10、脱走囚人捕獲計画
あれから1か月が経って、私たちの住んでいる街では毎日酷暑が続いていた。太陽の光がガスバーナーのように強く当たってくるので、「熱い」ではなく、「痛い」という言葉がふさわしかった。街の中では女性が日傘をさしたり、帽子を被るなどの紫外線対策をしていた。中にはサングラスやマスクをする人もいたので、犯罪者と誤解されている人もいた。ある貴婦人はサングラスとマスク姿で宝石店に入ると、店の人から不審者に思われてしまい、挙句の果てには保安官がやってくる始末だったので、説明に苦労させられていた。
その一方、私たちがいる収容所でも窓を開けたり、扇風機を使用するなどの暑さ対策をしていた。しかも、私たち女性看守はウィッグと仮面を着けていたので、男性看守より暑さが倍増していた。ある女性看守は誰もいない部屋に隠れて、仮面とウィッグを外して、顔に風を当てて暑さをしのいでいた。逆に外で監視をしている女性看守からはウィッグと仮面が紫外線対策になるので助かるという声もあった。
「あついー」
クレアは私の横で書類の整理をしながら、ぼやいていた。
「もう少しで昼休みなんだから頑張ってよ」
「これ以上何を頑張ればいいの? 私もう限界」
クレアがそのまま眠ってしまった時だった。ムチで床を叩く音が響いたので、後ろを振り向くとユイさんがムチを構えて立っていた。
「ユイさん……」
クレアは体を震わせながら一言呟いた。
「なあ、目が覚めるように今度は背中を叩いてもいいんだぞ」
「遠慮しておきます」
「なら、ちゃんとやれ!」
「はい!」
クレアは急に姿勢を正して残りの書類を仕上げた。昼休みは交代で入ることになり、私とクレア、ルイーゼ、ユナは最初に済ませることになった。
宿舎の食堂に入って、仮面とウィッグを外した瞬間、涼しさを全体で感じていた。
「ふう、涼しい」
仮面とウィッグを外したクレアの最初の一言だった。
「さっき、ユイさんに盛大に叱られていたよね」
私も笑いながら答えていた。
「いきなりムチはないでしょ」
「あれは、明らかにクレアが悪い」
「だってしょうがないじゃん。眠かったんだし。それに暑いし……」
クレアはさっきから言い訳ばかり並べていた。
「ねえ、事務所にいる時だけ仮面とウィッグを外せないの?」
横からルイーゼが口を挟んできた。
「それをやると余計に目立つし、収容所内では素顔を見せることは禁止になってるはずでは?」
今度はユナが口を挟んできた。
「そうだよね……。寝ていた私が悪かったんだし、午後は気合いを入れて頑張るよ」
「午前中もそうして欲しかった」
クレアの反省の言葉に私は思わず突っ込みを入れてしまった。
「みんな、お疲れ」
「シンディ先輩、お疲れ様です。あの、レイラ先輩は?」
シンディがやってきたので、私は立ち上がって挨拶をした。
「レイラなら先に廊下に出たよ。クレア、午前中派手に眠っていたけど、もしかして夜更かしでもしていたの?」
「暑さが原因で……」
「暑さ?」
「仮面とウィッグを着けていたので、余計に暑く感じていたのです……」
「私もレイラもユイさんも仮面とウィッグをしているけど、平気だったよ。もっぱら夜更かしでもしていたんでしょ?」
「……」
「何も言い返してこないってことは図星?」
「はい……」
「なら、今日は早く寝なさい」
「わかりました……」
「そういえば、あなたたちはもう食べたの?」
「これからです」
「急いだ方がいいわよ」
私たちはカウンターへ行って、冷えた野菜スープとロールパンで昼食を済ませた。
その日、午後一番の業務は土砂採石場の監視だった。炎天下で日陰もなく、まさに生き地獄だった。私たちにはそれぞれ交代で5分間の小休憩が許されていたので、支給された水を飲むことにした。
水を飲む方法としては、岩場に隠れて仮面を少し上に持ち上げて飲む形となっていた。そんな中、囚人たちは汗を流しながら作業をやっていた。
「看守さん、我々にも水を分けてもらっていいですか?」
「私語を慎め!」
私は思わず恫喝をしてしまった。
「これは私語ではありません、正当な要求です。自分はともかく、1人暑さで苦しんでいる人がいるのです。ほんの少しだけ休ませてもらっていいですか?」
よく見ると暑さに耐えきれなく、倒れそうな囚人がいた。
「わかった、休憩の許可をする。それと、これからお前たちの分の水も手配する」
「ありがとうございます。もう一つお願いがありますが、手足につながれている鎖を外してもらっていいですか? こんな重たい物を着けられていたら、終わる作業も終わらくなってしまうので……」
