4、最初の授業はマナーレッスンと道徳
オリエンテーションが終わった翌日のことだった。みんなの緊張も少しずつほぐれてきて、教室の中では私語が目立ってきたり、中にはギリギリ登校して先生に注意される人もいた。ここの学校や収容所では宿舎の部屋ごとの連帯責任となってしまうので、1人が間に合っても1人が遅刻となれば、一緒に罰を受けなければならない仕組みとなっている。ちなみに宿舎の消灯時間も早いので、うっかりパジャマパーティなどで夜更かしをすると、見回りを担当している先輩に見られてその場で叱られてしまい、場合によっては寮母さんに報告が入ってしまうのである。
担任のマユラ先生が入るなり、ホームルームが始まった。前回も話したように、自分の席に学生証を載せた時点で出欠をとり終えた形となるので、うっかり載せ忘れると遅刻や欠席扱いとなってしまう。
ちなみに、もう一つこの学校の校舎は男女別々になっているため、授業カリキュラムが異なっている箇所もある。今日これから始まる特別授業がそれに当たる。
ホームルームで一日の流れを説明したあと、それと入れ替わるように、別の講師が教室に入ってきた。銀色のストレートヘアのきれいな女性で、彼女が特別授業を担当することになった。
「今日から特別授業を担当することになったジェシカです。皆さんにはこれから『女性らしさ』を身に着けてもらうために、様々なことを学んでもらいます。例えばお茶会やお食事の時のテーブルマナー、きちんとした歩き方、挨拶の仕方などを学んでいただきます。当然、ちょっとでも下品な所を見せた場合、厳しい言葉が飛んできますので注意してください」
「ジェシカ先生、質問いいですか?」
後ろの席の生徒が手を挙げてきた。
「なんですか?」
「いきなり生意気を申し上げますが、私たち看守になるのに、なんでマナーレッスンを受ける必要があるのですか?」
その時だった。ジェシカ先生の手提げカバンからムチが出てきたので、それを見たとたん、みんなはビクっとしてしまった。
「何を怖がっているの? あなたたち、これからこのムチを使って囚人たちをしつけるんでしょ?」
「はい……」
「最初からこんなムチを使っていたら、女性らしさを失ってしまうでしょ? だからこそ、そうならないようにマナーレッスンを受けてもらうのです」
「そうなんですね。分かりました」
彼女は納得して話の続きを聞くことにした。
「では、続きをいいかしら」
ジェシカ先生はみんなに確認をとったあと、再び話を続ける態勢に入った。
「最初の授業は挨拶のレッスンから行きたいと思います……」
ジェシカ先生が言い終わらないうちから、教室の中でざわつきが始まった。
「はい、みんな静かに。挨拶って普段やっているから、『今さら覚える必要がない』と思っている人がいるはずなので、改めて説明したいと思います」
しかし、そう言っても静かになる気配がなかったので、ジェシカ先生はムチを取り出して机や床を叩いて威嚇した。
「ちなみに私の授業中に騒いでいたり、違うことをされていた場合にはムチが飛んできますので気を付けるように。それと授業中に居眠りをされた場合には、問答無用で欠席扱いとさせて頂きます」
「先生、質問いいですか?」
再び質問が飛んできた。
「なんでしょうか」
「先生の授業ではしゃべり方まで上品にしないといけないのですか?」
「その辺は自分たちの判断に任せます」
「分かりました、ありがとうございます」
「他に質問はありませんか?」
「先生に質問があります。宿題やテストってあるのですか?」
今度は別の人が手を挙げて質問した。
「宿題やテストを出してほしいの?」
「いえ、結構です」
「なら、そんな質問をしなくていい」
「分かりました」
初日にしては厳しすぎる。私の中で少しずつ違和感が芽生え始めてきた。
さらに手提げカバンから、人数分のプリントを用意して配り始めた。
「今、配った紙にはこれから行なう授業についての内容が書かれている」
「先生、質問いいですか?」
「何?」
またしても質問が飛んできた。
「音楽鑑賞って書いてあるのですが、何の音楽を聞くのですか?」
「クラシック音楽だ。言っておくがアイドルやロック、フォークソングではない。そう言うのを聞きたかったら、自分たちだけで聞いてほしい」
「それって、ただ聞けばいいのですか?」
「音楽を聞いたあとに感想文を書いてもらおうと思っている」
「ええ!」
その時、教室内でブーイングが広がったので、ジェシカ先生は再びムチで床を叩いて威嚇した。
「何か不満があるなら手を挙げて正直に言ってほしい」
「私たち義務教育を終えたので、こんなことやる必要ないと思います」
「なぜそう思った?」
「感想文って普通小学生が書くものではないですか?」
「だから、その理由を聞いているんだけど」
「ですからその……」
彼女はついに何も答えられなくなった。
「要するにクラシック音楽は退屈だから、居眠りをしていればそれでいいと思っていなかった?」
「現にクラシックって退屈だから……」
「そうか、君たちにはクラシックの魅力がわからないか……。君たちを脅すつもりはないけど、感想文を提出しない人は欠席にするからそのつもりでいるように。それと誰かさんじゃないけど、もう義務教育じゃないんだから『よかった』とか『楽しかった』、『いい曲だった』と一言で終わらせる感想も未提出とみなして欠席扱いにするから気を付けるように」
「ええ!」
再びブーイングが発生した。
