8、研修TRY
今日は卒業式。普通の学校なら袴姿で出席となるはずだけど、私たちがかよっている養成所は見習い制服での出席となる。入学した時と比べて、見習い制服は見事にくたびれていた。ホールで卒業証書と記念品を授与されたあと、校長先生や来賓の挨拶などがある中、緊張感のない人は、あくびや居眠りをしてたり、辺りをキョロキョロと見渡していた。
卒業式が終わって、先生や後輩たちに拍手で見送られたあと、教室でマユラ先生による最後のホームルームが始まった。
「まずは卒業おめでとう。入学した時と比べて、たくましくなった人もいれば、いまだに頼りなさそうな人もいる。どんな形にせよ来月から収容所の看守として頑張ってもらう。ここで学んだことは、ほんの基礎程度だ。これから収容所で看守長や先輩たちから厳しい指導を受けながら、応用を身に着けてもらう。いきなりで申し訳ないが、明後日から先輩たちのもとで研修が始まるので、覚悟をしておくように。あと、君たちの部屋には新しい制服が届いているはずだから、それだけはきちんと確認してほしい。では以上にする」
マユラ先生の話が終わったとたん、先生を囲んで記念撮影をやったり、さっさと宿舎に戻る人など様々であった。私とクレアもマユラ先生やルイーゼ、ユナと一緒に教室の中で記念撮影を済ませたあと、宿舎へ戻ろうとした時だった。
「美鈴、クレア、まってー」
廊下を歩いていたらルイーゼが後ろから声をかけてきた。
「ルイーゼ、どうしたの?」
私は目を点にして聞き返した。
「食堂でケーキと紅茶をごちそうしているみたい」
「本当に!?」
ケーキと紅茶に反応したクレアは急にテンション上げて食堂へ足を向けた。
食堂の入口には「卒業生を対象に紅茶とケーキをサービスします」と書かれたプレートが置いてあった。
中へ入ってみると受付があり、宿舎の部屋の番号と名前の確認をとらされていた。
「310号室の鬼頭美鈴とクレアです」
「309号室のルイーゼとユナです」
「美鈴さんとクレアさん、ルイーゼさん、ユナさんですね。卒業おめでとうございます」
受付の若い女性にそう言われ、引換券を受け取ったあと、おばちゃんから薔薇の花が載っているケーキと紅茶を受け取って、空いているテーブルでくつろぐことにした。
「まさかこんなイベントが発生していたなんて知らなかったよ」
驚いた私は、思わずあたりをキョロキョロと見渡していた。
「これ毎年やっているんだよ」
「ルイーゼ、なんで知っているの?」
疑問に感じた私はルイーゼに質問をした。
「実はシンディ先輩から聞いたんだよ」
「でも、マユラ先生は何も言っていなかったわよ」
「だとしたら、言い忘れたかもしれないよ」
「そうなんだね……」
私としては、今一つ納得できなかった。
「ねえ、このケーキに載っている薔薇の花、チョコで出来ているよ」
クレアが満足そうな顔をしながらケーキに載っているチョコレートの薔薇の花びらを食べていたので、私も一口食べることにした。
「あまーーい!」
私は思わず口に出してしまったので、紅茶で口直しをした。
「紅茶は、おかわり自由みたいだよ」
クレアが紅茶が置いてあるテーブルに指をさしながら言ってきた。
「そうなんだね」
私がケーキを食べながら生返事をしていたら、ルイーゼは立ち上がって紅茶のおかわりをしようとしていた。
「紅茶のおかわりをするの?」
「うん、そうだよ。このケーキ、甘さがしつこいから」
そう言って、ルイーゼはティーカップを持って紅茶のおかわりをしに行った。確かに甘さがしつこい感じがするかも。そう思ってケーキを食べ続けた。
全部食べ終えた時には、しつこさが半端なかったので、私は紅茶で口直したが、それでも足りなかった。これはおかわりが必要かもしれないと思ってティーカップを持って、紅茶が置いてある場所に行ったが、結構並んでいた。私の順番が来てティーカップに紅茶を入れたが、調度終わってしまった。私の後ろに並んでいた人たちが諦めて戻ろうとした時、おばちゃんがすぐに新しい紅茶を用意してくれた。
あれから数分経って、私たちは宿舎へ戻って、部屋のドアを開けた瞬間、ベッドのわきに白い大きな箱と少し小さめの箱がそれぞれ二つずつ置かれていて、ふたには私たちの名前が書かれていた。最初に小さい箱を開けてみたら、黒いブーツが入っていて、大きい箱を開けてみると、制服本体に仮面、白い長手袋、ウィッグなどが入っていた。さすがにムチや手錠はまだ支給されていなかった。
さっそく制服とウィッグ、仮面を試着してみたら、とても着け心地がよかったので、私はしばらくこのままでいた。目の部分もスモークがかかっていて、サングラスを着けているような視界になっていた。そのまま机に目を向けると、研修の案内が来ていたので、内容を読み上げると、さっそく次の月曜日からになっていたので、卒業気分は一瞬にして終わってしまった。本来なら、打ち上げや卒業旅行といきたいところだったが、看守にはそんな余裕がなかったみたい。
案内状には<制服着用(女子は仮面とウィッグも着用)の上、研修棟の1階ホールに集合。日付……3月3日、時間……午前9時(時間厳守)>と書かれていた。急すぎる。思わずぼやきそうになった。でも、ぼやいていても何も始まらない。一度部屋着姿になろうとした時だった。
「ねえねえ、どう?」
制服と仮面、ウィッグ姿のクレアが私の前に現れた。
「かなり怖さが出ているわよ」
「それだけ?」
「うん」
私が短く感想を言ったら、クレアは「えー」っという不満な声をあげていた。
「もうじき食事だし、着替えようよ」
「うん、そうだね……」
着替えを終えた私とクレアはいつものように、隣の部屋に行って、ルイーゼとユナを誘って4人で行くことにした。
「ねえ、2人はもう新しい制服を試着したの?」
ルイーゼはテンション高めて私とクレアに聞いてきた。
「うん、試着したよ」
「どんな感じだった?」
「着け心地は最高だったよ」
「私は、制服を着た瞬間、なんだか自分が変わったような気分になったよ」
私が短く返事をした瞬間、今度はクレアが横から口を挟むように自分の感想を言ってきた。
「仮面も着けたの?」
「うん、着けたよ。鏡で見たけど、違う自分になった気分だった」
「そうなんだね」
ルイーゼは苦笑いをしながら返事をしていた。
食堂へ入って4人分のテーブルを確保して、私たちは食事をすることにした。
「ここの食事も、もうじき終わるんだね」
「なんで?」
クレアの一言に私は思わず疑問に感じてしまった。
「だって私たち卒業したんだから、ここで食事できなくなるんじゃないの?」
「それなら大丈夫。卒業してもここで食事が出来るよ」
「だって、ここって看守の見習いしかいないはずでは……」