「それは断る」
「その理由を教えてもらっていいですか?」
「お前たちは仮にも外で罪を犯した人間だ。これを外したら逃げるに決まっている」
「どうやって逃げると言うのですか? 周りは山だらけ、おまけに看守4人に見張られていたら、逃げられるわけがない」
「信用できない。さっさと作業を続けろ!」
その時、誰かが一人倒れてしまった。
「おい、今1人倒れたけど、どうするつもりなんだ?」
「わかった、救護を手配する」
私は無線で救護を手配して倒れた囚人を医務室まで運ぶよう、指示を出した。
「それとよ、この妙な仮面外さねえのか? 前から気になっていたんだよ」
「これがお前たちに見せる私の顔だ」
「そうかよ」
「わかったなら、さっさと作業に戻れ!」
私に言われ、黙々と作業を続けた直後のことだった。囚人たちが何かヒソヒソと話し始めた。
「お前たち何の話をしているんだ!」
私は気になって囚人たちに近寄って声をかけた。
「ただの世間話ですよ」
「どんな内容か聞かせろ!」
「……」
「255号、早く質問に答えろ!」
「ただの世間話です」
「だから、その世間話の内容を聞かせろと言っているんだ!」
「暑いから水が欲しいと言っただけです」
「本当か? 256号、早く質問に答えろ!」
「その通りです……」
「まさかと思うが、脱走を企んでいないか?」
「そんなことありません……」
「なら、もう少しで作業を終わりにする。水は各部屋に人数分配布するから、そこで飲め」
「わかりました」
クレアのほうでも別の囚人たちが何か会話をしていた。
「そこ、なんの話をしていた? 私語は懲罰の対象だ!」
「看守さん、違いますよ」
「何が違うって言うの? 脱走の話をしていたんでしょ?」
「そんなことない!」
「なら、なんの話をしていたのか、話せ!」
「暑いから、そろそろ休憩にしたいと言っていただけですよ」
「心配しなくても、もう少しで終わりにする」
「本当ですか? ありがたい」
その時だった、囚人たちがニヤっと笑いだした。そうとも知らずに私たちは監視を続けていた。
その日の作業が終わって、私たちは囚人たちを部屋に戻したあと、事務作業をしていた時だった。
「クレア、今日の囚人たち変じゃなかった?」
私はどうしても気になって仕方がなかったので、クレアに聞き出した。
「私も変だと思った。しかも、私が後ろを振り向いた瞬間、ニヤっとした顔をしていたわよ」
「囚人たちの会話って、絶対に脱走だと思わない?」
「私もそう思った」
クレアも私の意見に同意していた。
翌日も私たちは土砂採石場で監視することになった。昨日の今日だったのか、囚人たちは無口で作業をやっていたその時だった。255号の囚人が足の痛みを訴え始めたので、私は「どうした?」と声をかけた。
「看守さん、255号が足首を痛めたので、鎖を外してもらっていいですか?」
横にいた256号の囚人が私に頼んできた。
「なぜ、お前がそれを言う?」
「なぜって……」
「どうした、早く質問に答えろ!」
「同じ部屋の仲間だから……」
256号は遠慮がちに私に言ってきた。
「255号、どっちの足を痛めた?」
「右の足首です」
255号は右の足首に指をさしながら私に言ってきた。
「よし、見せてもらうぞ。他のヤツは作業を続けていろ!」
私はそう言って、右の足首に着けられている鉄の輪っかを外した直後だった。255号の囚人が私の背中を強く叩いてきた。
「うっ、」
私はその場で倒れてしまった。
「おい、大丈夫か?」
クレアが私に近寄って声をかけた。
「大丈夫。それより、255号が脱走した」
「え、脱走!?」
クレアはそれを聞いて、無線でサイレンを鳴らすよう指示をした。その頃、255号は顔をニヤつかせて逃走した。しかし、誰も追いかけようとしなかった。
「なぜ、追いかけないのですか?」
私は近くにいたユイさんに声をかけた。
「大丈夫よ」
「どういうこと?」
私は納得できなかった。
「明らかに収容所の外へ抜けましたよ」
「実は、あの先にある出口も『収容所の敷地内』って言ったほうが正確なんだけどね」
「どういう意味なんですか? 私にはよくわかりません」
「実は私たちの間では『迷いの山』と呼ばれていて、絶対に抜け出せない迷路になっているの。おまけに山の中で魔物が生息しているから、脱出は不可能なんだよ」
「そうなんですね。なんていう魔物なんですか?」
