6、訓練、訓練、また訓練
私たちが養成所に入って2年目の夏を迎えようとしていた。すでに何人かの人が看守になる夢を捨てて退学をし、別の道を歩みだしていた。その中には、道を踏み外して犯罪の道へ走り出した人も少なくはなかった。私たちはと言うと、2年生になってもクラスの入れ替わりがなかったので、1年生でいたころと変わりはなかった。
2年生になると勉強の内容も本格的に難しくなっていき、ついていくだけで精一杯だった。1年生の時にやった「法律概論」も2年生になってから「現代法律」という科目に変わって、難易度が急激に上がってしまった。どれくらい難しいのかと言うと、「法律概論」の難易度が1となれば「現代法律」の難易度は4くらいに相当する。この難しさは弁護士や検察官を志望する人たちと同じレベルに相当すると勝手に思い込んでいた。それを先日マユラ先生に話したら「弁護士や検察官を目指す人たちはあなたたちの3倍以上の難しさの内容を勉強しているよ」とストレートに返されてしまった。
また1年生の時にやった「特別授業」がなくなり、代わりに導入されたのが「実地訓練」と「武術」だった。現場に入れば言うまでもなく外で罪を犯した人たちを相手にしなければならない。大人しく言うことを聞く人たちだけならまだしも、中には抵抗して暴れる人たちもいる。そういう人たちを丸腰で取り押さえる必要もあることから、この授業が必要とされていた。
その日の午後も実地訓練が行なわれることになった。
「今日の内容は、暴れている囚人を取り押さえる訓練を行います」
「先生、質問いいですか?」
「美鈴さんどうぞ」
「具体的にどういったシチュエーションになりますか?」
「そうだった。作業場において囚人同士がトラブルを起こしたシチュエーションを行なう。実際現場ではみんなに鞭を使って頂くわけだが、今は訓練中なので、代わりに警棒を使ってもらう。ただし、授業が終わったら私に返すように」
「わかりました、ありがとうございます」
「では、今から警棒を配るから順番に取に来てくれ」
渡された警棒は伸縮自在の強化プラスティック製になっていた。何人かの人が警棒で遊んでいたら、さっそくエーデル先生の雷が飛んできた。
「次、伸び縮みをして遊んでいたら没収するから、そのつもりでいるように」
「わかりました、気を付けます」
「言っておくけど、あなたたちはこれから看守として囚人たちを厳しく管理をする。いい加減な気持ちでやっていたら囚人たちが脱走し、先輩たちや上司だけでなく、あなたたち自身までに責任が課せられるから、そのつもりでいるように」
「……」
「返事がないってどういうことかな。もしかして私を舐めているのかな」
「……」
「返事は!」
「はい、わかりました!」
エーデル先生の雷に反応して、みんなはいっせいに大きな声で返事をした。
「返事をしなかったり、口答えをする囚人にはそれくらい厳しい態度でいかないと、すぐに舐められてしまう。実際現場ではあなたたちには仮面を着けてもらうわけだが、着けていても舐められる時は舐められてしまうから、気を付けるように」
「はい、わかりました!」
「いい返事だ。では、これから囚人役を引き受けてくれる先輩たちを紹介するから、拍手で迎えるように」
私たちが拍手で迎えると、先輩たちは無表情のまま稽古場の中に入ってきた。
「では、紹介する。シンディとレイラだ」
「こんにちはシンディです」
「こんにちはレイラです。よろしくお願いします」
簡単な挨拶が済んだところで、本格的な訓練が始まろうとしていた。
「今日の訓練は作業場において囚人たちがトラブルを起こしたシチュエーションを行なう。彼らは口論だけでなく、殴り合いなどもしている。周りの人たちは止めるどことか、反対にけんかの観戦に夢中になる始末だ。そこで急きょ、みんなには傍観者の役を引き受けてもらう」
「先生、傍観者はただ見ていればいいのですか?」
その時、1人の生徒が質問してきた。
「そうだね、とりあえず『やれやれ!』と助勢してくれる?」
「わかりました」
「では、黙って見てもらうのも退屈でしょうから、みんなには順番待ちの間に傍観者になってもらうとしよう。最初に私が手本を見せるから、ちゃんとみておくように」
そう言って、エーデル先生は警棒を持って構えに入った。
「あの、そろそろ始めてもいいですか?」
シンディが遠慮がちにエーデル先生に確認をしてきた。
「あ、そうだったな。では、今から訓練始め!」
エーデル先生の一声で訓練が始まった。
「テメー、今何をしやがった!」
先手はレイラだった。
「べーつに、何もしてないわよ」
シンディも訓練とは思えない迫真の演技でやっていたので、私たちは助勢することを忘れて2人の演技を見ていた。
「私の服に水をかけただろ!」
「してないわよ。やったというなら証拠を出してちょうだい」
「ぶっ殺してやる!」
「はーい、ストップ!」
エーデル先生が手を叩いて止めに入った。
「先生、私たちどこか間違っていましたか?」
レイラが疑問に感じた顔で、エーデル先生に質問した。
「いや、あなたたちではない。傍観者たちにNGが入った。あなたたちに言ったよね?」
「あ、すみません」
「では、やり直し!」
私が一言謝った瞬間、訓練は最初からやり直しとなった。私たちが助勢していたら、エーデル先生が警棒を構えて止めに入ってきた。
「お前たち何をしている!」
それでもけんかは収まることもなく続いていた。挙句のはてにはレイラがエーデル先生の顔を殴る始末。
「ねえ、レイラが看守の顔を殴ったわよ」
クレアもすっかり乗り気になって観戦していた。
「もっとやれー!」
他の人たちも助勢に力を入れていた。エーデル先生は2人を警棒で叩いたあと、稽古場の外へ連れ出して終わりにした。
「これで一連の流れは終わり。今度はみんなに順番でやってもらおうかな」
「今の1人でやるのですか?」
「さすがに今の1人でやらせるほど鬼じゃないから……。そうだねえ……、2人1組でやってもらおうか」
そう言って私たちの方へ視線を向けて選び始めた。
「では、最初にやってもらうのは美鈴とクレアにやってもらおうか」
エーデル先生に呼ばれた私とクレアは警棒を持って、稽古場の真ん中に立って、シンディとレイラに「よろしくお願いします」と一言挨拶をした。
「そんなに緊張しなくてもいいわよ。言っておくけど、実際現場で緊張していたら、囚人たちに舐められて終わりだからね」