「先生、感想文ってちゃんと書かないと欠席になるのですか?」
さらに別の人が質問してきた。
「当たり前でしょ? ただの鑑賞会なら居眠りしていようと、いい加減に聞いていようと、あなたたちの自由でいいけど、これはあくまでも『授業』なんだから、ちゃんと聞いて感想文を書いてもらわないと困るわよ」
「……」
「どうした? さっきまでの威勢は? ここを卒業したら看守になるんでしょ? まさかと思うが、お花屋さんになるんじゃないでしょうね?」
「そんなことはありません……」
「なら、私の授業にちゃんと受けてほしい。今日は初日だからこの辺で終わりにするけど、明日以降は厳しくやっていくから、そのつもりでいるように」
ジェシカ先生は、そう言い残していなくなってしまった。
その日、最後の授業が終わって、私たちは売店でお菓子を買って宿舎の部屋へ戻ることにした。
「お話を聞くだけだったのに、なんでこんなに疲れたのかしら」
私はベッドで横になって、ぼやいてしまった。
「特別授業って、なんかめんどくさそう」
クレアも一緒になってぼやき始めた。
「音楽を鑑賞したあと、感想文ってなんだか面倒だよね」
「アイドルならまだしも、クラシック音楽って一番眠くなりそう」
「明日がおっくうになってきた」
「そうね。私、夕食まで寝る」
「ちょっと待って、予習やらなくていいの?」
「予習? そんなのパスに決まっているじゃん」
「明日は特別授業の他に道徳や時事教養があるんだよ。マユラ先生、かなり厳しいから答えられないと、罰を与えると思うよ」
「あ、そうだった」
クレアはそう言って、机に向かって資料広げて私と一緒に勉強し始めた。最初は道徳のテキストから広げ始めた。ページを広げてみると、ゴミのポイ捨ての話が書かれていて、読んでみると<AさんとBさんはいつもゴミを散らかして、街の人たちに迷惑をかけていた。しかしAさんは「どうせ誰かが俺の代わりにゴミを片付けてくれるから関係ないよ」と言い、Bさんも「そうだよな」と相づちを打っていた。中略 ある日、私服の保安官が街の人間のふりをして、「ゴミを散らかさないでくれる?」と一言声をかけた。しかし、注意を受けたAさんとBさんは私服の保安官に「じゃあ、あんたにあげるよ」と言って去ってしまった。次の日、再びAさんとBさんを見かけた私服の保安官は、きつめな言い方で注意に入ってきた。するとAさんとBさんは顔を真っ赤にして蹴る殴るなどのを暴行を加え、手錠をかけられてしまった。私服の保安官と街の人、AさんとBさんの気持ちになって考えてみましょう>と書かれていた。
「これって、小学校の道徳と変わらないよね」
私はテキストを読んだあと、苦笑いをしながら思わず呟いてしまった。
「この流れから行くと、感想文を書かされそうな気がしない?」
「確かに……。マナーレッスンもそうだけど、ここって感想文が多くない?」
私は、ここのやり方に違和感を感じるようになった。
「でも、そうとは決まったわけじゃないから」
「そうだよね」
そのあと、時事教養の内容も予習し始めた。時事教養の中身の半分以上は義務教育の復習ばかりだったので比較的楽だった。しかし、中には新聞記事の内容もあったもあったので、難しいことには変わりはなかった。
「ねえ、予習はこの辺にして、そろそろ食事にしない?」
クレアが椅子から立ち上がるなり、私を食事に誘ってきた。
「いくらなんでも食事は早すぎない?」
私は時計を見ながら呟いた。
「でも、もうじき6時になるよ」
「じゃあ、行こうか」
食堂へ行こうとした時だった。
「あれ、美鈴とクレアじゃない?」
後ろからルイーゼの声がした。
「ルイーゼとユナもこれから食事?」
「そうだよ」
ルイーゼは淡々とした感じで返事をした。
「明日って特別授業があるじゃん? 何をするんだっけ?」
横にいたユナが質問してきた。
「挨拶の練習よ」
「あ、そうだった」
私が教えたら、うっかりしたような顔をして返事をした。
「挨拶って、もしかして『ごきげんよう』って言うの?」
「さあ……」
ルイーゼの質問にクレアは淡々とした口調で返事をした。
食堂へ着くなり、私たちはテーブルを確保して順番に料理を運んできた。
「美鈴は和食にしたんだね」
クレアは珍しそうな顔をして私が運んできた料理を見ていた。
「クレア、和食って初めて?」
「うん。見るの初めて」
「じゃあ、箸を使ったことがないの?」
「箸? この二本の棒のこと?」
「そうだよ」
「これで食事をするの? ナイフとかフォークは使わないの?」
「これだけで、どんな食事でも出来ちゃうんだよ」
「そうなんだ。ちょっと見せて」
クレアはそう言って、私の箸を眺めていた。
「ねえ、この箸という道具を使うところ見せてくれる?」
クレアに言われて、ご飯やみそ汁、おかずを食べたら興味深そうに眺めていた。
「私も箸を使ったところ初めて見たけど、かなり便利そう」
ルイーゼも横から口を挟んできた。
「ルイーゼも箸を使うところ見るの初めて?」
「うん。産まれてからずっとナイフとフォークとスプーンだけだったから」
「そうなんだね」
「明日の朝、みんなで箸という道具を使ってみない?」
ルイーゼがみんなに提案をしてみた。
「朝だと忙しいし、遅刻したらヤバいから夜にしない?」
クレアが横から口を挟んで反対してきた。
「たしかに朝より夜の方がいいよね」
ユナもクレアの意見に賛成した。
翌日の1限目、恐怖の特別授業が始まった。
