11、雨の日の過ごし方
あれから1か月が経った出来事だった。うっとうしい雨が毎日降り続くようになってきたので、当然外での作業が出来ないため、囚人たちは屋内での作業を希望する人もいれば、図書室で静かに本を読む人もいる。中には部屋で「プロレスごっこ」と言いながら、弱い者いじめをした挙句、看守に捕まって懲罰房送りにされた人もいた。
その日も私とクレアは地下を巡回していた時だった。
「この悪臭、どうにかならない?」
クレアは鼻をつまみながら、私に言ってきた。
「仮面を着けているだけマシだと思った方がいいよ。外したら間違いなく死ぬよ」
「確かに……」
「それにしても、今日は一段と悪臭がひどいわね」
私は独り言を呟きながら、奥へと進んだ。
「地下の悪臭がグレードアップしているのって、雨が降っているのと関係しているの?」
クレアは鼻をつまみながら私に言ってきた。
「可能性が高いわね。あと、仮面しているんだから、鼻をつまむ必用はないよ」
「わかっているけど、つい条件反射で……」
クレアが笑いながら返事をしたその時だった。首筋に水滴が当たり、思わず「ひっ」と声を出してしまった。
「鈴鬼、どうしたの?」
「首筋に水滴が当たった」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
私とクレアが地下の奥へ進もうとした時だった。
「おい、誰か開けろ!」
どこからか、ドアを強く叩く音が聞こえてきたので、私とクレアは音のするほうへと向かった。真ん中あたりの扉から男性囚人が「おい、いつまでここに閉じこめておくんだ! いい加減ここから出せ!」と叫んできた。
「やかましい! こういう態度を取っていると、ここから出られるのが遅くなるぞ!」
私は男性囚人に強く言い返した。
「そんな事を言っていいのか? お前たちがやっていることは完全に人権問題だ。公に知られたら間違いなくこの仕事が出来なくなるぞ!」
「その脅しに乗るか! お前は部屋にいる囚人に暴行を加えた上に、女性看守にセクハラなどの嫌がらせをした。だから、懲罰にするには充分な理由だ!」
「お前がその気なら、俺にも考えがある。知り合いのマスコミや弁護士を呼んでもいいんだぞ!」
囚人は強い口調で私とクレアに言ってきた。
「とにかく、ここで反省をしていろ!」
私とクレアは一度地下をあとにした。
「あの囚人の言葉って本当だと思う?」
クレアは少し声を低めて私に言ってきた。
「何が?」
「あの囚人にマスコミや弁護士の知り合いがいるってことを」
「さあ、私にはわからないよ。マスコミや弁護士を呼びたければ呼ばせてもいいと思うよ」
「確かに……」
私とクレアが地上へ上がろうとした時だった。非常用のサイレンが鳴り、木工作業場で囚人が暴れたと通報が入ってきたので、私とクレアは駆け足で木工作業場へと向かった。
中へ入ってみると、男性囚人がカラースプレーを持って暴れていた。
「ルイーゼ、これは何事だ!」
私はルイーゼに確認をとった。
「310号の男性囚人がカラースプレーを持って暴れているのです」
「それで、みんなの制服が汚れているんだね」
「ルイーゼとユナは大丈夫か?」
「頭と仮面だけは……」
ルイーゼは身に着けているヘルメットとフェイスシールドに指を差して私に言ってきた。
私はムチを取り出して、スプレーを持っている男性囚人を威嚇した。
「来るな!」
男性囚人は少し震えていた。「ピシッ」と床にムチを叩きながら、私は男性囚人に近寄って行った。
「早く置け!」
「来るな!」
男性囚人は震えた声でカラースプレーを撒き散らかしていたので、私はスプレーを持っている右手をムチで叩いて床に落とした。
男性囚人はクレアに手錠をかけられて、抵抗できなくなってしまった。
「行くわよ」
クレアは短く言って、男性囚人を地下の懲罰房へ連れて行って、空いている部屋に放り込んだ。
「おい、待ってくれ」
「どうした、早く言え!」
「……」
「仮面の下を見せてくれないか? どうしても気になっているんだよ」
「これがお前に見せる私の顔だ。言っておくが、口答えすると懲罰の期間が伸びるぞ」
クレアはそのままドアに鍵を閉めて私と一緒に地下を去った。
「しかし、今日はトラブルが多いよね」
地上に出た最初の私の一言だった。
「仕方ないよ。雨が降って行動が制限されているんだから」
「確かに……」
「ストレス解消法として何かやってみない?」
クレアは急に何かをひらめいたように私に言ってきた。
「何かと言うと?」
「例えば、運動会とか?」
「それもいいけど、ユイさんや所長が却下しそう……」
「可能性が高いわね。でも、このままだと懲罰房が埋まっちゃうよ」
「それも考えものだよね……」
私がボソっと呟いた時だった。予備の制服に着替えてきたルイーゼとユナがやってきた。
「ご苦労!」
私はとっさに敬礼してしまった。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ」
ルイーゼが軽く笑いながら私に言ってきた。
「でも、誰かに見られているかもしれないと思ったから……」
「大丈夫だよ。せいぜい監視カメラで覗かれているくらいだけだと思うよ……」
ルイーゼは完全にマイペースで私に返事をしていた。
「そういえば、汚れた制服どうしたの?」
私は気になってルイーゼに聞いた。
「洗濯しても落ちないから処分した。そのあと、備品担当にお願いして新しい制服を手配した」
「そうなんだね」
「さっきの囚人、どうした? ……って懲罰だよね……」
「そうだよ。 あ、そうそう。最近私らの素顔を見たがる囚人が多いから気を付けた方がいいよ。『素顔を見せろ』ってウルサイから」
「了解。じゃあ、私はこのあと巡回があるから」
「ルイーゼ、たまには一緒にお昼どう?」
「たぶん、難しそう」
そう言って、ルイーゼはユナと一緒にいなくなってしまった。
私とクレアが事務所へ戻って書類の整理をしようとしたら、シンディが声をかけてきた。
「お疲れ」