「でも、仮面を着けていればわかりませんよね?」
「仮面を着けていてもわかる人はわかるわよ」
「はい、私語はここまで。早く訓練始めろ!」
エーデル先生の厳しい一声で訓練が始まった。
「テメー何をしやがった!」
「知らないわよ!」
「とぼけるな、水をひっかっけたのはテメーだろ!」
「なら、やったというなら証拠を出してちょうだい」
シンディがレイラの髪の毛をつかみ始めた。訓練とはいえ、ものすごい迫力。
「そこ、何をしてるんだ!」
私が警棒を持って止めに入った。
「看守は引っ込んでいろ!」
「何事だ!」
今度はクレアが止めに入り、取り押さえたあと、稽古場の外に連れて行って終わりとなった。
「はい、ご苦労。今ので35点。このやり方だと囚人に殴られてもおかしくない。次、ルイーゼとユナにやってもらおうか」
エーデル先生に言われ、2人は稽古場の真ん中に向かい、シンディとレイラと一緒に訓練を始めた。
「それでは、訓練始め!」
エーデル先生の号令で訓練が始まった。内容としてはさっきと一緒だった。2人が揉めているところをルイーゼが警棒で2人を叩き、止めに入った。しかし、収まらないどことか、2人がルイーゼを突き飛ばす始末。そこでユナが止めに入って2人を制圧して、稽古場の外へ出して終わりとなった。
「よし、ご苦労。今ので40点だ」
エーデル先生は相変わらず厳しい評価を下していた。
「言っておくが、私が現役の頃はムチも警棒もなく、丸腰で囚人に向かって取り押さえたことがあった。それも1人で」
「囚人に舐められたことはありましたか?」
「もちろん、あったわよ」
「素朴な質問ですが、先生の時も仮面を着けていたのですか?」
「もちろん着けていたよ。ちなみに私の素顔を見た囚人にはムチで叩いたあと、懲罰房に一週間閉じ込めた。あなたたちがここを卒業したら制服と一緒に仮面が支給される。デザインは自分で決めてもいいし、面倒だったら収容所の人に任せても構わない。ただし、気に入らなかった時の苦情はいっさい受け付けない。ま、自分で考えたデザインが一番いいけどね。だからと言ってあんまり可愛いデザインだと囚人に舐められるから、なるべく怖そうなデザインにしておけ。遅かれ早かれ担任からコンピュータでやらされると思うから、好きなようにデザインしてくれ。では、訓練を再開する」
長い雑談が終わったあと、再び厳しい訓練が始まった。ちょっとでもミスをすると減点対象になってしまう。
実地訓練が終わって、私は先輩たちを引き留めた。
「シンディ先輩、レイラ先輩、今日はありがとうございました」
「訓練どうだった?」
シンディは顔をにこやかにして私に感想を聞いてきた。
「とても厳しかったです」
「でも、覚えておいて。あなたたちが実際現場に行ったらそれ以上の厳しさがやってくるよ。口答えなんか日常茶飯事、中には暴力を振ってきたり、平気で仮面やウィッグを外そうとしてくる囚人もいるんだよ。これから、そういう人たちを相手に仕事をしなければならないの。彼らは外で犯罪をやってきた人。簡単に大人しく言うことを聞く人ばかりじゃないわ」
「ムチで威嚇してもだめなんですか?」
「もちろん、そういうことを前提にしてだよ。もし、どうしても自分たちで対応できない時には所長を呼んで」
「所長って、収容所の所長のことですか?」
「他にどんな所長がいるって言うのよ」
「ちなみに所長ってどんな人なんですか?」
「私たちの前ではとても優しいよ。特に新人の前ではね。あと、見た目は筋肉隆々だから、よく怖がれているけど、さっきも言ったように性格はいい人だから」
「そうなんですね」
「だから、どうしても自分たちで対応しきれない時には、すぐに所長を呼んでね」
「わかりました。ちなみ所長を呼ぶ時って、どうしているのですか?」
「無線機を支給されるから、それを使って呼ぶ感じになると思うの。使い方は授業で習うはずだから、ちゃんと覚えてちょうだいね」
「わかりました、ありがとうございます。あと、最後によかったらシンディ先輩とレイラ先輩の仮面を見せてもらっていいですか?」
「いいけど……、なんなら次の実地訓練の時に持ってこようか」
「いいのですか!?」
「いいよ。そのほうが本番さながらの体験が出来るし、仮面をつけると、こんな感じになるってわかると思うから。レイラもいいでしょ?」
「もちろん、ウィッグも用意したほうがよりリアルな訓練になると思うよ」
レイラもあとから付け加えるように口を挟んできた。
「よかったら、このあと先輩たちのお部屋に行ってもいいですか?」
「いいけど、中散らかっているわよ。この間も寮母さんに怒鳴れたんだから」
私が遠慮がちに言ったら、シンディが意地悪そうに返事をした。
「それでしたら、片付け手伝います」
「その気持ちだけ受け取っておくわ」
「美鈴、部屋に戻ろう。先輩たち、お先に失礼します」
その時、クレアが横から口を挟んで私を連れて部屋に戻った。
「クレア、どうしたの?」
「先輩たち、困っていたわよ」
「でも部屋が散らかっているって言っていたけど……」
「それは遠回しに『来るな』と言いたかったんだよ」
「私たちが行くと都合の悪いことがあるの?」
「それは言えているかもしれないよ」
「例えば見られたら困る物があるとか?」
「そこまでは分からないけど、おそらくその可能性もあると思うよ」
クレアは憶測で話していた。
「あとでこっそり行ってみない?」
「やめておきな。明日、めちゃくちゃ気まずくなるわよ」
「そうだね……」
私が短く返事したその時だった。部屋のドアをノックした音が聞こえたので、開けてみたら案の定、ルイーゼとユナが私たちの部屋に入ってきた。
「2人とも、どうしたの? 難しそうな顔をして」
ルイーゼが心配そうに私とクレアの顔を覗き込んだ。
「何もないよ」
「本当に? 何か隠しているんでしょ?」
「本当に何もないって」
「あのね、こんな顔をして『何もないよ』と言っても説得力ないわよ。『構ってください。気にかけてください』と言っているようなもんじゃん。ちゃんと正直に話しなさい」
うまく隠したつもりだったが、ルイーゼの前ではうまく隠すことが出来なかった。
「実はさっき先輩たちの部屋に行こうとしたけど、クレアに反対されたから、あとでこっそり行ってみようと思ったの……」