銀色のストレートヘアをなびかせたジェシカ先生が教壇に立って授業を始めた。
「今日は予告通り、挨拶のレッスンを始める。友達同士でやる挨拶とは違って、目上の人と接する時の挨拶を行なう」
みんなは緊張しながらジェシカ先生の話をずっと聞いていた。
「私がどうこう説明するよりも、誰かにやってもらおうか」
ジェシカ先生はそう言って、誰を指名するか迷っていた。
「では、クレアさんとルイーゼさんにやって頂きましょうか」
「初めまして、私クレアと申します。よろしくお願いいたします」
「どちらのクレアさんですか?」
ジェシカ先生が横から突っ込みを入れてきた。
「どちらと言いますと?」
クレアは困った表情で聞き返した。
「学校とか、宿舎の部屋の番号とかあるでしょう」
ジェシカ先生はじれったそうにクレアに言ってきた。
「看守養成学校、1年A組クレアです。宿舎の部屋番号は310号室です」
「看守養成学校、1年A組ルイーゼです。宿舎の部屋番号は309号室です」
「うーん、まだ固いわね」
ジェシカ先生は首をかしげながら、クレアとルイーゼの挨拶を見ていた。
「固いと言いますと?」
納得のいかないクレアはジェシカ先生に聞き出した。
「あなた、まだ気がつかないの?」
「と、言いますと?」
クレアはいまだに納得していなかった。
「あなた、表情が固いの。こんな表情で挨拶したら誰も近寄って来ないわよ」
「……」
ジェシカ先生の厳しい指摘にクレアは何も言い返せなくなってしまった。
「では、私が一つ手本を見せるわね」
「皆さん、私が特別授業を担当しています、ジェシカと申します。これからどうかよろしくお願いいたします」
ジェシカ先生が教壇に立って、笑顔で挨拶をしたとたん、みんなは感心した表情で見ていた。
「挨拶とはこういう感じにするもの。緊張しているとはいえ、初対面の人の前で固い表情で挨拶をしたら、悪い印象を与えしまう。初対面の人の前では『緊張していた』という理由は通用しないと思ってほしい」
みんなが「わかりました」と返事をした直後、ジェシカ先生は今度は違う人を指名し、練習をさせた。
授業終了のチャイムが鳴って、私は次の授業の準備をしてトイレを済ませてきた。
その後も法律概論、道徳、時事教養と進んで、午前中の授業が終わった。
昼休みになって、みんなで食堂に行って食事を済ませて、教室で午後の準備をしていた時だった。
「明日もあの挨拶をするの?」
クレアが憂鬱そうに私に話しかけてきた。
「たぶんね。あの挨拶、私も苦手」
「でしょ? 社交パーティに出るわけじゃないんだから、こんな挨拶必要ないと思わない?」
「確かに、それは言えてる」
私はクレアの意見に賛成した。
「ちなみに明日は歩き方の練習をするみたい」
「なんだか疲れた」
私がため息交じりで返事をしていたら、ルイーゼが教室に入ってきて声をかけてきた。
「さっき他のクラスの人から聞いてきたんだけど、歩き方の練習って平均台を使うみたいだよ」
「マジ!?」
それを聞いた私は思わず絶句した。
「明日の特別授業、体育館でやるみたい。あとジャージも必要かもしれないって」
「明日休もうかな」
クレアはそれを聞いて、完全にやる気をなくしていた。
宿舎に戻って私はクローゼットから体育館履とジャージを取り出してバッグに詰めていたら、クレアはベッドで雑誌に夢中。
「クレアもジャージと体育館履きを詰めたほうがいいわよ」
「私はあとでやっておくよ」
「そんなことを言って、明日になって『忘れた!』という騒ぎだけはしないでね」
「大丈夫よ」
案の定、夕食や入浴を終えてもクレアはジャージと体育館履きを入れる気配がなかった。仕方がないので、私はクレアのバッグの中にジャージと体育館履きを入れて寝ることにした。
翌日、教室の黒板には<今日の特別授業は体育館にて行ないます。各自ジャージに着替えて集まるように>と書かれていた。
更衣室で着替えたあと、体育館に行ってみれば平均台が一つ置いてあった。
「今日は優雅な歩き方をするためのレッスンを行なう。そのためには姿勢を正し、まっすぐ歩くこと。では、私が手本を見せるから、ちゃんと見るように」
ジェシカ先生はそう言って、平均台に上がってまっすぐ歩き始めた。それを見たとたん、みんなは大きく拍手をした。
「では、順番にやってもらおうかしら」
みんなが次々とやっていく中、私の順番がやってきた。平均台から見下ろすと、それなりに高い。ゆっくり両手を広げて歩いたらダメ出しがきた。
「美鈴さん、体操の時間じゃないんだから両手を広げない」
「すみません!」
体のバランスを保ちながら歩くのは非常に難しかったが、何とか歩くことが出来た。その後、何度か失敗と成功を繰り返していくうちに授業終了のチャイムが鳴ってしまった。
「では、この続きは明日行なう。出来なかった人は放課後、体育館を解放するから練習しておくように」
放課後になって、私たちが体育館で練習しようとしたその時だった。考えることはみんな同じらしく、ジャージ姿で練習している人が多かった。
「人が多いね。どうする?」
クレアは私に声をかけてきた。
「どうするって言われても……」
「ちょっと待って」
私がどうするか考えていたら、クレアが先に来て練習している人と交渉して、一緒に練習させてもらうよう、お願いをした。
「あなたたちも練習しに来たの?」
先に来たグループの1人が私に声をかけてきた。
「うん、そうだよ」
「そう言えばあなたの名前は?」
「私は鬼頭美鈴。あなたは?」