「知りたい?」
ユイさんは意地悪そうに私に聞き返した。
「はい……」
「あの先には双頭猫獣と言われるライオンの頭が二つの魔物とサーベルタイガーが生息しているの。一度出くわしたら最後、2度と出られないわ」
私は出口の方角へ目を向けて、じっと眺めていた。
その頃、255号は山の奥まで逃げ込んでしまった。
「バカな看守だ。こんな簡単な芝居に引っかかるなんてよ」
そう言いながら山の中をさまよい続けた。
「変だな、なんで誰も追って来ないんだ?」
255号は看守たちや保安官たちが追って来ないことに疑問を感じた。
「やべえな、道に迷ってしまったみたいだ。早く山を下りないと」
そう呟いた時だった。赤く光った目が255号に向けられてきた。あわてて逃げるにしても、来た道がわからなくなってしまった。「どうしようと」呟いた時、目の前にサーベルタイガーが襲ってきた。「とにかく上を目指して逃げよう」と言って走って登ったけど、息切れして立ち止まってしまった。今度は正面からは頭が二つのライオンの魔物がやってきた。
「なんだ、この生き物は? こんなの見たことがない」
255号の足は完全に震えていた。「ウーウー」と唸り声あげながら、魔物たちがゆっくりとせまってきた。足元に石があることに気がつき、顔にめがけてぶつけてみた。しかし、魔物たちには通用しなかった。下からサーベルタイガー、上からは頭が二つのライオンの魔物。255号は最後の体力を振り絞って、全力で上を目指して走っていった。それと同時に魔物たちも全力で追いかけてきて、最後は捕まってしまった。「うわー!」と言う悲鳴とともに、255号は食べられてしまった。
「今の悲鳴って……」
下にいた私はユイさんに聞いてみた。
「脱走した255号よ」
「みんなが追いかけない理由がわかりました」
「そう言うことだったのよ」
「ちなみに、255号の死体はどうなるのですか?」
「たぶん、骨だけになっているはずだから、そのままでいいんじゃない?」
「もう一つ気になったのですが、あの魔物って最初からいたのですか?」
「私にもわからない。一説によれば所長が連れてきたのではないかという話も出ているの」
「そうなんですね」
「さ、無駄話はここまで。早く業務に戻りなさい」
私はクレアと一緒に土砂採石場へ戻ることにした。
「総員異常なし!」
私が戻るとルイーゼが敬礼しながら挨拶してきた。
「1名、脱走者の死亡が確認されました」
私も敬礼しながらルイーゼに報告をした。
「その1名とは?」
「255号の脱走者です」
「了解した!」
私がちょっと偉そうに腕を組んで監視をしていた時だった。ルイーゼが「鈴鬼、終わったら私の部屋に来て」と耳元でささやいてきたので、私は黙って首を縦に振った。
宿舎に戻って、食事と入浴を済ませた私は部屋着姿になって、クレアと一緒に309号室のルイーゼたちの部屋に入った。
「失礼しまーす」
「あ、お疲れ」
私が遠慮がちにドアを開けたら、ルイーゼが人数分の紅茶を入れて用意をしていた。
「いい匂いがするね」
「実は街に行った時に、ちょっと奮発して買ってきたの」
「そうなんだね」
私がテーブルの前で座っていたら、ベッドで横になりながらクッキーをくわえたユナが「美鈴、クレアお疲れー」と声をかけてきた。
「ユナ、行儀が悪いわよ」
ルイーゼが注意すると、ユナは「ルイーゼ、言い方がお母さんみたい」とイヤミぽく言って、そのまま聞き流してしまった。
「さめないうちに飲みましょうか。美鈴もクレアも飲んで。クッキーもあるわよ」
ルイーゼはベッドで横になっているユナを無視して、紅茶を飲み始めた。
「おいしい!」
紅茶を飲んだ私の最初の一言だった。
「でしょ」
そのあと、クッキーも一口食べた。甘さが口の中に広がった瞬間、疲れが一気に吹き飛んだ気分だった。
「このクッキーも街で買ってきたの?」
「そうだよ」
「どこの店?」
「たしか、チョウチョの絵が描いてあったような気がしていた……。ごめん、忘れた」
「ありがとう、次の休みにそれっぽい店を探してみるね。楽しんでいる時に水を差すようで申し訳ないけど、今日私を呼んだのは他にもあるんでしょ?」
「うん……」
私の一言で空気が一瞬に重たくなった。
「255号が脱走した件なんだけど……」
ルイーゼは重たい口を開いて私に言ってきた。
「実は、私のミスだったの……」
私も言いづらそうに返事をした。
「なんで?」
「私が255号の足の鎖を外してしまったから……」