「私もクレアと考え方が一緒で、無理して行かないことを勧めるよ。先輩たちだって都合の悪い時だってあるんだよ。反対の立場になればわかることでしょ?」
「確かにそうだよね……」
「そのうち先輩たちから声をかけてくると思うよ」
「そうだよね……」
「じゃあ、食事に行こうか」
4人で食事を始めようとした時、シンディとレイラが食堂に入ってきた。
「先輩たち、お疲れ様です。先ほどは無理に部屋に行こうとして、すみませんでした……」
「気にしないで。今はちょっと落ち着かないから、あとでちゃんと声をかけるね」
シンディはニコリとした表情で返事をしてくれた。
「先輩たちもこれからお食事なんですか?」
「そうよ」
「それでは、ごゆっくり」
私が椅子に座って食べようとした時だった。
「美鈴、今言わなくても明日の授業でよかったんじゃない?」
クレアが横から注意をしてきたので、私としては正直嬉しいものを感じなかった。
「クレア、注意だったら部屋に戻ってからだっていいんじゃない?」
今度はルイーゼが横から注意をしてきた。
「そうだよね……」
クレアが短く返事をしたその直後、私たちがいる部分だけ重たい空気が流れ込んできた。それもそのはず。食事中に一回でも注意を受けたり、きついことを言われたら、空気が重たくなるし、味も分からなくなってしまう。その辺クレアもルイーゼも何もわかっていなかった。
部屋に戻っても重たい空気が続いていた。
私がシャワーを浴びて、そのまま寝ようとした時だった。
「美鈴、さっきはごめんね……」
「何が?」
「食事中にきついことを言ったことで……」
「私も悪かったよ。クレアの言う通り、食事中に引き留めて謝るのもマナー違反かなって思ったから……」
「余計なことを言った私が全部悪いの。本当にごめん……」
「もう大丈夫だから。じゃあ、明かりを消すね」
「うん、お休み」
翌日の実地訓練の時間のことだった。
授業を始める前に、私はシンディの所へ行き、昨日の食堂の件のことで謝った。
「私は気にしてないから大丈夫よ。しかし、なんでこんなことで謝るの?」
シンディは不思議そうな顔をして私に聞いてきた。
「なんて言うかその……、一応謝っておこうと思ったから……」
「ねえ、本当は私の部屋に入ろうと思ったことを謝りたかったんでしょ?」
シンディは顔をにこやかにして私に聞き出した。
「はい……」
「それなら、もう気にしてないわ。あなたが謝りたいことって、このことだったんでしょ?」
「はい、そうです……」
「この件はもう終わり。さあ、授業を始めるわよ」
先輩たちが稽古場の真ん中に立った瞬間、エーデル先生が稽古場に入ってきたので、みんなで一礼をした。
「では、今から授業を始める。今日は先輩たちが実際現場で使われている仮面とウィッグを使って訓練をしてもらう。では順番に着けてもらおうか」
「先生、今日の訓練はどんなシチュエーションをされるのですか?」
「今日の訓練は囚人が看守の指示に従わず、好き勝手なことをしているシチュエーションをやってもらう」
「あの、模範演技はないのですか?」
後ろの方で誰かが手を挙げて質問してきた。
「あ、そうだった。それと今回は囚人1人に対して看守2人で対応してもらう。まずは、私が囚人役をやるから、シンディとレイラに手本を見せてもらおうか」
そう言って、模範演技を始めた。
「先生、少しだけ待ってもらえますか?」
シンディが仮面とウィッグの準備に時間をかけていたら、エーデル先生がじれったそうな顔をして手伝い始めた。
「お前、仮にもプロの看守なんだから、それくらい1人でやれよ」
「だって、ここに鏡がないんですよ」
「だったら、事前に用意しろよ」
「すみません、気を付けます……」
「このあと生徒たちにやらせるけど、仮面とウィッグ手伝ってやれよ」
「わかりました……」
シンディは短く返事をした。
「では、改めて訓練を始める」
エーデル先生の一声で、訓練が始まった。
「お前、ここで何をしてる!」
シンディが警棒を構えてエーデル先生の所にやってきた。
「看守さん、お疲れ。ちょっと一休みをしていたんだよ」
「今は休憩時間ではないはずだ。さっさと作業へ戻れ!」
「そんなことを言っても、疲れたんだから仕方ないでしょ?」
「貴様、口答えする気か!」
「口答えではなく、要望。わかる? 要望」
「今は、要望を出す時間ではない!」
「どうした!」
今度はレイラがやってきた。
「お疲れ様です。この囚人が言うことを聞かなくて……」
「おい、どういう了見だ。看守への口答えは懲罰の対象だ。今すぐ立て!」
「あんたら人の話を聞いてないでしょ? 私は今休憩中なの。邪魔する人は誰であっても許さないわよ」
そう言って、エーデル先生はシンディの胸を殴ってしまった。
「殴ったわね。今すぐ懲罰よ!」
レイラとシンディがエーデル先生の両腕を掴み、稽古場の外へと連れて行った。
「これで、一連の流れは終わりよ」
「先生、お願いですから本気で殴らないでください」
「あ、すまない。つい本気を出してしまった。痛かったか?」
「かなり痛いですよ」
シンディは胸のあたりに手を当てながら、痛がっていた。
「本当にすまなかった……」
「先生、私たちにも同じことをするのですか?」
後ろの方で1人の生徒が不安そうな顔で質問をしてきた。
「なるべく加減はする。あと状況によっては、水をかけることもあるから、それだけは勘弁してくれ」
「わかりました……」
「では、順番にやってもらう。では、最初に美鈴とクレアからだ」
「はい!」
「よろしくお願いします」
私が立ち上がったあと、クレアも立ち上がって稽古場の真ん中へ向かった。
「では、美鈴はシンディの仮面とウィッグを、そしてクレアはレイラの仮面とウィッグを着けろ」
エーデル先生の指示に従い、事前に用意された折りたたみ椅子に座って、準備を始めた。
「この仮面って、軽いですね」
「何の素材か当ててみて」
シンディは少し意地悪そうに私に聞いてきた。
「テカりがあるからアルミですか?」
「違う。アルミだったらすぐに変形するわよ」
「では、ステンレスですか?」
「ステンレスはもっと重たい」
「わかりません……」
「限界?」
「はい、もう限界です」
「では答えを出すね。正解はオリハルコンなの」
「オリハルコンなんですか!?」
「そうよ」
私は思わず大きな声を出して反応してしまった。さらにシンディは私の髪をゴムで束ねてネットを被せたあと、ピンク色のストレートのロングウィッグを私の頭に被せた。