「私はアリエス。B組で、302号室の宿舎に住んでいるよ」
「そうなんだね。私はA組で、310号室に住んでいる。よかったら今度遊びに来てよ」
「わかったわ」
「ねえ、ここにいる人ってみんな平均台の練習が目的なの?」
「そうよ」
「私、平均台って苦手」
「え、苦手なの? ちょっと聞いたんだけど、ジェシカ先生、平均台のテストをするようなことを言っていたわよ」
「本当に!?」
「ええ」
「私、自信なくした」
「今からそれを言ってどうするの? ちゃんと頑張ろうよ」
アリエスに言われて平均台を歩くことにしたが、途中で落ちてしまい、最初からやり直して歩くことにした。
「美鈴さん、まっすぐ歩くことを意識して。それと、背中が曲がっているから、ちゃんとまっすぐにして」
アリエスに指摘され、私はまっすぐ歩くことを意識してみた。しかし、またしても途中でバランスを崩して落下。
「美鈴さん、まだ背中が曲がっているわよ」
頭で分かっていても、なかなかうまくいかない。ついに限界が来てしまい、私は壁にもたれて休むことにした。
「疲れた?」
アリエスは顔をにこやかにして、私の隣に座ってきた。
「なかなか、うまくいかない」
「美鈴さんは、体に力入れすぎ。上手に歩こうとしなくてもいいから、まっすぐ歩ければいいのよ」
「分かっているんだけど、なかなかうまく行かなくて……」
「もっと力を抜いてみたら?」
「うん……」
「じゃあ、今日は遅いし、続きは明日にしようか」
「そうだね。ところで、こんなのが看守のお仕事と関係あるの?」
「さあ。ジェシカ先生は『女性らしさを身に着けさせるため』とは言っていたわよ」
「そうなんだね」
そのあとは会話が続かず、お互い無言のまま宿舎へと戻って行った。
さらに翌日の放課後、またしても体育館で平均台の練習が始まった。その日も私とクレアはアリエスと一緒に練習をしていた。しかし、横にいたクレアは感心したように、アリエスの平均台の歩きを見ていた。
「アリエスって、ここに来る前、何かやっていた?」
クレアは尊敬の眼差しで聞き出した。
「幼少期に少しだけ新体操をやっていた」
「だから上手に歩けるんだね。新体操をやっていたって言うけど、体も柔らかいの?」
「まあね」
アリエスはそう言って、体を曲げ始めた。
「すごーい!」
「じゃあ、ちょっとだけ演技をしてみるね」
アリエスは平均台に上がって、宙返りをやってみせた。
「私もあんなふうに体を動かしてみたい」
私も思わず本音が出てしまった。
「できるわよ」
「本当に?」
「ええ。じゃあ、歩いてごらん。私の言葉を覚えていれば、うまくいけるはずよ」
私はアリエスに言われるまま平均台の上に立って歩くことにした。背筋をまっすぐにして、ゆっくり歩き始めた。するとそのままバランスを崩すことなくまっすぐに歩くことができた。
「やったじゃん!」
成功した私へのアリエスの一言だった。
「ありがとう」
「もっと練習すれば、スムーズに行けるはずよ」
アリエスに言われたあと、私はその後も何度も練習を続けた。その結果、平均台の上をスムーズに歩けるようになった。
「やったじゃん。これならテストでバッチリよ」
「ありがとう」
アリエスに褒められた私は少し照れてしまった。
「ねえ、私は?」
その直後、今度はクレアが自分の評価を求めてきた。
「ちょっと、歩いてみて」
アリエスに促され、クレアは平均台の上を歩いてみた。しかし、最初の頃の私と同じで姿勢が悪く、体のバランスを崩して落ちてしまった。
「クレアも背中が曲がっているから、背中をまっすぐにして歩くことを意識してごらん」
アリエスに言われたクレアは背中をまっすぐにして歩き始めた。さらに2時間練習したら、私やアリエスみたくスムーズに歩けるようになった。
「私もまっすぐ歩けるようになったよ」
クレアは嬉しそうに私やアリエスに言った。
「やったじゃん!」
アリエスも一緒に喜んでいた。
翌週のテストでは一部の人間だけ除いて合格となり、試験に落ちた人間はジェシカ先生と一緒に放課後補習となってしまった。
その二週間後、お茶会のレッスンが始まった。食堂に行くと紅茶と人数分のケーキスタンドが置いてあり、私たちは指示された場所に座ってジェシカ先生の説明を受けることになった。
「今日はアフタヌーンティーのマナーを覚えてもらう」
その時だった、1人の生徒が手を挙げて質問してきた。
「先生、質問いいですか?」
「なんでしょうか?」
「アフタヌーンティーにマナーってあるのですか?」
「当然です。ただのお茶会に見えるけど、その中にもルールがあります。例えば紅茶は音を出して飲まないとか、品のない話題を持ち込まないことです」
「話題までルールってあるのですか?」
再び彼女が質問してきた。
「もちろん、あるわよ」
「例えば、どんな話題がだめなんですか?」
「他人の噂話や悪口などがそうよ。こんな話題を持ち込まれたら、せっかくのお茶会が台無しになってしまう。それと、あなたたちの目の前にあるケーキスタンドだけど、これも食べる順番があるわよ」
「これって、好きなものから食べたらいけないのですか?」
今度はルイーゼが質問してきた。
「普段なら、それでも構わないけど、お茶会の席では食べる順番があります。お皿が3つ重なっている時には下から順に食べる決まりがあるの。さらに言うと食べる時には空いている皿に移して、テーブルに食べかすが落ちないように気を付けること。では、実際にやってもらおうかしら」
