5,不満のまた不満
昼休みが終わって、午後の最初の授業は法律概論だった。担任のマユラ先生がテキストを読み上げた瞬間、内容が難しすぎて眠くなってしまった。我慢の限界が来た私はついにうたた寝をしてしまい、マユラ先生にテキストで頭を叩かれる始末。
「いったーい」
「美鈴さん、今寝ていたでしょ?」
「はい……」
「ここは宿舎のベッドじゃないんだから、寝るんだったら帰ってからにしてちょうだい」
「すみません……」
その瞬間、教室内で笑いが広がった。
「では、授業を再開する」
再びマユラ先生はテキストを読み上げた。法律がこんなに難しいものだとは思わなかった。まるでテキストの内容が魔法の呪文のように見えてしまったので、再び眠気が襲ってきた。
「私がテキストを読んでばかりいても眠くなるだけだし、誰かに質問をしようかな」
マユラ先生は教室を見渡して私を指名した。
「美鈴さん、AさんがBさんの家にある金品などを奪った上、家に火をつけて逃げ出してしまった。Aさんは何罪で逮捕されたのでしょうか」
「強盗と放火の罪です」
「正解。では、Aさんは裁判で当然ながら有罪判決を言い渡されました。どれくらいの刑期が課せられるのでしょうか」
「……」
私はしばらく考えてしまった。
「どうされましたか?」
「放火と強盗の両方なので、裁判で……」
再び私は考えてしまった。
「裁判で?」
「懲役刑が言い渡されました……」
「何年の懲役刑なんですか?」
「26年くらいです……」
「26年くらいと言ったら、Aさんが裁判で謝罪をして、なおかつ収容所の中できちんと反省していれば済む刑期かもしれないね」
「正解は何年ですか?」
「35年以上」
「ありがとうございます」
「これと似たような内容を試験に出す予定でいるので、きちんと覚えておくように。では授業を進める」
マユラ先生が再びテキストを読み上げた瞬間、今度は後ろで誰かの世間話が聞こえてきた。
「そこの2人、随分と楽しそうに話しているわね。何のお話から?」
マユラ先生が声をかけた瞬間、世間話に夢中になっていた2人はビクっと反応してしまった。
「たいした内容ではありません……」
1人が冷や汗をかきながら返事をした。
「では、その『たいしたことのない内容』の会話をみんなの前でしゃべってもらおうかしら。さあ、2人とも前に来て話してちょうだい」
マユラ先生に言われて、2人は教壇の前に立ったまま、もじもじしていた。
「どうしたの、早く話してちょうだい」
「何をですか?」
「だから、さっきの続きよ。みんなにも聞かせてあげてちょうだい」
「ここで話すのですか?」
2人は困った顔をしていた。
「そうよ。話したいんでしょ? みんなも待っているんだから早く話してちょうだい」
「それはちょっと……」
「ちょっと何?」
「人前では……」
「後ろでおしゃべりするより、全然いいと思うよ」
「先生、勘弁してください」
「何を勘弁してほしいの?」
「人前でしゃべるの」
「じゃあ、今回だけは勘弁してあげる。言っておくけど、卒業したら今の態度は完全に通用しないから。ちなみに囚人の前では私語厳禁。わかった?」
「はい、気を付けます……」
「今のうちに言っておきます。収容所内では囚人たちはもちろんのこと、我々看守も私語が禁止となっています。わかりましたか?」
「わかりました」
みんながいっせいに返事をしたあと、それと同時に授業終了のチャイムが鳴った。
「明日も犯罪について話をします。それと今日居眠りをした美鈴さん、世間話に夢中になっていた2人は次回まできちんと反省をしてください」
マユラ先生がいなくなった途端、みんなは好き勝手に時間を過ごしていた。ある生徒は放課後の予定を立てたり、ある生徒は不満をこぼしていた。
「お疲れ、今から学食へ行かない?」
横からクレアが声をかけてきた。
「ありがとう、今日はまっすぐ宿舎へ帰ろうかと思っている」
「疲れているんでしょ? 甘いものを食べていこうよ」
「うん……」
「じゃあ、決まり。ねえ、ルイーゼとユナも行かない?」
「いいよ」
ババロア目当てにルイーゼとユナも誘って4人で学食へ向かった。テーブルに着くなり、順番で取りに行った。ババロアはいくつか種類があって、私はバナナ、クレアはメロン、ルイーゼはいちご、ユナはオレンジを選んで、さらに飲み物はみんなでホットミルクティにした。
「初めてババロアを食べたけど、美味しい!」
私がババロアを一口食べた最初の感想だった。
「美鈴、ババロアって初めて?」
クレアが意外そうな顔をして私に聞いてきた。
「うん!」
「マジで!?」
「驚くことないじゃん。現に初めてだし」
「そうなんだね」
「ねえ、食べている時なんだけど、人種差別した場合って、どうなるんだっけ?」
ユナがテキストを読みながら質問してきた。
「確か、懲役の他に無期限の奴隷的拘束を受けるんじゃなかったけ?」
「勉強なんて宿舎へ戻ってからだっていいじゃん」
私がテキストで確認しながら答えていたら、ルイーゼが横から口を挟んできた。
「ルイーゼ、赤点になっても責任取らないぞ」
「勉強虫はこれだから困るよ」
「少なくとも遊び人だけには言われたくない」
「やーい、勉強虫ー」
「黙れ、試験直前になって泣きついても助けないぞ」
「わかりました、帰ったらよろしくお願いします」
「授業料高いぞ」
「はい、心得ています」
ルイーゼは言われるまま返事をしていた。
宿舎へ戻り、テキストと辞書を広げてその日の復習と次の日の予習をしていたら、案の定クレアはベッドでファッション雑誌を広げていた。
「ねえ、勉強しなくてもいいの?」
「疲れたから明日にする」
「ちなみに明日も法律概論あるわよ」
「じゃあ、食事のあとにする。私、授業で頭を使いすぎちゃった」
「あ、そうそう。道徳の時みたいにマユラ先生、小テストを出すって言っていたわよ。しかも赤点取った人は放課後はもちろんのこと、休みの日も補習に来させるみたい」
