話をした方がいいだろうとのことで連絡先を交換したのだった。訓練の合間や、夜の静かな時間に、お互いの近況を伝え合うのが日課となっていった。近頃の月華は射撃の腕がメキメキと上達しており、よくその結果を報告するのだった。
「私、英語のテストの点数がイマイチ残念でした。数学は結構良かったんですけれどね!そして、今日の射撃訓練もターゲットに綺麗に当たりました!もう百発百中ですよ!!」
月華がそう送ると、すぐに綾人から返信が来る。
「それはすごいな。僕は今日も3体ほどハジュンを倒して多少疲れたよ。剣を使った近接戦闘はなかなか集中力がいるから、どうしても実戦後は疲れが溜まるね。早く交代してくれると助かるよ。」
と、軽口を叩く綾人。紗月は月華が乗る際には射撃戦用に武装を変更する予定になっており、現在は調整が始まったと聞かされていた。
「月華ちゃんの射撃の腕が良いと言うのは成績を見せてもらって納得したよ。正直、驚いた。この腕前は伸ばすべきだよ。僕と君が乗るための調整が整備班の方で始まったよ。訓練の方もあともう少しだね。」
「はい。私が乗れるのは高校生からなので、少し先になりますけれど。一緒に働けるのを楽しみにしています。」
月華は、自分が得意とする射撃について、その精度や感覚を綾人に伝えた。綾人もまた、剣術の奥深さや、機体を自在に操るための鍛錬について、熱心に語ってくれた。それ以外にも極々、個人的なことを話すこともあった。顔を合わせた時間は短かったが、メールのや通話のやり取りを通して、二人の間には確かに、言葉を超えた繋がりが生まれていた。
ある日、月華が訓練の合間に送った少し個人的な内容のメールに、綾人から意外な返信が来た。
「そうか、君は兄弟姉妹は居ないんだね。僕には、少し年の離れた弟がいるんだ」
続けて送られてきたメールには、少しばかり困ったような、けれどもどこか温かい言葉が綴られていた。
「実はその弟も、最近カルマドライブに適合してね。しかも、巨大なヴァジュラを扱うことになるかもしれないらしいんだ。重要機密だから詳細な話をする前に黙ってもらったけれどね。あいつ、昔からすぐに自慢したがるから…。僕のエースとしての沽券に関わるかもしれないぜ、なんて冗談を言っていたよ」
月華は、そのメールを読んで、ふっと微笑んだ。冷静で落ち着いた印象の綾人にも、可愛い弟がいて、そんな心配をする一面があるのかと思うと、なんだか親近感が湧いた。遠い空の下で、同じように鹿島を守るために奮闘している綾人の存在が、月華にとって、心強い支えとなっていた。いつか、本当に肩を並べて戦える日が来ることを、彼女は心待ちにしていた。
降りしきる雨の中、月華は訓練所のシミュレーターの中でVRゴーグル越しに射撃訓練場の的を静かに見据えていた。まだあどけなさの残る顔には、確固たる集中力が宿っている。巳垣教官のいつもながらに鋭い視線が注がれる中、月華はゆっくりと息を吸い込み、そして静かに吐き出した。その細い指がトリガーをそっと引くと、乾いた銃声がしとしとと降る雨音を確かに切り裂いた。
シミュレーターのターゲットに穿たれた弾痕は、見事に弱点を捉えている。他の訓練生たちが苦心している中で、月華の放つ弾丸は、まるで意志を持つかのように標的へと吸い込まれていく。巳垣教官は腕を組み、その様子を静かに見守っている。
「やはり、天賦の才、というべきでしょうね。」
と、小さく呟いた。座学で得た知識は、彼女の中で深く理解され、その動きの一つ一つに無駄がない。ライフルを携えた彼女の機体シミュレーションは同期の訓練生とは比べ物にならない命中率をはじき出していた。
「実機での訓練ができないのが残念ね。綾人君の成績を超えたかもしれないのに。」
巳垣教官は訓練生の中でも特に優秀だった乾綾人の名前を出した。彼の場合は、接近戦に特化した成績だったが、今の月華のように群を抜いた存在だった。今現在、ジョディカヴァチャタイプという、ヴァジュラの中でも一際小さな機体でトップクラスの撃破率を誇っているサドゥーだが、彼は彼女にとっても誇らしい訓練生だった。カルマドライブの適合は人によって様々であり、カルマドライブの出力によって乗機となるアーキタイプが変わることになる。惜しむらくは、彼の適合したカルマドライブは軽量かつ低出力であり、カーンタイプのような大出力に任せた超火力を持つことができず、本人の技量にかなり頼ることになる期待だったことだろう。