クレアは今一つ納得していなかった。
「その証拠に先輩たちがここにいるじゃん」
「言われてみれば、そうだよね」
「それより、明後日から研修って早すぎない?」
今度はルイーゼが横から口を挟んできた。
「確かに……」
私もルイーゼの言葉に納得してしまった。
「ルイーゼの意見に賛成。休みは必要だと思います」
ユナも控えめな声で返事をした。
「そうだよね。もう少し自由時間が欲しいよね」
ルイーゼも、みんなの前で愚痴をこぼすように言ってきた。
部屋に戻って、私は明後日からの研修の準備をやり始めた。
「美鈴、何をやっているの?」
「明後日の準備」
「そんなの明日からだっていいじゃん」
「明日でもいいけど、少し余裕をもって、やっておきたいから」
「そうなんだね……」
「クレアも今日やったら?」
「うん……」
私に言われて渋々と準備を始めた。
そして迎えた研修初日。食事を済ませたあと、制服に着替えてウィッグを被り、仮面を着けて研修棟へ向かった。入口で受付の人が宿舎の部屋の番号と名前の確認をとっていた。
「310号室の鬼頭美鈴です」
「同じく310号室のクレアです」
確認を済ませたあと、受付の人から資料を受け取って、ホールへと向かった。
中へ入ってみると、とても広々とした空間になっていて、そこに椅子が並べられていたので、私とクレアは指示された場所に座ることにした。開始まで時間があったので、トイレに行こうとした時だった。見覚えのある仮面を着けた女性を見かけたので、ちょっと覗いてみたら、やはりシンディだった。
「シンディ先輩、お疲れ様です」
「誰?」
「私です。美鈴です」
「美鈴ちゃん!?」
私が仮面を外そうとした時だった。
「ちょっと待って。ここでは仮面を外すのは禁止だよ」
「そうなんですか?」
「研修と言えども、お仕事であることに変わりはないんだから、宿舎に戻るまでは仮面は着けたままでいてちょうだい」
「わかりました。ちなみに男性看守にも素顔を見せてはいけないのですか?」
「もちろん。お仕事では、女性が素顔を見せることは禁止になっているんだよ」
「そうなんですね、わかりました」
「それと、お仕事で名前を呼ぶ時、私たち看守同士では敬称略で呼んでいるし、囚人に対しては番号で呼んでいるんだよ」
「そうなんですね。ちなみに敬称付けて呼ぶとどうなりますか?」
「どうなるかは、わからないけど、周りから注意を受けて終わると思うよ」
「わかりました」
私がシンディの言葉を聞いて数分経った時、男性の司会者がマイクで「ただいまより入社式を始めます」と言ってきたので、私とクレアは自分の席へ座った。緊張が高まる中、制服姿の大男がのっしりと壇上へ上がってきて、マイクの前で止まり、筋肉隆々の体で挨拶を始めた。
「新人諸君、まずは入社おめでとう。私はここの収容所の所長を務めている、ベアナードだ。君たちは今日からここで看守として働いてもらう。看守とは罪を犯した囚人たちを管理するお仕事になる。彼らは平穏な日常を恐怖に変えてしまったのだから、そんな人間に対して優しい顔で接することは禁じられている。特に女性の看守たちは男性の看守と違い、舐められやすい所もあるため、囚人の前では仮面とカツラで正体を隠してもらうことになっている。かつて女性も男性同様に素顔を晒していたが、勤務中に舐められたり、囚人が出所したあと、ストーカーや性被害があったという報告が多数あげられていたため、それ以来仮面とカツラによって正体を隠すようになってきた。さて、ここにいる人たちは養成所で看守になるためのお勉強したはずだと思うが、養成所で学んできた内容はほんの基礎程度にしか過ぎない。これから君たちは現場で、先輩や上司から応用を学ぶ形となる。厳しいことをたくさん言われるかもしれないが、そこは耐えてもらいたい。あと、囚人の中には暴れて自分たちでは対処できない人もいる。こういう時は遠慮せず先輩や上司などを頼ってほしい。それでもダメな時には私を呼んでほしい。最後に君たちにしかない権利を与える。それは失敗をすることだ。君たちは新人だから、それが許される。だからと言って先輩や上司たちに迷惑をかけないでほしい。この失敗を次への成功に活かしてもらいたい。私に怒鳴られるのは先輩や上司だけ。君たちの仕事は失敗して覚えること。では長くなったがここで私の挨拶と変えて終わりにする」
所長の長い話が終わったあと、上司や先輩たちの挨拶が続いた。長い話なのか、クレアは横で私に寄りかかっていた。
入社式が終わって、みんなが椅子から立ち上がってもクレアは動こうとしなかった。もしかして寝ているかもしれないと思っていたら、案の定寝ていた。
「クレア、起きて。終わったわよ」
私が肩を数回叩いたあと、やっと目を覚ました。仮面を着けていてもはっきりわかっていた。このあと私たちは、案内された「研修室A」と書かれた部屋に入ってみると、机と椅子が並べられていて、正面にはホワイトボードがあった。机の上にはネームプレートが置かれていて、私たちは自分の名前が書かれた席に着くことにしたが、その雰囲気は養成所にいた時とまったく変わらなかった。むしろ、その延長線と言っても過言ではない。周りを見渡すと、すでにおしゃべりに夢中になっていたり、中にはすでに仮面やウィッグを外していた人もいた。
その時だった。「ねえねえ、よかったらあなたの名前を教えて」と後ろから聞き覚えのある声がしたので、振り向いてしまった。
「私は美鈴だけど……。あなたは?」
「私はアリエス」
「アリエスって、もしかして平均台の練習の時、一緒だったアリエス?」
「そうよ」
「仮面を着けていたから、わからなかったよ」
「それはお互い様でしょ?」
「確かに……」
「あなたの仮面のデザインって凄いわね。なんていうか吸血鬼みたい」
「アリエスだって、女王様みたい」
私とアリエスが会話に夢中になっていたら、仮面を着けた講師と思われる女性がやってきた。
教壇に着いたとたん、みんなが講師に注目している時、後ろで仮面とウィッグを外しておしゃべりに夢中になっているグループがいたので、仮面を着けた講師と思われる女性がおしゃべりしているグループの前でムチを机に叩いて威嚇をした。
「さっき所長が話した内容をもう忘れたの?」
「いいえ……」
「では、なんで仮面とウィッグを外したのか、説明してもらおうかしら」
「暑いし、うっとうしくなったから……。すみません……」
女の子はあわててウィッグを被って、そのあと仮面を着けた。
