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7、気分はヒーロー

 卒業を控えた数か月前のことだった。4月から着る看守の制服の採寸をとるため、その日は稽古場へと向かった。中へ入ってみると、眼鏡をかけた若い女性の仕立て屋さんが慣れた手つきでメジャーを使って体のサイズを測っていたが、順番に1人ずつやっていたせいか、少し時間がかかっていたので、イラついてしまった。

「ちょっと時間がかかっているみたいだね」

 クレアが退屈そうな顔をして、私に話しかけてきた。

「そうだね。2人ずつのほうが早いのに……。他に仕立て屋さん、いないのかなあ……」

 私も独り言を呟くみたいに返事をした。

 それにしても待たされすぎ。どうしたのかな。私がブツブツと独り言を呟いていたら、後ろからルイーゼが大きなあくびをしていた。

「どうしたの? 眠いの?」

「昨日、ちょっと夜更かししちゃって……」

 私が声をかけたら、笑いながら返事をしてきた。

「昨日何をやっていたの?」

「売店で買ってきた本を、つい夢中になって遅くまで読んでいたの」

「どんな本?」

「恋愛ものなんだけど、これが泣けちゃうんだよ」

「どんな内容なの?」

「戦争に行った彼を待つ彼女が、毎日教会へ行ってお祈りを続けていたの。戦争が終わったある日、礼拝堂の中で杖で義足(ぎそく)を引きずりながらやってきた彼を思い切り強く抱きしめたシーンを読んだ瞬間、思わず涙が出てきちゃったの」

「よかったら、今度読ませて」

「うん、いいよ」

 私とルイーゼが世間話に夢中になっていたら、クレアが「次、美鈴(みれい)の番だよ」と声をかけてくれた。女性の仕立て屋さんは私たちより少し年上で、どこか気難しい表情をしながら肩幅、ウエスト、袖の長さ、首回りなどを測って記録していった。

「次の人を呼んでちょうだい」

「わかりました」

 仕立て屋さんは無表情で私に言ってきたので、ルイーゼに順番が来たことを伝えた。

 そのあとブーツを新調するため、稽古場の奥で足のサイズを測った。


 教室へ戻って退屈しのぎに、みんなで世間話をしていたら、マユラ先生がやってきて、私たちをコンピュータルームへと案内した。中へ入ってみると、コンピュータが何台か並んでいて、座ってみると画面にはアイコンがズラリと並んでいた。

「これから皆さんに簡単な説明をします。このコンピュータを使って、ヘアウィッグと仮面のデザインを決めてもらいます。画面に表示されている白いアイコンをダブルクリックして起動したら、最初に名前と学生番号を入力してください」

 マユラ先生に言われるまま、みんなは自分の名前と学生番号を入力した。入力を終えて次の画面に進むと仮面本体と、その右横にいくつかのパーツが並んでいた。画面を見るなり、私はどういうデザインにするか考えていた。

「もう決めた?」

 私の横でクレアが話しかけてきた。

「まだ未定。クレアは決めたの?」

「私も未定。っていうか、種類が多すぎて迷っているところ」

 クレアはマウスをグリグリと動かしながらぼやいていた。

「2人はもう決めたの?」

 今度はルイーゼが口を挟んできた。

「まだ未定」

 私は短く返事をした。

「ルイーゼはもう決めたの?」

 クレアもかったるそうに聞いてきた。

「私? また未定。ユナなんか黙々とデザインしてるけど、絶対に見せてくれないんだよ」

 ルイーゼは笑いながら返事をしていた。

 こうしていても、時間が過ぎていくだけ。囚人たちに舐められないように、なるべく怖そうなデザインにしようと思った。どうせなら、先輩たちの仮面よりも怖そうなデザインにしよう。急に私の中でデザインが浮かんできた。目の周りに黄色い(ふち)をつけて、口に黄ばみのついた牙をつけて吸血鬼ぽくしよう。「できた!」と大きな声で送信した。

美鈴(みれい)、もう決めたの?」

 クレアは少し驚いた顔をして私に聞いてきた。

「うん、今データを送信したよ」

「マジ!?」

「うん」

「どんなのにしたの?」

「吸血鬼ぽくしてみたよ」

「吸血鬼かあ……」

「言っておくけど、私のマネをしないでね」

「わかっているって。っていうか、見てないからマネのしようがないよ」

「そうか」

 私も苦笑いをして返事をした。

「クレアはどんなのにするの?」

「それが分からない」

(くちびる)を紫にして、目の周りに赤い(ふち)ってどう?」

「悪くないかも」

 クレアがデータ送信したあと、私たちはヘアウィッグのデザインを決めることにした。髪型、色、長さなど自由に選べるようになっていた。さんざん迷った結果、私は銀色のストレートにして、前髪は短め、後ろは背中近くまでのロングにした。私がデータを送信したあと、クレアの画面を覗き込んだ。

「まだ決まってないの?」

「うん。結構迷っている……」

 私がそっと声をかけた瞬間、クレアは気難しそうな表情で返事をしてきた。

「この際だから、先輩のように明るい色にしてみたら?」

「明るい色って言うと?」

「ピンクとか黄色とか……」

「あんまり明るいだと不自然になっちゃうよ」

「確かに言えている。じゃあ、淡い系の色ってどう?」

「それなら行けるかも」

 クレアは私に言われて、(あわ)い水色を選んだ。

「じゃあ、長さと髪型は?」

「ウエーブのかかった長めの髪型がいいかな」

「じゃあ、それで決定をして送信をしようか」

「うん。ところで、美鈴(みれい)はどんな髪型にしたの?」

「私は銀色のストレートにしたよ」

「おお! 出来上がったら被らせて」

「少しだけならいいよ」

「やったー!」

「まだ出来上がっていないよ」

「わかっているって」

 クレアのテンションが急に上がっている中、ルイーゼとユナは画面を見ながら苦戦していた。

「まだ決まらないの?」

「いろいろ種類が多すぎて迷っている……」

 私が聞いたら、ルイーゼは頭を抱えながら答えていた。

「そんなに迷う?」

「うん……」

 私はしばらくルイーゼの髪を触りながら眺めていた。

美鈴(みれい)、どうしたの?」

 気になったルイーゼは頭にクエスチョンマークを浮かべながら声をかけてきた。

「ルイーゼって、もともと茶髪のショートじゃん」

「うん……」

「だから、ウィッグの色を明るくしてもいいんじゃない?」

「例えば何色がいいの?」

「そうだねえ、黄緑色とか、水色、金色などの濃い系の色なんかがいいんじゃない?」

「逆に明るすぎて不自然に見えそう」

「それなら、黒とグラデーションにすれば自然に見えると思うよ」

「なるほど」

「それで色はどんなのがいい?」

「そうねえ……」

 ルイーゼはしばらく考え込んだ。

「金髪で黒がかかった感じがいいかな」

「じゃあ、これでいい?」

 私は黒のグラデーションがかかった金髪を選んで勧めてみた。

「そうそう、そんな感じ」

「それで髪型は?」

「髪型かあ……」

 ルイーゼは再び考えだした。

「長いのと短いの、どっちがいい?」

「短い髪型かな」

「じゃあ、ショートボブってどう?」

「それにする!」

 ルイーゼも決めて、データを送信した。ユナもルイーゼより少し遅めにデータを送信して終わらせていた。

「そろそろ終わりにしたいけど、まだの人はいる?」

 マユラ先生が確認したら、何人かの人が手を挙げていた。

「オーケー。このあと次のクラスの人が使うから、まだの人たちは放課後残ってやってほしい。それと、君たちが卒業後に使う仮面とウィッグは卒業式の当日までに制服と一緒に宿舎の部屋に届くようになっている。では、教室へ戻るように」