本人の技量が高いほどにジョティカヴァチャタイプは潜在能力を発揮できるが、それでも3mに届かない大きさのパワードアーマー型であり、本格的な巨大ロボットのカーンタイプと比べると基礎性能に差が出るのは明らかだった。
「それは、月華さんも同じね。全く、こればかりは神様、いえ仏様の采配次第だから仕方ないわね。」
巳垣教官はふぅ、とため息をつくと月華の成績表にSと記して次の訓練生の成績をつけるのだった。
訓練中の月華は連日の厳しい訓練にも真摯に取り組んだ。体力育成、機体操作のシミュレーション、そして何よりも射撃訓練。
彼女にとって、銃を構え、標的を捉える瞬間は、研ぎ澄まされた刃のようになる時間だった。風の微かな動き、空気の湿度、そして自身の呼吸。その全てが指先に伝わり、完璧な一射へと繋がっていく。その集中力と、生まれ持った空間認識能力が、彼女の射撃の精度を際立たせていた。周囲の訓練生たちが疲労の色を見せる中で、月華は集中力を研ぎらせることなく、一発の無駄弾を使うこともなく射撃を行っていた。
そして、一年間の訓練が終わりを迎えた日。達成感と、いよいよ紗月と共に戦えるという期待に胸を膨らませていた月華は、巳垣教官に呼び止められた。いつもは毅然とした表情の教官の目が、今日はどこか憂いを帯びている。
「月華、よくやり遂げました。あなたはきっと、優秀なサドゥーとなるでしょう」
その言葉に、月華は静かに頷いた。
「ですが、あなたに伝えなければならないことがあります」
巳垣教官は、言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「あなたが、共に紗月を駆るはずだった…乾綾人さんは、先のハジュンとの戦いで、帰らぬ人となりました」
その言葉は、月華の耳に届いた瞬間、遠い世界の出来事のように、現実感が伴わなかった。綾人さんが…亡くなった?信じられない。共に訓練に励み、いつか肩を並べて戦うことを誓い合った、あの優しい先輩が、もうこの世界にいない、と?
訓練を終えた喜びは、瞬く間に冷たい鉛のように重くなり、深い悲しみが、静かに月華の胸に広がっていった。降り続く雨は、まるで空が共に涙を流しているようだった。
綾人の訃報に打ちひしがれる月華だが、カルマドライブ、紗月の心臓部が無事だったと聞かされた。傷跡は深く刻まれているものの、機体そのものは再び起動することができる。
綾人の葬儀の際、たった一人残されることになった唯一の血縁者、弟の雷人の顔を見た。流れる涙を隠さないで、それでも前を向く彼の姿を見て、自分も前を向かねばならないと思った。
月華は焼香をあげながら、綾人の遺影に向かい決意を伝えた。
(綾人さん。あなたの機体、私が引き継ぎます。そして、必ず鹿島支部を守ってみせます)
あの日から月華は、綾人の守り通した鹿島支部を引き継ぐと強く心に誓った。鹿島支部の技術者たちは、総力を挙げて紗月の修復に取り掛かり、かつての近接専用機を月華が得意とする射撃専用機に生まれ変わらせようとしていた。
綾人の操縦に合わせて調整されていた武装は、接近戦に特化したブレードや格闘戦用のユニットが中心だった。だが、月華の卓越した射撃の才能を最大限に活かすため、大胆な改修が行われることになった。
重厚な近接武装は取り外され、代わりに、白銀の長銃身を持つ長距離狙撃用ライフルが、紗月の背部へと装着されていく。精密なセンサー類が強化され、遠方の敵影を捉えるための照準システムが組み込まれた。機体の各部には、射撃時の安定性を高めるための追加パーツが取り付けられ、実際に月華に乗ってもらいながら最終調整がされていった。
修復を終え、新たな武装を身に纏った紗月は、以前にも増して静謐な雰囲気を漂わせていた。その 長銃身は、遠くの敵を射抜く鋭さを湛え、綿密に調整された機体は、月華の繊細な操作に応える準備をしっかりと整えている。綾人の魂が宿っていたこの機体は、今、月華の才能を開花させるための力を得て、新たな戦いの開始を待っていた。