「マジ!?」
「うん、マジだよ」
「どうする?」
「やるに決まっているじゃん!」
ベッドから起き上がるなり、クレアは机に向かって私と勉強することになった。
「ねえ、明日の授業で裁判所の話って出る?」
「そんなのまだ先じゃん。それより明日も犯罪の話なんだから、そっちを優先にしたほうがいいよ」
「うん、わかった」
私に言われ、クレアはテキストを読み始めてから数分もしないうちに集中が途切れてしまった。
「クレア、法律苦手?」
「うん、難しすぎる」
「確かに難しいよね。でも、それが私たちの日常生活に役に立つ内容だったら?」
「それなら覚えられるかもしれない」
「でしょ? だったら頑張って覚えようよ」
「うん」
その日、私とクレアは夕食まで勉強をすることになった。
「ねえ、ゴミのポイ捨ては何罪だっけ?」
「禁止場所廃棄物不法投棄罪で、10年以上の懲役刑になるよ。ちなみにその場で置き去りにしても同罪になるよ」
「あ、そうだった」
クレアは私に言われたことをノートに記録していった。
「夜間、外で宴会を開いたら何罪だっけ?」
「安眠妨害罪で、15年以上の懲役刑になるよ」
「ありがとう」
「私に質問するのはいいけど、今の内容ってテキストに書いてあるよ」
「あ、そうだった」
クレアはテキストを読むなり「あ、書いてあった」と言って、ノートに記録していった。
「ちなみに迷惑行為を注意した人に対して暴力をふった場合、注意妨害罪として15年以上の懲役になるよ」
「そうなんだね。美鈴、法律詳しいね」
「言っておくけど、これもテキストに書いてあるわよ」
「すみません……」
「別に謝らなくてもいいって」
その時った。部屋のドアをノックする音が聞こえてきたので、ドアを開けたら案の定、目の前にルイーゼたちがいた。
「ヤッホー、ごはん誘いに来たよー」
「ちょっと待って」
「美鈴、何をやっていたの?」
「クレアと一緒に明日の予習をやっていたよ」
「何の予習?」
「法律概論だよ」
「マジ? 明日法律概論ってあったっけ?」
「あるわよ」
私は机の上にある時間割表を持ってきて、ルイーゼに見せた。
「あ、本当だ。2限目にある」
ルイーゼは時間割表を見るなり、納得した顔をしていた。
「ルイーゼが部屋で時間割表やテキストを見たが試しがない」
横からユナが口を挟んできた。
「失礼ね、私だって時間割表くらい見るわよ」
「じゃあ、明日の午後何があるのか言ってごらんなさい」
「明日は、えーっと……」
ルイーゼはその場で考えてしまった。
「ベッドでファッション雑誌を読んでいたツケが回ってきようだね。明日の午後は道徳だ」
「そうだった」
「ちなみに明日の1限目は体育だよ」
「マジ?」
「うん」
「朝から体育って、マジカッタリィ」
ルイーゼはやる気のなさそうな声を出していた。
「じゃあ、ここで話していてもしょうがないし、食事に行こうか」
私がそう言って、みんなを食堂へ連れて行った。食堂の中へ入ると、すでに席が埋まっていて、4人分確保するのが難しかった。どうしよう。そう思って、あたりをキョロキョロしていたら、ちょうど4人分の席が確保できたその時だった。
「ねえ、ここ私たちの指定席なんだけど?」
ガラの悪そうな2人組が私たちにイチャモンつけてきた。
「ここ、私たちが座ろうとしたんだけど……」
「はあ? ここは私たちの指定席なんだからどいてくれる?」
「だって、私たち4人だし、あなたたちは2人じゃん」
「2人だと座ったらいけない決まりでもあるの?」
「そうじゃないけど、混んでいて4人分の席がここしかなかったから……」
「そんなの、適当にバラバラで座っていればいいじゃん。ここ私たちの指定席。わかったなら他へ行ってくれる?」
「指定席って言うけど、さっきまで他の人が座っていたけど……」
「そんなのしらねえよ! それよりさっきから生意気ほざいているけど、何年生?」
「私たち1年生」
「私たち2年生。って言うことはうちらの方が先輩だよな? 後輩は先輩に席を譲る決まりがあるんだよ!」
「そんなルール、聞いていませんでした」
「あたしらが作ったルール。わかったなら早く行った行った」
2年生の2人組は私たちを追い出したあと、4人分の席に座っておしゃべりに夢中になっていた。
「なにあれ、感じ悪い」
「自分たちの権利を主張するなんて最低よね」
「おしゃべりに夢中になっているけど、何しに来たのかしら?」
私たちが追い出された直後、口々に周りから囁かれていた。
「あなたたち、さっきからおしゃべりに夢中になっているけど、何も頼まないのかね?」
今度は厨房からおばちゃんがやってきた。
「ここ、何か頼まないといけないのですか?」
「ここは食事するところであって、おしゃべりする場所じゃないの。おしゃべりしたかったら談話室へ行ってくれる?」
「あんた、名前なんていうの? あと責任者呼んできて」
「おあいにくさま、責任者は私なの。今回のことは寮母さんにきちんと報告させていただきます」
「勝手にチクれば。このおばちゃんがウザたがっているみたいだし、うちら消えるよ。よかったな、席が確保出来て」
2人組はそのままいなくなってしまった。私たちが座って食事を始めても素直に喜べず、重たい空気のままだった。
「あの、さっきのこと寮母さんに話して大丈夫なんですか?」
食器を片付ける時、私は心配になって、おばちゃんに聞き出した。
「どうしてだい?」
「なんていうかその……」
「はっきり言ってちょうだい」
「あとで2人に会った時、仕返しとか来そうで……」
「それなら大丈夫よ。万が一そうなったら私が寮母さんに話しておくから」
「ありがとうございます」
「さっきの2人怖かった?」
「はい……」
「そうだよね。おばちゃんも苦手なの」
「そうなんですね。ごはん、ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」