「シンディ先輩、お疲れ様です」
「さっき、木工作業場で囚人が派手に暴れたそうじゃない」
「はい……。カラースプレー持って暴れていたから……。ですので、取り押さえて懲罰房に送りました」
「普通に考えたらそうなるよね」
「あと、仮面の下を見たがる囚人もいました」
「そういう場合、相手にしなくていいよ。今後、木工作業の監視は男性看守だけに任せることにしたよ」
「わかりました」
「ねえ、この書類って急ぎ?」
「なんでですか?」
「今日また囚人がやってきたの。だから、今から面談をお願いしていいかしら」
「それは構いませんが、シンディ先輩は他にやることがあるのですか?」
「私はレイラと一緒に金属加工場の監視があるんだよ……」
「そうなんですね。では、私とクレアが面談をします」
「あ、ちょっと待って。これが囚人のデータだよ」
シンディはそう言って私に囚人のデータが書かれた紙を渡してきたので、バインダーに挟んで、面談室に向かうことにした。
中に入ってみると、目の前にいたのは、おじいさんだった。「本当に囚人なのか?」と思わず口に出したくなってしまった。
「あなたの名前は?」
「ロバートです……」
「容疑名は?」
「窃盗と傷害です……」
「なんでこんな事をした?」
「……」
私の質問にロバートと名乗るじいさんは何も言わなかった。
「おい、早く質問に答えろ!」
「あの、ちょっといいかね?」
ロバートは震えた声で私に声をかけた。
「なんだ、言ってみろ」
「顔に着けている、お面を外してくれないか? こういうのはどうも好きになれん」
「どうしてだ?」
「そもそも人と会話をするとき、顔を隠すなんて失礼だとは思わないのか?」
「口答えは懲罰の対象だ!」
「私のせがれは弁護士をやっている。必用によっては呼んでも構わんのだぞ」
「呼ぶのは大いに結構。ここではこの仮面が私の顔だ。それにお前は罪を犯して、ここにやってきたことを忘れるな!」
「はいはい、わかりましたよ。どうせ、年寄だと思って軽く見ているんだろ」
「お前がどう思うと、お前の勝手だ。でも、ここに来た以上、ここのルールに従ってもらう。それが常識ってものだ!」
「はいはい、わかりました。私が間違っていました。懲罰でもなんでもやってください。私は犯罪者ですから。あなたの言うことをなんでも聞きますよ。それで、何をすればいいのですか?」
ロバートは完全に人をバカにしたような口調で返事をしてきた。その時だった。クレアが床にムチを叩いて威嚇してきた。
「おまえ、調子に乗るのもいい加減にしたらどうなんだ! 少しは自分の立場をわきまえろ!」
今まで黙っていたクレアが口を挟んできた。
「ちょっと、クレア……」
「鈴鬼は黙ってくれる?」
クレアは私の意見を無視して、ロバートに問い詰めた。
「窃盗と傷害、注意妨害の3つで逮捕されているよね? それなのにあなたは『窃盗と傷害』の2つしか答えていなかった。どうしてなのか、答えてくれる?」
クレアの怒りは完全に頂点に達していた。
「たまたま言い忘れていただけだ。すみませんねえ」
「では聞くけど、逮捕された理由を話せ!」
「忘れたみたい……」
「忘れたって事ってないよね? 思い出せるように今度は体にムチを入れるわよ」
「そういうあんただって、脅迫じゃないか」
私も我慢出来ず、ムチで威嚇してきた。
「お前も脅迫だ。お面を被ってムチで人を脅すなんて、犯罪者と一緒じゃないか!」
「なら、弁護士をされている息子さんを呼んでもいいんだよ」
私は顔を近づけて威嚇した。その時だった、ロバートは私の顔に手を出そうとした。
「私の顔に触ろうとしたね。この時点で公務執行妨害が成立するわよ」
「なら、そうしろよ」
「話は終わり。これ以上話しても無駄だ。持っている所持品を全部出せ!」
ロバートは私に言われてポケットの中身を全部取り出した。出てきたのは財布と鍵だけだった。
「これだけか?」
「ああ、そうだよ」
私としてはどうも納得いかなかった。
「今からボディチェックを行なう」
私がロバートの体を触ろうとした瞬間だった。ロバートは上着のポケットから小さな瓶を取り出して蓋を開けるなり、中身を私にかけてきた。
「鈴鬼、危ない!」
クレアに言われて、とっさによけようとしたが、間に合わなかった。私の腕に何かの液体がかかってしまった。
「お前、何をやった!」
私は左腕を抑えながら言ってきた。ジューっという音がした。硫酸だった。
「これは、ほんのあいさつ代わり。どんなものでもドロドロにする硫酸だ」
私はとっさにロバートの体を取り押さえようとした。
「おっと、こんなことをしていいのかね? お前の腕だけでなく、全体にドロドロに溶かしちゃうぞ」
ロバートは体をニヤっとさせて、私に硫酸をかけようとした。
その一方で、クレアは非常サイレンを鳴らし、応援の手配をした。
「この囚人、危険薬物を所持しています」
クレアは駆けつけた男性看守とシンディに言った。
「了解!」
男性看守はすぐに取り押さえて、手錠をかけて懲罰房へ連行した。
「あ、シンディ先輩、鈴鬼の左腕がやけどしているみたいです」
「どれどれ」
シンディはそう言って、私の長手袋を外して、左腕を調べた。
「確かにやけどしている。すぐに医務室へ連れていこう」
シンディは私を連れて、医務室へ向かうことにしたので、クレアもそのあとついて行った。
医務室へ行くと、中は病院の診察室を少し広くした感じになっていた。
「失礼します。患者を連れてきました」
シンディがそう言うと、奥から看護師さんがやってきた。
「こんにちは、どうされましたか?」
「彼女が左腕に硫酸をかけられて、やけどしてしまったのです……」
「確かにひどいわね」
看護師さんは私の左腕を見ながら呟いていた。
「それで、先生は?」
私は遠慮がちに聞き出した。
「今、用事があって外出しているの。このまま放っておくわけにも行かないから、病院で治療を受けてくれる?」
「わかりました」
「ちょっと待ってちょうだい」
看護師さんは椅子に座るなり、机で紹介状と労災申請書を書いて渡してきた。