 そう言ったあと、マユラ先生はいなくなってしまった。


 教室へ戻ったあと、この日午前中最後の表現能力の授業が始まった。また眠くなるような退屈な話を聞かされるのかと思って、覚悟を決めていた時だった。

「もうじき君たちは卒業するわけだが、そこでグループで何か発表してもらおうと思っている」

 トーマス先生が、ずれた眼鏡を直しながら私たちの前で言ってきたその直後のことだった。

「あの、質問していいですか?」

 後ろの席で1人の女の子が手を挙げて質問してきた。

「何でしょう」

「テーマはなんでもいいのですか?」

「そうねえ、君たちは卒業したら看守になるわけなんだし、犯罪や法律に関わるテーマで発表してもらおうか」

「それって、グラフとか絵柄、写真も入れたほうがいいのですか?」

「そこは君たちの判断に任せます」

「あと、もう一つ質問していいですか?」

「なんですか?」

「期日ってあるのですか?」

「では、来週の木曜日と金曜日に私の授業があるので、それまでにきちんと仕上げてください」

「わかりました、ありがとうございます」

 みんなの質問が終わって、それぞれグループを作ることになった。私たちのグループは私とクレア、ルイーゼ、ユナの4人で行なうことにした。急に発表内容を決めろと言われても難しすぎる。私は心の中で不満をぶつけていた。


 その日、一度宿舎に戻って普段着に着替えたあと、街へ行くとこにした。

「ねえ、何か甘いものを食べない?」

 突拍子もなしにクレアが「甘いものを食べたい」と言い出してきた。

「クレア、どうしたの?」

「あそこでアイスが食べられるみたいだから……」

「気持ちはわかるけど、あとにしてくれる?」

 私はアイスを食べたがっているクレアに対して軽く注意をした。

「だって……」

「あとでみんなで食べよう」

「うん……」

 クレアは渋々と私の意見に同意した。私たちは今、街でグループ発表の資料探しをやっていた。悲しいことに街を歩いているとゴミは散らかっているし、ボランティアの人たちが掃除(そうじ)していても、すぐにゴミを散らかす人がいた。

 その時だった、掃除(そうじ)のボランティアに混ざっていた私服の保安官がゴミを投げ捨てた30代と思われる男性を見かけて、禁止場所廃棄物不法投棄罪の現行犯で逮捕した。保安官は男性に手錠(てじょう)をかけるなり、そのまま連行して行った。

「ねえ、このあと保安所に行ってみない?」

 ルイーゼが急に乗り気になって、私たちを保安所へ連れていこうとした。

「行くのは構わないけど、そのあとどうするの?」

 私は気になって聞き返した。

「さっき逮捕された男がどうなったか知りたいから」

「こういうのって、人権問題になるんじゃない?」

「大丈夫よ、私たち収容所の看守なんだし」

「まだなっていないわよ」

 今度はユナがボソっと一言ツッコミを入れてきた。

「ですよね……」

「仮に行っても、門前払いされて終わりになると思うよ」

「確かに……」

「保安所の人たちが私らのグループ発表に協力すると思っているの?」

「わからない……」

 ユナに言われて、ついに諦めてしまった。

「今日のところは遅いし、アイスを食べてから宿舎に戻ろうか」

 私が提案したあと、みんなで喫茶店に立ち寄って、アイスを食べることにした。

「さっきの犯人のことは別問題として、過去の犯罪履歴なら提供してくれるんじゃない?」

 私がアイスと一緒にウエハースを食べながら意見したら、「なるほど」と、みんなは納得してくれた。

「なら、次の日曜日に行ってみようか」

 今度はルイーゼが口の周りにバニラアイスをつけながら言ってきた。


 宿舎に戻って、食事とお風呂を済ませてベッドで横になっていた時だった。ドアをノックする音が聞こえてきたので、開けてみたらルイーゼがやってきた。

「もしかして寝るところだった?」

 パジャマ姿の私を見るなり、少し遠慮(えんりょ)がちに言ってきた。

「ううん、大丈夫だよ」

「日曜日なんだけどさ、見習い制服で行かない?」

「日曜日なのに?」

 私はルイーゼの提案に思わず疑問を感じてしまった。

「一応、保安所に行くのに普段着で行くのはちょっと……」

「ちょっと?」

「なんていうかその……、ほら、やっぱ変じゃない?」

「何が変なの? 別に普段着でもいいと思うよ」

「一応、学校の課題なんだし、普段着で行くより見習い制服で行ったほうがいいかなと思ったから……」

「確かにルイーゼの意見も一理あるわね」

 私は思わず納得してしまった。

「だから、当日は見習い制服を着て行かない?」

「そうだね……」

「じゃあ、日曜日遅れないように」

 ルイーゼはそのままいなくなってしまった。何も今言わなくてもいいのに……。私はそう思って明かりを消して寝ようとした時だった。急に明かりがついたので、とっさに起き上がってしまった。

「どうしたの?」

「美鈴、私まだ起きているんだから明かりを消さないでよ」

「あ、ごめん……」

 歯磨きを終えたクレアは少々ご立腹(りっぷく)ぎみになって言ってきた。

「じゃあ、悪いけど寝る時に消してね」

「わかった」

 私はそのままベッドにもぐって寝てしまった。クレアは歯磨きを終えたあと、化粧水などで肌の手入れを続けていた。部屋の明かりが消えたのは、あれから10分経ってからの事だった。