「でも、あれは255号が足を痛がっていたからなんでしょ?」
「すぐに救護を手配すれば、こんな結果にならないで済んだはずだったのに……」
「気にしていても始まらないから、次気を付ければいいと思うよ」
「そうだね……。明日、所長に叱られに行くよ」
「まだ決まったわけじゃないんだから……。さ、暗い話はここまで。あ、そうそう、もう一つ気になったけど、255号が逃げた場所ってどこだったの?」
ルイーゼは急に話題を変えて私に質問してきた。
「実は脱走経路に見せかけた道があって、そこを抜けると『迷いの山』と呼ばれる山につながるの。そこに入ると二度と抜けられなくなるって、ユイさんから聞いた」
「やっぱ、遭難しちゃうの?」
「それもあるけど、中に入ると魔物に襲われるの」
「どんな魔物?」
「サーベルタイガーと双頭猫獣だって」
「サーベルタイガーはわかるけど、双頭猫獣ってどんな魔物なの?」
「頭が二つのライオンなの」
「聞いただけで、怖くなってきた。それで、その255号はその魔物に食いちぎれられたって感じなんだね」
「うん……」
「255号も看守たちが追いかけて来ないから、不思議に思ったんじゃない?」
「まあね」
私は紅茶を飲みながら苦笑いをして返事をした。
「じゃあ明日も早いし、そろそろ寝るね」
「うん、お休み」
私は眠そうになっているクレアを連れて自分の部屋に戻った。
翌朝、事務所で朝礼を済ませた私とクレアは女性囚人の部屋に行って、点呼をとらせた。
「看守にお願いがあります」
「なんだ、言ってみろ」
46号の囚人が私に手を挙げて言ってきた。
「私たちも囚人である前に1人の人間です。私たちの話を聞いてもらいたいのです」
「残念だが、今の私には無理だ」
「どうしてですか?」
46号は納得いかない顔をしていた。
「多くの罪を犯してきたお前たちを、善良な人間たちと同等扱いするのは難しい」
「それは、あまりにも横暴すぎます」
「口答えすると懲罰だ!」
「懲罰上等よ。私を早く地下の懲罰房へ連れていけば」
「待ちな」
私が46号の囚人に手錠をかけようとした瞬間だった。クレアが私の肩を軽く叩いた。
「お前たちの要望は一度上の者と話をする。だからそれまで待ってほしい」
クレアは私を連れて一度事務所へ戻った。
「失礼します。看守長にお話があります」
クレアはあらたまった言い方でユイさんに声をかけた。
「クレア、どうした」
「ここ数日囚人たちに不満がたまっています。一度囚人たちの話を聞くのはどうでしょう」
「言っておくが、彼らは犯罪者だ。それを承知の上での話か?」
「はい。このままですと、囚人たちの間で不満がたまって、またトラブルが発生します」
「わかった、紙を用意するから少し待っていろ」
ユイさんは、はがきサイズのメモ用紙を何枚か用意して、私とクレアに渡した。
「この紙を一部屋40枚ずつ置いていけ。それと鉛筆も一部屋4本渡してあげて」
「わかりました」
そのあと、ユイさんは鉛筆をなんダースか渡していった。それを大きな手提げ袋に入れて、私とクレアは囚人部屋に行って配り始めた。
「これから言いたいことがあれば、この紙に書いて私に提出しろ」
「看守さん、この紙はいつ渡せばいいのですか?」
「私たちが見回りに来た時だ」
「わかりましたー」
46号は少し間延びしたような感じで返事をした。
翌朝、点呼を終えた46号は私に紙を提出してきたので、広げてみると、思わず言葉を失いたくなるような内容が記されていた。<自由になりたいので、早く釈放してください> あまりにも人をバカにするような内容だったので、言うまでもなく却下にした。
さらに翌朝の点呼を終えた時だった。46号が再び私に提出してきた。
「看守さん、今日も書きました」
「今日はまともだろうな」
私はそう言って紙を広げてみると、今度は<本をたくさん読みたいので、図書室へ自由に行けるようにしてください>と書かれていた。
「悪いが、これも却下だ」
「えー、どうしてですか?」
46号は納得しない顔をして私に言ってきた。
「1人だけのわがままは認められない。悪いけど、これも却下だ。それと現時点を持って46号は懲罰送りにする」
「出た、看守の横暴が。絶対に弁護士を呼んでやる」
そう言って46号は私に手錠をかけられて、地下の懲罰房へと向かった。
「ここで、しばらく反省していろ!」
「看守さん、一度でいいから仮面の下を見せてー」
「断る!」
「あと、この部屋悪臭がひどくて息ができないんですけどぉ、消臭対策してくれますかー?」