「これを持って行けば、無料で診察を受けられるはずよ。あと、収容所指定の病院だから、仮面を着けていても問題ないから」
「ありがとうございます」
私とクレアは事務所へ行って、ユイさんに外出許可をもらうことにした。
「お疲れ様です。少しお時間いいですか?」
私は言いづらそうに、ユイさんに声をかけた。
「どうした?」
「実は外出許可を頂きたいのですか……」
「話は聞いている。硫酸をかけられて、やけどしたんだろ?」
「はい……」
「わかった。病院から戻ったら診断書を提出してくれないか?」
「わかりました。あと、出来たら馬車も手配していいですか? 雨なので……」
「仕方ない、今日だけ特別だ。玄関につけておくから……。あ、ちょっと待ってくれ。私も用事を思い出したから一緒に乗っていいか?」
「ユイさんもですか?」
「ああ、法務局に」
「っていうことは所長も乗るのですか?」
「何か不都合なことでも……?」
「仮面の下が……」
「そういうことか。なら、馬車を別々にしよう。それなら文句はないだろ?」
「いいのですか?」
「仕方ないだろ。じゃあ、早く行った行った」
ユイさんが私とクレアを追い立てるように言ってきたので、そのまま正面玄関まで向かった。
「今、思ったけど、一度部屋へ戻って着替えたほうがいいんじゃない?」
「いいよ、そのまま行こうよ」
私が一度宿舎へ戻ろうとした時、クレアはそのまま馬車に乗ることを勧めてきた。
「でも、仮面とウィッグが……」
「さっき、看護師さんが収容所指定の病院だから、仮面を着けていても問題ないと言っていたわよ」
「あ、そうだった。忘れていたよ」
私とクレアはそのまま馬車に乗って、収容所指定の病院へと向かった。
中へ入ってみると雨の日なのか、外来の患者の人数がそんなに多くはなかった。看護師さんが「どうされましたか?」と聞いてきたので、私は「硫酸をかけられて、やけどしました」と返事をした。
「それでしたら、皮膚科へご案内します」
私とクレアは看護師さんに皮膚科のブースへ案内してもらった。
「まずは問診票を書いて、受付に提出してください」
看護師さんは私にバインダーに挟まれた問診票と万年筆を渡してきた。
「ありがとうございます」
私はお礼を言ったあと、そのまま記入し始めた。質問の項目を読み上げると、いろんな内容が書かれていた。中には<アレルギーはありますか?>とか<メイクをやっていますか?>、<タバコを吸っていますか?>などの質問がズラリと並んでいたので、私は一つずつ<はい>、<いいえ>で答えていった。
記入し終えて、私は受付に提出したあと、順番が来るまで待っていた。スマホのないこの世界にとって、待合室にいる時の退屈しのぎと言えば、雑誌か新聞を読むことか、あるいは誰かとおしゃべりするしかなかった。
私は退屈しのぎに雑誌を広げて読むことにした。
「何か面白い記事でもあった?」
横からクレアが聞いてきた。
「何もない……」
私がそう言おうとした時だった。<隣町の収容所で囚人が脱走してきた>という記事があったので読んでみると、<街は警戒態勢に入って、保安官たちが探し回っていた>と書かれていた。
「こっちにも来るのかなあ」
「誰が?」
「囚人……」
「なんで?」
「『隣町で囚人が脱走した』という記事があったから……」
「たぶん来ないんじゃない?」
クレアはいい加減な感じで返事をした。
「今、騒いでも仕方がないか」
私は開き直った感じで呟いた。さらにページをめくると、いろんな記事が書かれていた。その中で興味深そうだったのは、囚人の食事の内容だった。読んでみると<ある栄養士は「パンと味のないスープだけじゃ、体によくない。もっと栄養のある食材を使うべき」と>コメントが書かれていた。さらに読んでいくと、<元看守が「数々の罪を犯した人間が贅沢をするのはおかしい」と反論>と書かれていた。私はどっちの言い分も正しかったので、何とも言えなかった。
雑誌に夢中になっていたら、看護師さんが私の名前を呼んだので、私はそのまま診察室の中へ入ってしまった。
「よろしくお願いいたします」
「気持ちはわかるが、ここは収容所の中じゃないんだから、仮面を外してくれないか?」
白衣を着た年配の先生が穏やかな表情で私に言ってきた。
「失礼しました」
私はその場で仮面を外して、診察を受けることにした。
「改めてよろしくお願いします」
「それで、今日はどうしたのかね?」
先生はニコニコしながら私に聞いてきた。
「実は仕事中に硫酸をかけられてしまって……」
「どのあたりかね?」
「腕に少しかけられました……」
「ちょっと手袋を外してもらっていい?」
「はい……」
私は言われるままに両方の手袋を外して見せた。
「右は無事だが、問題は左かあ」
先生は、表情を険しくさせて、私の左腕を眺めていた。
「もしかして、私の左腕を切り落とすのですか?」
「いや、そこまでひどくないから大丈夫だよ」
「手術や入院は?」
「日帰りでどうにかなるレベルだよ。一応塗り薬と絆創膏一式を出しておくから、風呂から上がったら、塗っておくように。それと、今夜から明後日まで宿舎で安静にすること。風呂も今日と明日は控えるように」
「あの、お仕事は?」
「当然休んでもらうよ」
「わかりました……」
「一応、診断書を出すから、所長と看守長に見せること」
「わかりました……」
「しかし、硫酸をかけるなんて、ひどい囚人もいるもんだな」
「この人、今日入ってきたばかりなんです」
「気のおかしい囚人なんでしょ?」
「硫酸をかけられたので、びっくりしました」
「ひどい囚人もいるもんだな。それで、君に硫酸をかけた囚人はどうしているのかね?」
「懲罰房へ入れておきました。看守長が今日所長と一緒に法務局へ行くと言っていましたので……」
「だとすると、その囚人は死刑の可能性も高いよね」
「おそらく……」
「囚人は何歳くらいなんだ?」
「75歳でした」
「相当年配だねえ」
「窃盗、傷害、注意妨害で逮捕されました」