食堂を出て廊下を歩いている時も、私は終始2人の事が気になって仕方がなかった。どこかで目をつけられているに違いない。そう思いながら歩いていたけど、特に目をつけられることもなく部屋に戻ることが出来た。
「さっきの先輩が来るかもしれないから、一応鍵だけは閉めたほうがいいよ」
不安になった私はルイーゼに鍵を閉めるよう言っておいた。私とクレアも部屋に入るなり鍵を閉めたのはいいが、まだ落ち着かなかった。
「やっぱ怖い?」
クレアは少し心配そうな顔をして、私の顔を覗き込んだ。
「怖いわよ。食堂出ていくときの先輩の顔、見なかった? 明らかに仕返しをする目つきだったよ」
私は震えながらクレアに言った。
「でも、いざとなったら食堂のおばちゃんが、どうにかしてくれるみたいだし……」
クレアも不安そうな顔で私に返事をした。
「だといいんだけど……」
「ここで怯えていても始まらないし、明日の放課後、寮母さんの部屋に行こうよ」
「うん」
翌日の放課後、私たちは宿舎へ戻るなり、寮母さんの部屋に向かうことにした。
「ちょっと緊張するね」
私はドアの前で、ドキドキする胸を触っていた。
「今から緊張してどうするの?」
クレアは緊張している私を落ち着かせるように言ってきた。
「そうよ、今から緊張しても始まらないよ」
ルイーゼも横から口を挟んできた。
「とにかく中へ入ろうか」
ユナの一声で私はドアを数回ノックした。
「どうぞ、入っておいで」
奥から寮母さんの声が聞こえたので中に入ってみた。
「失礼しまーす」
私たちが遠慮がちに中へ入ってみると、見るからに高そうな机やソファ、テーブルなどが並べられていた。
「何の用で来たのかしら?」
低めの声で寮母さんは私たちに声をかけてきた。
「実は寮母さんにご相談があります」
「その相談とは?」
寮母さんは鋭い目つきで私に向けてきた。
「では、単刀直入に申し上げます。昨日の夕方の食堂の件についてご相談があります」
「その件なら、食堂のおばちゃんから話を全部聞かせてもらったよ。あの2人なら本日付で退学並びに退寮処分とさせてもらったよ。下級生をいびらせるなんて言語道断。上級生としての自覚がなさすぎる」
「そうなんですね」
「他に要件は?」
「もう、ありません」
「なら下がってくれる?」
「わかりました、それでは失礼します」
私たちは寮母さんの部屋を出たあと、ルイーゼたちの部屋に集まって話をすることにした。
「昨日の2人を追い出したっていう話って本当だと思う?」
「寮母さんが言っていたんだから間違いないでしょ」
「確かにそうだけど……」
私としてはクレアの言葉に今一つ納得できなかった。
「でも、寮母さんが言っていたんだから間違いないんじゃない?」
今度は横からルイーゼが口を挟んできた。
「寮母さんの言葉、にわかに信じがたい」
今度はユナが口を挟んできた。
「でも、退学と退寮はちょっとやりすぎなんじゃない?」
「美鈴、あの意地悪な2人の先輩に肩を持つわけ?」
クレアが納得しない顔で私の考えに口を挟んできた。
「そうじゃないけど……。ただ、もう少しやり方があるんじゃないかと思ったの」
「例えば?」
「反省文を書かせたりとか……」
「それが普通の学校ならね。美鈴、ここがどういう学校かわかっているよね?」
「うん、看守を育てる学校でしょ?」
「将来、さっきの2人のように意地悪な先輩が看守になったら、収容所がどうなるかわかる?」
「囚人たちが暴動を起こす?」
「それだけじゃない、看守を辞めたがる人までが出てくるよ。そうなったら、収容所としての機能が停止すると思うの」
「確かに……」
私はクレアがもっともらしいことを言ったので、思わず意外そうな顔をしてしまった。
「美鈴、どうしたの?」
「うん、ちょっとね」
「ちょっと何?」
「実はクレアがまともなことを言ったから、ちょっと意外だったの」
「もしかして、私をバカにしているでしょ?」
「そんなことないわよ」
「『クレアにこんなことが思いつくわけがない』って思わなかった?」
「はい、正直そう思いました。謝りますので許してください」
「私だって、それくらいの発想力はあるわよ」
「そうですよね、ごめんなさい……」
「もういいって。私も気にしてないから」
横で見ていたルイーゼとユナは、クスクスと笑っていた。
「ルイーゼ、そんなに面白かった?」
「だって、2人がけんかしているところを見たの初めてだったから」
「そうなんだね。一応見世物じゃないから」
いつの間にか4人の間に重たい空気が流れていた。しばらく長い沈黙が続いていた時、「グー」とお腹を鳴らしたユナが「食事に行こうか」と言ってきた。
「もう、こんな時間?」
私は部屋にある掛け時計を見ながら呟いた
「食堂が混まないうちに行こうよ」
ルイーゼも立ち上がって、私たちに促してきた。
食堂へ入ると、すでに混み始めていた。テーブルを確保したあと、順番に料理を持ってくる形にした。もしかしたら、昨日の2人がいるかもしれないと思って私は警戒しながら、周囲をキョロキョロした。
「美鈴どうしたの?」
気になったクレアが私に声をかけた。
「もしかしたら、昨日の2人がいるかもしれないと思って……」
「いないわよ。だって、寮母さんと校長先生が辞めさせたんだから」
「そうだよね……」
「早く食べようか」
そう言って、クレアは食事を進めた。
翌日の法律概論の授業では、前日私が予習していた内容がそのまま出てきた。黒板には<夜間、広場で宴会などを開き、近隣住民の安眠を妨げた場合、何罪になるか?>と書かれていた。
「はい!」
「では美鈴、答えちょうだい」
「安眠妨害罪です」
「正解。では裁判になった時、懲役何年になるの?」
「15年以上です」
「これも正解」
その時だった。後ろの席で楽しそうな会話が聞こえてきたので、マユラ先生が注意に入ってきた。
「楽しそうに何を話していたの?」