「一応考えておく」
私はドアを強く閉めたあと、鍵をかけて上に戻った。
事務所へ戻った私は資料室の鍵を借りて46号の詳細を調べることにした。
「お疲れ。何か調べもの?」
中に入ってきたのはシンディだった。
「シンディ先輩、お疲れ様です。実は46号の女性囚人について調べようと思ったのです」
「私、彼女のことなら少しだけ知っているわよ」
「本当ですか!?」
「だけど、あんまり期待しないでね」
「お願いします」
私は奥にあるテーブルでシンディから46号の詳細について話を聞くことにした。
「彼女の名前はヤンネル。6年前彼女は当時二十歳になったばかりで、夜の水商売で男性客から巧妙な話術でお金をだまし取っていたの。金貨にして20枚や30枚は当たり前。ビールやブランデーに興奮剤を混入したり、アルコール濃度を高めたお酒を飲ませて酔いつぶして、お客さんの財布からお金もくすねていたの」
「ということは、詐欺と窃盗になるのですね」
「ごめん、話は終わってないから最後まで続けさせて」
「すみません……」
「不審に思った男性客たちは、揃って保安所へ行って今までのことを全部話したの。保安官はすぐに逮捕状とらずに一度客のふりをして、問題となった店に入って、あたりの様子を見渡したけど、特に変わった気配がなかったから、ブランデーを一杯注文したの。用心のため、飲む前に用意したスポイトを使って試験管にブランデーを少し入れて持ち帰ることにしたの。飲み終えて会計を済ませようとした時、メニューに書かれている金額より高いことに気がついて、ヤンネルに聞いてみたらサービス料金が含まれていると言ってきたの。不審に思った保安官は、一度店を出て保安所に戻って持ち帰ったブランデーを科捜研に渡したら、興奮剤が検出されたので詐欺、横領、窃盗、禁止薬物使用などの容疑で、逮捕状をとってヤンネルに手錠をかけたの」
「それで裁判にかけられて、ここに来たってわけなんですね」
「そういうこと。間違っても彼女をまとも相手にしちゃだめだよ」
「わかりました」
「私から彼女の情報を聞いたから、ここには用がないよね?」
「はい、ありがとうございます。一つだけいいですか?」
私は資料室を出ようとしたシンディを引き留めた。
「何?」
「彼女が使用していた薬物はどこから入手したのですか?」
「彼女の知り合いが製薬会社に勤めていたから、そこから入手したって言っていたわよ」
「って言うことは、彼女に薬を渡した人もここにいるって事なんですね」
「たぶん……。あるいは別の収容所に移送された可能性も高いわ」
「わかりました、ありがとうございます」
「ねえ、なんで彼女のことを調べようとしたの?」
「なんていうか、人をばかにするあの性格がどうも好きになれなくて……」
「気持ちはわかるけど、囚人の性格なんて似たようなものだよ」
「そうですよね……」
「じゃあ、出ようか」
私が資料室を出た直後のことだった。急にサイレンが鳴り響いて、「金属作業場より刃物を持った男性囚人が脱走した模様。速やかに捕獲を要請する」と放送が流れた。
「急ぐわよ」
シンディは私とクレア、レイラに言って、囚人が逃げた方角へと走り出した。男性囚人は有刺鉄線が付いている塀をよじ登ろうとしたので、私はクレアと一緒に囚人を取り押さえて手錠をかけた。
「おまえ、逃げようとしたな!」
「この刃物、どうするつもりだ?」
私が声をかけたら、今度はクレアも声をかけた。
「お前たちに関係ねーだろ!」
「おい、早く質問に答えろ!」
私はムチを地面に叩いて威嚇した。
「話なら面談室で」
ユイさんに言われ、私とクレアは脱走しようとした男性囚人を面談室に連れて行った。
「逃げようとした理由を聞かせてもらおうか」
「言いたくねえよ!」
「正直に話せ! でないと懲罰だ!」
「答えようと、黙っていようと俺の懲罰は決まっているんだろ!」
「こっちには聞く権利がある!」
「先日、姉から手紙が来て親父が危篤になったと書いてあったから……」
「では、刃物は何に使おうとした?」
「相手を威嚇するためだ。頼む、親父が危ないんだ。戻ったら懲罰でもなんでも受ける」
「なら、その手紙を見せろ!」
男性囚人はポケットから手紙を取り出して、私に見せた。
「これが手紙だ」
「よし、読ませろ」
