母
私の母がどんな人間だったかを綴ったエッセイ。
、、、というか日記感覚で残している。
痛み止めに打たれたモルヒネのせいで可怪しくなっていく母を直視することが出来なかった。
ただ、ベッドに静かに横横たわる母を見て、『最後に名前を呼んでもらったのはいつだろう?』と考えていた。
「お母さん・・・」
呼んでも反応の無い母。
その光景を見ても傷つかない私の心。
勉強が出来た私よりも、勉強が出来ないバカな姉の方を褒めるような母だったから、私の心はもう傷が付かないほどズタズタになっていたんだと思う。
ある日、万引きをして警察署に補導された姉を母は「お帰り。怖かったね」と優しく抱きしめて慰めたのだ。
異常な光景だった。
普通の親ならどうするだろう?
さすがに、抱きしめて慰めたりはしないはずだ。
ウチの母の愛情のかけ方は姉と私では雲泥の差だった。
姉だけがお年玉を貰える。
姉だけがお小遣いを貰える。
姉だけが新品の服を買ってもらえる。
姉だけが誕生日を祝ってもらえる。
姉だけがクリスマスプレゼントをもらえる。
姉だけが外食に連れて行ってもらえる。
姉だけが写真を撮ってもらえる。
姉だけが七五三をしてもらえる。
姉だけが成人式をしてもらえる。
姉だけの授業参観に行った母。
姉だけの遠足にお弁当を作った母。
私の時はコンビニのおにぎり1個だった。
姉が盲腸で入院した時、たった1日だったのに、母は夜通し付きっきりで病室にいた。
私が盲腸で入院した時はさすがに手術があったので2日間、入院したが母から言われたのは「あーぁ無駄なお金がかかっちゃった」だった。
そんな母だったので、目の前で横たわって反応が無くてもツラくなかった。
51歳という若さでこの世を去った母だったが、私にとっては「居ても居なくても同じ」母だった。
父からの性的虐待から逃れられれば、それで良かった。
腐った人間共が腐った人間を4人産み落とし、その長女が死んだくらいで腐った人間の中身は変わらない。
母はそれでも天国に行けているのだろうか。
理不尽だ。