「これで完成よ」
「ありがとうございます」
「準備は終わったか?」
エーデル先生がシンディとレイラに確認をした。
「私は終わりました」
最初に言ったのはシンディだった。
「私も終わりました」
レイラもあとに続くように言ってきた。
「よし、訓練を始める」
「おい、ここで何をしてる!」
「見ればわかるだろ、休憩だよ休憩」
エーデル先生は稽古場の床に寝転がりながら言ってきた。
「今は休憩時間ではない、早く作業に戻れ!」
「うっせーんだよ。誰に向かって物を言っているんだ!」
「口答えは懲罰の対象だ! 今すぐ立て!」
「いやだよ。今休憩中なんだし」
「何事か!」
今度はクレアがやってきて、助けに入った。
「この囚人が言うことを聞かないのです」
「すぐに懲罰房へ連れて行くぞ!」
私が腕を掴んで連れて行こうとした瞬間だった。エーデル先生が用意していたペットボトルの水を私の顔にかけた。
「貴様、何をしやがった!」
「ごちゃごちゃうるさいから、ちょっと黙らせてやったんだよ」
「これは何かの薬品かもしれない。こっちで預かっておく」
クレアが水の入ったペットボトルを回収したあと、私がエーデル先生を連れて稽古場の外へと向かった。
「これで、一連の流れは終わり」
「それで、私たちの点数は?」
「そうだねえ、今のは35点。足りない点数は次の訓練までの課題とする」
私が評価を求めたら、エーデル先生は私とクレアに対して、相変わらず厳しい評価を下した。
「ありがとうございました」
私とクレアがエーデル先生に一礼したあと、今度はルイーゼとユナが入った。ルイーゼがシンディのもとへ、ユナがレイラのもとへ向かった。
問題のエーデル先生が抵抗するシーンにさしかかった時だった。私たちの時と同様、ペットボトルの水をルイーゼの顔にかけた。その直後ルイーゼは少々大げさに暴れて、「こんなことをするなんて卑怯よ!」と言ってきた。
「そうよ、私は卑怯な人間だよ」
「お前、ちょっと調子に乗りすぎ。懲罰房で頭を冷やして反省していろ!」
そう言って、ルイーゼとユナは稽古場の外へと連れて行った。
「ご苦労、今のは40点。私が持っていたのがただの水じゃなくて、本物の薬品だったら大変な目に遭っていたぞ」
「すみません、気を付けます……」
ルイーゼはションボリした状態で謝ったあと、仮面とウィッグをシンディに返した。
訓練の時間が終わって、教室へ戻ろうとした時だった。
「美鈴ちゃん、クレアちゃん待ってー」
後ろを振り向いたら、シンディとレイラがいた。
「シンディ先輩、どうされましたか?」
私はシンディの前で思わずビクっと反応してしまった。
「今日の放課後、時間取れる?」
「どうしたのですか?」
「よかったら私たちの部屋に来ない?」
「いいのですか?」
「昨日断ってしまったから、今日来てほしいと思ったの。よかったら、どう?」
「では、お言葉に甘えてお邪魔します」
「クレアちゃんはどう?」
「ご迷惑でなければ……」
「じゃあ、決まりだね。授業が終わったら私の部屋に来てよ」
「わかりました」
その日の放課後、シンディとレイラは私とクレアを自分の部屋に連れて行った。2人の部屋は宿舎の外れにある西棟の3階にあり、構造がそっくりなため、私たち新人の中には何人か間違えていた。
309号室の部屋に入ってみると綺麗に整頓されていて、とても居心地がよかった。
「とても綺麗なお部屋なんですね」
「定期的に巡回の人がやってきて、お部屋の中をチェックするの」
私が驚いた表情で感想を言うと、シンディが苦笑いをしながら返事をしてくれた。
「確かに厳しいですよね」
「掃除だけでなく、消灯時間までうるさいからね」
「一つ気になりましたけど、宿舎の夜間巡回を担当している人はどうなるのですか?」
今度はクレアが疑問に感じたうように横から口を挟んできた。
「その場合、寮母さんに届け出をしてあるから大丈夫よ。一応お仕事だし、それくらいは長い目で見てくれるよ」
「そうなんですね」
「あ、そうそう。せっかく来てくれたんだし、もう一度私たちが使っている仮面とウィッグを着けてみる?」
「それでしたら、訓練の時に着けさせてもらいました」
「訓練の時って、鏡で自分の姿が見られなかったでしょ? ここなら自分の姿が見られるし。どう?」
「じゃあ、着けさせて頂きます」
シンディはクローゼットから自分の仮面とウィッグを取り出して、私に持って行こうとした時だった。
「シンディ、悪いけど私の分もお願い」
レイラが”ついでに”と言わんばかりにシンディに自分の仮面とウィッグを催促した。
「それくらい自分で取ってきなさいよ」
「えー!」
「『えー!』じゃないでしょ」
「わかったわよ」
レイラは渋々と自分の仮面とウィッグをクローゼットから取り出して、クレアの所に用意した。着けたあと鏡で自分の姿を見たら、まるで違う人のように見えた。
「どう?」
シンディは顔をにこやかにして私に感想を求めてきた。
「何だか別人のように見えます」
「卒業したら制服と一緒にムチと手錠、仮面とウィッグが支給されるから」
「そうなんですね。先輩の匂いがします」
「あまり、匂いを嗅がないで」
「すみません……」
「気にしないで」
「ウィッグって思ったより長いんですね」
「一応ロングのストレートにしてみたの」
「そうなんですね」
「気に入った?」
「はい」
「よかったら、また着けに来てよ」
「そうします。私も早く自分のが欲しいです」
「そのためには頑張って卒業することだね」
「そうですね。ウィッグと仮面ありがとうございました。先輩の仮面とウィッグって、ちょっと派手なんですね。唇が水色で、目の周りに黒い縁が着いています」
「これでも頭をひねって考えたんだよ」
「うまく言えませんが、なんとなく先輩らしさって言うのが伝わってきます」
「なにそれ、意味わかんない」
シンディは苦笑いをしながら答えていた。
「ところで、美鈴ちゃんは自分の仮面をどんなデザインにしてみたいと思うの?」
「まだ決めていませんが、一応吸血鬼をイメージしたデザインにしようかなって思っています」
「お、いいね。出来上がったら見せにきてよ」
「わかりました」
「約束だよ」
「では、そろそろ失礼させて頂きます」
「もう、帰るの?」
「明日も授業がありますので」
「わかった、また来てね」