私は受け取った手紙を読み上げた。中身はこう書かれていた。<ラース、お元気でいますか? 収容所での生活は慣れましたか? ラースが捕まった次の日、今住んでいる街を離れて、違う街で暮らすようになったんだけど、慣れないことだらけで毎日苦労が続いています。そんな中、お父さんが急に倒れてしまって危篤になりました。あなたは収容所にいるので、病院に駆けつけることが出来ないのはわかっています。 出所したら一度私の住んでいる街まで来てください。 姉より>と書かれていた。
「内容は確認させてもらった」
「では、外出許可を」
「だめだ、1人を認めたら全員にも同じ条件にしなければならない。まして、お前は脱走しようとした身だ。よって今日から懲罰房に入ってもらう」
「懲罰なら、病院から戻ってきたら好きなだけすればいい。だから、今だけ行かせてくれないか?」
ラースはついに床に手をついて頭を下げてしまった。
「気持ちはわかるが、罰は罰として受けてもらわないと困る」
ラースが諦めようとした時だった。
「いいんじゃない? お父さん危篤なんでしょ? その代わり戻ってきたら懲罰を受けてもらうって感じで」
ユイさんが横から条件を持ちかけた。
「看守長、いいのですか?」
「囚人護送用の馬車がある。私が馬車を運転するから、鈴鬼とクレアで見張りをしてくれないか?」
「わかりました」
「看守長、ありがとうございます」
ラースは再び頭を下げた。
「ただし、勘違いしないでほしい。一時的な特別許可だ。戻ってきたら懲罰房へ入ってもらうからね」
「ありがとうございます」
「万が一のために手足に拘束をやってもらうよ。それと、お前の服だ。早く着替えろ。囚人服で会うのは嫌でしょ?」
ラースは着替え終えたら、手錠や鎖などで手足を拘束された。
「準備完了です」
「では、馬車に乗せろ」
私とクレアはラースを格子のついた馬車に乗せて扉を閉めたあと、外から見えないように分厚い布で荷台の部分を覆いかぶせた。そのあと馬車は収容所を出て、病院へと走らせていった。
馬車を走らせて20分、ラースは退屈になったのか、立ち上がろうとした。
「おい、どうした?」
「ちょっと外の様子が気になって……」
「大人しく座っていろ!」
私が声をかけたら、立ち上がろうとしたラースが再び椅子に座ってしまった。
病院に着いた馬車は人の出入りの少ない裏側に止めたあと、ユイさんが格子の扉を開けて、私とクレアはラースを病室の入口まで連れて行った。
病室の入口で私はラースの拘束を解除して中へ入れてあげた。数分後、ラースの泣き叫ぶ声が病室に響き渡った。さすがの私とクレアもこの泣き叫ぶ声には耐えられなかった。ラースは父さんと最後のお別れをしたあと、再び手足を拘束されて、馬車に乗って収容所へ戻った。
収容所へ戻った彼は着替えを済ませるなり、私とクレアの前で「約束通り懲罰を受けます」と言って、手錠をかけられて地下へと向かった。
「ここでしばらく反省をします」
「悪く思うな。これも規則なんだから」
私とクレアはベッドに座って下を向いている彼を見たあと、扉の鍵を閉めて地下をあとにした。
「彼を見たら、かわいそうになってきた」
クレアは少ししおれた声で私に言ってきた。
「かわいそうだけど、これも規則なんだよ。だからと言って、彼一人甘やかすわけには行かないでしょ?」
「私かに……」
そのあと、私とクレアはユイさんと一緒に所長室へ行くことになった。
所長室の扉を数回ノックすると「入れ」という低い声が聞こえてきた。
「所長、失礼します。実はご報告したいことがあって参りました」
ユイさんは少し遠慮がちに所長に話した。
「実は先ほど私の独断で囚人番号311号のラースをお父さんが入院している病院まで連れて行ってしまいました。これが姉さんが彼に差し出した手紙の内容です」
ユイさんはそう言って所長に見せた。所長はユイさんから受け取った手紙の内容をまじまじと眺めていた。
「手紙の内容は確認したよ。彼には同情してあげたい。しかし、なんで俺に言わなかった? 彼は脱走しようとしたそうじゃないか」
「申し訳ございません」
ユイさんは所長の前で頭を下げたので、私とクレアも一緒に頭を下げて謝った。
「それで病院まで連れて行ったんだね」
「はい、脱走しないように手足を拘束して、囚人護送用の馬車で移動しました。病室の入口で拘束を解除して最後の面会をさせたのですが、その時は手遅れで、彼のお父さんは亡くなっていました」
「なるほど。万が一彼が脱走していたらどうするつもりなんだ?」
「そうならないように病室の入口で待機して、見張っていました」
「わかった、それだけ警戒を強めていたら万全だろ。それで彼はどうしているんだ?」