「改めて自己紹介する。私はここで看守長を勤めているユイだ。言ってみればみんなのリーダーにあたる。所長も言っていたように、ここでは身内でも自分の正体を明かすことが出来ない。だから、君たちには仮面とウィッグを着けてもらう形となる。逆に言えば仮面とウィッグを外すのが許されるのは宿舎の中と収容所の外にいる時だけ。当然食事は宿舎の食堂を使ってもらう。ここまでで質問のある人はいるか?」
しかし、誰も手を挙げる人はなかった。
「では、これから君たちに手錠とムチを配る。決してふざけ半分で使わないように」
「わかりました」
みんが大きい声で返事をしたあと、最初に手錠、そのあとにムチが配られた。
「看守長、質問していいですか?」
その時、後ろの席で誰かが質問してきた。
「なんだ言ってみろ」
「身分証明書はいつ頃作成されるのですか?」
「それなんだが、このあと撮影に入る」
「わかりました。ありがとうございます」
ユイさんは、私たちを廊下の奥にある「撮影室」と書かれた部屋に連れて行った。中に入ると薄明りになっていて、そこにはいろんな撮影機材が置いてあった。さらに部屋の奥へ行くと白いバックがあり、その中央に木の椅子が一つ置いてあった。
ユイさんは私たちに仮面とウィッグを外すように指示をして、順番に写真を撮っていった。そして私の順番が来て、無影灯で照らされた木の椅子に座ってカメラに写ることにした。
「顔が緊張している。もう少しリラックして」
「こんな感じですか?」
「うーん、まだ表情が固い」
言われるままにリラックスしてみたが、なかなか思うように行かない。
「じゃあ、このぬいぐるみを見て」
ユイさんは熊のぬいぐるみを私に見せた。その瞬間、私の緊張がゆるんだ。
「この表情だよ」
そう言って何枚かシャッターを押した。
撮影が終わって、私は仮面とウィッグを着けて、部屋の隅でみんなの撮影が終わるのを待っていた。
「緊張した?」
横からクレアが話をかけてきた。
「うん、ちょっとだけ。私、昔からカメラの前だと、どうも緊張するのよね」
「そうなんだ。もしかしてカメラ苦手?」
「まあね」
私は苦笑いをしながら返事をした。
「証明書は明日までには出来上がるはずだから、それまで待ってもらいたい」
撮影が終わって、私たちは研修棟の中を案内してもらったあと、一度宿舎へ戻って食事をとることにした。
「研修っていうよりオリエンテーションって感じだったよね」
私の最初の感想はそれだった。
「まあ、なんて言うか初日だからね」
クレアも苦笑いをしながら返事をした。
「そういえば、研修棟や収容所の中には食堂ってないの?」
「食事はここで済ませることになっているんだよ」
ルイーゼが横から口を挟んできた。
「そうなの?」
「うん、研修棟には男性看守がいるし、収容所の食堂には囚人たちが使っているから無理なんだよ」
「そうなんだね。そういえば、午後って何をするのかな?」
私はパンをちぎりながら、みんなに聞き出した。
「私もわからない」
ルイーゼは短く返事をした。
食事が終わって、私たちは仮面とウィッグを着けて再び研修棟へ戻った。中へ入ってみると、みんなは黙々と何かを見ていた。
「お疲れ、何を読んでいるの?」
私は資料を見ているアリエスに聞いてみた。
「これ、注意事項って言うか、マニュアルみたいな感じだよ」
「どこにあるの?」
「教壇の上だよ」
教壇に行くと、ホッチキス止めされた薄めのマニュアルが置いてあって、ホワイトボードには<一人一部取って読んでください>と書かれていた。
自分の席へ戻って最初のページをめくってみると、以前先輩たちが言っていた内容がそのまんま書かれていた。<行動に関しては原則、宿舎の部屋ごとになる。遅刻に関しては連帯責任となり、体調不良起こした際にはルームメイトが看病することになる。休日ならびに有給に関しても部屋ごとになる。旅行などの長期にわたる休暇を取る際には、行き先と宿屋の連絡先も告げること。ちなみに夏休みと冬休みも同様。業務のミスに関しては看守長または先輩たちに速やかに報告すること>と書かれていた。さらにページをめくってみると、業務の規則が書かれていて<現場での私語並びに飲食、その他として私物の持ち込みが禁止となっている>と書かれていた。結構厳しいんだなと呟きながら、ページをめくってみると、囚人の扱い方について書かれていた。<ムチは原則威嚇のために使うのであって、直接囚人に叩くのは禁止となっている。ただし、再三にかけて注意に従ってもらえない場合に限って、やむを得ず叩くことが許可されている。手錠は懲罰房への連行、脱走を捕獲した時だけ使用が認められている。名前を呼ぶ際には1号、2号など番号で呼ぶことになっている。大人数の奴隷作業の時や薬物乱用者の囚人に関しては、基本二部屋以上のグループで監視を行なう形となる>
全部読み終えた頃にはユイさんがやってきて、私たちを現場に連れて行くことになった。
「ここから先は、囚人たちの世界だ」
ユイさんが重たい鉄の扉をゆっくり開けた瞬間、私の緊張は高まってきた。仮面で表情はわからないが、おそらくみんなも同じ気持ちになっているに違いない。中へ入ってみると、囚人服を着た人たちが看守に囲まれて作業をしていた。作業の種類はいくつかあるらしく、私たちが見たのは木工作業だった。他の現場にいる囚人たちは線路の整備や鉱山の発掘などの屋外作業をしていた。
「総員異常なし!」
仮面を着けた女性看守がユイさんに大きな声で敬礼をしたので、「ごくろう」と短く返事をした。
「さっきのように誰かが来たら、このうように挨拶をすること」
そう言って、いろんな部屋を案内してくれた。囚人たちの部屋は原則4人部屋となっていて、脱走が出来ないように外側から鍵をかける仕組みとなり、部屋は男女別々となっている。囚人たちの食事は固いパンと味のないスープだけ。それ以外は口にすることが許されない形となっている。
次に案内されたのは浴室で、入浴は15分までとし、それを超過した場合、問答無用で浴室から出されてしまう。言うまでもないが、指示に従えない時には無条件で懲罰房送りとされる。
その次に案内されたのは懲罰房で、行ってみると、そこは地下にある薄暗い部屋になっていて、仮面を着けていても伝わってくる悪臭が漂っていた。扉を開けてみると、ベッドとトイレしかないシンプルな部屋になっていて、部屋の片隅には得体のしれない虫もいた。
最後に案内されたのは図書室で、中に入ると読みたい本を自由に読むことが出来るので、囚人たちにとって数少ない娯楽部屋となっていた。
一通り案内されたあと、私たちたちは再び研修室へ戻された。
「明日から、鉄の扉へ入って勤務することになる。いきなり『やれ』と言われても無理だろうから、最初は先輩たちがやっている業務を見て覚えるように」
「……」
「返事は?」
「わかりました!」