「さらに、危険薬物使用と公務執行妨害も付け加えられたんだね」
「はい……」
「なるほど……。では、お大事に」
待合室に戻った私は会計を待つことにした。
「美鈴|さん、今回は労災ですので、診察費は無料とさせていただきます」
「ありがとうございます」
「お大事に」
そのあと、塗り薬と絆創膏の一式を受け取ってクレアと一緒に馬車で戻ることにした。
馬車の中で私は仮面を着けて、外の景色をぼんやりと眺めていた。
「ねえ、腕どうだった?」
クレアが声を低めて私に言ってきた。
「あ、ごめん……」
「『あ、ごめん』じゃないわよ。腕どうだったのかって聞いているの」
「一応、塗り薬を付けていれば治るって」
「よかったあ」
「それで、『今日から三日間は宿舎で安静にしておくように』って先生から言われた」
「そうなんだ。休みもらえそう?」
「ユイさんに診断書を提出すれば、どうにかなりそう」
馬車は収容所の入口で止まったので、私とクレアは中に入って、ユイさんの所へ行って報告した。
「お疲れ様です」
私は忙しそうに事務作業をしているユイさんに一声かけてみた。
「ああ、お疲れ。病院どうだった?」
「実は『3日間宿舎で安静にするように』と先生から言われました。それで、こちらが診断書になります」
ユイさんは診断書の内容を確認したら「じゃあ、今日から明後日まで宿舎から一歩も出ないこと」と厳しく言ってきた。
「ええ!」
「何その声は? 患者が外をウロウロしていたらおかしいでしょ? これは有給ではなく公休なんだから、有給日数は減ることはないんだよ」
「そうなんですね」
「万が一、外出しているという報告が入った場合、公休を取り消して、有給にさせてもらうから、そのつもりでいるように」
「わかりました……」
「それとクレア、あなたは鈴鬼の監視と看病、両方お願い」
「私の場合、有給になるのですか?」
「あなたも公休にしてあげるから」
「ありがとうございます。 あの、おかしなことを聞きますが、公休の間は宿舎でも制服と仮面の姿でいなくちゃいけないのですか?」
「それは、あなたたちの判断に任せるわ」
「そうですよね……」
クレアは軽く笑いながら答えていた。
「わかったなら、早く宿舎に戻りなさい」
「私たちの業務は?」
「それだったら、他の人に頼んでおくから」
「ありがとうございます」
「あの、もう一つ気になっていったのですが……」
私は少し遠慮がちにユイさんに聞き出した。
「なんだ?」
「今日所長と一緒に法務局に行ったんですよね?」
「ああ、そうだが……」
「私に硫酸をかけたロバートの件ですよね?」
「そうだけど……。刑の変更届を出してきたよ」
「では、死刑になったのですか?」
「そうだよ。さっきから何が言いたいんだ?」
「出来たらなんですが、私とクレアも死刑執行に立ち会わせてもらっていいですか?」
「なんでだ?」
「彼が私に謝罪をするかどうか、見ておきたいのです」
「それは構わないが、過度な期待はしないほうがいいよ」
「わかりました、ありがとうございます」
「私は忙しい。用が済んだら宿舎へ戻ってくれないか?」
「最後に確認をしておきたいことがあるのですが……」
「なんだ?」
ユイさんは少しいらだった言い方をして私に聞き返した。
「新しい制服と手袋の手配は、宿舎の備品担当で大丈夫ですか?」
「ああ、そこにつなげれば大丈夫。その前に予備があるだろ?」
「でも、洗濯したら着られなくなるので……」
「そう言うことか。でも、宿舎には乾燥機があるんだから、それを使ってもいいんだぞ。ま、どうしてもと言うなら手配しても構わない」
「ありがとうございます」
宿舎に戻って、仮面とウィッグを外して部屋着姿になったあと、私はそのまま部屋の内線電話で自分のサイズを伝えたうえで、新しい制服と手袋を備品担当に手配した。
「制服はすぐ来るみたいだって」
私は独り言のように呟いていた。
「ねえ、退屈だし宿舎の中を散歩しない?」
「そうしたいけど、制服が届いたらヤバイから……」
「たぶん、明日なんじゃないの?」
「じゃあ、出てみる?」
「そうしようか」
クレアがそう言いだした時だった。ドアをノックする音が聞こえたので、私がドアを開けたら、備品担当の人がやってきて私の制服と手袋を届けてくれた。
「ありがとうございます」と私がお礼を言おうとした時だった。「すみません、シャンプーと歯磨き粉もお願いしていいですか?」とクレアが言ってきた。
「次からは、一回で済むようにしてくださいね」
備品担当が少し迷惑そうに返事をした。
「すみません」
クレアが一言謝ってから10分くらいした時だった。再びドアをノックする音が聞こえ、備品担当が新しいシャンプーと歯磨き粉を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
クレアがお礼を言った直後、備品担当はそのままいなくなってしまった。
「備品担当の人、機嫌が悪かったけど、私何か怒らせた?」
クレアは納得しない顔をして、私に言ってきた。
「心当たりないの?」
「うん……」
「呆れた。私が制服を受け取った直後にシャンプーと歯磨き粉を手配したら、二度手間になってイラつくに決まっているじゃん」
「確かにそうだけど……」
「次から、もっと早めに気づいてね」
「美鈴も備品担当と同じことを言うんだね」
「みんなも同じことを言うわよ」
「だよね」
クレアは苦笑いをしながら私に返事をした。
あれから数分が経って、私とクレアは特に何もすることもなく、部屋でぼーっと時間を過ごしていた。
「退屈だね」
クレアはボソっと一言呟いた。
「退屈なら、宿舎の中を散歩する?」
「そうだね」
私が散歩を提案したら、クレアは乗り気でない感じで返事をした。
廊下を歩いても誰にもすれ違わなかった。みんなは勉強かお仕事なのかな。私は心の中で呟きながら歩いていたら、クレアが突然立ち止まって窓の外を眺めていた。
「どうしたの?」と私が声をかけても反応がなかった。
「おーい」