「大したことのない会話です」
「それって、私の授業より大切な内容なの?」
「そんなことはありません」
「では、質問に答えてもらおうかしら」
「えー!」
「『えー!』じゃないでしょ。おしゃべりするほど余裕なんでしょ? じゃあ、答えてもらうわよ。ゴミ箱が設置されていない場所に紙くずなどを置いていった場合、何罪になる?」
「……」
女の子はしばらく考えてしまった。
「どうしたの? おしゃべりするほど余裕なんでしょ?」
「わかりません……」
「じゃあ、誰か代わりに答えてもらおうかな。クレア、答えてちょうだい」
「禁止場所廃棄物不法投棄罪で、10年以上の懲役になります」
「その通りだ。お前、あとで美鈴にお礼を言っておけよ」
「わかりました」
「よし、時間があるから裁判所の話でもしようか」
マユラ先生が時計を見ながら話を持ちかけたら、教室内でブーイングが飛んできた。
「先生、裁判所の話をするなんて聞いていません」
「何を言っているの? あなたたちの将来に関わることでしょ? 遅かれ早かれやるんだから、我慢して付き合ってちょうだい」
みんなのブーイングなどお構いなしにマユラ先生は授業を進めていった。
「この国には裁判所が何種類あるか、わかる人いるか?」
マユラ先生の質問に対して、誰一人答えられなかった。
「本当に誰も答えられないの?」
再び聞いても、誰も反応しなかった。
「誰も予習していないの?」
「……」
「仕方ないわね。じゃあ、説明を始めるからちゃんと聞いてちょうだいね。この国には行政裁判所、青少年裁判所、刑事裁判所、弾劾裁判所、民事裁判所、最高裁判所があるの。あなたたちがこれから扱う囚人たちは刑事裁判で有罪判決を受けた人たちになるんだよ」
「あの、青少年裁判で有罪判決を受けた人たちは?」
私が質問するより先にクレアがマユラ先生に質問してきた。
「彼らは青少年収容所に移送されるの」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「もう一度言うけど、あなたたちが扱う囚人たちは大人だから、そのつもりでいるように」
マユラ先生に言われたあと、私はノートに記録していった。
「刑事裁判から有罪判決を受けて、ここに来るまで早い人で1週間前後」
「では、遅い人はどれくらいですか?」
「遅い人で、10日以上かかるわよ」
「ありがとうございます」
「ごくまれだけど、中には弾劾裁判から移送される人もいるわよ」
「気になりましたけど、弾劾裁判ってどんな人を裁くのですか?」
「現役の裁判官。その場合、この国の王族たちが裁く形になるわよ」
「私、てっきり裁判官が裁くのかと思いました」
「裁判官が裁判官を裁いたらおかしいでしょ? だからこの国の王族たちが裁くの」
「わかりました。ありがとうございます」
「過去に国王様自らが裁いたこともあったわよ」
「その裁判官、どうなりましたか?」
「強盗殺人の犯人グループから金貨100枚受けっとって無罪にしたの。しかし、その一部始終を見ていた人がいて、弾劾裁判につながったの」
「その時の裁判官を裁いた人が国王様だったのですね」
「そうよ」
「判決はどうなったのですか?」
「国王様が下した判決は罷免、すなわちクビよ」
「それだけで済んだのですか?」
「クビって言うのは、裁判官の職を失うだけじゃなくて、資格もはく奪されちゃうの」
「それじゃあ、二度と裁判官の仕事が出来なくなるのですね」
「しかも再試験の内容も半端なく難しいから、簡単になることが出来ないんだよ」
「そうなんですね。もう一つ気になりましたが、無罪になった犯人グループはどうなったのですか?」
「その人たちは、やり直し裁判で死刑が判決されて、その2か月後には執行されたんだよ」
「どんな方法で死刑にするのですか?」
「基本、絞首刑なんだけど、場合によってはギロチンもあるわよ。ま、ギロチンは大量殺人をしたのみだから、普通は絞首刑になるかな」
「そうなんですね」
その時だった。授業終了のチャイムが鳴ってしまった。
「次回は裁判所の仕組みについて話をするから、そのつもりでいるように」
授業が終わってトイレに行こうとした時、クレアが私に声をかけてきた。
「お疲れ、どうしたの?」
「今日の美鈴、いつになくマユラ先生に食いついたね」
「裁判の話、ちょっと気になっていたから……」
「そうなんだ」
「ねえ、裁判所の中って見学出来るのかな?」
「それって、傍聴するってこと?」
「それも参加してみたいけど、実際裁判所の中って、どんなふうになっているか気になったから……」
「あとでマユラ先生に頼んでみる?」
「そうしようか」
その日の放課後、私とクレアは教員室の中に入って、マユラ先生に裁判所見学の話を持ちかけてみた。
「裁判所の中を見学ねえ」
マユラ先生は頬杖をつきながら考え始めた。
「裁判所の仕組みについて話をするなら、実際中を見た方がわかりやすいかなと思ったのです」
「なるほどねえ」
「無理ですか?」
「無理じゃないけどさあ、ああいうのって事前に予約しないとまずいのよね」
「ですよね」
「裁判所には私から話しておきましょうか」
その時だった。近くで聞いていた教頭先生が口を挟んできた。
「教頭先生、よろしいのですか?」
「私の姉が刑事裁判所で所長を勤めていますので、なんとかかけ合ってあげます」
「ありがとうございます。本当にいいのですか?」
「これも授業の一環だと思って行ってきてください」
「ありがとうございます」
「日程が決まったら、のちほど連絡をします」
「よろしくお願いいたします」
マユラ先生がおじぎをしたあと、私とクレアも教頭先生に「ありがとうございます」とお礼を言って教員室をあとにした。
さらに翌日の昼休みのことだった。教頭先生はマユラ先生を呼んで裁判所の見学の件について話してくれた。
「マユラ先生、休憩中のところ申し訳ない」