「言っておくが、返事が出来なかった時点で囚人たちに舐められて終わりだから、そのつもりでいるように。ちなみ明日も今日と同じ時間でここに集まってくれ」
ユイさんはそう言って部屋を出て行ってしまった。
宿舎に戻って仮面とウィッグを外して、部屋着姿になった瞬間、私はベッドで横になってしまった。
「お疲れ」
クレアは私に短く声をかけてくれた。
「看守のお仕事って、思っていた以上にハードかも」
「今からめげていたら長続きできないよ」
「そうだね」
私は重たい体を起こして、机で研修マニュアルを読み返すことにした。
「結構、厳しい内容ばかり」
私は独り言のように呟きながら読んでいった。
「そういえば、囚人の顔初めて見たけど、かなり人相悪かったね」
「外で罪を犯してきたからね」
クレアの言葉に私は短く返事をした。
「ユイさんの厳しさ、仮面を着けていても伝わってくる」
「逆に言えば、仮面を着けているから余計に厳しく見えるんじゃない?」
「確かに。そういえばユイさんの素顔って気にならない?」
私はさりげなくクレアに聞き出した。
「私もそう思った」
「ユイさんの部屋に行ってみない?」
私はクレアに提案してみた。
「行きたいけど、場所わからない」
「講師や管理職ってどこに住んでいるの?」
「聞いた話によると北館の4階で、立ち入り禁止区域になっているみたいだよ」
「じゃあ、私たちが行くと不法侵入になっちゃうの?」
「たぶん……」
そこで会話が止まってしまった。しばらくして、ドアをノックする音が聞こえたので、開けてみたら案の定ルイーゼとユナがやってきた。
「そろそろ、ごはんに行かない?」
ルイーゼはテンション高めの声で誘ってきた。
「ルイーゼ、ユイさんの素顔に興味ない?」
「あるけど、なんで?」
ルイーゼは私の言葉に少し疑問に感じながら返事をした。
「ユイさんの部屋に行って、素顔を見ようかなと思ったの」
「それは辞めたほうがいいよ。私らが行くと不法侵入になるし、仮に行けたとしても素顔を見た時点でアウトになるんじゃない?」
「確かに……」
私としては正直納得がいかなかった。
「勝手に行って『素顔見られた』と騒ぎになって、何らかの処罰を受けると思うよ」
今度は横にいたユナが口を挟んできた。
「私らは付き合いが長いからまだいいけど、他の人の素顔は見ようと思わないほうがいいよ。特に看守長とかは」
クレアも便乗して厳しいことを言ってきた。
「そうだね……。でも訓練に付き合ってくれた先輩たちなら、まだいいんじゃない?」
「それもギリオーケーって感じかな。とにかく、世の中には知らないほうがよかったって思えることがあるから、やたらむやみに詮索しないほうがいいよ」
クレアのまともな意見に、私はこれ以上何も言い返せなくなった。
「じゃあ、食事に行こうか」
ルイーゼの一声で私たちは食堂へ行くことになったが、中へ入ってみると、いつになく混んでいた。
「こまったなあ、どうしよう」
後ろ髪をかきながら、ルイーゼは困った顔をしていた。
「奥、空いたわよ」
どこかで聞き覚えのある声が聞こえた。よく見るとシンディたちだった。
「シンディ先輩、お疲れ様です」
私はとっさにシンディに頭を下げてしまった。
「美鈴ちゃん、頭をあげて。食事が終わったら私の部屋に来ない?」
「行きます!」
私はテンションを高めて返事をした。
「じゃあ、その時あなたたちの仮面とウィッグを見せてね」
シンディはレイラを連れていなくなってしまった。
食事を終えた私たちは一度部屋に戻って仮面とウィッグを持って、シンディとレイラの部屋に向かった。
部屋のドアをノックすると、シンディが出迎えてくれた。
「改めてお疲れ様。早く中へ入ってちょうだい」
部屋へ入ってみると、すでに人数分のティーカップが並べられていた。
「じゃあ約束通り、仮面とウィッグを見せてもらおうかしら」
「こちらです……」
私は手提げ袋から仮面とウィッグを取り出した。
「どれどれ」
シンディは慣れた手つきで、ウィッグと仮面と眺めていた。
「よかったら私のと交換して」
「それはちょっと……」
「ハハハハハ……、冗談よ。ただ一言注意をさせてもらうけど、使ったあとの仮面は除菌して、ウィッグはブラシで手入れをしてちょうだい。そうしないと寿命が短くなるから気を付けてね。使わない時にはスタンドにかけるか、専用のケースに入れたほうがいいわよ」
「でも、スタンドって私持っていません……」
「ウィッグスタンドなら備品担当に頼めば持ってきてくれるよ」
ベッドで横になっていたレイラが口を挟んできた。
「あと、万が一囚人たちのいたずらでウィッグが使えない状態になった時には、代わりを手配してくれるから」
シンディはさらに付け加えるかのように言ってきた。
「もう一つ、アホな囚人が仮面をめがけて石をぶつけてくるから、気を付けろよ」
レイラもさらに便乗して言ってきた。
「ありがとうございます。いろいろと参考になりました」
「そういえば、明日の予定って聞いている?」
シンディは急に真顔になって、私たちに聞いてきた。
「明日は現場で先輩たちの業務を見ることになっています」
私は少し緊張気味で返事をした。
「あ、緊張しないで。あと紅茶もさめないうちに飲んじゃって」
シンディに言われ、私は出された紅茶を一口飲んだ。
「明日、あなたたちに見てもらうのは初日面談と言って、『なんの容疑で逮捕されたのか?』とか、『罪を犯した理由は何か?』などを聞き出すの。他にも所持品検査をやったり、私物の預かりもやってもらうわ。言っておくけど、簡単そうに見えてすごく難しいんだからね」
「そうなんですね」
「中には面談中にいきなり暴れだしたり、隠し持っていたナイフで襲ってくる人もいるんだよ」
「怖いですね」
「そのために支給されたムチで威嚇したり、手錠をかけて大人しくさせることもあるんだよ」
「わかりました。あの、よかったらさっきの言葉、記録したいので紙と鉛筆いいですか?」
「あ、それなら明日同じことを説明するから、その時にメモってちょうだい」
私とクレアがシンディの話を聞いているころ、ルイーゼとユナもレイラから同じことを言われていた。
「明日の件はユイさんに私から話しておくよ」
「わかりました。よろしくお願いします」
一息ついたところで、私は思い切ってユイさんのことを切り出すことにした。
「明日の件とは関係ないことですが、シンディ先輩はユイさんの素顔を見たことありますか?」
「ないわよ」
私が話題を切り出したら、シンディは少し冷たく返事をした。
「ユイさんの素顔気になるの?」
「はい……」
「辞めたほうがいいわよ」
「どうしてですか?」