近くにいた助手の先生たちが下から順にサンドイッチ、スコーン、ショートケーキを置いたあと、今度は伏せてあるティーカップをひっくり返して、紅茶を入れ始めた。
「目の前にお砂糖、ミルクがあるから、それぞれ好みで入れてほしい」
ジェシカ先生の一言でお砂糖だけ入れる人、ミルクを入れる人、ストレートティーで飲む人など様々だった。
「では、今からお茶会を始める。各自好きな話題って言いたいところだけど、さっき私が言った他人の悪口や噂話だけはしないように」
ジェシカ先生に言われたあと、緊張しているせいか、みんなは無言のままでいた。しかし、話題を振るにしても特に話題という話題が見つからない。
「クレア、この紅茶美味しいね」
「そうね」
しかし、そのあとは会話が続かなかった。黙々とサンドイッチを食べたけど、正直食べた感じがしなかった。
「みんな、なんの話題もないの?」
「だって、話すネタがないんですよ」
1人の生徒が意見をしてきた。
「なんでもいいんだよ」
「だって、他人の噂話は禁止なんでしょ?」
「確かにそうだけど……」
ジェシカ先生は一瞬考えた。
「仕方ない。今回だけなんでもありにする」
それを言われた直後、みんなは好き勝手に話し始めた。ある人は他人の噂話、そしてある人は怪談話などで盛り上がっていた。しかし、中には話題の乏しい人も少なからず存在していて、そういう人たちは終始無言のまま紅茶を飲んだり、ケーキスタンドのお菓子を食べていた。
授業が終わって昼休みに入ったとたん、食堂では好き勝手に不満を並べていた。
「まさか、お茶会が窮屈なものだとは思わなかったよ」
クレアの最初の一言がそれだった。
「私も疲れた」
私もスパゲティを食べながら一言呟いた。
「正直、紅茶やお菓子を満足に楽しめた気がしなかったよ」
「確かにそうだよね」
「今度はもっと気楽にお茶会をやりたい」
クレアは愚痴をこぼすように呟いていた。
この日最後の講義は道徳だった。比較的薄めのテキストに細かい文字がビッシリと並べられていたので、読んでいくうちに眠くなってしまう。テキストを読みながら歩いていたオードラ先生は居眠りしている人の頭をテキストで叩いていった。
「いったーい」
「ここは宿舎のベッドではありません。寝たかったら宿舎へ戻ってからにしてください!」
眼鏡のレンズを光らせながら、居眠りしている生徒に注意をした。
「次、居眠りをしたら何も言わずに欠席とさせて頂きます。皆さんにも言っておきます。卒業したら皆さんは収容所で看守として囚人たちを厳しくしつけるわけです。そのためには、あなたたち自身がきちんとモラルを身に着けてもらわなければなりません。居眠り、おしゃべりなどは言語道断です」
オードラ先生の厳しい言葉にみんなは何も言えなくなってしまった。その日の道徳はゴミのポイ捨ての内容だった。テキストを読んでみると<街の中で親子連れがゴミを散らかしながら歩いて行った。それを見た人たちは白い目で見たり、中には注意する人もいた。母親は注意した相手に「私たちに何か用ですか?」と逆上する。注意した中年男性も「ここはお前たちのゴミ箱じゃない。家まで持ち帰るか、所定のゴミ箱に捨ててほしい」と言い返した。中略 男性ともめた母親は保安官から事情を聞かれ、散らかしたゴミを拾い上げ、いなくなってしまった。>
「鬼頭さん、先ほどから熱心にテキストを読み上げていたので、質問しますが、ゴミを散らかすと、なぜ街の人たちが不快な思いをされるのですか?」
「街の美化が損ねてしまうのと、体に障害を持った人たちにとっては大きな壁になってしまうからです」
「その通りです。大変よくできました。では、後ろのほうに振ってみようかしら」
オードラ先生は後ろの席で落書きをしていた人を指名した。
「これは何の絵ですか?」
「これはちょっと……」
「ちょっとと言いますと?」
「すみません……」
「何の絵を描いていたのかと聞いているのです」
「オードラ先生です……」
「これが私?」
「はい……」
「30点」
「えー、もっと上げてくださいよ」
「なら、35点。それとあとで教員室に来るように」
「分かりました」
講義が終わって宿舎に戻って予習と復習をやっていたら、ベッドで横になっていたクレアが私に話をかけてきた。
「明日も道徳があるみたいだよ」
「そうね」
「あの、オードラっていう先生、言い方きつくなかった?」
「そうね。でも、みんなだって話を聞いてないのが悪いんじゃない?」
「確かにそうだけど……」
クレアは今一つ納得していなかった。
「クレアは予習と復習やらなくていいの?」
「あ、そうだった」
ベッドから起き上がって、クレアは机に向かって勉強し始めた。
「テキストの順番からいくと、明日って『クラスで発生した盗難事件』の話だよね?」
クレアがテキストを広げながら私に確認してきた。
「たぶん……。やって損はないと思うよ」
「うん……」
夕方近くになって、ドアをノックする音が聞こえてきたので、開けてみたら302号室のアリエスがやってきた。
「どうしたの?」
「今、下の階に行ったら寮母さんが部屋の巡回をやっていたわよ」
アリエスは少し切羽詰まった感じで私に言ってきた。
「何の巡回をやっているの?」
「分からない。でも、部屋は綺麗にしたほうがいいわよ」
「わかった、ありがとう」
アリエスはこの言葉を最後に自分の部屋へ戻って行った。
その15分後、再びドアをノックする音が聞こえてきたので、開けてみたら寮母さんがやってきた。