「彼でしたら地下の懲罰房に入っています」
「了解した。下がっていいぞ」
「あの、私たちにペナルティは?」
「受けたいのか?」
「いえ……」
「だったら、俺の気が変わらないうちに早く下がってくれ」
「失礼します」
ユイさんが私とクレアと一緒に廊下を歩いていた時だった。再びサイレンが収容所内に鳴り響ていた。さらに放送で、脱走者がいるとの通報。しかし、すぐに鳴りやんだ。
「どうしたのでしょう」
私は独り言のように呟いた。
「さあ?」
クレアもボソっと返事をした。
「わかったわ、例の山へ逃げたからよ」
ユイさんは笑いながら教えてくれた。
「もしかして、魔物が現れるという迷いの山にですか?」
「正解」
「だから、看守たちはそのまま戻ってきたのですね。一つ気になったのですが、山にいる魔物って最初からいたのですか?」
「そう思うでしょ?」
「はい……」
「違うのよ。あれは所長が連れてきた魔物なの」
「って言うことは、所長のペットなんですか? 以前質問した時には『わからない』と答えていたはずでは?」
驚いた私はユイさんに質問をした。
「最初は私もわからなかったの。でも、思い切って所長に聞いてみたら『自分が連れてきた』と話してくれたの」
「そうなんですね。納得しました」
「私は事務所に戻るから、あなたたちは自分の持ち場に戻りなさい」
ユイさんと別れたあと、私とクレアは収容所内を巡回することにした。特に大きな問題もなかったので、事務所へ戻ろうとした時だった。再び脱走。「今日これで何回目?」と思わずぼやきたくなってしまった。私とクレアは脱走してきた女性囚人を取り押さえて、手錠をかけた。
「おい、今すぐこの手錠を外せ! 弁護士を呼ぶぞ!」
「呼びたければ呼んでも構わない。お前がやったことは重罪だ!」
「だったら、なんだというんだ? 懲罰か?」
「そうよ!」
「かまわねえぜ。さっさと連れていけよ。なあ、それより仮面の下見せてくれないか?」
「お前に見せる顔なんかない。行くぞ!」
「はいはい、わかりました。なあ、それより仮面の下見せてくれよ」
「くどい! 黙って歩け!」
「私さ、あの地下の生活に慣れちゃった」
「……」
「ねえ、なんか返事してよ」
「黙れ!」
地下に入るなり、私とクレアは彼女を懲罰房に入れて鍵を閉めた。
「今度、仮面の下を見せてね。じゃあね」
私とクレアは無言のまま地下をあとにして、外の様子を見ることにした。午後5時を過ぎたのに、いまだに日差しが強い。仮面とウィッグ、長手袋で紫外線を守ることが出来ているからいいけど、このまま全部外していたら間違いなくシミが出来ても不思議ではなかった。土砂採石場では男性囚人が汗をかきながら作業していた。
「総員異常なし!」
「ご苦労!」
私とクレアは敬礼したあと、事務所に戻って書類の整理をやり始めた。
「お疲れ、お仕事終わった?」
後ろからルイーゼが声をかけてきた。
「お疲れ。書類がこれだけ残っている」
「まだ残っているわね。少し手伝おうか」
「せっかくだけど、遠慮するよ」
「ただ待っているのも退屈だし、私にもやらせてよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
私は書類の半分をルイーゼに渡した。
「ルイーゼ、私も」
今度はクレアがお手伝いの依頼をかけてきた。
「だったら、私が手伝うよ」
ユナがクレアの書類の半分を取り上げて自分の席で作業やり始めた。
「終わったね」
疲れ切ったルイーゼの最初の一言だった。
「ありがとう」
「いいって、それくらい。その代わり、私がピンチの時には頼んだわよ」
宿舎に戻った私は「疲れた」と言って、仮面とウィッグ、手袋をしたまま制服姿でベッドで横になって眠ってしまった。
「美鈴、疲れているのはわかるけど、せめて着替えようよ。あと食事も行こうよ」
「……」
クレアに起こされても、起きる気力がなかった。
「なら、実力行使」
そう言ってクレアが私の仮面を外そうとした時だった。
ドアをノックする音がして、ルイーゼとユナが入ってきた。
「ご飯食べに行こう」
テンション高めにルイーゼが言ってきた。
「そうしたいのは山々なんだけど、美鈴がご覧の通りで……」
クレアは少し呆れた顔をして答えていた。
「こうなったら、みんなで美鈴の着替えを手伝うわよ」
ルイーゼに言われたクレアとユナは、眠っている私の着替えを手伝い始めた。最初にルイーゼが私の仮面とウィッグを外し、ユナが私の制服と手袋を脱がして、クレアが用意した部屋着を私に着せた。