 部屋が暗くなったはずなのに、なぜか眠れなかった。仕方がないので、私は少しだけ廊下に出て窓の外を眺めていた。

「何しているの?」

 後ろからルイーゼが声をかけてきた。

「ルイーゼも眠れないの?」

「もしかして美鈴(みれい)も?」

「うん……。今日に限って眠れないの……」

「ちょっとだけ談話室に行こうか」

 ルイーゼは私を談話室へ連れて行った。いつもは賑わっている談話室もこの時間はさすがに誰もいなかった。

「さすがにこの時間って誰もいないわね」

 ルイーゼは真ん中にある長いソファに座るなり、独り言を呟くような感じで私に言ってきた。

「そうだね……」

「立っていると、落ち着かないから座ろうよ」

「うん……」

 私がソファに座ったとたん、話が始まった。

「美鈴が眠れないって、珍しいよね」

「うん。今日に限って、なんか眠れないの」

「実際のところ、何かあったんでしょ?」

「それが私にもよく分からないの」

「そんなことないでしょ? よく思い出してごらん」

 最初は(おだ)やかだったルイーゼの口調が、いつの間にか強くなっていた。

「ルイーゼ、そんなに強く言わなくたっていいじゃん」

「あ、ごめん。つい力が入っちゃって……。それで、本当に何も思い当たらないの?」

「うん……」

 しかし、ルイーゼは納得いかない顔をしていた。しばらく沈黙が続いたあと、ルイーゼはソファから立ち上がって、紅茶を2人分入れて運んできた。

「ありがとう」

 紅茶を一口飲んで、少し間をあけてから、私は話を切り出した。

「実を言うと卒業したら、うまくいけるかどうか自信をなくしていたの……」

「卒業する前からそんなことを気にしていたの?」

 ルイーゼは少し疑問に感じて私に聞き出した。

「失敗をして、みんなに迷惑をかけないか、正直不安を感じていたから……」

「そんなの、最初からうまくいく人っていないよ。失敗して許されるのは新人の特権なんだから、たくさん失敗したほうが勝ちだと思うよ」

「確かにそうだよね……」

 私はルイーゼの言葉に相づちを打っていた。

 その時だった。ドアが開く音がしたので、出入口に目を向けたらパジャマ姿のシンディが入ってきた。

「シンディ先輩、お疲れ様です」

「こんばんは。あなたたちも眠れないの?」

「はい、そうなんです。もしかしてシンディ先輩もですか?」

「うん、ちょっとね……」

 シンディはそう言って、紅茶を入れながら返事をしてきた。

「あなたたちは、なんで眠れないの?」

「私はちょっと……」

「ちょっと?」

「実は卒業したあとのことが不安になってしまって……」

「何か不安でもあるの?」

「怖い上司に当たらないか、不安になってしまって……」

「私の先輩が言うには昔ほどでもないって言っていたけど、やはり囚人を扱う以上、それなりの厳しさがあるよ。特に時間に関しては」

「時間?」

 私はシンディの言葉に一瞬首をかしげてしまった。

「朝は始業開始の15分前には必ず到着してないといけないし、昼休みも確か45分だったような気がしてたけど、実際は40分くらいかな。あと巡回に関しては残業禁止になっていて、夜勤担当者に必ず交代するって感じかな。でも、事務作業に関しては終わらなければ残業なるって感じ。ちょっと矛盾しているけどね」

「そうなんですね」

「ちなみに遅刻したら部屋ごとの連帯責任になるから気を付けたほうがいいよ。あと、体調不良を起こした際にはルームメイトが看病するって感じかな」

「厳しいですね」

「有給休暇の申請は、どんなに遅くてもに二週間前まで。それを過ぎると受理されなくなるから気を付けてね。ま、詳しいことは収容所に入ってから看守長から説明が来ると思うよ」