「いえ、大丈夫です」
「実は裁判所見学の件なんだけど、明日ってどう?」
「ちょっと待ってください」
マユラ先生は手帳を広げて日程を確認した。
「その日は午後なら空いています」
「では、2時ごろ予約しておきますね」
「ありがとうございます。では、私はそろそろ授業がありますので」
その日の帰りのホームルームのことであった。マユラ先生は私たちの前で裁判所見学の日程について話してくれた。
「明日の午後、ここから少し離れた場所にある刑事裁判所に向かいます。実際裁判所がどんな場所か、私が説明するよりも皆さんの目で見てもらいたい。『百聞は一見に如かず』とも言いますので、明日自分の目に焼き付けてください。ただし、裁判所の中は撮影禁止になっているので、カメラの持ち込みは禁止となります」
「先生、質問いいですか?」
その時だった。後ろの席で手を挙げた人がいた。
「なんでしょうか」
「おやつは、いくらまでなら大丈夫ですか? あとバナナはおやつに入りますか?」
「あのね、遠足に行くんじゃないんだから。食べたかったら宿舎に戻ってからにしてちょうだい」
「はーい」
そのとたん、教室では笑い声が広がった。
「言っておくけど、明日の午後は遠足じゃなくて課外授業だから、そのつもりでいるように」
「あの、録音機の持ち込みは大丈夫ですか?」
今度は別の人が質問してきた。
「まあ、録音くらいなら大丈夫かな」
「ありがとうございます」
「では、明日の午後、時間厳守でよろしくお願いします。ちなみに遅刻したら置いていくので、そのつもりでいるように」
「明日は何時にどこで集合ですか?」
「ごめん、明日は1時15分に正面玄関で集合」
「ありがとうございます」
「では、明日の午後よろしく」
マユラ先生はそう言い残して、いなくなってしまった。
宿舎に戻ってベッドで横になっていたら、クレアが突然笑い出した。
「クレアどうしたの?」
「さっきのホームルームで『おやついくらまで?』と聞いてきた時、思わず吹き出しそうになった」
「たしかに笑えたけど、いくら何でも笑いすぎだよ」
「そうだけど。あと『バナナはおやつに入りますか?』と言ってきたとき、『お前は小学生か?』と突っ込みたくなったよ」
「まあ、そうだけど、それ本人の前で言ったらダメだからね」
「わかっているって」
その時だった。隣からルイーゼがドアを開けて入ってくるなり、クレアと同じことを口にしてきた。
「美鈴、聞いてよ。さっきのホームルームのことなんだけどさ……」
「それなら、さっきクレアから聞いたよ。明日の裁判所見学の時、おやつを持参していいかのことでしょ?」
「そうそう。『おやつはいくらまで?』とか『バナナはおやつに入りますか?』という質問、あれは最高にウケたよ」
「もう、その辺にしたら?」
「本当の低レベルな人間は、他人がかいた恥をいつまでも笑っていることだ」
遅れて入ってきたユナがクレアとルイーゼに突っ込みを入れてきた。
「ユナ、お疲れ」
「美鈴もお疲れ」
「みんなって明日録音機持って行く?」
「私、録音機持ってない」
「そっかあ……」
「もし、明日の課外授業の内容が試験に出ることになったら、録音した内容を聞かせてもらっていい?」
「いいよ」
「ありがとう」
「おやつのネタでゲラゲラ笑っている2人はどうなんだ?」
ユナはクレアとルイーゼに目を向けてイヤミをぶつけてきた。
「もう笑わないから、その言い方やめて」
ルイーゼは観念してユナに言ってきた。
「私も笑いすぎました」
クレアもついに観念してしまった。
「それより明日の予習しない?」
「そうしたいけど、お腹空いたから先に食事にしようか」
私が勉強をしようとしたら、ユナが空腹を促して私たちを食堂へ連れて行った。
食堂へ入ってみると、いつもより早かったせいか、空席が目立っていたので、適当にテーブルを確保して料理を運んで食べることにした。
「なんだか、貸し切り状態みたい」
パンを食べながらクレアが一言呟いた。
「本当にそうだね」
ルイーゼも相づちを打っていた。
食事を終えて、食器を片付けて部屋に戻ろうとした時、アリエスたちに会った。
「こんにちは」
「あなた、確か以前平均台の練習の時に一緒だった302号室に住んでいる隣のクラスの……」
「アリエスです」
「お久しぶりですね」
「今からお食事ですか?」
「そうよ。あと、同い年なんだからため口でいいよ」
「うん、わかった」
「もしかして、少し緊張してる?」
「ちょっとだけ」
「私としては、もう少し友達のように接してくれたら嬉しいなあ」
「うん、わかった。そうする」
「もう、食事終わったの?」
「うん、これから部屋に戻るところ。それと明日課外授業で裁判所に行くことになったの」
「どこの?」
「少し離れた刑事裁判所」
「そうなんだ。実はそこで私の伯父が判事をやっているの」
「え、そうなの!? 驚いた。ねえ、撮影禁止って本当なの?」
「裁判所の中って機密情報がたくさんあるから、中でカメラを使うことは禁止になっているの」
「そうなんだね……」
「万が一、それが原因で外に情報が洩れたら新聞で叩かれるかるし、伯父だってクビになるかもしれないから」
「わかった。じゃあ、私たち部屋に戻って明日の準備をするから」
「うん、じゃあね」
次の日の午後だった。私たちのクラスは学校から少し離れた刑事裁判所に向かった。
玄関に着くなり、マユラ先生が受付で簡単な手続きを済ませたあと、警備員による簡単な所持品検査が行なわれた。それが済むと、今度は案内人がやってきて私たちを中へ案内してくれた。最初に入ったのは法廷だった。中に入ってみると広々としていて、証人台、被告人席、裁判員席などが設けられていた。
「せっかく法廷に入ったわけだし、みなさんに法廷の雰囲気を味わってもらおうかな」
案内人が穏やかな表情で私たちに言ってきた。
検察官、被告人、弁護人、被害者、証人、裁判員の役などを決めることにした。