「私たちはともかくとしても、ユイさんを始めとする管理職の人間にとって、素顔を見られることは裸を見られるのと同じことになるの。もし、素顔を見られたら間違いなく、何らかの処罰を受けることになるわよ」
「そう言うことでしたら諦めます」
私はシンディの言葉を聞いて諦めることにした。
「あなたたちも看守になった以上、やたらとむやみに素顔を見せない方がいいわよ」
「わかりました」
「宿舎の中や収容所の外ならまだしも、収容所や研修棟の中では絶対に仮面やウィッグは外さないこと」
「わかりました。あと収容所にいる時の私の名前を考えてみたの」
「どんな名前?」
シンディは頭にクエスチョンマークを浮かべて聞いてきた。
「鈴鬼と書いて『れいき』」
「いいんじゃない? じゃあ現場では美鈴ちゃんのことを『鈴鬼』と呼べばいいの?」
「はい」
「わかった」
「鈴の鬼ってちょっと怖そうなイメージがする」
紅茶を飲みながらクレアは一言感想を呟いていた。
「そのほうが舐められないかなって思ったの」
「なるほどね」
私の考えにシンディは一言呟いて納得していた。
「私、名前が鬼頭美鈴だから、苗字の鬼と名前の鈴を取ってみたの」
「そうなんだね。私も名前を変えてみようかな」
シンディは冗談交じりで私に言ってきた。
「どんな名前にするのですか?」
私は思わず聞いてしまった。
「なにも考えていない」
「そうなんですね」
それを聞いて思わずずっこけそうになり、私は思わず苦笑いをしながら返事をした。
「あ、そろそろ部屋に戻って寝たほうがいいわよ。明日も早いから」
「わかりました。それでは、おやすみなさい」
翌朝、私たちは研修棟の中にある「研修室A」の部屋に入った。さすがに昨日の今日だったのか、仮面やウィッグを外している人は誰一人いなかった。ただユイさんが来るまでの数分間は退屈だったのか、みんなはおしゃべりに夢中になっていた。
始業のチャイムが鳴ってユイさんが入った瞬間、みんなは急に静かになった。
「では、今日の日程を発表する。今日は二人一組になって先輩たちの業務を見てもらうことにする。よって、指示されたこと以外は絶対にしないように。あと昨日も言ったはずだが、ムチや手錠は決してふざけ半分で使わないこと。見つけた時点で没収するから、そのつもりでいるように」
「わかりました!」
ユイさんの厳しい言葉にみんなはいっせいに大きな声で返事をした。
「では、今から名前を呼ぶから、呼ばれた人はそれぞれの先輩に就くように」
ユイさんはそう言って次々と名前を呼んでいった。
「部屋番号309号室のルイーゼとユナ、レイラに就け!」
「はい!」
「部屋番号310号室の鈴鬼とクレア、シンディに就け!」
「はい!」
「おい、美鈴、名前を変えるって、なかなか面白いことを考えるじゃないか」
「いけなかったのですか?」
「そうじゃないけど、逆に素晴らしいアイディアだと思う」
「ありがとうございます」
返事をした私はクレアと一緒にシンディの所へ向かった。
「よろしくお願いします」
私は思わず頭を下げてしまった。
「そんなにかしこまらなくてもいいわよ。それより今日の昼、一緒にご飯を食べようか」
「是非、よろこんで」
「私語はここまで。これから鉄の扉の向こうへ行くわよ」
シンディに言われ、鉄の扉の中へ入った。その瞬間、緊張が一気に高まってきた。シンディが向かった先は「面談室A」と書かれた部屋だった。
「ここは刑事裁判で有罪判決を言い渡された人が初めて来る場所。ここで私たちが行なうのは面談、写真撮影、所持品のチェックをして預かることなんだよ。囚人から預かった所持品はこの青い巾着袋に入れて、金庫に収納すること。金庫の場所は隣の金庫室。ここに囚人から預かった所持品を収納すること。衣類に関しては衣類箱へ収納すること」
「わかりました」
私とクレアはシンディに言われたことを、すべてノートに記録していった。
「一つ気になったのですが、『面談室A』という部屋があるってことはBとかCもあるのですか?」
「面談室は全部で6つあって、アルファベットでいうならAからFまであるんだよ」
「そうなんですね」
「ルイーゼとユナも今頃、Bの部屋でレイラから説明を受けているはずだよ」
その時だった。男性保安官が30代と思われる男性囚人を連れて面談室に入ってきた。
「引き渡しに来ました」
「ごくろう!」
シンディは短く返事をして、面談を始める準備をした。
「まずは所持品のチェックだ。ポケットやカバンの中身を全部出してもらうよ」
シンディはそう言ったあと、ポケットやロングパンツの裾などを触って、ボディチェックを始めた。
「よし、ポケットの中身を全部出せ」
男性囚人は言われるままに、ポケットの中身を全部出した。
「これだけか?」
「疑うなら、気が済むまでポケットでもなんでも、好きなところを触ってください」
シンディが改めて触って調べ直したところ、特に何もなかったので、今度は靴を脱がせることにした。しかし、靴の中も何もなかった。
次にシンディが調べたのはカバンの中だった。カバンの中身は特にこれと言って目立つようなものはなかった。
「では、これらの物は出所するまで預かっておく。鈴鬼、これを全部金庫室へ持って行け」
「わかりました」
私はシンディに言われて男性のカバンを金庫室へ持って行き、カバンを箱にしまい、中身を金庫に入れようとした時だった。金庫の番号がわからなかったので、私の頭の中はパニックになってしまった。面談中のシンディに金庫の番号を聞き出そうとした時だった。
「ちょっと待ってくれる?」
シンディは内線電話で空いている看守に「面談室A]まで来るように伝えた。
「どうした?」
駆けつけた男性看守が私の所へやってきた。
「すみません、金庫の番号がわからないのです……」
「お前、新人か?」
「はい、今日から研修が始まりました……」
「おいシンディ、新人にちゃんと教えなきゃダメだろ。こっちだって暇じゃないんだから」
「わかりました、気を付けます……」
男性看守に怒られたシンディは少し畏縮して返事をした。そのあと、男性看守は金庫の番号が書かれた紙を私に渡して、いなくなってしまった。私は紙に書かれた金庫の番号を入れて扉を開けたあと、囚人の所持品を全部入れて再びロックした。
面談室に戻ると、シンディが男性囚人と面談をしていた。
「罪名は?」
「注意妨害罪と安眠妨害罪と傷害罪です」
「なんで逮捕されたんだ?」
「夜中に友達と広場で騒いでいたら、近所の人に注意されて、カッとなって友達と一緒にリンチをして全治数週間に及ぶ大けがを負わせました」
「わかった。では、このあと写真を撮る」
シンディはそう言って、囚人の顔を正面、左右の両方を撮影した。
「よし、これに着替えろ」