私がクレアを連れて自分の部屋へ戻ろうとした時だった。クレアはレイラの仮面とウィッグを着けたままだった。
「クレア、帰るわよ」
「もう帰るの?」
「そうよ。早く仮面とウィッグを返しえてあげなさい」
「わかった」
クレアは仮面とウィッグをレイラに返したあと、私と一緒に自分たちの部屋へ戻ることにした。
「今日は楽しかったね」
クレアはベッドで横になりながら満足そうな顔をして言ってきた。
「何が?」
「先輩の部屋に行って、仮面とウィッグを体験したこと」
「まあ確かにね。あくまでも体験であって、遊びじゃないんだからね」
「わかっているって」
「ところで、明日の予習しなくていいの? もしかしたらクレアを指すみたいだよ」
「マジ!?」
「うん」
クレアはベッドから起き上がるなり、机に向かって予習し始めた。2年生になってから新たに導入された無線講習と現代社会の予習をやり始めた。1年生の時と違って内容も難しく、テストで赤点を取れば即落第になってしまう。先週も1人、授業についていけなくて落第した人がいた。私も落第しないように必死になってついていく毎日だった。
予習を始めてから15分。クレアは机でうたた寝をしてしまった。
「クレア起きてよ。ここで寝ると風邪を引くよ」
「私寝ていた?」
「寝ていたわよ」
しかも、クレアのノートには見事によだれがタラリと着いていた。
「あ、よだれが!」
「そりゃ、そうよ。下を向いて口を開けていたんだから」
「マジ!?」
「マジ。さ、続きをやりましょ」
その日、夜9時ごろまでやったあと、ベッドで寝ることにした。
さらに翌週の実地訓練のことだった。
「今日は囚人たちが脱走を企んでいることを想定した訓練を行なう。奴隷作業中、私語をやっている囚人を見かけた時には、脱走の打ち合わせだと思ってほしい。特にヒソヒソ話には要注意だ。では、私が手本を見せる。シンディとレイラ、すまないけど囚人の役を頼む」
そう言って訓練が始まった。
「お前たち、ここで何をやっている!」
「いえ、別にたいしたことではありません」
エーデル先生が厳しく注意に入った途端、シンディはあわてた表情で否定した。
「なんか怪しいなあ」
「本当に何でもありません」
今度はレイラもあわてた表情で否定をした。
「お前たち本当のことを言え。脱走を企んでいるんだろ!」
「違いますよ。ただの世間話です」
「じゃあ、その世間話の内容を私にも聞かせてもらおうか」
エーデル先生の迫力にシンディがビビっていた。
「『出所したら何をしたい』という内容ですよ」
「『出所』じゃなくて『脱走』の間違いだろ!」
「違います。本当にここから出られたらの話なんです」
「重罪人のお前たちに『出所』という言葉はないんだよ。死ぬまでここで生活をしていろ。それと、ヒソヒソ話も懲罰の対象となる。お前たち2人で懲罰房で頭を冷やせ!」
エーデル先生はシンディとレイラを稽古場の外へ連れ出し、訓練は終わった。
「先生、迫力ありすぎですよ」
シンディは苦笑いをしながらエーデル先生に言った。
「それくらいやらないと、訓練にならないだろ」
「実際は仮面を着けているわけなんだし……」
「仮面を着けていても、それくらいの迫力がないと、囚人に舐められて終わりだ」
「では、実際にやってもらおうか」
エーデル先生は私たちに目線を向けながら言ってきた。
「先生、質問いいですか?」
私は思わず手を挙げて質問をした。
「なんだ?」
「脱走するとどうなるのですか?」
「今、それを聞くの?」
「だって気になりましたので……」
「本当はあとで話すつもりだったけど、今話すよ。実は脱走用の道を設けてあるんだけど、抜けた先には深い山の奥に入ってしまい、そこには魔物たちがたくさんいて、一度遭遇すると地の果てまで追いかけられるの。そして最後は食いちぎられて死ぬって感じかな。だから、そこの部分だけ警報装置が作動しないようになっているの。一度入ったら最後。通称「魔の山』と呼ばれていて、簡単には下山出来なくなってしまうんだよ」
「そうなんですね」
「囚人たちはそうとも知らずに山の中へ脱走をして、魔物たちの餌にされてしまうんだよ」
「ちなみに他はどうなっているのですか?」
「他と言うと?」
「例えば無理に塀をよじ登ったりしたら……」
「そりゃあ、警報装置が作動するに決まっているじゃん」
「そうですよね。一つ気になりましたが、塀の外にも魔物がいるのですか?」
「そんな事をしたら、街の人たちがビックリするでしょ?」
「そうですよね……」
「聞きたいことはそれだけ?」
「はい……」
「じゃあ、訓練を始める。最初は……」
「私とクレアですよね」
「すまない……」
エーデル先生は申し訳なさそうな顔をして私に謝った。そのあと、折りたたみ椅子に座って先輩たちから借りた仮面とウィッグを着けてもらった。
「毎回一番でごめんね」
シンディは申し訳なさそうな顔して私に謝ってきた。
「いいえ、私は大丈夫です。それより、また先輩たちのお部屋に遊びに行ってもいいですか?」
「いいわよ。今度はおいしい紅茶を用意するからね」
「ありがとうございます」
「じゃあ、無駄話はここまで。訓練を始めるわよ」
先輩たちに言われて、私とクレアは訓練を始めることになった。
「お前たち、ここで何をしている!」
私の一声でシンディはビクッとした反応をしていた。
「看守、お疲れ様です。今、世間話をしていたんだよ」
「何の話だ?」
「ですから、ただの世間話ですぅ」
「その世間話の内容を言えと言っているんだ!」
「言えませーん」
「密談は重罪だぞ!」
「うわー怖い。それでぇ、私たちどうなるのですか?」
「懲罰だ!」
「なんの騒ぎだ!」
今度はクレアも入ってきた。
「私たちが普通に世間話をしていたらぁ、こちらの看守さんが懲罰にするって言うんですよぉ」
「では、どんな内容か聞かせてもらおうか」
クレアは警棒を構えながら、シンディに聞き出した。
「ここを出所したら、どんな生活をするか話し合っていたのですぅ」
「『出所』ではなく『脱走』の間違いでは?」
「失礼なことを言わないでくださいよぉ。私たち脱走なんて考えていませーん」
「では、本当の内容を聞かせてもらおうか」
「本当も何も今言った内容そのまんまですぅ」
「嘘をつくな!」
「本当ですぅ」
「よし、わかった。お前たち懲罰だ!」
私とクレアはシンディとレイラを連れて、稽古場の外へ連れて行った。