「わかりました、ありがとうございます」

「ちなみに看守長の性格って、どんな感じですか?」

「たくさんいるから全部は分からないけど、私たちの看守長はそんなに厳しい人じゃないよ」

「どちらかと言えば穏やかな人なんですね」

「そうでもないよ。いい加減な人には厳しいよ。特に世間話をしている人に対しては」

「確かにそうですよね……」

 私は苦笑いをしなら、相づちを打っていた。

「そりゃそうよ、きちんとしないと囚人に舐められるからね」

「あと、気になりましたが、囚人の前で(むち)を使ったことありますか?」

「あるけど、あくまでも威嚇(いかく)のためだから。普段はそんなに使わないよ」

「もう一つ質問していいですか?」

「何?」

「囚人に仮面の下、見られたことありましたか?」

「私はないけど、よそのグループの中に1人いて、その人は囚人を(むち)で叩いたあと、懲罰房(ちょうばつぼう)へ入れたわよ」

「そうなんですね……」

「あと、女子の看守が仮面とウィッグを被る理由って何だかわかる?」

「すみません、忘れました……」

「簡単に言ってしまえば、囚人たちに舐められないためなんだよ。女子の場合、男子と違って舐められやすいから、こうやって仮面とウィッグを着けて正体を隠しているの」

「そうなんですね、ありがとうございます」

「あと仮面には紫外線をカットしてくれたり、防臭、防毒の効果もあるんだよ。あと、素材もオリハルコンで出来ているから簡単に壊れないようになっているの」

「なるほど。勉強になりました」

「ここだけの話なんだけど、私が新人の時には新しい制服と仮面が届いた時には、うれしくてなって、すぐに着替えて宿舎の部屋ではしゃいでいたよ」

「先輩の意外な一面を知りました。ちなみにレイラ先輩の時はどうしていましたか?」

「レイラは試着するなり、鏡の前で立っていたわよ」

「そうなんですね」

 私がシンディと話に夢中になっていたら、いつのまにかルイーゼがソファで眠っていたので、起こすことにした。

「ルイーゼ、起きて」

 しかし、簡単には起きなかった。

「おーい、早く起きないと遅刻するわよ」

 今度はシンディが意地悪な言い方をして起こしてきた。

「え、遅刻!?」

 ルイーゼは起き上がるなり、クローゼットの場所を一生懸命探していた。

「ねえ、クローゼットがないわよ」

「ここは談話室だよ」

「え、談話室!?」

 シンディの言葉にルイーゼの頭が少し混乱していたら、私とシンディは思わずクスクスと笑ってしまった。

「ルイーゼ、とりあえず部屋に戻ろうか」

「うん……」

「それでは、シンディ先輩おやすみなさい」

「うん、お休み」

 私はそのままルイーゼを部屋まで連れて行ったが、ルイーゼは半分居眠りした状態でいた。

「階段があるから気を付けて」

「うん……」

「ほら、言ったそばからつまづいている」

 その瞬間だけルイーゼは目を覚ましたが、再び眠そうな顔に戻ってしまった。

 309号室の部屋に着いて、私はそっとドアを開けてルイーゼをベッドまで連れて行った。

「あとは一人でも大丈夫だよね?」

「うん……」

「じゃあ、私も自分の部屋に戻るから、風邪を引かないように」

 私も自分の部屋に戻って、そのまま寝ることにした。


 そして迎えた日曜日、私たちは食事を済ませたあと、見習い制服に着替えて保安所へ行く準備をした。正面玄関に行くと、すでにルイーゼとユナが待っていた。

「遅い! 先に行こうかと思っていたよ」

「ごめん、ちょっと準備に時間がかかっていたから……」

 ルイーゼが少しイラだっていたので、私はとっさに謝ってしまった。

「何をやっていたの?」

「身支度とか、資料や筆記用具を用意するのに時間がかかっていたんだよ」

「何の資料を用意するの? 私ら、これから保安所の資料を見せてもらいに行くんだよ」

「それなんだけど、もし、断られたらどうするの?」

「その時はその時よ」

 ルイーゼはマイペースな感じで返事をしていた。

「とにかく行こうか」

 ユナに促され、私たちは街の外れにある保安所へ向かった。


 保安所は比較的大きめの造りになっていて、裁判所と勘違いするような建物の形になっていた。入口に入ろうとした時、警棒を持って立っていた保安官が無表情で私たちに声をかけてきた。

「君たちは何の用で来たのかね?」

「私たち、看守養成学校から来た者なんです。実は卒業課題で犯罪や法律に関わる内容を発表することになったのです」

「それで、我々は君たちに何を協力すればいいのかね?」

「ここにある過去の犯罪記録を見せて頂きたいのです。もちろん容疑者と被害者の名前は非公開にすると約束をします。全部とは言いません。ほんの一部分だけで結構なんです。お願いします」

 私が頭を下げてお願いをしたら、入口で立っている保安官が無線機を使って中の人を呼んだ。

 待たされること数分、建物の中からまだ20代と思われる女性保安官がやってきた。

「こんにちは、資料を見たいと言ったのはあなたたち?」

「はい、そうなんです……」

「そんなに緊張しなくてもいいわよ」

 私が少し緊張ぎみで返事をしたら、女性保安官はにこやかな表情で緊張をほぐしてくれて、私たちを中へ通した。階段で2階へ上がると女性保安官は備品室へ入って、人数分の使い捨てマスクを用意して渡してくれた。

「なんでマスクが必要なんですか?」

 私は思わず質問してしまった。

「資料室の中って、ほこりが充満しているの。だから、マスクをしないと健康被害になっちゃうんだよ」

「そうなんですね」

 女性保安官は、そう言って資料室の鍵を開けて私たちを中に入れた。

「凄いほこりですね」

 ルイーゼが思わず口に出してしまった。

「それでマスクが必要なんですね」

 今度はクレアまでが口に出してしまった。

「2人とも、口に出したら失礼でしょ?」

 私は思わず2人に注意をしてしまった。

「気にしないで。もともと誰も使わない部屋だから、ほこりが充満して当たり前なのよね」

 女性保安官も苦笑いをしながら答えていた。

「この棚あたりから、過去の犯罪履歴が載っている資料があるはずだから、自由に見てちょうだいね」

「ありがとうございます」

「あ、そうそう。上の人からの命令で、ノートに書き終えたら一度私に見せてくれる?」

「どうしてですか?」

 私は納得がいかなかったので、聞き返してしまった。

「これからあなたたちに提供する資料の中身には容疑者の名前や生年月日などの個人情報が記載されているの。だから、うかつにそう言うのを漏らすと人権問題になるから、ノートに記載(きさい)されていないかチェックさせてちょうだい」

「それって反対に言えば、容疑者の個人情報を書かなければ、保安官に見せなくてもいいっていう意味ですよね?」

「万が一の事もあるから、必ず見せてちょうだい」

「わかりました……」

「私は事務作業が残っているから一度戻るけど、さっきの約束だけは必ず守ってちょうだいね」

 女性保安官は私たちに強く念を押すように言ってきた。

「あの、一つだけ確認したいのですが、お手洗いはどちらにありますか?」

「あ、トイレなら廊下に出て奥の右側にあるよ。あと、この部屋は鍵を閉めずに誰もいなくなると、音が鳴る仕組みなっているから、私に見せるのが面倒だからと言って、バックレると大変なことになるわよ」

「大変なことと言うと?」

「校長先生や担任の先生に話すかもしれないってこと」

「そうなんですね……」

「じゃあ、私は事務所へ戻るけど、何かあったら内線電話で私を呼んでちょうだいね」

 女性保安官は私たちを脅かすように言い残して、そのままいなくなってしまった。残された私たちは棚から資料を取り出して、部屋の奥にある長いテーブルに載せて調べることにした。日付を見ると、同じ日付に複数の事件が発生しているのもあった。しかも、そのうちの一件は一般の人が取り押さえたと記述されていた。内容を読んでみると、<40代の男性が居酒屋でビールなどを数杯飲み、おつまみ数品食べた挙句、飲食代を踏み倒して店を出ようとした所、店の人に一度は捕まったが、激しく抵抗して逃走しようとした。しかし、別の客に取り押さえられ、窃盗などの罪で保安官に身柄を引き渡された>と書かれていた。さらにページをめくってみると、今度は<白昼堂々と往来の真ん中で、20代の男性が刃物を振り回して暴れた上、取り押さえに入った数人の男性と、見物していた人たちを斬りつけた結果、死者5人、重軽傷者15人の犠牲者が出てしまった。駆けつけた数人の保安官に取り押さえとなり、殺人と傷害で逮捕されてしまった>

 夢中になって資料を見ていたら昼近くになり、体も空腹を促していた。私は女性保安官に内線電話で食事をしたいという旨を伝えたら、部屋に人数分のサンドイッチを運んできてくれた。

「用意してくれるのは大変ありがたいのですが、この部屋ほこりまみれなので、出来たら他の部屋に移動したいのですが……」

「それもそうね。じゃあ、向かいの会議室が空いているから、そこで食べようか」

 女性保安官がサンドイッチを向かいの会議室に運んでくれたので、私たちはそこで食べることにした。

「ちょっと待って」

「どうしたのですか?」

 私がサンドイッチを食べようとした瞬間、女性保安官が止めに入った。

「ジュースもあるから持ってくるね」

 女性保安官はそのまま走って、冷蔵庫に入っている人数分のジュースを私たちの所へ持ってきてくれた。

「ありがとうございます」

「ゆっくり食べてね」

 出されたサンドイッチを食べ終えて、ジュースを飲んでゆっくり休んでいたら、「午後は何時ごろから始めるの?」と女性保安官が聞いてきた。

「2時くらいかな」

「了解」

「あの、今日終わらなかったら、明日もここへ来てもいいですか?」

「明日って普通に学校があるけど大丈夫なの?」

「午後から時間が空いていますので大丈夫です」

「わかった。もし、明日も資料室を使いたい時には言ってね」

「ありがとうございます」

 私は女性保安官に一言お礼を言ったあと、資料室で再び課題に集中した。

 どの犯罪が多いかをグラフにするため、資料を見ながら数字でまとめることにした。資料を見ると、殺人や暴力が一番多くて、その次に窃盗、放火などが多かった。禁止場所廃棄物不法投棄罪、注意妨害罪などは意外と少なかったことに(おどろ)いてしまった。