シンディは男性囚人に囚人服を着替えさせ、そのあと靴も履き替えさせた。
囚人服は薄いベージュ色のシャツに、下は少し黄ばみのかかった白い長ズボン、それも誰かが着古したものだったので、少しくたびれていた。
「今日からのお前を『囚人246号』と呼ぶ。246号、立て!」
シンディは手錠を246号の後ろにかけて、囚人部屋に連れて行った。移動中は終始無言のままだったので、私まで緊張してきた。
「今日からここがお前の部屋だ。入れ!」
部屋は鉄格子のついた4人部屋だった。中にはガラの悪そうな男性囚人がおしゃべりをするなど好き勝手に時間を過ごしていた。
「新人が入った、面倒を見てやれ」
246号と呼ばれた囚人は中へ入るなり、一言「よろしくお願います」と、小さい声で挨拶をした。
「お前、なんの罪で来たんだ?」
右頬に傷の入った245号の囚人が246号に質問してきた。
「安眠妨害罪、注意妨害罪、傷害罪です……」
「ほう、外でひと暴れをしてきたのか?」
「ええ、まあ……」
「ここでは看守に逆らわねえほうがいいぜ。へたに逆らうと懲罰房送りにされるからよ」
245号の囚人は、ニヤリとした顔で言ってきた。
「懲罰房って行ったことがあるのですか?」
「ああ、あるぜ。暗くて狭い部屋だった。くれぐれも気を付けろよ。あと、新人のお仕事もあるんだけど、なんだかわかるか?」
「わかりません……」
「それは便所掃除だ」
245号の囚人は便器のある方へ指を差しながら言ってきた。
「あそこ、出るらしいぜ」
今度は244号の目つきの悪い囚人が言ってきた。
「何がです?」
「虫が」
「虫?」
「そう、虫。それも黒くて、すばしっこいのだよ。それを掃除の時に排除して欲しいんだよ」
244号はニヤリとしながら246号に言ってきた。
「では、やってもらおうか」
244号はそう言って、トイレ掃除のブラシを246号に渡した。恐る恐るガラス張りのトイレの扉を開けて中に入った。換気扇がないため、悪臭がたちこもっている中、便器のふたをそっと開けてみると、虫はいなかった。マスクも消毒液もないため、246号は我慢して掃除をやり始めた。
そのころ私とクレアはというと、ノートに記録しながらシンディのあとをついて行った。
「この通路の反対側が女性の収容所になる」
そう言って、鉄格子の扉を開けたあと、奥へと進んだ。
「鍵は毎回開け閉めする感じになるのですか?」
「そうしないと脱走されるわよ」
「ですよね……」
私はその都度ノートに記録していった。
「巡回用の鍵は何種類あるのですか?」
今度はクレアが質問してきた。
「えーっと4種類かな」
「そうなんですね」
「鍵は巡回の人が持つ形となるから、くれぐれも紛失しないように」
「わかりました」
その時、どこかの部屋から煙が出てきた。シンディが駆けつけてみると、囚人たちがタバコを吸っていた。
「お前たち、このタバコはどうした!」
シンディは大声で囚人たちを怒鳴りつけた。
「……」
しかし、返事がなかったので、シンディはムチを床に叩いて威嚇した。
「質問に答えろ!」
「私がこっそり持ってきました」
「どうやってだ。入所の時、私物は全部預かったはずだ。早く質問に答えろ!」
「面会の時の差し入れです……」
「持っているタバコとライターをこっちに渡せ!」
「嫌だ。これは私のですぅ」
「いいから早く渡せ!」
「嫌ですぅ」
再びシンディのムチが飛んできた。
「325号、口答えする気か!」
「……」
「よし、立て!」
325号は立ち上がるなり後ろに手錠をかけられ、シンディに連行された。
地下への扉を開けた瞬間、薄暗く長い階段が見えてきた。ゆっくり降りていくと、空いている部屋に放り込み、手錠を外した。
「そこでしばらく反省していろ!」
「タバコ1本吸っただけで、懲罰ってありえないんだけど」
「口答えすると懲罰が長引くぞ!」
「はいはい」
シンディは扉を強く閉めたあと、鍵を閉めて地上へと上がろうとした時だった。
「シンディ先輩、質問していいですか?」
「なに?」
「この悪臭ってなんですか?」
仮面を着けていても伝わってくる強烈な悪臭に思わず鼻をつまんだ私は、シンディに質問をした。
「いろんな臭いが混ざっているんだよ。死体とかアンモニア、虫、あとは囚人たちの体臭かな」
「それで、こんな悪臭が産まれたのですね」
「ええ、そうよ。あなたね、仮にもこの仮面、防臭と防毒の効果があるんだから、鼻をつままなくても大丈夫でしょ?」
「それでも悪臭が伝わってきます」
「それも少しだけなんでしょ。仮面を着けていない男性看守や懲罰房に入れられた囚人たちよりマシだと思ってちょうだい」
「わかりました……」
「もう一つ質問していいですか?」
「タバコも懲罰の対象になるのですか?」
「囚人たちはもちろんだけど、私たち看守も収容所内での喫煙が禁止となっているのよ。看守に関しては、どうしてもタバコを吸いたい時には外に灰皿が設置してあるから、そこで吸ってもらうことになっているし、囚人に関しては出所するまで無理なんだけどね」
「そうなんですね」
「あと、私たちに一回でも口答えをした囚人は懲罰になるから。ま、外で罪を犯した人間に自由はないんだけどね。自由な生活を求めたかったら、罪を犯したことをきちんと反省する。たったそれだけ。ただし、彼らも中身は普通の人間。要望の一つや二つはあるから、釈放とお金以外だったら聞くようにしてあるんだよ。その際には『要望書』っていう紙があるから、それに書かせて判断する形になっているの」
「そうなんですね」
「あとで、その紙を見せるよ」
「わかりました」
私とクレアが短く返事をしたあと、シンディは懐中時計を見て時間を確認した。
「あ、そろそろお昼にしようか」
「はい、そうですね」
私が短く返事をしたあと、シンディは私とクレアを連れて宿舎の食堂へと向かった。
「まずはお疲れ様」
仮面とウィッグを外したシンディは料理を運んでくるなり、私たちに一言を挨拶をしてくれたので、私とクレアも仮面とウィッグを外して「お疲れ様」と返事をした。
「まずは料理を持ってきたら?」
シンディに言われ、私とクレアはポテトグラタンとロールパン、オレンジジュースのセットを持ってきた。
「私の業務を見てどうだった?」
「ちょっと大変そうでした」
「どの辺が?」
「囚人への対応が……」
「そうだよね。タバコを吸っている人を対応するのは大変だよね。でも、彼女はマシなほうだよ。もっとひどいのは暴れてくる人もいるから、その際には応援を手配することもあるの」
「そうなんですね」
私は短く返事をした。
「午後は奴隷作業の監視をしてもらうよ」
「監視?」
私は聞き返した。
