011
ちょっと過去の話に遡って、月華の話を書きます。お付き合いください。
乾雷人着任の3ヶ月前ーー
静かに、しかし確実に夜の帳が降りてくる鹿島支部。その広大な格納庫の中で、蓮見月華は一人、愛機を見上げていた。格納庫の強烈な白い光を浴びて、3mに届くかという大きさの機動兵器、白銀の機体「紗月」が静かに輝いている。背中には、燻った灰色の銃身を持つ長距離狙撃用ライフルが、まるで静かなる猛獣の牙のように担がれている。
かつて、この美しい機体は鹿島支部の英雄、乾綾人の魂と共鳴し、数多のハジュンを打ち滅ぼしてきた。近接戦闘を得意とした綾人の操る紗月は、敵陣を切り裂く鋭い刃のように、鹿島の戦場を駆け抜けていた。その勇姿は、今も鹿島支部の語り草となっている。
しかし今、この機体はその熱を失って、紗月は静かに佇んでいる。主を失った紗月は、まるで深い眠りについているようだ。だが、その洗練されたフォルム、無駄のない装甲には、今もなお、秘めたる力が宿っているのが感じられる。月華はそっと、冷たい機体に手を触れた。この機体に再び熱い鼓動を与え、共に駆ける。その日が始まる事を予感し、彼女は静かに紗月の顔を見上げた。
3年前、ダルマチャクラ鹿島支部は忌まわしい巨大ハジュンの猛攻によって、甚大な被害を受けた。巨大なハジュンを核とした群体は、容赦なく支部を蹂躙し、迎撃に出たサドゥーたちは、一人残らず、その牙に倒れた。中でも、鹿島支部を守るために最後まで戦い抜いたエース、乾綾人の壮絶な最期は、人々の胸に深い傷跡を残した。
機能不全に陥った鹿島支部に、遠く離れた東京支部から、ヴァジュラ3機と6名のサドゥーが派遣された。焼け野原のような支部で、彼らは懸命に復旧作業を行い、ハジュンの残滓を掃討し、徐々に活動を再開させていった。しかし、国内全体でハジュンの発生率が異常なほどに高まっていく中で、彼らの派遣は、大元の東京支部の防衛体制に深刻な影響を与え始めていた。鹿島支部にとって、専任で戦えるサドゥーの育成と確保は、まさに一刻を争う急務となっていた。
そんな派遣サドゥーの一人、船倉光一は連日のように更新されるハジュンの発生情報を険しい表情で見つめていた。日が経つにつれてその数は増え続け、活動範囲も拡大している。
「また増えたか…」
人気のない廊下で、彼は小さく呟いた。窓の外では、復興作業を行う隊員たちの声が聞こえる。彼らの努力は確かに実を結びつつあるが、光一の胸には拭えない焦燥感があった。
「このままハジュンの発生率が上がれば、東京だって危ないのに…」
彼は、都内の方向を見上げた。自分たちがここに留まっているせいで、本来なら東京を守るはずの機体が不足しているのではないか。そんな考えが頭をよぎると、いてもたってもいられなくなった。
「一体、いつになったら、こっちで戦えるサドゥーが育つんだ…」
光一の独白は、部屋内の静けさの中に染み込むように溶けていった。派遣された身として、鹿島支部の再建に尽力するのは当然の義務だ。しかし、故郷の危機、そして増え続けるハジュンの脅威を前に、彼の心は重く沈んでいた。
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鹿島支部の壊滅事件から1年前、春の陽光が降り注ぐ中で月華は真新しい制服に身を包み、希望に胸を膨らませて中学校の門をくぐった。まだ少しだけ大きく感じる制服が、彼女の成長をほんの少しだけ先取りしているようだった。新しい友人、新しい環境、そして少しだけ増える勉強。期待と不安が入り混じる、中学校生活の始まりだった。
中学に入り国が行う定期的なカルマドライブ適合試験の日が近づいていた。適合試験は義務教育中は1年に一度、4月に全国で行われることになっていた。
この時期になると、多感な少年少女はヴァジュラに対する見方が変わってくる。単なる「正義の味方」から、「人々を守る特別な存在」へと。憧れの存在から、現実の存在に近づいてくると、それに関する危険性なども見えてくる。近頃は巨大ハジュンというものが発生し続け、ニュースは世間を不安に陥れている。そんな中で月華は翌日の適合試験を前に緊張していた。それは、未来への期待というよりも、むしろ未知への緊張感に近いものだったかもしれない。もし自分が適合者だったら?もし、自分がハジュンと戦う力を持っていたら?様々な思いが、まだ幼い彼女の心を揺さぶっていた。