 集計が終わって、一休みがてら気になる記録を見つけて読み始めた。禁止場所廃棄物不法投棄罪で捕まった人が注意した人に暴力をくわえ、駆けつけた保安官の顔を殴ったので、注意妨害罪と公務執行妨害罪も課せられ、裁判で無期懲役刑が言い渡されたと記録してあった。

 他にも家屋や建物を燃やしたとして、放火殺人罪で裁判にかけられ、死刑判決が言い渡された人がいたことにも驚いてしまった。

 私は内線電話で女性保安官に終わったことを告げて、書いた内容を見せた。女性保安官は私たちのノートをマジマジと見て確認をしていたので、待っている間、少しだけ緊張してしまった。

「これなら大丈夫だね」

「ありがとうございます。帰る前に資料室の掃除をやらせて頂いてもいいですか?」

「それなら掃除係にやらせるから、あなたたちは帰ってちょうだい」

「わかりました、ありがとうございます」


 保安所を出て数分後のことだった。正面からイノシシのように突進してきた35歳くらいの男性が私にぶつかってきた。

「まってー、この人ひったくりー!」

 そのあと、20代くらいの若い女性が走りながら追いかけてきた。男性が持っているのは明らかに女性用のバッグだったので、私はとっさに男性を取り押さえ、そのあとクレアが女性のバッグを取り返した。ちょうど近くには保安所があったので、男性の身柄をみんなで引き渡すことにした。

「さっさと歩きな」

 私は男性を連れて保安所まで向かうことにした。保安所に着くなり、私は保安官に「ひったくりの現行犯で連行してきました」と話した。

「何をひったくったと言うのかね?」

「女性のバッグです」

「この男性が私のバッグをひったくって逃げているところを、こちらのお嬢さんたちが取り押さえてくれたのです」

「ここで話すのもなんだし、とりあえず中に入ってくれないか」

 男性保安官は無線で中の人を呼んできた。

「また、あなたたち? まだ足りない資料でもあったの?」

 そう言ってきたのは、さっき私たちを案内した女性保安官だった。

「違います。帰り道、こちらの男性をひったくりの現行犯で取り押さえたので、連行してきました」

「何をひったくったって言うの?」

「私のバッグです」

 横から若い女性が口を挟んできた。

「とにかく中へ入ってちょうだい」

 私たちと若い女性は資料室の向かい側にある会議室、男性は取調室で話をすることになった。

「と、言うと、あなたたちが宿舎に帰ろうとした時に、さっきの男性が女性のバッグを盗んで逃走してきたんだね」

「はい、そうなんです……」

「そこで、男性があなたたちにぶつかって御用となっとわけなんだね」

「はい……」

「ちょっと待ってちょうだい。取調室へ行ってくるから」

 そう言い残して女性保安官は私たちを置いて取調室へ向かった。


 その頃、取調室では男性が数人の保安官に囲まれて質問に答えていた。

「だから、あのバッグは俺の姉のバッグなんだよ。女性が持っていたから取り返しただけなんだよ」

「なら、なぜ走って逃げる必要があったんだ? おかしいだろ」

「急いでいたんだよ」

「何を急いでいたというのかね?」

「姉に早くバッグを渡したかったんだよ」

「あのね、もう少しまともな(うそ)を考えたほうがいいよ。こんな(うそ)、今どきの5歳児でも言わないから」

 男性保安官は苦笑いをしながら言ってきた。

「本当なんです」

「なら、中身を見れば一目瞭然だ。もし、違っていたら窃盗の他に偽証罪も課せられるから覚悟しておけよ」

 男性保安官は女性からバッグを預かって、中身を一つずつ取り出した。出てきたのは口紅、手鏡、ハンカチ、家の玄関の鍵、財布、そして極めつけは身分証だった。男性保安官が身分証を見ようとした瞬間、椅子から立ち上がったので、別の男性保安官が必死に抑えた。

「俺が確認するまで、この男を抑えていろ!」

 男性保安官が見た身分証はひったくり被害者のだった。

「これで君の容疑が確定したよ。検察に身柄を引き渡す準備をしておけ」

 男性はそのまま地下の留置所へ連れていかれた。


「君たちには本当に感謝するよ。実を言うとな、うちの所長が君たちに感謝状を渡したいと言うんだよ。ここで受け取るか、学校で受け取るか好きなほうを選んでくれ」

 会議室に入ってきた若い男性保安官は、顔をにこやかにして私たちに言ってきた。

「ねえ、街の広場ってどう?」

 ルイーゼが提案してきた。

「なぜ、広場に?」

 若い男性保安官は少し疑問に感じて聞き返した。

「実は街の人たちに注目されて受け取りたいと思っていたので……」

「なるほど。では、その旨を所長に話しておこう」

 若い男性保安官は一度所長室へ行って、私たちの要望を話すことにした。待つこと15分、若い男性保安官が戻ってきて、私たちを正面玄関に連れて行ったあと、そのまま馬車に乗せて街の広場へと向かった。

 私たちが馬車から降りると、後ろから所長を乗せた馬車もやってきた。

「みなさん、お伝えしたいことがあるので、少しだけお時間を頂戴(ちょうだい)してよろしいですか?」

 馬車から降りた若い男性保安官は、みんなに聞いてもらうよう、大きな声で呼びかけたら、何人かの人が反応して目を向けた。

「なんだなんだ」

「これから何か始まるのか?」

 たちまち広場にいる人たちが興味津々で集まってきた。

「お忙しい中、集まってくれて本当にありがとう。実を言うと、こちらの4人のお嬢様たちが、横にいらっしゃる女性のバッグをひったくりから取り返しました。それだけではありません。犯人も取り押さえてくれました」

 そのとたん、聴衆から「おお!」という歓声が広がってきた。

「彼女たちは勇敢(ゆうかん)です。その勇気をたたえて、所長から感謝状と金貨が送られます」

「感謝状、鬼頭美鈴(きとうみれい)殿。あなたは当保安所の者に代わり、街の平和のために活躍してくれたことをここに感謝する」

 読み終えた所長は賞状と一緒に金貨を渡してくれた。それを見た聴衆たちは大きな拍手をしてくれた。そのあと、クレア、ルイーゼ、ユナの順に渡していった。

「では、表彰式はこれにて終わりにします。ご清聴ありがとうございました」

 若い男性保安官がそう言い終えたあと、聴衆たちはいなくなってしまった。

「さて、君たちはこのあとどうするのかね?」

 若い男性保安官は私たちに聞いてきたので、私が「宿舎へ帰ります」と返事をしたら、そのまま馬車に乗せてもらうことになった。馬車は私たちを宿舎の玄関の前で止まって降ろしたあと、いなくなってしまった。