再び私が声をかけたら、クレアは「ビクッ」と反応して振り返った。
「どうしたの?」
「『どうしたの?』じゃないわよ。私が声をかけても反応がなかったじゃん」
「ごめん……」
「それで、窓から何か見えたの?」
「ううん、ただ雨が強いなって思って見ていただけ」
「そうなんだね」
会話が終わって、廊下をゆっくり歩き出した。
数分歩いたその時だった。
「ねえ、食堂で甘いものを食べようか」
クレアが急に言い出してきた。
「いいけど、お腹がすいたの?」
「なんていうか、甘いものが欲しくなった」
「じゃあ、行こうか」
食堂へ入ると誰もいなかった。
「さすがにこの時間は誰もいないね」
私はあたりをキョロキョロさせていた。
「あれ、こんな時間に会うなんて珍しい」
正面から仮面を着けたシンディとレイラがやってきた。
「先輩方、お疲れ様です。今、休憩なんですか?」
「まあね。それより病院に行ってきたんでしょ。どうだった?」
シンディは仮面とウィッグを外すなり、私に質問してきた。
「病院から『三日間、宿舎で安静にするように』言われました。仕事も公休扱いになりました」
「休むほど、酷いの?」
シンディは少し驚いた表情で聞いてきた。
「本当はそうでもないんだけど、病院からの指示だったから……」
「そうなんだね。とにかく食事が済んだら早く部屋に戻ったほうがいいよ」
「わかりました、ありがとうございます」
「寮母さん、かなりウルサイから」
「了解しました」
私がカウンターでチーズケーキとオレンジュースを受け取ったら、クレアも私と同じものを受け取って、テーブルに戻った。
「先輩たちは何か食べないのですか?」
「私たちはこれからだよ」
シンディはそう言って、レイラと一緒にカウンターでリンゴのババロアと紅茶を受け取ってテーブルに戻った。
「そう言えば、ユナさんから聞いたけど、あのじいさんの死刑執行に立ち会うんだって?」
ババロアを一口入れたシンディが私に聞いてきた。
「はい……」
「硫酸をかけられたから?」
「はい……」
「シンディ、甘いものを食べている時くらい、嫌な話題は禁止だよ」
今まで黙っていたレイラが口を挟んできた。
「あ、ごめん……」
シンディはとっさに謝った。食べ終えて一息ついたところで、再び本題に入ろうとした時だった。
「ねえ、本題に入る前にちょっと聞きたいけど、あなたは『美鈴』と『鈴鬼』って両方呼ばれているよね?」
「はい……。宿舎にいる時は『美鈴』、鉄の扉……、すなわち収容所の中では『鈴鬼』で通しています」
「それって、何か理由でもあるの?」
「特にありませんが、仮面をつけた時の名前にしようと思ったの……」
「名前を変えるのは勝手だけど、呼び名が二つあるとややこしいから、どっちかに出来ない?」
「じゃあ、『鈴鬼』で……」
「オーケー。じゃあ、宿舎でもそう呼ぶから。正直名前が二つあると、どっちで呼んだらいいか、わからなくなっちゃうんだよ」
シンディは苦笑いをしながら、そう答えていた。
「ごめんなさい……」
「謝ることないって……。むしろ、私こそ空気を重たくしてごめん……」
シンディが私に謝ったところで、本題が始まった。
「改めて聞くけど、鈴鬼はなんで死刑の立ち合いをしようと思ったの?」
「硫酸をかけられた上に、謝罪の言葉もなかったから……」
「やっぱそうなるよね……。クレアも同じ気持ち?」
今度はクレアに目線を向けてきた。
「私も彼女と同じ気持ちですので、立ち合います」
「そうなんだよね……。私も一目見た瞬間、他の囚人とどこか違うと感じていたの」
「どの辺がですか?」
私は頭にクエスチョンマークを浮かべて質問した。
「なんていうか、その……、あのじいさんって、狂っているっていうか……」
「狂っているから、硫酸をかけてきたんでしょ?」
横にいたレイラがじれったそうに、突っ込みを入れてきた。
「そうそう。それに目つきも普通じゃなかったよ。なんていうか、もう人間じゃなくて、悪魔っていうか……、そう、魔物だった」
「魔物?」
「その根拠はなんですか?」
今度はクレアが口を挟んできた。
「目がオレンジ色だった」
「じゃあ、今ごろ懲罰房で魔物になって暴れているのですか?」
「たぶん……」
「シンディ、適当なことを言ってない?」
再び、レイラが突っ込みを入れてきた。
「そんなことないよ。目つきが普通じゃないのは確かだったから……」
「じゃあ、そういうことにしておくよ」
「『そう言うこと』ってどういう意味よ」
「じゃあ、私らはこのあと仕事だから。鈴鬼、お大事に」
レイラはそう言ったあと、シンディを連れていなくなってしまった。
私とクレアが部屋に戻ったのは、あれから数分後のことだった。売店で買ってきたファッション雑誌を暇つぶしにパラパラとめくりながら読んでいた。
「腕、まだ痛む……」
「大丈夫?」
痛がっている私をクレアが心配そうに声をかけてくれた。
「うん、じっとしていれば……」
「ねえ、この雑誌、私にも読ませて」
「いいよ」
私が数ページ読んだ直後の事だった。ドアを数回ノックする音が聞こえてきたので、ゆっくり開けたらルイーゼたちが入ってきた。
「ヤッホー、腕大丈夫?」
ルイーゼはテンション高めな声で私に近寄ってきた。
「ルイーゼ、仕事はどうしたの?」
「今日早めに終わらせてきた」
「大丈夫なの?」
「うん。先輩たちに引継ぎをお願いをしてきたから。それより、やけどした所、見せてくれる?」
「うん……」
私は、やけどした箇所をルイーゼに見せた。
「うわー、痛そう」
「3日間は宿舎から出られないの」
「なんで?」
「絶対安静だから……。それに今回は公休扱いになっているから、一回でも外出をしたら、有給扱いに変更するって、ユイさんから言われたの」
「そうなんだね……。ねえ、普通に腕とか動かせるの?」
「激しいことをしなければ……」
「そうなんだね。じゃあ食事とか大丈夫そう?」
「食事は大丈夫だけど、今夜と明日は風呂に入れない……」
「つらそうだね」
「私も美鈴の付き添いで休むことになった」