「よし、ご苦労。今ので40点だ」
エーデル先生は相変わらず私たちに厳しい評価を下していた。
「先生、どの辺が悪かったのですか?」
納得のいかない私は、エーデル先生に聞き出した。
「まずは仮面とウィッグを外せ」
言われるまま、私は仮面とウィッグをシンディに返した。
「改めてお願いします。40点の理由を教えてください」
「尋問が長すぎる。相手が先輩たちだったから良かったもの、本物の囚人なら間違いなく抵抗されるか、逃げられている。その場合、速やかに懲罰房に連れていくのがベターなやり方だ」
「わかりました、ありがとうございます」
「では次、ルイーゼとユナ、お前たちの番だ」
ルイーゼとユナは折りたたみ椅子に座って、仮面とウィッグをセットしてもらい、スタンバイに入った。
2人の訓練を見ている間もさっきの評価のことが納得いかなかった。私としてはもう少し高い点数が出てもいいと思っていた。
「私、納得いかない」
「何が?」
私がさっきの評価のことを口に出したら、クレアが顔を覗き込んで聞いてきた。
「エーデル先生の評価」
「実際、現場に就いたら、もっと厳しいことが待ち構えているよ」
「わかっている。でも……」
「でも?」
「もう少し、高い点数を出して欲しかった……」
「美鈴は自分では何点取ったと思っていた?」
「70点」
「ちょっと高すぎると思うよ。私なら35点かな」
「ちょっと辛口じゃない?」
「それくらい厳しく評価しなきゃ。さっきの囚人役も先輩たちだったからいいけど、実際の囚人だったら、間違いなく舐められておしまいになっていたはずだよ」
「エーデル先生と同じことを言うんだね」
「納得いかないなら、休日先輩たちに頼んで訓練に付き合ってもらう?」
「うん……」
その日の訓練が終わって、私とクレアはシンディとレイラを引き留めて、休日の自主訓練のお願いに当たった。
「先輩たち、お忙しいところ本当に申し訳ないけど、次の日曜日に私たちの訓練に付き合ってもらえませんか?」
「いいわよ。その日特に予定がないから。じゃあ、次の日曜日、宿舎の中庭でやろうか」
私が頭を下げてお願いをしたら、シンディはあっさりと引き受けてくれた。
「あの、お時間は?」
「2人は何時ごろならいい?」
「先輩たちの都合に合わせます」
「じゃあ、11時ごろにしようか」
「はい、その時間によろしくお願いします」
交渉が成立したところで、私とクレアは次の授業の準備にかかった。
宿舎に戻って一休みをしていた時だった。部屋のドアをノックする音が聞こえたので、ドアを開けたらルイーゼとユナが入ってきた。
「来たよ。おじゃまするね」
「どうしたの?」
「うん。さっき先輩たちと何を話していたの?」
ルイーゼは興味深そうな顔をして私に聞いてきた。
「今度の日曜日に自主訓練をするから、付き合ってもらおうかなとお願いしてきたんだよ」
「その訓練に私たちも付き合っていい?」
「いいよ。ルイーゼたちも点数低かったの?」
「まあね」
「私たち45点」
横にいたユナがボソっと口を挟んできた。
「エーデル先生って、けっこう厳しいよね」
ルイーゼは表情を険しくさせながら言ってきた。
「私も同感」
「相手が先輩たちだと思うから、厳しい点数になるんじゃない?」
「確かに……」
「日曜日の自主訓練もおそらく、私たちが考えているほど甘くないと思うよ」
「そうだよね」
私はクレアの言葉に相づちを打ちながら返事をした。
「先輩たちも普段は優しいけど、現場だとかなり厳しいはずだから、覚悟したほうがいいよ」
ルイーゼもクレアの意見に付け加えてきた。
「確かにそうだよね」
私は2人の正論すぎる意見に何も言い返せなくなってしまった。
「ここで話をしていても始まらないし、日曜日の自主訓練は普段の授業よりも厳しいと思った方がいいよ。じゃあ、食堂に行こうか」
ルイーゼの一言で私たちは食堂へ向かったら、入口で私たちはシンディとレイラに会った。
「先輩たち、お疲れ様です」
「美鈴ちゃん、そんなにかしこまらなくてもいいよ」
シンディは私の緊張をほぐすような感じで優しく接してくれた。
「先輩たちは、もうお食事が終わったのですか?」
「そうよ。これから部屋に戻るところ」
「そうなんですね」
「美鈴ちゃんたちは、これから食事なの?」
「はい、そうなんです」
「じゃあ、私たち部屋に戻るね」
「お疲れ様です」
シンディとレイラは私たちに軽く手を振っていなくなってしまった。テーブルにつくなり、私はため息をついてしまった。
「美鈴、どうしたの?」
「うん、日曜日のことが気になって……」
「何かあったの?」
「そうじゃないけど、先輩たちの雷が落とされそうな気がするから……」
「今気にしても始まらないから、とにかく食事にしよ」
「うん……」
クレアに言われて私たちは目の前の料理を食べることにした。
食堂を出て部屋に戻ろうとした時だった。
「美鈴ちゃーん!」
廊下を歩いていたら、後ろからシンディの声が聞こえてきた。
「シンディ先輩、どうされたのですか?」
「中庭の使用許可を寮母さんからもらってきたよ」
「中庭を使用するのに許可がいるのですか?」
「一応自由に使えるんだけど、他の人に邪魔されたくないから……」
「それなら、他の場所にします?」
「他の場所っていうと?」
「例えば公民館とか?」
「余計に目立つわよ」
「表向きでは演劇の稽古ってどうですか?」
「いろいろと突っ込まれるわよ。それより中庭なら見られるのは身内同然の人だから大丈夫でしょ?」
「そうですよね」
「じゃあ、それで決まり。当日時間厳守でよろしくね」
シンディはそのまま走っていなくなってしまった。
「中庭で自主訓練するのに許可がいるなんて初めて知った」
横にいたクレアが一言呟いていた。
「私も」
「寮母さんって、結構厳しい人なんだね」
その時だった。「私がどうかしましたか」と後ろから声が聞こえたので、振り向くと寮母さんが立っていた。
「寮母さん、お疲れ様です。これからお食事ですか?」
クレアはあわてて、寮母さんに尋ねた。
「いえ、食事なら少し前に済ませました」
「では、今何をされていたのですか?」
「巡回です」
「そうなんですね。あの、一つ確認したいのですが、中庭で自主訓練を行う際には許可っているのですか?」
私は気になって仕方がなかったので、寮母さんに確認をした。
「まあ、一応……、宿舎の窓から丸見えになっているので……」