「失礼、入らせてもらうよ」
寮母さんはそれだけ行って、私たちの部屋をチェックし始めた。
「特に目だった汚れもないし、散らかった箇所もないので合格」
「ありがとうございます」
「今、何をされていたの?」
「私たちは明日の授業の予習をやっていました」
「邪魔してはいけないので、この辺で失礼する」
それだけ言い残して、寮母さんは部屋からいなくなってしまった。
「少しだけ緊張したね」
クレアは冷や汗をかきながら、私に言ってきた。
「確かに……」
「あのおっかない顔、どうにかならないの?」
「私に言われても困るけど……」
「とにかく、部屋だけは常に綺麗にしておこうね」
「うん……」
陽が沈んで暗くなったので、勉強を一度切り上げて食堂へ行ってみると、すでに混んでいて、空いているテーブルを確保するのが難しかった。
その日のメニューはビーフシチューに野菜サラダ、ロールパンだった。ペースを少し速めて食べ終えて、部屋へ戻ろうとした時だった。
「あれ、美鈴とクレアじゃない?」
ルイーゼが後ろから声をかけてきた。
「今、食べ終わったの?」
「うん」
私の質問にルイーゼは短く返事をした。
「今日、寮母さん来た?」
「来たよ。部屋に入ってきたかと思えば、いきなりチェックしてきたんだよ。あれには本当にビックリした」
ルイーゼは私に愚痴をこぼすような感じで言ってきた。
「それで、何か言ってきた?」
「特にウルサイことは言われなかったけど、『布団が乱れているから、ちゃんと直すように』と言われた」
「それだけで済んでよかったじゃない」
「美鈴のところは何か言われた?」
「私のところも似たような感じ」
「そうなんだね」
「あ、知ってる? 今隣のクラスの人から聞いたけど、道徳って小テストやるみたいで、赤点を取ったら補習を受けるみたいだよ」
「マジ!?」
私の言葉にルイーゼは思わずムンクの叫びになってしまった。
「でも、そんなに難しい内容じゃないと思うから、きちんと話を聞いていれば、赤点を回避できると思うよ」
「わかった、ありがとう。私、これから部屋で勉強をするから」
ルイーゼはユナを連れていなくなってしまった。私とクレアも部屋に戻って予習の続きをやることにした。
「そろそろ風呂にするけど、クレア先に入る?」
「私は後でも大丈夫だよ」
「そう? その間に寝ないでよ」
「大丈夫だって」
私は半ば不安を感じながら風呂に入った。私が入っている間に寝ていなければいいんだけど……。風呂から上がってみたら、案の定机でうたた寝をしていたので、起こすことにした。
「何?」
「『何?』じゃないわよ。急いで入ってちょうだい」
「わかった」
クレアは眠そうな顔をしながら浴室へ向かった。
翌日の道徳の時間だった。その日の授業は予定通り「クラスで発生した盗難」の話だった。きちんと予習していてよかったと、思わず安心してしまった。オードラ先生がテキストを読み上げた瞬間、居眠りしていたり、おしゃべりに夢中になっている人が続出。
「やる気のない人は出ていってちょうだい!」
我慢の限界が来たオードラ先生はついに大声で怒鳴り出す始末。その直後静かになり、再び授業が再開された。「慣れ」というものは非常に恐ろしいものであり、入学した直後の緊張感を一瞬にして消し去ってしまう。
「では、そこのあなた、居眠りするほど余裕があるみたいだから、答えてもらおうかしら……」
「私、余裕ではありません」
後ろに座っていた1人の生徒がとっさに口答えをした。
「だって、あなたさっきから居眠りをしていたでしょ?」
「それは眠かったから……」
「それだけ余裕があるってことなんでしょ?」
「そんなことはありません。昨日ちょっと夜更かしをしたので……」
「夜更かしって、何をされたのですか?」
「おしゃべりをしたり、雑誌に夢中になっていました……」
「確か、宿舎の消灯時間は夜10時のはず。のちほど寮母さんに確認を取らせて頂きます。では、他の人に答えてもらおうかしら」
オードラ先生は、おしゃべりに夢中になっている2人を指名した。
1人の生徒が指名されたとたん、「ギクっ」という反応をしてしまった。
「では、あなたに質問します。教室で教科書を紛失した生徒が困っていた時、隠した本人が罪悪感を覚えてしまった理由を答えてもらおうかしら。おしゃべりをするくらい余裕があるんでしょ?」
「そんなことありません……」
「それとも私の授業が退屈だったかしら。悪かったわね、つまらない授業で。では、質問に答えてもらうわよ」
「……」
「どうしたのですか?」
「わかりません……」
「困ったわねえ。では、クレアさんに答えてもらおうかしら」
「自分がやったことの罪の重たさを知ってしまったからだと思います」
「そうですよね。今日答えられなかった人は次回指名しますので、きちんと答えられるようにしてください。それと近々小テストを実施します。赤点を取った人は放課後補習を受けて頂きます」
「えー!」
その直後、後ろの席から不満の声が広がった。
「おしゃべりや居眠りをしてなければ、簡単に答えられるはずでしょ?」
「でも、テストをやるなんて卑怯ですよ」
「卑怯ではありません。そう思っているのは普段から勉強していない証拠です。まだ何か不満でも?」
しかし、これ以上何も言ってこなかった。授業終了のチャイムが鳴って、みんなが好き勝手に騒いでいる時、次の授業の準備をしていたらクレアが私を廊下へ連れ出した。
「どうしたの?」