クレアも便乗するように言ってきた。
「クレアも休みなんだ」
「まあね」
「それより、美鈴に硫酸をかけたロバートっていうじいさん、死刑になったんでしょ? それで立ち会うの?」
「うん……。やっぱ、最後は見届けたいっていうか、私にきちんと謝罪をしてくれるか、気になって……」
「気持ちはわかるけど、あんまり期待しないほうがいいよ」
「なんで?」
私はルイーゼの言葉に今一つ納得が出来なかった。
「美鈴に硫酸をかけるくらいなんだから、普通じゃないの確かでしょ? そんな人間が謝罪してくると思う?」
ルイーゼは表情を曇らせて私に聞いてきた。
「ううん……」
私は首を横に振りながら短く返事をした。
「死刑に立ち会うのは結構だけどさ、ロバートっていうじいさんには過度な期待をしないほうがいいと思うよ」
「うん……」
「嫌な言い方をして、ごめんね」
「大丈夫、気にしてないから」
「じゃあ、嫌な話はここで終わり。ご飯に行こうか」
ルイーゼは立ち上がって、私たちを食堂へ連れて行った。
「食堂、今日も混んでいるね」
私は食堂の混雑ぶりを見て、独り言のように呟いていた。
「今日も売店でパンを買って帰る?」
クレアも売店に行くことを勧めてきた。
「いや、今日は何がなんでも食べて帰る。せっかく来て売店に変更するって嫌じゃん?」
「確かに……」
それを聞いたクレアは、ルイーゼの意見に納得していた。
「じゃあ、4人分の席が空くまで少し待っていようか」
ルイーゼはそう言ったが、ただ待つって正直つらいものを感じていた。
「なかなか、空かないね」
ルイーゼが不満をこぼし始めた時だった。手前のテーブルで食べ終わったにも関わらず、世間話に夢中になっていた4人組を発見した。
「ねえ、あなたたち、もう食べ終わったんでしょ? 井戸端会議なら部屋でやってくれる?」
ルイーゼは少しいらだった感じで声をかけた。
「あ、ごめん。今大事な話をしているところなの。少しだけ待ってくれる?」
「テーブルを探しているんだったら、他を探してよ。あたしら忙しいから」
その時だった。ルイーゼの怒りが頂点に達していた。
「あなたたちの部屋の番号を教えて」
「どうして?」
「今日のことを看守長と寮母さんに報告しておくから」
「出たよ、チクリが。こういうのってウザイよね」
「どこの誰がウザイのか、聞こえなかったから、もう一度教えてくれる?」
ルイーゼはテーブルに身を乗り出して、口答えした女の子に顔を近づけた。
「質問に答えてもらおうか」
「これって、脅迫罪になるよね?」
「だったら、長時間の居座りは迷惑行為になるよね?」
今度は後ろからおばちゃんがやってきた。
「ここは食事をする場所であって、井戸端会議をする場所じゃないの。食べ終わったら自分の部屋に戻ってくれる?」
おばちゃんの威圧的な言い方に、女の子たちはビビって椅子から立ち上がって自分の部屋に戻ってしまった。
「ありがとうございます」
ルイーゼがおばちゃんに頭を下げてお礼を言ったので、私たちも頭を下げてお礼を言った。
「気にしなくていいんだよ。時々モラルのない人がたまにやってくるから、本当に困るんだよね」
おばちゃんは不満をためながら私たちに言ってきた。
「じゃあ、ゆっくり食べて頂戴ね」
おばちゃんはそのままいなくなってしまった。私たちはカウンターで料理を受け取って、テーブルで食べることにした。その日の夕食はロールパンにクリームシチュー、エビフライだった。最後にジュースを飲んで口直しをしたあと、そのまま部屋に戻ることにした。
その頃、ロバートが地下の懲罰房で食事を始めようとしていた。
「おい、食事だ」
「ちょっと待ってくれないか。君、こんな臭い地下で食事をさせるつもりかね? それにスープは水同然じゃないか。もっと気の利いた場所で、うまいものを出してくれよ」
ロバートは食事を運んできた男性看守に好き勝手な不満をぶつけていた。
「不満があるなら、無理して食べなくていい」
男性看守が食器を下げようとした時だった。
「君、何も下げることはないだろ。私はまだ食べないとは言っていないんだから」
「黙れ、さっきから出された食事にケチをつけて何様だ」
「何様って、人間様だよ。それがどうした」
「……」
「どうした、悔しかったら言い返してもいいんだよ」
「今のうちにそういう態度をとっておくんだな」
男性看守の精一杯の反論だった。
「ああ、そうさせてもらうよ。それと、食事を置いてくれないか? あとでゆっくり食べるから」
「今すぐ食べろ!」
「そう急かすなよ。今すぐ食べるから」
ロバートはブツブツと不満をこぼしながら、味のないスープを飲みながら、固いパンをかじっていた。
「だんな、ここ虫が出る。部屋を変えてくれないか?」
「つべこべ言うな!」
男性看守はドアを強く閉めて、いなくなってしまった。
私とクレアの公休が終わって、久々の出社となったある日、制服に着替えて、仮面とウィッグを着けた直後の事だった。部屋のドアをノックする音が聞こえたので、てっきりルイーゼたちかと思ったら、ユイさんがやってきた。
「おはようございます、どうされたのですか?」
「朝から申し訳ない。ロバートの死刑執行の日が決まった」
「いつなんですか?」
「今日、これからなんだよ」
「それで迎えに来たのですね」
「準備は終わったか?」
「はい」
「じゃあ、行くぞ」
ユイさんは私とクレアを連れて、死刑執行所まで向かった。死刑執行所は収容所の外れにあって、普段誰も通らない薄暗い通路を通って行った。通路の壁にはいくつかの絵画が飾られれていて、その絵はどれも嘆きや悲しみの絵になっていた。
「ユイさん、少しだけお時間いいですか?」
「少しだけならいいぞ」
「壁に飾られている絵のことなんですが……」
「獄中に囚人たちが描いた絵なんだよ。罪の重たさや被害者の憎しみや悲しみが、そのまま表現されているんだよ」
「なんで、こんな絵を描かせたのですか?」
今度はクレアが質問してきた。
「自分の罪の重たさと被害者の気持ちを知ってもらうためなんだよ。出所した時、同じ過ちを繰り返させないためでもあるんだよ」