「そうなんですね……」
「もし、誰かに見られることに対して抵抗を感じるのなら、宿舎の外れに誰も使っていない空き部屋があるので、そこでよかったら解放しますけど?」
「いいのですか?」
「あなたたちさえ良ければ」
「ありがとうございます。宿舎の外れとなると、どのあたりになりますか?」
「場所なんだけど、南館の奥に地下室があるので、そこを解放します」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「では、のちほど私の部屋に来てください」
「あ、待ってください」
「どうされたのですか?」
「私たちも一緒について行っていいですか?」
「別に構いませんよ」
私たちは寮母さんと一緒に宿舎の中の巡回に付き合ったあと、空き部屋の鍵を借りることにした。
「しばらくこの鍵をあなたたちに預けます。くれぐれも紛失だけはしないよう、厳重に管理をしてください」
「ありがとうございます」
寮母さんから空き部屋の鍵を預かった私たちは、早速先輩たちの部屋に向かうことにした。
ノックして部屋に入ると、シンディはどうやら風呂上りの直後のようだった。
「どうしたの?」
「お疲れのところ申し訳ございません。実は自主訓練の件なんですが……」
「もしかしてキャンセル?」
「違います。訓練の場所を中庭から宿舎の空き部屋に変更したいのですが……」
「その空き部屋って、使用許可おりたの?」
「実は寮母さんからの提案で……。ちゃんと鍵も預かってきました」
「そうなんだね」
「せっかく中庭の使用許可をもらったにも関わらず、本当に申し訳ございません……」
「気にしないで。空き部屋があるなら、そっちにしましょ。それで、その空き部屋はどこにあるの?」
「南館の地下室です」
「地下室?」
「ご存じないのですか?」
「うん」
「もしかしたら、先輩のほうが詳しいかなと思ったのですが……」
「ごめん、私にも分からない……」
「そうなんですね。日曜日に北館と南館の間にある談話室の前で待ち合せしませんか?」
「わかった。では、待ち合わせ時間は11時でいい?」
「はい、了解しました」
そして迎えた日曜日、本来なら普段着で時間を過ごしているはずなのに、今日はいつもの見習い制服で待ち合わせることにした。待つこと5分、普段着姿のシンディとレイラが駆け足で私たちのところにやってきた。
「ごめん、遅くなっちゃった」
シンディは息を切らせながら、私に一言謝ってきた。
「先輩たち、お疲れ様です」
「あれ、あなたたち、なんで見習い制服なの?」
「一応、訓練なので……」
「休日ぐらい普段着でもよかったのに。ま、あいいわ。行きましょう」
南館の1階の奥を歩いていくと、だんだん薄暗くなってきて、今でもお化けが出てきそうな雰囲気になっていた。奥の正面に鍵のかかった鉄の扉が見えてきたので、私は寮母さんから預かった鍵をそうっと開けてみた。言うまでもなく扉の向こうは真っ暗。まるで6人で肝試しをやっているような気分だった。
「美鈴ちゃん、照明のスイッチはないの?」
「スイッチ?」
私はシンディに言われて、スイッチを探すために壁を手探りしてみた。すると小さな丸いボタンのようなものが見つかったので、そうっと押してみたら、蛍光灯がぼんやりと灯された。階段をゆっくり歩いていくと、再び鉄の扉が見えてきたので、ゆっくり開けてみることにした。言うまでもなく真っ暗だったので、再び壁を手探りしてスイッチを入れると、またしても蛍光灯がぼんやりと灯された。
「ねえ、ここって何かの資料室になっているわよ」
私は棚を眺めるなり、ボソっと一言呟いた。
「本当だ」
クレアも私に続いて一言呟いた。
「ねえ、これって先輩たちの思い出なんじゃないの?」
ルイーゼが一冊の資料を広げるなり呟いた。
「どれ?」
私も棚から資料を広げるなり「本当だ」と一言呟いてしまった。その時だった。
「あなたたち、今日の目的を忘れてない?」
レイラが苛立って私たちに厳しい一言をぶつけてきた。
「あ、すみません……」
私は思わす謝ってしまった。
「あなたたちから訓練を頼んできたんだから、ちゃんとやってちょうだい!」
「すみません……」
「今から訓練を始めるわよ」
レイラはそう言って、手提げバッグから仮面とウィッグを取り出して、部屋の奥にある低い脚立を二つ用意したあと、そこに私たちを座らせることにした。
「最初は美鈴ちゃんとクレアちゃんからね」
レイラに言われて、私とクレアは脚立に座って、仮面を着けて髪の毛を束ねたあと、ウィッグを被らせてもらった。
「あ、そうそう。言わなくてもわかると思うけど、勤務中はメイクと香水は禁止だから」
「わかりました」
厳しい注意を受けている最中も私の鼻には仮面から漂ってくるシンディの優しい匂いを嗅がされていた。
「美鈴ちゃん、今私の話を聞いていた?」
シンディは少し不機嫌な表情で私に聞いてきた。
「はい、大丈夫です」
「『大丈夫です』という返事が来たってことは、私の話を聞いていたってことだよね?」
「はい……」
「なら、なんて言ったのか教えてくれる?」
「……」
私は一瞬考えてしまった。
「どうしたの? ちゃんと答えてちょうだい」
「勤務中はメイクと香水は禁止……ですか?」
「その通り。でも、次からもう少し早く答えてちょうだいね」
「わかりました……」
「では、今日の訓練は現場で囚人が脱走した時の対応をします」
「シンディ先輩、質問していいですか?」
「何、美鈴ちゃん」
「先日、エーデル先生の話では、脱走用に見せかけた出口があるのと、塀を乗り越えたらサイレンが鳴るって話を聞かされましたけど……」
「確かにそうだけど、今日の訓練は収容所の外で奴隷作業をしている最中に、誰か一人いなくなってしまった時の対応をします。もちろん、いなくなった場合は見つけ次第、懲罰の対象となるけど、その前に本人から事情を聞き出す必要もあります」
「そのまま懲罰房へ連れて行くわけには、いかないのですか?」
「もちろん懲罰房へ連れて行くけど、その前に理由を聞き出して記録する必要があるの」
「と、なると看守になったら事務作業も発生するのですか?」
「当然よ。業務日報を書いたり、書類の整理もあるんだから」
「わかりました、ありがとうございます」
「事情を聞き出したあと、懲罰房へ連れて行くって感じかな。あと、収容所の外で奴隷作業を行なうので、看守の人数は最低でも4人以上は必要だと思ってほしい」