「今日の道徳かなり厳しくなかった?」
「うーん、確かに」
「居眠りしていた人、おしゃべりに夢中になっていた人を容赦なしに指していたよね」
「うん……」
「しかも、小テストってマジかったるい」
「私も出来たら受けたくない」
「でしょ? あのババアも何を考えているのか、わからないよ」
「でも、普通に授業で話を聞いていれば、解けると思うよ」
「まあね」
クレアは私の言葉に渋々と認めていた。
その日の放課後、クレアは宿舎に戻らず、私を連れて校内にある食堂へ向かった。
「クレア、どうしたの?」
「うん、ちょっと食べてみたいものがあったから」
「何が食べたいの?」
「これ」
クレアは入口にある貼り紙に指を差した。そこには<アップルパイを始めました>と書かれていた文字があった。
「アップルパイを食べてみたいの?」
「だって、おいしそうだから」
「そうなんだね。じゃあ、中へ入ろうか」
私とクレアが中へ入った直後、昼休みほどじゃないけど、それなりに人が多かった。やはり目当てはアップルパイだったのか、あたりを見渡すと何人かの人たちがアップルパイを食べていた。
「早く並ぼうよ」
「そうだね」
クレアは私の手を引いてデザートのカウンターへ向かった。お盆の上に載せた瞬間、念願のアップルパイが食べられるという顔をした。クレアはよだれを出しながらアップルパイを見つめていた。
「食べないの?」
私はなかなか食べようとしないクレアを見て、疑問に感じてしまった。
「いざとなったら、食べづらくて……」
「頼んだ意味がないじゃん」
「そうだよね。じゃあ、食べようか」
6等分にカットされているアップルパイを一つ食べ始めた瞬間、クレアは凄く満足そうな顔をしていた。
「クレア、美味しい?」
「うん、美味しい! ここのアップルパイ食べてみたかったんだよ」
「そうなんだ。よかったね」
私も一口食べたその瞬間、甘さが口の中に広がった。何これ美味しい! 夢中になって食べていたらアップルパイがなくなってしまった。最後に紅茶で口直しをして宿舎へ戻ることにした。
「そういえば、そろそろシャンプーがなくなる頃だよね?」
唐突にクレアが私に言ってきた。
「そうだよね。予備ってないの?」
「うん」
「しょうがないわね。あと、他にないものってある?」
「あ、そうだ。歯磨き粉もなくなる」
「わかった」
私は内線電話で備品担当につなげて、シャンプーと歯磨き粉を手配した。その十数分後には備品担当の人が紙袋に入ったシャンプーと歯磨き粉を持って部屋に入ってきた。
「失礼します。シャンプーと歯磨き粉をお持ちしました」
「ありがとうございます」
私が受け取ったあと、備品担当はそのままいなくなってしまった。
「新しいシャンプーと歯磨き粉、洗面所に置いたわよ」
「ありがとう」
クレアはベッドで雑誌を読みながら、無関心そうに返事をした。
「クレア、雑誌もいいけど、勉強したほうがいいわよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと授業で話を聞いているから」
「言っておくけど、小テストで赤点取ったら補習になるよ。あのオードラ先生も本気みたいだし」
私の話を聞いた瞬間、クレアは起き上がってテキストを広げるなり、勉強し始めた。
「あ、そうそう。試験の最後には感想文も発生するみたいだよ」
「マジで!?」
クレアは私の話を聞いて少し青ざめてしまい、私と一緒に勉強を続けていった。
勉強を始めてから1時間、クレアは椅子から立ち上がって、冷蔵庫から水を取り出して飲み始めた。
「もう休憩?」
「ちょっと疲れた」
「もう少しやらない?」
「そうだね」
私の一言で再び机に戻って勉強を続けた。
「感想文ってなんでもいいんだよね?」
クレアは鉛筆をくわえながら私に聞いてきた。
「たぶんね」
私が淡々と返事をしたら、クレアは今一つ面白くない顔をしていた。
その直後だった。部屋のドアを数回ノックする音が聞こえてきたので、私がドアを開けたら目の前にルイーゼとユナが立っていた。
「そろそろ食事に行かない?」
ルイーゼが部屋に入って誘ってきた。
「今勉強していたところなんだけど……」
「そんなの後回し。モタモタしていたら、席取られちゃうよ」
ルイーゼは私の手首をつかむなり、食堂へ連れて行こうとした時だった。
「ストーップ!」
今度はユナが私に声をかけた。
「どうしたの?」
「『どうしたの?』じゃないでしょ? 手に持っているこのテキストは何? まさか食事中も勉強するの?」
「ちょっとね……」
「食事中は勉強禁止。早くテキストを置いてきなさい」
「はーい」
私はユナに言われ、テキストを机の上に置いたあと、4人で食堂へ向かった。
「美鈴って、ちょっと真面目過ぎじゃない?」
ルイーゼがパンをちぎって食べながら私に言ってきた。
「私、そんなに真面目に見える?」
「かなり真面目だよ」
「そうかな」
私自身、「真面目」であることに自覚していなかった。
「やーい、くそ真面目ー」
今度はユナまでが私をからかうような言い方をしてきた。
「ちょっとからかわないでよ」
「くそ真面目ー」
「この辺にしてあげたら?」
横からルイーゼが止めに入ってきた。
明後日の道徳の時間だった。授業を早めに切り上げてオードラ先生は試験問題を配り始めた。
「今から試験を行ないます。筆記用具以外はカバンにしまってください」
全員の机の上が筆記用具だけとなったことを確認したら、試験が始まった。