 部屋に戻って部屋着に着替えて、ノートに記録した内容を模造紙に書こうとした時だった。

「ここだと狭いから談話室に行かない?」

「この時間って使っている人が多いから、やっぱ部屋にしない?」

 私が談話室で仕上げることを提案したら、クレアが却下した。

「ねえ、地下室ってどう? そこなら誰もいないし」

「そうだね。じゃあ、寮母(りょうぼ)さんの部屋に行って鍵を借りてこようか」

 私が地下室を提案したら、今度は賛成してくれた。

「その前に、隣の部屋でルイーゼとユナにも声をかけようか」

「そうだね」

 私が提案したあと、2人で隣の部屋に行ってルイーゼとユナに声をかけて、そのままトートバッグに筆記用具などを詰め込んで、寮母さんから鍵を借りて地下室へと向かった。地下だから暗くて当たり前。その理屈はわかっていても、やはり怖いものは怖かった。明かりをつけるなり、奥から折りたたみのテーブルを2つ用意して、その上に模造紙を広げた。クレアとユナはペンケースから鉛筆を取り出して下書きをやり始めた。うまくいかないのか、何度も消しゴムを使って書き直していた。

「イメージとちょっと違うなあ……」

 クレアは独り言を呟くようにブツブツと言いながら、模造紙に薄く書いていた。

「これでいいんじゃない?」

 ユナも、めんどくさそうに言ってきた。

「これ以上やってもキリがないから、これで行っちゃおうか」

 ルイーゼは黒マジックを持ちながら、下書きを終わらせるように促した。

「じゃあ、書いちゃうね」

 ルイーゼは黒マジックで鉛筆の上をなぞって書き始めていき、最後にカラーマジックでイラストもくわえた。

 完成したころには日没時間を過ぎていた。しかし、地下室には当然窓がないため、時間の感覚が分からなかった。

 寮母さんに鍵を返したあと、部屋に戻って時計を見たら夜の7時を過ぎていたので、私はみんなを連れて食堂へ向かうことにした。中へ入ってみると、空席が目立っていたので、そのまま食堂のおばちゃんから料理を受け取ろうとした時だった。

「あら、今日は随分と遅いんだね」

「卒業課題に取り組んでいたら、遅くなってしまいました」

 意外そうな顔をしたおばちゃんの質問に私は苦笑いをして返事をした。

「もうこんな時期なんだね」

「はい。卒業したら収容所の看守として働きます」

「しっかり頑張りなさいよ」

「ありがとうございます」

 そのあと、4人で食事をしようとした時だった。みんなが次々といなくなっていったので、少し落ち着かない感じになってしまった。

「私たちだけって、なんだか貸し切りみたい……」

 クレアが自分の世界に入ったように言ってきた。

「よくそんなことが言えるわね」

 私は少し呆れた感じで言ってしまった。

「別にいいじゃん、正直な感想を言っただけなんだし」

「そう思うならいいけど……」

 私もこれ以上のことは何も言わないことにした。食べ終えた私たちは食器を下げて、洗い場に入った直後のことだった。

「あ、これは私たちのお仕事だから、あなたたちは帰ってちょうだい」

 おばちゃんはあわてて私たちを止めに入った。

「でも、ずっと待って頂いたので……」

「いいんだよ。このあとも何人か来るはずだから」

「それでは、お言葉に甘えて帰らせて頂きます。ごちそうさまでした」

 そう言い残して帰ろうとした時だった。

「あれ、今食事終わったの?」

 聞きなれた声が聞こえたので、振り向いたらシンディとレイラが立っていた。

「シンディ先輩、お疲れ様です。これからお食事ですか?」

「まあね。あなたたちこそ、こんな時間に食事って珍しいじゃない」

「実は卒業課題に時間がかかってしまって……」

「もう、こんな時期か。早いね」

 シンディは物憂(ものう)いにふけた感じで呟いていた。

「シンディ先輩は今まで残業だったのですか?」

「うん。事務作業で時間がかかってしまったから……」

「事務作業もあるのですか?」

「そりゃあ、あるわよ。看守になれば書類作成だってあるんだから。しかし、書類作成ってどうも私には向いてないような気がするのよ」

 シンディは苦笑いをしながら答えていた。

「大変なんですね」

「大変よ。罪を犯した人間を扱うんだから、それなりに神経使うよ」

「あの、質問していいですか?」

「何? 言ってちょうだい」

「事務作業の時も仮面を着けているのですか?」

 私は少し言いづらそうに質問してみた。

「男子の看守もいるから、事務作業の時も仮面を着けているよ」

「そうなんですね……」

「じゃあ、私らは食事をしてくるから」

「引き留めてごめんなさい……」

 シンディとレイラは黙って手を振っていなくなった。


 翌日、見習い制服に着替えて、食事を済ませて学校へ向かっている時だった。何人かの人たちが私たちを見るなり、何かをささやき始めていた。何も知らない私たちは気味が悪いと思って、急いで学校へ向かうことにした。