「わかりました、ありがとうございます」
「では、今から訓練開始!」
シンディの号令で、訓練が始まった。
「今から、点呼を取る」
私が言った直後のことだった。
「看守、1人足りません!」
シンディの報告により、私とクレアは「よし、探すぞ」と言って捜索に当たった。
棚の隅に隠れていたレイラを見つけ、私は「ここで何をしてる!」と声をかけた。
「あ、看守さんお疲れ様です」
「『お疲れ様です』じゃないだろ! ここで何をしているのかと聞いているんだ!」
「見てのとおり休憩よ」
「勝手な行動は懲罰の対象だ! こっちへ来い!」
私はレイラの腕を強く引っ張り、部屋の真ん中まで連れてきた。
「レイラが奥に隠れていたので、懲罰房へ連れていきます」
「了解!」
私がクレアに断って地下室の外へ連れて行ったところで、訓練は終わりとなった。
「ご苦労。一連の流れはこんな感じかな。ただ、今回は地下室だからすぐに見つかったけど、実際作業場や外での奴隷作業中にトラブルが発生した際には、簡単には見つからないと思ってほしい。もちろん、そのために複数の看守で監視を行なうけど、中には脱走を企んでいる人がいるから気を付けてちょうだい」
「わかりました、ありがとうございます」
シンディのアドバイスに私は短く返事をした。
「あと、現場に就いたら男性の看守もいるし、万が一私たちだけで対応しきれない時には、所長が対応してくれるから大丈夫よ」
レイラも横から付け加えるように言ってきた。
「所長って筋肉隆々の大男なんですよね」
「そうよ、とても頼りになるし、新人にはとても優しいから。でもその分、新人たちがミスをしたら上の人がたくさん叱られるけどね。そうならないように、なるべくミスを減らして私たち先輩に負担をかけないでね」
「わかりました、そうならないように気を付けます」
シンディが苦笑いをしながら私たちに言ってきたので、私も苦笑いをしながら返事をした。
「では次、ルイーゼちゃんとユナちゃん、やってもらおうか」
シンディがルイーゼとユナを指名したので、私とクレアは仮面とウィッグを一度シンディとレイラに返した。
訓練が終わったのは3時前だった。
「お疲れ」
シンディは私に声をかけた。
「ありがとうございます」
「ねえ、このあと時間取れる?」
「空いていますけど……」
「実は、みんなで少し街を歩いてみたいと思うんだけど……」
「何かあるのですか?」
「うん、オススメの喫茶店に行ってみたいんだけど……」
「是非連れて行ってください」
「私も!」
私がお願いしたとたん、クレアも便乗してきた。
「じゃあ、みんなで行こうか」
「でも、私たち見習い制服だし……」
「着替えなくていいよ、この制服可愛いから」
「適当なことを言っていませんか?」
「そんなことないわよ。じゃあ、私とレイラは一度部屋に荷物を置いてくるから」
「ちょっと待ってください。私も部屋に戻って財布を持ってきます」
「今日は私たち先輩のおごり。だから正面玄関で待ってくれる?」
「ありがとうございます」
私たちはシンディに言われ、正面玄関で待つことにした。
待つこと15分、シンディとレイラは身軽な格好で私たちの前にやってきた。
「お待たせ、行こうか」
シンディの一声で私たちは街へ向かうことにした。訓練や勉強などで街へ行く機会が減っていたので、久々に行った街はとても新鮮に思えた。シンディは街の真ん中にあるオシャレな喫茶店に私たちを連れて行った。中に入ってみると、落ち着いた雰囲気になっていたので少し緊張してしまった。蝶ネクタイをしたウエイターに案内されて、私たちは奥にある6人がけのテーブルに座ってメニューを広げることにした。
「どれにするか決めた?」
メニューを広げるなり、シンディは私たちに聞いてきた。
「私はもう決めたよ」
そう言ったのはレイラだった。
「レイラ先輩早いですね」
私は驚いた表情でレイラに反応してしまった。
「だって食べたいものが決まっているから」
「なんですか?」
「このチョコレートのケーキとバナナジュース。この組み合わせが最高なんだよ」
「レイラは私と来る時には決まって、これを頼んでいるの」
シンディは苦笑いしながら話してくれた。
「先輩たちはここの常連なんですか?」
今度はルイーゼが質問してきた。
「まあね」
シンディは再び苦笑いをして答えた。
「オススメはやはりレイラ先輩が選んだ組み合わせですか?」
「それもいいけど、いちごのジェラートもオススメだよ」
「本当ですか?」
再び迷いだした。迷った結果、私たちはレイラが選んだチョコレートケーキとバナナジュースの組み合わせにした。待つこと10分近く、チョコレートケーキとバナナジュースが人数分運ばれてきた。
さっそく食べてみると、チョコレートのほろ苦さが口の中に広がって、とても美味しかった。そのあとバナナジュースを飲んだ瞬間、甘さがチョコレートの苦味を緩和していく瞬間を感じた。レイラがこの組み合わせを好む理由がなんとなくわかったような気がした。
「どうもごちそうさまでした」
私たちはシンディとレイラに頭を下げてお礼を言った。
「みんな頭をあげて。今日みんなにおごったのは宿舎の伝統なの。毎年、先輩たちが後輩たちに街で何かをおごる風習があるから、みんなも後輩が出来たら街で何かおごってあげてね」
「あの、一つだけいいですか?」
「何?」
私はシンディの言葉に今一つ納得いかなかったので、質問を投げ出してしまった。
「先輩たちが私たち後輩に何かをおごる風習なんですが、その理由を教えてもらえますか?」
「正直、私たちも分からないの。私とレイラが宿舎に入った時にはそれをやりだされていたから……。私とレイラもあなたたちの時のように先輩たちから紅茶とチーズケーキをおごってもらったの」
「そうなんですね」
「だから、さっきも言ったように、あなたたちにも後輩が出来たら同じようにやってあげて」
「わかりました」
「じゃあ、私たちはちょっと街をぶらついてから帰るよ。だから、あなたたちも門限に遅れないように気を付けるんだよ」
シンディとレイラはそのままいなくなってしまったので、私たちもそのまま宿舎の部屋に戻ることにした。なんだか疲れた。その日の私は食事もしないで寝てしまった。
そして次の日以降、何ごともなく普通の日々を過ごすことにした。
7話に続く