そして、試験当日。無機質な検査車が学校を訪れ、スタッフのいくつかの簡単な質問に答えた後、月華は少しだけ緊張した面持ちで採血席の前に座った。腕を消毒され、細い針が静かに皮膚へと入っていく。採血。それが、サドゥーの適合性を調べるための重要なプロセスだった。採取された血液は、特殊な反応検査にかけられ全世界にあるカルマドライブとの適合を調べるという。採血の時間はほんの数分だったはずだが、月華にとっては未来を左右する事のため、非常に長く感じられた。
3日後、一通の封筒が月華の家に届いた。差出人は、国の特殊機関。家族が見守る中、月華は震える手で封を開けた。中には数枚の書類と、簡潔な「適合者」という言葉が記されていた。
翌日に学校を休み、月華は両親と一緒にダルマチャクラ鹿島支部に訪れていた。先日届いた書類に必要事項を記入し、支部に届けにきたのと同時に説明を受けることになっていた。
初めて入るダルマチャクラの支部に両親共々に気後れするが、丁寧に支部のスタッフが案内してくれる。そこで、月華は特別な事情を知ることになる。
「あなたの適合したカルマドライブには先任者がいます。鹿島支部のエース、乾綾人さんの乗る紗月ね。あなたは彼と愛機を共にすることになるわ。訓練中に現役の機体に乗ることはできないので、訓練は全てシミュレーターを使うことになるわ。ジョティカヴァチャタイプは幸い、数の多いタイプだからシミュレーターも万全のものを期待していいわよ。」
月華の適合したカルマドライブは、ダルマチャクラ鹿島支部のエース、乾綾人が使用していたものだと聞いた。目の前のスタッフの女性が言うには、どうやら支部の誰もが認める腕利きらしい。月華はなんとなくだが強面の鍛え抜かれた筋肉質な男を想像した。
それから、親元を離れて東京支部の訓練所に移ることになった。住まいは寮となった。寮とはいえ予想よりも早く訪れた一人住まい。心細い彼女を支えたのは、両親や幼い頃からの友人の美桜との連絡だった。東京の訓練所で日々の訓練に励む中で、月華はいつか自分の乗るヴァジュラの先任者という綾人と顔を合わせるのだろうかと、胸の奥で密かに思っていた。
ある日の訓練後、汗を拭いながら休憩していると、教官の巳垣咲菜が声をかけてきた。
「月華、少し良いかしら。」
「はい、何か御用でしょうか?」
「あなたに少し会わせたい人がここに訪れたのよ。ちょうど良い機会だから、ね?」
案内に従って教官室へ入ると、 優し気な面立ちの青年が立っていた。細身ながらも鍛えられた体躯、真摯な眼差しの中にどこか強い意志を帯びた表情。それが、噂の乾綾人だった。
「月華さん、初めまして。乾綾人と言います。」
にこやかな笑顔を向けられ、月華は想像していた人物像と違い、あたふたと戸惑う。
「あ、あの。えっと、訓練生、蓮見月華です。」
「ええ、僕の守っている鹿島支部の出身だと聞きましたよ。僕は出身は東京ですけれど、あそこは良いところですね。」
落ち着いた、しかし芯を感じさせる声が月華の耳に届いた。彼は軽く頭を下げ、月華に握手を交わした。印象とは裏腹に、鍛えられた男性の逞しさを感じる握手だった。
「あなたが、僕の乗る紗月のカルマドライブに適合したと聞きました。これから、共に鹿島支部を守ることになるりますね。僕もまだまだ未熟ですが、どうぞよろしくお願いします」
綾人の言葉は、月華の胸にじんわりと広がった。エースと呼ばれる人物から、こんなにも丁寧な言葉をかけられるとは思っていなかった。少し緊張しながらも、月華は顔を上げ、まっすぐ彼の瞳を見つめ返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします。乾先輩!」
その日から、二人は連絡先を交換してのやり取りが始まったのだった。