 教室へ入ると、何人かの人たちがまたヒソヒソと噂話をしていた。

「ねえねえ、今朝の朝刊を読んだわよ。昨日ひったくりの犯人を捕まえて広場で賞状をもらったんだって?」

 1人の女の子が興味津々で私たちに聞いてきた。

「うん、まあね……」

 私は生返事をして、そのまま廊下に出てしまった。どうやらクラスの注目の的になってしまったらしい。

「犯人を捕まえた時ってどんな感じだった?」

 別の女の子も興味津々で私に質問してきた。

「正直、無我夢中になっていたから、うまく言えない」

「そうなんだね」

 その頃、クレアはまるで自分が一人で犯人を捕まえたような感じで、いろんな人にあること、ないことを話し続けていた。

「それで、その時に犯人が抵抗して暴れていたから、必死に取り押さえたんだけど、ポケットから刃物が出てきた時には正直怖かったよ」

 クレアの話し方が極端に盛っていたので、聞いていた人たちは(うそ)だと見抜いてしまった。


 その日最初の授業は担任のマユラ先生のロングホームルームの時間だった。

「ええ、うちのクラスで保安所から感謝状を授与された人がいる。美鈴(みれい)、クレア、ルイーゼ、ユナ、悪いけど前に来てくれないか」

 私たちは言われるまま、教壇(きょうだん)の前に立った。

「みんなも新聞を読んで知っているはずだと思うが、彼女たちは昨日の夕方、街でひったくりの犯人を捕まえた。それでは、みんなで拍手」

 みんなに拍手されたあと、自分の席へ戻り、再びマユラ先生の話が始まった。

「では、本題に入る。各教科から卒業課題が出ているはずだが、私も出そう思っている。テーマは『日常生活と法律』についての論文にしたい」

 その直後、みんなの「えー!」と言うブーイングが飛び交っていた。

「何言っているんだ、私の教科担当は法律だ。そういうテーマが出て当たり前だろ」

「他のテーマってないのですか?」

「どんなテーマがいい?」

「例えば、学校で過ごした思い出とか」

「小学校の卒業文集じゃないんだから、そんなの却下だ」

「では、お世話になった先生のことは?」

「みんなで私の悪口を書くに決まっている。だから、これも却下だ。他には?」

 しかしネタ切れになったのか、これ以上は何も出てこなかった。

「では、私からの課題は、当初の『日常生活と法律』についての論文を書いてもらう。期日は来週の木曜日。提出できなかった人は居残りで書いてもらうから、そのつもりでいるように」

 そのあと、マユラ先生はみんなにホッチキスで抑えた4枚の原稿用紙を配り始めた。

「先生、4枚って多くないですか?」

 後ろの席から1人の女の子が、マユラ先生に不満をぶつけてきた。

「何言ってんだ、それくらい普通に書けるだろ」

「せめて2枚にしてくださいよ」

「小学校の作文じゃないんだから、最低も4枚は書いてもらわないと困る」

「えー!」

「これでも少なくしたほうだ。私の時なんか10枚は書かされていた。それに比べたら良心的だと思う。文句ばかり言っていたら、卒業させないぞ」

 彼女はこれ以上何も言い返せず、黙ってしまった。

 先生が再び話を始めたとたん、配られた原稿用紙を眺める人、おしゃべりに夢中になる人など様々だった。

「では、時間が余っているから、少し法律の話をする」

 再びブーイングが飛んできた。

「今度は何が不満なのか言ってみろ!」

「今はロングホームルームの時間であって、法律の時間ではありませんよね?」

「でも、私は法律の教科担当でもある。まだ不満でもあるのか? お前たちテキストあるんだろ?」

「今日って法律の授業がありません!」

 後ろの席で女の子がクレームをぶつけてきた。

「ちょっと待っていろ」

 マユラ先生はあわてて時間割表を見て確認をした。

「確かになかった。すまない」

 その日に法律の授業がないとわかったとたん、マユラ先生はみんなの前で謝った。

「では、今日はテキストや資料が無くても出来る法律の話をしたいと思う」

「何を始めるのですか?」

「今までのおさらいだ。それなら簡単に答えられるはずだろ」

 マユラ先生は教室内をキョロキョロと見渡して、誰を指名するか迷っていた。

「よし、ルイーゼに答えてもらおうか」

「え、私ですか!?」

 ルイーゼは少しビクっとした反応をしてしまった。

「ちゃんと勉強していたら答えられる質問だ。では質問を出す。16歳の少年が強盗殺人で逮捕された際、裁判で死刑にすることが可能か不可能かのどっちだ?」

「不可能です。青少年の場合、最高の厳罰で無期懲役又は終身刑になります」

「正解。ではその場合の収容先はどこになるか答えられるか?」

「青少年収容所です」

「それも正解」

 そのあとも、いろんな人に質問していったが、中には答えられない人も数人いた。チャイムが鳴って、みんなは好き勝手に時間を過ごしていた。みんなの会話をよく聞いてみると、マユラ先生の悪口ばかりだったので、相当みんなは不満を募らせているみたいだった。しかも、卒業課題が原稿用紙4枚分の論文だったので、みんなにとっては悪夢の始まりだった。さらに追い打ちをかけるように、次の授業は表現能力の課題発表だったので、その日は暗黒に包まれたような日になってしまった。


 そして迎えた恐怖の表現能力の時間がやってきた。

「今日は予告通り、みんなに発表をしてもらう」

 トーマス先生の一声でみんなの緊張が高まってきたのと同時に「えー!」という不満の声も広がってきた。

「何を言っているんだ、ちゃんと言ったはずじゃないか。では、始めるよ」

 トーマス先生はそう言って、最初に私たちのグループを指名した。私たちは模造紙を黒板に貼りつけて発表を始めた。

「私たちのグループは、過去の犯罪履歴について調べてきました。特に多かったのは殺人や暴力です。その次に窃盗、放火、その他として禁止場所廃棄物不法投棄、注意妨害などでした。年齢層から見ても20代から30代が多く、その次に10代などでした。中には60代以上の人も少数ではありますが、何人かいました。今回、こちらの情報を提供して頂いたのはこの街の保安所の人たちです」

 私が発表し終えたあと、みんなは退屈そうな顔をしていたり、中には居眠りをしていた。

「質問のある人はいますか?」

 私が聞いても誰も反応しなかった。

「質問がないので終わりにしま……」

 私が終わりにしようとした瞬間、トーマス先生が「待った」をかけた。

「後ろの席、随分と余裕そうだな。ジャンマリア、僕の質問に答えてもらおうか」

「えー!」

「ぼーっとしているほど、余裕があるんだろ?」

「いえ、そんなことはありません……」

「では、質問するけど、過去に一番多い犯罪はなんだったのかを答えてくれないか」

「わかりません……」

「美鈴、すまないが、もう一度答えてあげてくれないか?」

「一番多かったのは殺人や暴力です」

「ジャンマリア、わかったか?」

「すみません、気を付けます……」

「後ろの席で、何人か目立っていることをしているが、収容所で同じことをしたら、囚人に舐められるだけでなく、脱走されても文句は言えないから、そのつもりでいるように」

 トーマス先生の一声で再び緊張が高まってきた。そのあと他のグループの発表が続き、その日の表現能力の授業は終わりとなった。


 放課後になって、私は宿舎に戻ってマユラ先生から渡された原稿用紙とにらめっこをしていた。いったい何を書けばいいのか、頭を抱えていた時だった。後ろを振り向いたらクレアが気持ちよさそうにベッドで寝ていたので、呆れて何も言えなくなってしまった。提出期限がせまって、泣きついてきても写させないんだから。

 私は心の中で呟いて資料を広げたのはいいもの、いざ書こうとした瞬間、何を書けばいいのかわからなかったので、頭を抱えて考えていた。卒業課題ということもあったせいか、難易度が高すぎる。限界が来たので、私もベッドで少し横になろうとした瞬間だった。ドアをノックする音が聞こえたので、てっきりルイーゼとユナだと思ってドアを開けたらシンディがやってきた。