「誰かやってみたい人いるか?」
マユラ先生はみんなに聞いたが、誰も手を挙げる人がいなかったので、指名する形となった。私が検察官、クレアが被告人、ルイーゼが弁護人、ユナが証人、他5人のうち1人は被害者、4人が裁判員、マユラ先生が裁判官、案内人が裁判長をやることになった。被告人が夜の公園で仕事帰りの女性に襲い掛かり、現金を奪い取ったということにより、強盗傷害で逮捕・起訴された設定で行なうことになった。
「被告人前へ」
裁判官役のマユラ先生の一声でクレアは被告人席に立った。
「名前はクレアで間違いありませんね」
「はい」
「裁判長、今回の起訴内容は刑法第206条の1の項目に該当します」
「被告人、何か言うことは?」
裁判長役がクレアに問いかけた。
「私は無罪を主張します。検察の厳しい取り調べで、私は自白を強要させられました」
「私も被告人同様、無罪を主張します。今回の事件は証拠不十分だと思っています」
弁護人役のルイーゼも無罪を主張した。
「証拠でしたら、充分というくらいに揃っています。防犯カメラの映像、被害者の財布からは被告人の指紋が検出されています」
私はそう言って、映像を流すジェスチャーや、証拠を取り出すジェスチャーをやった。
「なるほど、確かにこの映像では被告人が犯行を行なっているように見えますね。では、こちらをご覧になってください。こちらは、被告人と同じ髪型と色をしたヘアウィッグです。被告人と同じ背丈をした人がこちらのウィッグを被って犯行に及んだ可能性が十分に高いと思われます。それに被告人の足のサイズは23.5cmです。しかし、現場で見つかった足跡のサイズは25cm近くありました。よって被告人の犯行は潔白になります。それに犯行当時、現場は街灯のない暗い場所だったため、顔まで確認が出来なかったはずです。よって真犯人が存在していると思われます」
ルイーゼの長い主張が終わったあと、被害者の証言が始まった。
「〇〇さん、あなたがお会いした人は、どれくらいの年齢かお分かりですか?」
私の質問に被害者役の人は一瞬考えてしまった。
「確か、10代後半だったような気がします……」
「わかりました、ありがとうございます。それではどんな顔だったか覚えていますか?」
「暗くて確認できませんでしたが……、人相の悪そうな女性だったような気がします……」
「ありがとうございます。もう一つお伺いしたいのですが、あなたは被告人にどのような感じで襲われましたか?」
「たしか、木の棒のようなもので正面から頭を数か所殴られました」
「ありがとうございます」
「私からもよろしいでしょうか」
今度はルイーゼが立ち上がって、被害者に質問し始めた。
「あなたは犯行当時、被告人が着用されていた服装がどんなものか覚えていますか?」
「確か……、黄色い襟のない半袖に下は緑色っぽいロングパンツ、あと茶色い靴を履いていました」
「あなたが実際見ていた服はこちらではありませんか? 明らかに色が違っていますよね? それに保安官が被告人の家を家宅捜索した時点では、映像と同じ色の服が見つかっていなかった報告も入っています。犯行当時、被告人は友人の家で寝どまりをされていたことも確認されております」
「では、証人はいらっしゃるのですか?」
「はい」
ルイーゼは証人役のユナを証人台へ立たせて聞き出した。
「証人にお伺いしますが、被告人とはどんなことをされてお時間を過ごしていましたか?」
「その日、夜遅かったので、私の部屋で紅茶とお菓子でおしゃべりに夢中になっていました」
「ありがとうございます。これで被告人の無実が明らかになりました」
「では、判決を言い渡します。主文、被告人を無罪とし、閉廷といたす」
裁判長役の一声で裁判は終わってしまった。
「お疲れ。これで法廷の仕組みがわかったでしょ?」
マユラ先生の一声でみんなは解放された気分になっていた。
「先生、今日のところ試験に出すのですか?」
「どうしようかな」
私が質問したら、マユラ先生は少し意地悪そうに返事をした。
「何人かが傍聴席で気持ちよさそうに居眠りをしていたから、やっぱ試験に出そうっと」
マユラ先生は意地悪そうに言って、案内人のあとをついて行ったので、私たちも後に続くようにマユラ先生と案内人のあとをついて行った。
「ここは資料室。申し訳ないが、ここは許可された人間しか入れないから、中に入るのは勘弁してくれ」
その次に案内されたのは検察官と弁護人の控室、ここで資料の最終チェックを行なうことが出来るみたい。
そして、最後に向かったのは被告人が被害者やその家族と対面する部屋だった。被告人が抵抗できないようにアクリル板で仕切られていた。
裁判所を出て、案内人にお礼を言ったあと、私たちがそのまま宿舎へ戻ろうとしたその時だった。
「あ、そうそう。明日の法律概論の時間に今日の感想文を書いてもらうから」
「えー!」
その瞬間、みんなのブーイングが飛んできた。
「ちゃんと見ていれば、すぐに書けるはずよ」
「先生、そんな話聞いていません」
1人の女の子がマユラ先生に不満をぶつけてきた。
「何言っているの? あなたたち卒業したら収容所の看守になるんでしょ? それくらい書けなきゃどうするの? ちなみ書けなかった人は放課後残って書いてもらうから」
「先生、原稿用紙何枚ですか?」
「そうねえ、最低でも2枚。足りなかったらそれ以上でもいいわよ」
「原稿用紙が2枚以下になったら、やはり居残りになるのですか?」
「たぶんそうなるわね。もう小学生じゃないんだし、それくらい書けて当然よ。じゃあ、今日はここで終わり。気を付けて帰るんだよ」
マユラ先生に言われて、みんなは不満をこぼしながら宿舎へ戻って行った。
「ねえ、今日の裁判所の見学を提案したのって誰?」
「さあ? どうせ先生じゃないの?」
「明日の法律概論、みんなでバックレしない?」