ユイさんの話を聞いた瞬間、私の過去の記憶が蘇ってきた。私をいじめた連中に見せてやりたいと。
正面には再び鉄の扉が見えた。
「この扉の向こうは囚人の最後を迎える場所になっている」
ユイさんがゆっくりと扉を開けて中に入ってみると、所長と法務局の人たち、そして、シンディとレイラもいた。そして、男性看守の間にロバートが座っていた。
ユイさんは軽く一礼をしたあと、私とクレアを連れてシンディとレイラの後ろに座った。
所長は椅子から立ち上がり、ロバートの所へと向かった。
「そろそろお別れの時間だ。最後に何か言うことはあるか?」
「息子が弁護士をやっているから呼んでくれないか。このやり方は、あまりにも横暴過ぎる」
「弁護士事務所へ連絡したら、お前の息子はいないと言っていた」
「そんなはずはない。息子は弁護士をやっているんだ」
「これ以上の嘘は見苦しい」
所長が手で合図をした瞬間、男性看守たちが後ろに手錠をかけて、目隠しをしたあと、体をロープで縛って首を宙吊りにしたとたん、ロバートは死んでしまった。
椅子から立ち上がって死刑執行所を出ようとした瞬間だった。後ろからポンっと肩を叩いてきた人がいたので、振り向いたらシンディがいた。
「シンディ先輩お疲れさまです」
「初めての死刑の立ち合いどうだった?」
「見たことを後悔しています」
「どうして?」
「正直、おぞましいと思いました」
「自分に硫酸をかけた人なんでしょ? すっきりしたって思わなかった?」
「思っていません……」
「そっかあ、鈴鬼には刺激が強かったか」
「途中まで一緒に行きませんか?」
「いいよ」
一緒に歩いたけど、特に会話することもなく終始無言のままだった。
「私とレイラはこのあと、巡回があるから」
シンディとレイラがいなくなったあと、私とクレアも金属加工の監視に行くことにした。
「総員異常なし!」
「ご苦労、そろそろ交代だ」
私は男性看守に敬礼したあと、監視に当たった。その日も特に目だった動きがなかったので、時間通りに作業を終わらせて、囚人たちを部屋に戻したあと、事務所で書類の整理を済ませて宿舎へ戻ることにした。
その2日後の出来事であった。外ではジトジトと、うっとうしい雨が降っていた。宿舎の窓からクレアが外の様子を見ながら、「今日も雨だ」と不満をこぼしていた。
「気持ちはわかるけど、ここで愚痴をこぼしても始まらないし、とにかく行くわよ……。って、まだ着替えていなかったの!?」
私はパジャマ姿のクレアを見て、思わずビックリして大きな声を出してしまった。
「今、着替えるから」
私はあわてて着替えようとするクレアを手伝うことにした。制服本体にウィッグと仮面を着けて、手袋を嵌めてあげた。
「あとはブーツだけね」
「ブーツくらい、自分で履けるわよ」
クレアがブーツを履き終えて、急ぎ足で事務所へと向かった。朝礼が始まる5分前、ギリギリで事務所へ入ることができた。
「鈴鬼、クレア、明日はもう少し余裕をもって動いてちょうだい」
「すみません、気を付けます」
2人で謝った直後、ユイさんの注意を受けてしまった。
「もう新人じゃないんだからね」
さらにとどめを刺すように、イヤミを聞かされてしまった。
昼休みに入って、私とクレアはルイーゼたちと一緒に宿舎の食堂で休憩をとることにした。
「お疲れ、今日は派手に叱られていたね」
「すべて私が悪いのです……」
「クレア、どうしたの?」
ルイーゼはパンをかじっているクレアを見て、少し驚いていた。
「宿舎の部屋の窓から降っている雨を眺めていたら遅くなりました……」
「マジで?」
「そのマジなんです……」
「あのさ、マンガの世界じゃないんだからさ……」
ルイーゼは苦笑いをしながら突っ込みを入れてきた。
「私もそれを見てビックリしたから、あわてて着替えるのを手伝ったんだよ」
「お疲れ様です」
私がこぼした不満を聞いて、ルイーゼは同情してくれた。
「着替えを手伝ったって言うけど、もしかしてクレアってパジャマのままだったの?」
「そうだよ」
「えー!?」
ルイーゼはビックリした表情で反応していた。
「とにかく心配になってきたから、明日から迎えに行くよ」
「ありがとう、ヨロシク」
私はルイーゼの好意に少し甘えてしまった。
「そろそ時間じゃない?」
ユナは壁掛け時計を見ながら呟いていた。
「本当だ、じゃあ行こうか」
私とクレアは一度事務所へ戻って、予定を確認することにした。
「お疲れ。鈴鬼とクレア、悪いけど午後一番は面談にしてくれる?」
「どの面談室になりますか?」
「面談室A。じゃあ、よろしくね」
ユイさんに言われた私とクレアは「面談室A」に行って囚人と話をすることになった。中に入ってみるとシンディとレイラが面談を行なっていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
私がシンディに挨拶をしたら、シンディも敬礼をして挨拶をしてくれた。囚人は見た目は若く、真面目そうな人に見えた。むしろ、こんな人が罪を犯したとは想像も出来なかった。
「これ、囚人のデータ。私とレイラが所持品検査とボディチェックをするから、その間に目を通して」
「わかりました」
<名前……スミス 年齢性別……26歳、男性 職業…研究所員 罪名……わいせつ、窃盗、盗撮 具体的な犯罪内容……女性研究所員の着替えを盗撮したうえ、体を触ったり、下着を盗んだ疑い>これを読んだ私は思わず言葉を失ってしまった。
その時だった。
「お前、何をする!」
「シンディ先輩、どうされましたか?」
シンディの声が聞こえたので、様子を伺おうとした瞬間、囚人が手に持っているのは、シンディの仮面だった。
「おい、今すぐ返せ! でないと、懲罰だ!」
「どうぞご自由に。お前ら、なんでこんな仮面を着けているんだ?」
「お前には関係ない! 今すぐ仮面を返せ!」
「いやだね」
スミスという青年は、手ぐせの悪いサルみたいに、シンディの仮面を持って走り回った挙句、顔に着けてしまった。