小テストなのに、なぜか緊張する。問題用紙を見た瞬間、昨日勉強した箇所がそのまんま出てきたので、ビックリするほどスラスラと解けていき、終了5分前には全部終わってしまった。号令が出て、解答用紙を回収されたとたん、ストレッチをする人、友達同士で感想を言い合ったりする人などがいた。
「お疲れ、どうだった?」
横からクレアが声をかけてきた。
「私、まったくダメだったよ」
「うそ、スラスラと解いていたじゃない」
私が控えめな感じで答えたら、今度は後ろからルイーゼが口を挟んできた。
「そんなことないよ。適当に答えを埋めただけだから」
「そんな風には見えなかったけど」
「ルイーゼはどうだったの?」
「私なんか空白が目立っていたから、補習確定かも」
「そうなったら私も付き合うよ」
「ありがとう」
放課後が過ぎてもクレアとルイーゼは絶望的な感じになっていた。
「もう終わったー」
宿舎に戻ってもクレアの口から出る言葉はそればかりだった。
「いつまでも気にしない」
「だって赤点なんだよ」
「まだ結果出ていないんでしょ?」
「うん……」
「落ち込むなら結果が出てからにしてちょうだい」
「わかった……」
その日のクレアはずっと落ち込んだままだった。
翌日の授業では答案用紙が返された。試験は50点満点で評価されていて、30点以上取っていれば補習は回避、すなわち合格という形となる。答案用紙を見るなり、私はほっとため息をついた。
「美鈴は満点だよね?」
横からクレアが声をかけてきた。
「そんなことないよ」
「じゃあ、何点なの?」
私はそう言って、45点の答案を見せた。
「私よりいいじゃん!」
「クレア何点なの?」
「見る?」
今度はクレアが自分の答案を見せた。
「一応赤点回避しているじゃん」
「でも35点」
「合格しているんだから、贅沢を言わない」
「はーい」
「ねえ、私の答案を見る?」
今度は後ろからルイーゼが42点の答案用紙を私とクレアに見せてきた。
「昨日の態度って、わざとだったの?」
クレアがちょっと面白くない顔をしてルイーゼに言ってきた。
「そんなことないよ。自信がないのは事実だったんだから」
「本当に?」
クレアは疑惑に満ちた顔をしてルイーゼを見ていた。
「私38点」
その時、ユナが空気も読まずに自分の答案を見せてきた。
「って、ことは4人の中でビリは私か」
クレアはため息まじりで呟いた。
「でも、合格していることに変わりはないじゃん。それにちゃんと勉強してきたんだし」
「そういうルイーゼだって試験終えたあと、ため息をついていたじゃん!」
「今それを言う?」
「それも事実じゃん」
冗談交じりの会話がいつの間にかけんかになっていたので、私はあわてて止めに入った。
「ねえ、けんかは辞めて」
私が止めに入ってもいっこうに収まる気配がなかった。
「この分だと、試験前に美鈴に泣きついたって感じだよね?」
さらにルイーゼはクレアの急所をつくような言い方をしてきた。
「じゃあ、そういう自分はなんだと言うのよ」
「私は誰かさんと違って、普段からちゃんと勉強してきたわよ。どうしたの? 悔しかったら言い返してごらんなさいよ」
何も言い返せないクレアはついにルイーゼの髪の毛をつかんでしまった。
「ちょっと、やめてよ」
私が止めに入ったとたん、オードラ先生がやってきた。
「何事ですか?」
オードラ先生が止めに入ったあと、クレアとルイーゼは教員室に呼ばれ、事情を話すことになった。
「だいたいの事情は分かりました。2人とも明日までに反省文を書いて私のところまで提出すること」
「分かりました……」
クレアは少し落ち込んだ顔をして返事をした。
「あの、私も反省文を書く必要があるのですか?」
今度はルイーゼが口を挟んできた。
「当たり前です。そもそもの原因はあなたなんですから、当然書いて頂きます」
「分かりました……」
宿舎へ戻った2人は机に向かって、原稿用紙とにらめっこをしていた。
「美鈴、反省文って何を書けばいいの?」
「そりゃあ、自分がやってきた間違いに対して反省する所を書けばいいんじゃない?」
「なかなか思いつかない……」
「たくさんあるでしょ? 例えば髪の毛をつかんだこととか」
「確かにそうだけど……。あと『たくさんある』っていう言い方やめてくれる?」
「わかった。言葉には気を付けるよ。なら、言い争ったことや髪の毛をつかんだことを書けばいいんじゃない?」
「わかった」
私に言われてクレアは反省文を書き始めた。
その一方、隣の309号室でもルイーゼが原稿用紙とにらめっこしながら書いていた。
「何で私が書かないといけないの?」
「自分が反省だらけだという自覚はないのか?」
「私、被害者なんだけど……」
「少なくともルイーゼにも非がある。さっさと書け」
「髪の毛掴まれたんだけど……」
「自業自得だ」
ユナに言われ、渋々と書き始めた。
翌朝の教員室では、ルイーゼとクレアがオードラ先生に反省文を提出していた。
「二度とけんかをするんじゃないよ」
「分かりました……」
クレアが返事をしたあと、オードラ先生はルイーゼに目線を向けた。
「ルイーゼさんはどうなんですか?」
「はい、二度といたしません……」
「分かったなら、早く教室へ戻りなさい」
教員室を出たあとも2人は、しばらく無言のままでいた。
2人がきちんと仲直り出来たのは、昼休みが終わろうとした時だった。はたしてこの2人が仲良くやっていけるか否かはその時は誰も分からなかった。
5話へ続く