「それもいいけど、それで進級や卒業が出来なかったらシャレじゃ済まされないわよ」
「何1人で優等生になっているのよ。遠足じゃあるまいし、裁判所の感想文なんて何も思付かないわよ」
「不満をこぼしても始まらないから、適当に書いて提出してもいいんじゃない?」
「そうだね」
他の人が不満をこぼしているころ、私たちは宿舎の部屋に戻って明日の感想文のことについて考えていた。
「いざ書こうとしても、なかなか思いつかないわね」
クレアが鉛筆を鼻に載せて呟いていた。
「法廷で体験したことを書いてもいいんじゃない?」
「そうだね」
私の意見にクレアが相づちをうったその時だった。部屋のドアをノックする音が聞こえたので、開けてみたら案の定ルイーゼたちがやってきた。
「ヤッホー、感想文何にするか決めた?」
ルイーゼは部屋の中に入るなり、私の机を覗き込みながら聞いてきた。
「一応、法廷での体験を書いてみようかなって思った」
「やっぱ?」
「うん」
「それしか思いつかないよね。他のことを書こうと思ってもなかなか思いつかないよね」
「私、資料室の中が気になっていた」
「美鈴も?」
「うん」
「実は私もなの。かなりたくさんありそうだったよね」
「どんな内容か気になった」
「おそらく法廷での記録なんじゃないの?」
今まで黙っていたユナがボソッと口を挟んできた。
「ユナ、知っているの?」
ルイーゼが少し驚いた表情で聞き出した。
「だって、裁判所にある資料と言えば、ほとんどが法廷で争った記録ばかりだと思うんだよ」
「なるほどね」
「他にどんな資料があると思った?」
「例えば、犯罪の記録とか」
「そう言うのは保安所で管理されているはずだと思うよ」
ルイーゼの言ったことにユナは淡々とした口調で返事をしていた。
「そういえば、アリエスが言っていた外に漏れたらヤバイものって、資料室のことなんじゃないの?」
今度はクレアが横から口を挟んできた。
「たぶんそうじゃない? あと法廷での出来事とか。こういうのって完全にプライバシーになるじゃん」
「確かに言えてる」
ユナの言葉にクレアは相づちをうちながら納得していた。
「とにかく明日の法律概論で法廷での体験を書こうか。こういうのってなかなか出来ない体験だし」
「そうだよね」
私の言葉にクレアは相づちを打ちながら返事をしていた。
「じゃあ、食事に行こうか」
ルイーゼの一言で私たちは食堂へ向かうことにした。
そして、運命の法律概論の時間がやってきた。予告通りマユラ先生は原稿用紙を持って教壇に立って不気味な笑みを見せて私たちを見ていた。
「さあ、待ちに待った感想文の時間ですよ」
「先生、この時間って法律概論であって、感想文を書く時間ではありませんよね?」
その時、後ろの席で誰かが意見をしてきた。
「一応法律概論の中の感想文って感じよ。裁判所の見学だって立派な法律概論の授業でしょ? だからそれに対しての感想文を書いてもらうのよ。ちゃんと中を見ていたり、説明を聞いていたら、すんなり書けるはずでしょ」
「この感想文は先生も書くのですか?」
「もちろん書くわよ。あなたたちに書かせて私だけ書かないっていうわけにはいかないでしょ?」
「書けなかったら、放課後居残りって本当ですか?」
「本当に決まっているじゃん。お仕事だって終わらなきゃ家に帰れないでしょ? それと一緒よ」
「宿舎に持ち帰ったらダメですか?」
「これが感想文の原稿用紙じゃなくて、お仕事の書類や資料だったらどうなる?」
「わかりません……」
「情報漏えいになるわよ。収容所全体に大きな損害を与えることになって、一生棒に振った人生になるわよ」
「それは嫌です」
「なら、時間内にきちんと言われたことをこなしてちょうだい。前にも話したと思うけど、あなたたちはここを卒業したら収容所の看守になる。囚人たちを管理するのもそうだけど、それと同時に事務作業も発生するから、そのつもりでいるように。だから今日の感想文も原稿用紙ではなく、重要書類だと思って扱ってほしい。では、今から書いてもらう。始め!」
マユラ先生の一言でみんなはいっせいに書き始めた。スラスラと書く人、鉛筆を止めて考えている人など様々であった。私も法廷で体験したことをそのまま書き始めた。「検察官」を体験したのは言うまでもなく始めて。被害者の立場になって法廷で争うことの大切さをそのまま書き綴っていった。
「そろそろ時間だけど、書き終えた人はいるか?」
マユラ先生の問いかけに誰も反応しなかった。
「先生、書き終えました」
私が書き終えて提出したとたん、クレア、ルイーゼ、ユナも次々と提出していった。
「先生、原稿用紙、もう一枚いいですか?」
「そんなに書くことがあったのか」
マユラ先生はそう言いながら、書き足りない人に一枚渡して、みんなが書いている光景を眺めていた。
「では、そろそろ時間だ。まだの人は申し訳ないけど、放課後残って書いて私に提出してもらう。間違っても次の授業の時間に書かないこと」
マユラ先生は念を押すように言い残していなくなってしまった。
「放課後残って感想文を書くってマジカッタリィよね」
「どうする? バックレる?」
「それをやったら、やばくない?」
「みんなが帰ったあと、教室で書くのってマジカッタリィんだけど」
「でもバックレると、落第になるよ」
「わかったよ。放課後残ろう」
数人の人たちが廊下で不満をこぼしているころ、私たちは次の授業の準備をしていた。
放課後になって、私たちが宿舎に戻ろうとした時、居残り組が一瞬私に鋭い視線を向けたような気がした。気のせいだろうと思って、私はみんなと一緒に宿舎へ戻る前に食堂で甘いものを食べることにした。
「さっき教室で誰かが私に視線を向けてきたけど、気のせいかな」
「どうしたの? 何かあったの?」
私がメロンのババロアを食べながら一言呟いていたら、クレアが心配そうな顔をして私に聞いてきた。