「今すぐ外せ!」
「やだね。これは俺がもらったから」
私はムチを取り出して、体を数発叩いた。
「これって暴行になるよね? 今すぐ保安官を呼んでくれないか?」
「なら、おまえがやったことは窃盗と公務執行妨害になる。悪いけど、これはシンディの仮面だから返してもらうわよ」
クレアはスミスに近寄って、仮面を外してシンディの顔に着けた。
「さて、どうしようか」
ムチを構えた私はスミスに近寄って話を聞こうとした。
「頼む、暴力だけは辞めてくれ。ほんの出来心だったんだよ」
スミスの態度は急に変わって、震えながら私に言ってきた。
「今、彼女の顔を見たでしょ? 正直に言いなさい」
「見てない、本当だ」
「うそ、見たんでしょ? 正直に言ってくれる?」
「本当に彼女の顔を見ていないって……」
「本当のことを言いなさい」
スミスは完全に震えていて、何も言えない状態になっていた。
「どうした、本当のことを言え!」
「み、見ました……」
「よし!」
私はスミスを囚人服に着替えさせて、一度懲罰房へ送り込んだあと、事務所でユイさんに報告することにした。
「仮面の下を覗かれたのは誰なんだ?」
「シンディさんです」
ユイさんはシンディに当時の状況を詳しく聞き出した。
「というと、仮面をはがされた直後に手で顔を隠して部屋の隅に行ったんだね?」
「はい……。私としたことが……」
「わかった。では、スミスという囚人は、よその収容所に移送させるよ」
「場所はどのあたりですか?」
「なるべく遠くへ。何か気になることでも?」
「いえ……」
シンディは少し言葉をつまらせて返事をした。
「私は『囚人移送届』の書類を作成したあと、所長に提出するから、あなたたちは自分の持ち場へ戻ってくれる?」
「わかりました」
そのあと私とクレアは洋裁作業場で孤児院にいる子供たちの制服を作る作業を監視していた。囚人たちの目つきは真剣で、黙々と作業をしていた。当然、囚人同士の相談は禁じられているため、作業に関しての質問はすべて洋裁師にすることになっていた。お手洗いも看守同伴で行くことになっていた。それでもルールを無視して、囚人同士で会話をする人もいるため、注意はするが、それを聞かない人は言うまでもなく懲罰房送りとなってしまう。出来上がった制服は洋裁師がチェックしたあと、運送業者が馬車で孤児院まで運ぶ形となっている。
しかし、実際はスムーズには終わらなかった。
「お前、自分の使えよ!」
真ん中あたりで囚人同士による暴力沙汰のトラブルが発生した。それを見たクレアはサイレンを鳴らして招集をかけた。最初に駆けつけたのは、ルイーゼたちだった。
「どうした!」
「この2人を懲罰房へ」
「了解!」
私の指示でルイーゼとユナはけんかした2人を懲罰房へ連れて行った。
私たちが作業場の監視をしているころ、ユイさんは所長室で『囚人移送届』を提出していた。
「所長、こちらにハンコとサインをお願いします」
所長はユイさんから受け取った書類をしばらく眺めていた。
「『移送理由……女性看守、シンディの仮面の下を見たから』……なるほどね」
「所長お願いできますか」
「それは可能だが、まずは状況を聞こうじゃないか」
「彼女の話によると面談中に囚人スミスが急に仮面をはがして、取り上げたということなんです」
「なるほどね。わかった、スミスを移送させなさい」
所長はそう言って引き出しからハンコを取り出して捺印したあと、サインをしてユイさんに渡した。書類を受け取ったあと、移送担当の看守に渡してスミスを護送馬車に乗せて、隣町の収容所まで移送させた。
その頃、私は仕事を終えて宿舎のベッドに体を投げ出していた。
「ちょっと美鈴、寝るのは勝手だけど、せめて着替えてからにしたら?」
「だって疲れたんだもん……」
「子供みたいなことを言わないで、早く着替えようよ」
クレアに言われた私は重たい体を持ち上げて、あくびをしながら着替えを始めた。
「本当に疲れたみたいだね」
クレアは軽く笑みを見せながら私に言ってきた。
「うん……。トラブル続きだったから……」
私は再びあくびをした。
「今日は疲れているみたいだし……、食事どうする?」
「食べてから寝るよ」
「ねえ、知らなかった? 食べてすぐ寝ると牛になるんだよ」
「なら、いらない」
「冗談だってば。早く食堂へ行こう」
クレアは私を廊下に出したあと、309号室に入ってルイーゼとユナを呼んで、4人で食堂へ行くことにした。
食堂に入って、料理を受け取ってからテーブルに着いたとたん、私は再びあくびをしてしまった。
「ずいぶんと眠そうだね」
ルイーゼは心配そうな顔をして、私に声をかけてきた。
「なんだか疲れたみたい」
私も苦笑いをしながら、答えていた。
「食べたら、すぐに部屋へ戻ったほうがいいよ」
「うん、そうする」
私はスプーンを持ったまま、軽くうたた寝をしてしまった。
「ねえ、本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫。心配かけてごめんね」
私は眠気覚ましにコーヒーを一杯飲んだ。
「これで大丈夫」
私は再びスープを飲みながらパンを食べ始めた。
「もしあれだったら、お肉とパンだけでも部屋に持ち帰る?」
「そんなこと出来るの?」
「わからない……。おばちゃんに聞かないと……」
「なら、これだけでも全部食べるよ」
私は眠いの我慢して、何とか食べ終えることにした。
「ごちそうさま」
「じゃあ私、美鈴を連れて部屋に戻るから」
「あ、ちょっと待って。食器の片付けがまだ……」
私が食器の片付けをしようとしたら、「美鈴の分は私が片付けるよ」とクレアが言って返却口まで運んでくれた。
「クレア、本当にごめんね」
「そんなの気にしない。じゃあ、私は美鈴を連れて部屋に戻るから」
「うん、お休み」
部屋に戻った私はパジャマに着替えもせず、部屋着姿のまま眠ってしまった。
「風邪ひいちゃうよ」
クレアは小さい声で言いながら私に布団をかけてくれた。
12話へ続く