「シンディ先輩お疲れ様です。どうされたのですか?」

「たまには可愛い後輩たちの様子でも見ようと思って来てみたの」

「そうなんですね。ここではなんですから、中に入ってください」

「あれ、シンディ先輩お疲れ様です。今日はどうされたのですか?」

 今度はクレアが起き上がるなり、驚いた表情でシンディを見ていた。

「もうじき卒業だし、後輩たちの様子を見に来たんだよ。今、何をやっているの?」

「実は卒業課題をやっていて……」

「どんな課題なの?」

「『日常生活と法律』というテーマで論文の課題が出たのです……」

 私はシンディに原稿用紙を見せた。

「私も似たようなことを書かされたよ。4枚なんて、まだ良心的じゃない。私の時なんか6枚も書かされたよ。それに比べたらマシだと思わなくちゃ」

「でも、なんて書けばいいのか、わかりません……」

「そうなるよね。でもさ、ものは考えようで、バカ正直に全部自分で考えなくても、資料の中身をちょっといじってもいいんだよ。だからと言って丸写しに近い書き方にするとバレるから、バレないように少し中身をアレンジしたほうがいいと思うよ」

「法律ってやはり刑事事件に関わる内容がいいのですか?」

「そりゃそうよ。看守になる人が民事や行政のことを書いたってしょうがないでしょ」

「確かに……」

 シンディのツッコミに私は何も言い返せなくなってしまった。

「刑事事件なら何でもいいのですか?」

「うん。例えば『ひったくりや強盗が相次いで発生いる大半の犯人たちは、職を失い、生活に苦しんでいる人たちばかりだった』ってどう?」

「なるほど」

 私は言っている内容を一つ残らずノートに記録していった。

「他にも『注意されてカッとなり、暴力や人殺し、放火につながるケースも後を絶たない』でもいいと思うよ」

「そうなんですね」

「私が言うのはここまで。これ以上言ったら、私の論文になっちゃうでしょ? あとは資料を見たり、自分の言葉で書いてちょうだい」

「わかりました、ありがとうございます」

「話変わるけど、もう制服一式届いた?」

「いえ、まだです」

「そうなんだ。じゃあ、届いたら見せてよ」

「わかりました」

「私はルイーゼちゃんたちの様子を見てから、そのまま食事に行っちゃうね」

「わかりました、お疲れ様です」

 シンディを見送った私は、そのまま課題を進めることにした。そういえば今は食事の時間。となると、図書室へ行けるのは今がチャンスかもしれない。そう思って私が図書室へ行こうとした時だった。「どこへ行くの?」とクレアが声をかけてきた。

「ちょっと図書室へ。みんな食事中だから、行けるのは今がチャンスかな思ったの」

「それって、後回しでもよくない?」

「後回しにしたら、間違いなく図書室が混むと思うよ」

「確かに……。でも食事が……」

「食事はどうにかなるけど、課題だけはどうにもならないと思うよ。どうする?」

「わかった、先に図書室へ行こう」

 私の言葉にクレアは渋々同意して、一緒に図書室へ行くことにした。中へ入ってみると、私と同じ考えを持った人たちが何人かいたので、少し混んでいた。私は書棚から「近世の犯罪」と「若者の暴力」という本を2冊取り出して、受付で貸し出し手続きを済ませたあと、部屋に戻って課題を進めようとした時だった。クレアが「資料になる本を借りてきたんだから、先に食事にしよう。もう、お腹がすいた」と言ってきたので、2人で食堂へ向かうことにした。

 食堂へ入ってみると、みんな食べ終わったのか、食事している人が少なかった。当然料理もほとんど売り切れだったので、私とクレアは余った料理を選んで食べ始めた。

「今夜の夕食、なんだかわびしいね」

 クレアが一言ぼやいていた。

「ごめんね、私のせいで……」

「ううん、気にしないで。課題が最優先だから」

 その時、私たちの会話を聞いていたおばちゃんたちが、肉団子と春巻き、そして生クリームが()ったオレンジのゼリーを差し出してくれた。

「こんなのしか残っていないけど、よかったら食べて」

「ありがとうございます」

 おばちゃんがニコリと言ってくれたので、私は思わず頭を下げてお礼を言った。

美鈴(みれい)ちゃん、大げさよ。じゃあ、ゆっくり食べてちょうだいね」

 私とクレアはそのまま食事を済ませて、食器を下げたあと、部屋へ戻って課題を始めることにした。


「食べたあとって、なんだか眠くなるんだよね」

「ねえ、課題はどうするの?」

「明日にするよ」

 私の注意もお構いなしにベッドで寝てしまった。

「ねえ、明かりがまぶしいから暗くしてくれる?」

「いやよ、今課題をやっているんだから。眠れないならクレアも一緒に課題をやったら?」

「わかったわよ、やればいいんでしょ」

 私に言われたクレアは、起き上がって渋々と課題を進めた。


 翌日以降、空いている時間を利用して課題の論文を書き進めていった。

「終わったあ!」

 書き終えた最初の私の一声だった。

「いいなあ、私まだ一枚残っているよ」

「わかった。終わるまで付き合ってあげるから」

 私に言われて、クレアは少しだけ元気になった。

「ねえ、この書き方だと小学校の作文になるよ。『思います』じゃなくて『考えています』にしたら?」

 私に指摘されて、消しゴムを使って書き直しをしていた。疲れていたのか、クレアは少し不機嫌な態度になっていたので、私は売店で買ってきたジュースを差し出した。「終わったら飲んでいいよ」と言われたとたん、再び頭のエンジンをフル稼働させ、原稿用紙に書き始めた。

「終わったよ」

 論文を書き終えたクレアは、出されたジュースを少しずつ飲み始めた。

「これ、美鈴(みれい)のジュースだよね?」

「そうだけど、気にしないで。頑張ったクレアへのご褒美(ほうび)だから」

「今度、なにかおごるよ」

「ううん、本当に気にしないで」

 時計を見たら夜中近くになっていたので、そのまま寝ることにした。


 翌朝、私とクレアが教員室で原稿用紙を提出したら、驚いたことに私たちが一番乗りだった。マユラ先生は机の引き出しからチョコレートを取り出して、私とクレアに差し出してくれた。そのままお礼を言って教室で食べようとした瞬間、ルイーゼたちがやってきたので、結局分けることにした。

美鈴(みれい)、チョコごちそうさま」

「いいの、これ私1人で食べたら多すぎていたから」

 食べ終えた直後、マユラ先生が入ってきて「さっそく食べているのか」と苦笑いしながら私たちのほうを見ていた。

「溶ける前に食べようと思っていたので……」

「それなら、冷蔵庫に入れてもよかったんだぞ」

「わかりました、次からそうします」

「次はない」

 その直後、教室では笑い声が広がってしまった。そして卒業式を迎えるまで、何もない普通の日々を過ごしていった。



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