「教室を出ようとした瞬間、後ろの席で私に鋭い目つきをしてきたの」
「そんなの気にしない方がいいって。一回一回気にしていたらキリがないと思うよ」
「そうだよね」
「誰かに恨まれるような事をした?」
今度はルイーゼが心配そうな顔をして私に声をかけてきた。
「それが心当たりがないの」
「だったら気にすることってないって。さ、早く食べて宿舎に戻ろう」
ルイーゼに言われるまま、私は残りのババロアを全部食べて、みんなと一緒に宿舎へ戻ることにした。
部屋に戻って、部屋着姿でベッドで横になっている間も、教室で向けられた視線が気になって仕方がなかった。
「もしかして私が裁判所の見学のことを先生に持ち掛けたから、それで恨んでいたのかな」
「なんで?」
クレアが私の言葉に疑問を感じていた。
「裁判所の見学がなければ感想文も発生しないで済んだから……」
「気にしすぎ。それにこの程度の感想文も書けなかったら、看守の仕事なんて務まらないわよ」
「確かにそうだよね」
「それに美鈴を恨んでいる人が廊下ですれ違っても、そのまま無視をしていればいいと思うから。被害妄想も甚だしいよ」
「そうだよね」
「やっぱ気になる?」
「もう大丈夫」
「本当に?」
「うん」
「無理してない?」
「そんなことないよ」
「もし、あれだったら早めの食事にする?」
「うん……」
クレアの優しい気遣いで、いつもより早めに食堂へ行くことにした。
「ねえ、ルイーゼたちも誘う?」
私は隣の部屋に行ってルイーゼたちに声をかけることにした。
「あれ、美鈴どうしたの?」
「今日早めに食堂へ行こうと思っているんだけど……」
「ユナ、どうする?」
ルイーゼはベッドで横になっているユナに確認を取った。
「私は別にいいよ」
「じゃあ、行こうか」
食堂へ行ってみると、いつもより空席が目立っていたので、適当に場所を選んで座ることにした。
「早く食べちゃおうか」
「そうだね」
私の言葉にクレアが相づちを打ったあと、順番で料理を持ってきて食べることにした。食べ始めてから5分、教室で私を睨み付けてきた人がやってきた。
「ここ、私の指定席だからどいてくれる?」
「席なら他にも空いているじゃん。何で私たちが座っている場所に来るの?」
「さっきも言ったように、ここは私の指定席なの」
「いつからあなたの指定席になったの?」
「ずっと前から」
「でも、そんなのどこにも書いてないわよ」
「書いていなくても、ここは私の指定席。だから早くどいてちょうだい。でないと、私の仲間を呼んでひどい目に合すわよ」
「仲間を呼んで何をするの?」
「それはあとで考えるわよ」
「ねえ、こんなことをして恥ずかしくない?」
私と彼女がやり合っていたら、今まで黙っていたルイーゼが口を挟んできた。
「あんた誰?」
「誰だっていいじゃん。ここに座りたいなら『ここに座りたいから譲ってください』と言えばいいじゃん。本当に情けないんだから」
「ウゼーんだよ!」
「そういうことを言っている時点で低レベルなのよ。じゃあ、私らは他のテーブルで食べるから、あんたはここでゆっくり食べてちょうだい」
ルイーゼが私たちを他のテーブルに行かせようとした瞬間だった。
「何の騒ぎです?」
食堂に寮母さんがやってきた。
「寮母さん、なんでここに?」
私は少し驚いた表情で尋ねた。
「食堂でもめ事があったと通報があったので来ました。もめ事の当事者はあなたたちですか?」
寮母さんは私たちと彼女に睨み付けながら聞き出した。
「はい、そうです……」
「お名前と部屋の番号を教えてくれる?」
「私は310号室の鬼頭美鈴です」
「同じく310号室のクレアです」
「私は309号室のルイーゼです」
「同じく309号室のユナです」
「あなたは?」
寮母さんは再び彼女に睨みつけて確認した。
「私は206号室のユフィです」
「あなたたち5人は、食事が済んだら私の部屋に来るように」
食事を済ませた私たち5人は寮母さんの部屋に向かうことにした。
「では、事情を伺おうかしら」
「私たちが4人席で食事をしていたら、ユフィさんが突然やってきて『私の指定席だからどいてちょうだい』と言ってきたのです」
「その一言が原因で、もめ事につながったわけなんだね」
「はい、そうです」
「ユフィさん、美鈴さんが言ったことに対して間違いありませんか?」
「私はそのようなことは言っていません……」
「しかし、今あなたからそのように言われたと話していましたよ」
「それは、彼女がでたらめを言ったのです……」
「間違いないですか?」
「はい……」
「ちゃんと私に目を向けて話してちょうだい」
ユフィが目をそらして返事をした瞬間、寮母さんの目つきも鋭くなっていた。
「実は彼女たちのおっしゃっていた通りです」
「なぜ、このような態度を取られたのですか?」
寮母さんの質問に対し、ユフィはすべて話すことにした。
「なるほどね、そもそもの原因は美鈴さんが担任のマユラ先生に裁判所の見学を持ち掛けたから、自分の苦手な感想文を書く羽目になったと言いたいのですね?」
「はい、そのせいで今日居残りで書かされました」
「早い話、あなたの逆恨みってことじゃないですか?」
「……」
「どうなんですか? 黙っていないでおっしゃってちょうだい」
再び寮母さんの雷が飛んできた。
「寮母さんのおっしゃる通りです……」
「ユフィさん、今回の件はマユラ先生を通して謹慎処分といたします」
「わかりました……。それでは失礼します」
ユフィはそのまま自分の部屋へ戻ってしまった。
「あなたたちもトバッチリを受けたとはいえ、もめ事に関与したことには変わりありません。よって、あなたたちも今日から1週間謹慎といたします」
「わかりました……」
さらに翌日、私たちはマユラ先生の所へ行って課題を受け取ったあと、宿舎へ戻ることにした。本当にいい迷惑だ。私はそう呟きながら部屋で課題を進めることにした。
そして話は1年後に飛ぶことになる。
6話へ進む