「囚人たちがきちんと働いているか監視する必要があるの。作業中に私語が目立っていたら、懲罰にしなければならないから」
「世間話だけで?」
「そうよ。万が一脱走の打ち合わせでもしていたらどうする?」
「確かに……」
「彼らにとっては普通の世間話でも、私たちにとっては脱走の打ち合わせという捉え方になってしまうのよ」
「言われてみれば、そうですよね……」
「他にも作業中に囚人同士のトラブルや看守への暴力も発生することもあるんだよ。万が一、自分たちだけで対応できない時には、無線で私か所長を呼んでちょうだい。研修中は私が全部対応するから」
「あの、無線機はいつ支給されるのですか?」
「おそらく研修が明けてからだと思う。明日以降、無線機の使い方も習うはずだよ」
「シンディ先輩も一緒なんですか?」
「私は自分の持ち場があるから無理。講師はおそらくユイさんだと思うよ」
「そうなんですね……」
「ユイさんは、そんなに怖くないから大丈夫よ」
不安そうな顔をした私にシンディは優しく言ってくれた。
「そろそろ昼休みが終わるし、現場へ戻ろうか。美鈴ちゃん、仮面とウィッグを着けてちょうだい」
シンディに言われ、食器を片付けた後、私は仮面を着けてウィッグを被って現場へと向かった。
午後の現場観察は、収容所から少し離れた鉱山だった。
「総員異常なし!」
「応援に来た。それと研修2人も追加」
「了解!」
そこにいたのは、レイラとルイーゼたちだった。私は思わず声をかけたかったけど、ここでは私語が禁止になっているため、シンディの業務を黙って見ることにした。
囚人たちはツルハシで岩を砕いたり、手押し車で砕いた岩を運んでいた。しかも手足には鎖がつながれていて、簡単に逃げられないようになっていた。その時、私たちは2人の囚人が何か話しているのを確認した。
「お前たち、ここで何の話をしているんだ!」
シンディは囚人たちに近づいて確認をした。
「この石がダイヤではないか確認したんですよ」
「嘘をつくな! 脱走の打ち合わせをしていたんだろ!」
「違いますよ。この石が本当にダイヤかも知れなかったのですよ」
「なら、なんで私の所へ来ない? おかしいだろ」
「なんせ、自分と看守までの距離があり過ぎたので……」
「言い訳なんて見苦しい。懲罰だ!」
「鈴鬼とクレアはレイラの観察をしてちょうだい。私はこの男を懲罰房へ連れて行くから。終わったら、ここへ戻ってくる」
シンディはそう言い残して、口答えをした囚人を懲罰房へ連れて行ってしまった。その間、私たちはレイラの業務を観察していたが、囚人たちに大きな動きはなかった。
「総員異常なし!」
レイラは戻ってきたシンディに敬礼して報告をした。
「ご苦労」
シンディはそのまま何もなかったように囚人たちの監視を続けた。太陽が傾きかけた時、レイラは終了の合図をした。
「よし、ご苦労。部屋へ戻るから、このままついてこい!」
片付けが終わって、レイラは前、シンディは後ろ、私とクレアは右側、ルイーゼとユナは左側を監視しながら歩くことにした。部屋の前に着くと、再び点呼が始まった。「16号室、総員3名。異常あります」班長と思われる囚人がシンディに報告をした。
「1人は懲罰房送りにしたから問題ない」
「了解しました」
全員の点呼が済んだところで、手足の鎖を外して部屋の中へ入れて終わりにした。
そのあとシンディとレイラは事務所へ行って、業務日報を記入し始めた。
「日報も書くのですか?」
「そうだよ。これを毎回書いて、ユイさんに提出するの。あなたたちの日報も用意するから明日から書いてちょうだいね」
「わかりました」
シンディの言葉に私は短く返事をした。
「あ、そうそう。明日からこの事務所で私たちと一緒に朝礼に参加してもらうから」
「わかりました」
「と言っても、私たちや看守長たちの話を聞くだけなんだけどね」
「その間も仮面とウィッグは?」
「もちろん、着けてもらうに決まっているでしょ」
「ですよね」
私は思わず苦笑いをしながら返事をした。
「だからと言って、あくびをしないでちょうだいね」
「わかりました」
シンディは冗談交じりに私とクレアに言ってきた。
「私はこのあと事務作業が残っているから、先に帰ってくれる?」
「そうなんですね。私たちも事務作業ってあるのですか?」
「いずれはやってもらうよ。だからと言って、そんな難しいことじゃなくて、書類に必要なことだけを書いてもらうだけだから。では、あなたたちは疲れたでしょうから、早く帰ってちょうだい」
シンディに言われて、私たちはそのまま宿舎へ戻ることにした。
部屋に戻った私とクレアは、仮面とウィッグを外して部屋着姿になった。外したウィッグはブラシでとかしたあと専用スタンドにかけて、仮面は内側をウェットティッシュできれいに拭き取って机の上に置いた。私は疲れた体をベッドに投げ出して、そのまま寝てしまった。部屋のドアをノックする音が聞こえても、私は起き上がる気力がなかった。
「勝手にお邪魔するよ」
ルイーゼがベッドに近づいても、なかなか起きられるような状態じゃなかった。
「ルイーゼ、悪いけど今日食事パスするよ」
「何言っているの。ちゃんと食べないと明日に響くわよ」
「わかった、今起きる」
私は重たい体を起こして、ルイーゼたちと一緒に食堂へと向かった。
食堂へ入ると、すでに席が埋まっていたので、空いている場所がないかキョロキョロしながら歩いていたら、一か所だけ空いていたので座ることにした。そのあと、順番で料理を持ってきて食べようとした時だった。
「あれ、今から食事?」
どこかで聞き覚えのある声がしたので、顔を見たらアリエスだった。
「アリエス、久しぶり。もう食事終わったの?」
私は嬉しくなって、思わず声をかけてしまった。
「うん。これから部屋に戻るところ」
「そうなんだ。じゃあ、また明日ね」
「うん、おやすみ」
アリエスはそれだけ言い残して帰ってしまったので、私たちはそのまま食事をすることにした。その日に出た魚料理も食欲がなかったので、無理やり口の中に入れて完食した。
「今日の食事、なんか食べた気がしなかった」
食堂を出たあとの私が言った最初の感想だった。
「パンもパサパサしていた」
クレアも私に続くように言ってきた。
「贅沢を言わない。囚人たちの食事に比べたら、私らの食事なんて、ごちそうみたいなもんだよ」
ルイーゼが横からもっともらしいことを言ってきた。
「確かにそうだよね」
私は苦笑いをして返事をした。
「それに私たちがここで食事をしている間も、先輩たちは収容所で事務作業をしているんだよ」
「そうだよね。そういえば、私らも夜勤ってやるの?」
今度はユナが口を挟んできた。
「今はやらないにしても、いずれやると思うよ」
「そうだよね。あと一つ気になっていたけど、収容所の中って仮眠室ってあるの?」
「さあ、あるんじゃない?」
ユナの質問にルイーゼは淡々と答えた。
「明日も同じことをするのかなあ?」
私は独り言のように呟いた。
「午前中は無線講習をやって、午後は先輩たちと一緒だよ。それと明日から事務所で朝礼があるから」
ルイーゼが教えてくれたので、私は一言「ありがとう」と短く返事をした。
翌朝、私たちが昨日案内された事務所へ行こうとした時、ちょっとしたトラブルが発生した。それは事務所が数か所あって、昨日自分が入った事務所がどこだか、わからなくなってしまった。
「おはようございます。実は今日から事務所で朝礼に参加することになったのですが、事務所がたくさんあって、どこに入ればいいか、わからなくなってしまったのです」
私はたまたま通りかかった男性看守に声をかけた。
「えーっと、宿舎の部屋の番号と名前を教えてくれる?」
「310号室の鈴鬼です」
「鈴鬼さんだね。ちょっと待ってくれる?」
男性看守はそう言い残して、「事務所B」と書かれた部屋に入ってしまったので、残された私たちは廊下でぼうっと立った状態で待っていた。待つこと5分、男性看守が戻ってきて、「君たち新人は今日も『研修室A』で朝礼だよ。そして、そのあと無線講習があるから」
「あの、昨日シンディさんに今日から事務所で朝礼と言われたのですが……」
「あの人、勘違いしているんだよ。あとで彼女には僕から言っておくから、君たちは遅れないうちに急いで行ったほうがいいよ」
「わかりました、ありがとうございます」
私たちは駆け足で「研修室A」に向かうことにした。中に入ってみたらユイさんはまだ来ていなかったらしい。
「ねえ、ユイさんってもう来た?」
私はアリエスに聞いた。
「まだ来てないわよ」
「ありがとう」
「それより今日どうしたの? 遅かったじゃん」
「事務所で朝礼があるって、シンディ先輩から聞いたから……」
「そうなの?」
「うん」
「その先輩って早とちりをしているんだよ。研修が終わるまで私らの部屋はここだから」
「ありがとう。もしかしてユイさん、私たちを探しに行ったとか?」
「ううん、本当に来ていないよ」
「そうなんだね」
「たぶん、打ち合わせが長引いているんじゃない?」
その直後、勢いよくドアが開いてユイさんが入ってきた。
「すまない、遅れてしまった。昨日囚人の何人かが懲罰房送りにされたから、打ち合わせに時間がかかってしまったんだよ。では、今日の予定を言うけど、午前中は無線講習がある。養成所でも習ったはずだと思うが、その延長線だと思って受けてもらいたい。場所は『無線実習室B」で行なう。では、今から移動する」
私たちは黙ってユイさんのあとをついて行くことにした。
中へ入ってみると、いくつかの無線機が置いてあった。
「ここの無線機は現場で使っている無線機と周波数が違うから、君たちの声が洩れることもないし、外の会話も聞こえることはない。では、実際にやってみようか」
ユイさんは私たちの席に小型の無線機を配った。周波数をそろえてみると、みんなの会話が聞こえてきた。
「これはあくまでも実習用の無線機。だから、間違って現場で使わないように。研修が終わった時点で、現場で使う無線機を貸与する。それまで実習用の無線機で練習してほしい」
ユイさんに注意され、私たちは何度も練習をしていた。
「うまくいった?」
「ううん」
クレアの質問に私は短く返事をした。
「どうしてもノイズが入って、うまく行かない」
「多少のノイズはしょうがないよ」
クレアも苦笑いをしながら答えていた。
「こちらルイーゼ。聞こえていますでしょうか、オーバー?」
「無線機からルイーゼの声が聞こえてきた」
「こちらクレア、聞こえています。オーバー」
「了解」
ルイーゼは、慣れた手つきで無線機を操作していた。
「ルイーゼ、随分と使いこなしているけど、資格とか持っているの?」
「うん、幼少期にアマチュア無線の資格を取ったことがあるから」
「すごいね」
「そんなことないよ」
私の質問にルイーゼは淡々と答えていた。
「でも業務用の無線は初めてだから、ちょっとだけ戸惑ったかな」
「そうなんだ」
私はルイーゼの意外な特技に驚いてしまった。
「私たちも勉強して無線資格を取らない?」
クレアが身を乗り出すような感じで私に言ってきた。
「そうだね。機会があれば……」
私は少し言葉を濁しながら返事をした。
しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎて去ってしまった。
「そろそろ昼休みだ。午後は時間厳守のうえ、『研修室A』にいること」
そう言ったあと、ユイさんはいなくなってしまった。
一度宿舎で食事を済ませた私たちは、「研修室A」の部屋で午後の研修が始まるのを待っていた。
開始時間になって、ユイさんは名前を呼んで、私たちを先輩と組ませたあと、そのまま現場に向かった。
「昨日はごめんね。研修まだ続くんだよね」
「はい。あと、業務日報の記入もまだ先になるのですか?」
「たぶん、もう少し先になると思う……。じゃあ、私語はここまで。ここから先は鉄の扉の向こうだよ。何を意味しているか、わかるよね?」
「はい。囚人の世界ですよね」
「そうだよ。囚人の前では仮面を着けていても私語は禁止となっているから、それだけは忘れないように」
「わかりました」
私が返事をしたあと、シンディはゆっくりと鉄の扉を開けた。まるで国境を超えるような気分で私は鉄の扉の先を歩いていった。
「今日も私の業務を見て覚えること。それと自分たちで勝手に行動をしないこと」
「わかりました。ちなみにお手洗いへ行くときは、一言断ったほうがいいのですか?」
「そうよ。何度も言うけど、ここは囚人の世界。囚人たちもそうだけど、私たち看守にも自由が認められていないの」
「わかりました」
その日の午後も私は何かをすることもなく、シンディの業務を観察して終わりになった。
事務所へ戻るなり、シンディは自分の席で業務日報を書き始めた。
「あ、今日は終わりにしていいよ。私はこのあと事務作業があるから」
「明日も『研修室A』ですよね?」
「そうだよ。実は今朝そのことでユイさんに怒られたの」
「もしかして、事務所へ来させた件ですか?」
「そうなの。朝からめっちゃ怒られた。というわけで、明日は研修棟の『研修室A』の部屋に行って頂戴ね」
「わかりました、お疲れ様です」
私たちは、そのまま宿舎へ戻り、部屋着姿になってくつろいでいた。
そして長い研修が終わって、私たちの本番が始まろうとしていた。
9話へ続く。