「これで着替え完了だね。あとは美鈴をどうやって起こそうか」
ルイーゼは私のベッドでどんな起こし方がいいか考えていた。
「この起こし方がいいかも」
「どうするの?」
クレアは頭にクエスチョンマークを浮かべながらルイーゼに質問した。
「私に任せて」
そう言って一度梯子から降りて、自分の部屋からチョコレートとオレンジジュースを用意してきた。部屋の中にチョコレートの匂いが充満し、さすがにこの匂いを嗅げば目が覚めるはずと思っていた。匂いに気がついた私はゆっくり起きあがって様子を見渡した。
「あれ、いつの間にか部屋着姿になっている。あとチョコの匂いが充満している」
「それ、私が用意したの。ご飯のあと、みんなで食べようか」
「いいの?」
「うん、みんなで食べよう」
「このチョコ、コーヒーの風味もあるよね?」
「実はチョコの中にコーヒーも混ざっているんだよ」
「そうなんだね」
「じゃあ、食事に行こうか」
「そうだね」
私はみんなと一緒に食事へ行くことになった。
食堂の中に入ってみると、いつもと違って空席が目立っていた。
「今日やけにすいているわね」
中を見渡した最初の私の感想だった。
「確かに……」
クレアも私に続くように言ってきた。
「とにかく、順番で料理を持ってこようか」
「そうだね」
ルイーゼの言葉に私は相づちを打っていた。
「今日はかなりのお疲れだったね」
パンをちぎりながらクレアが私に言ってきた。
「うん……。なんていうか、今日脱走が目立っていたから……」
私はあくびをしながら返事をしていた。
「確かにそうだよね。そのうちの1人は訳ありだったし」
「あんなケース、始めてだったよ」
「ユイさんも思い切ったことをしたわね。普通あんな手紙を読んだくらいで許可しないわよ。」
「うん……」
「そのあと、所長室へ行って報告するし……」
「普通はするでしょ」
「まあね」
「2人ともどうしたの?」
横で聞いていたユナが首を突っ込んできた。
「男性囚人の家族から手紙が来て、『お父さんが危篤になった』という報告があったの。その内容を知ったユイさんが特例を出したの」
私はユナに男性囚人の家族から手紙が来たことを話した。
「マジ!? じゃあ、その男性囚人を病院まで連れて行ったの!?」
「うん……」
「思い切ったことをしたわね」
「もちろん、脱走しないように手錠をかけて、足には鎖をつなげて、その上囚人護送用の馬車に乗せて、病室の手前で拘束を外したって感じかな」
「正直、脱走しなかったのが不思議」
「男性囚人のお父さん、すでに亡くなっていて、その場でずっと泣いていたの。本人も相当ショックを受けていたみたいで……」
「そりゃショックを受けるわよ。罪を犯して捕まった上に、自分の親が死んだんだから……」
「病室を出た彼はすっかり元気をなくしていて、私に手錠をかけられて戻ったの。一度脱走を試みたんだから、もちろん懲罰房送り。地下のベッドに座ってずっと下を向いたままだったよ」
「そうだったんだね……。お疲れ様……」
私が再びあくびをしたら、クレアがカウンターからサイダーを持ってきた。
「眠そうみたいだし、とりあえずこれを飲んでよ」
私は差し出されたサイダーを一口飲んだ。その瞬間、一気に目が覚めてしまった。
「美鈴もお疲れみたいだし、そろそろ部屋に戻ろうか」
ルイーゼの一言で私たちは部屋に戻ることにした。
翌朝、私は気持ちよく寝ていた。目が覚めて時計を見た瞬間、朝礼時間が過ぎていたことに驚いて顔が真っ青になった。
「クレア、起きてよ。朝礼時間が過ぎているわよ!」
「私は着替えをしながらクレアを起こしていた」
「あと、5分だけ」
「悪いけど、今すぐ起きて。朝礼時間が過ぎているの」
その時だった。ドアが勢いよく開いてルイーゼとユナがやってきた。
「2人とも今すぐ起きて。ユイさんがカンカンなの」
「マジで!?」
私はあわてて、制服に着替えて仮面とウィッグを着けて部屋を出ようとした時だった。
「この手袋って美鈴のじゃない?」
ルイーゼは指を差しながら私に言ってきた。私が手袋を嵌めようとしたしたら、「私が手伝う」と言って嵌めるのを手伝ってくれた。さらにウィッグも直してくれた。
クレアもユナに手伝ってもらいながら着替えが完了した。
「仮面もウィッグも手袋も大丈夫だよね?」
ルイーゼが確認した時だった。
「クレア、ブーツは?」
「あ、そうだった」
私に言われて、あわててブーツを履いて4人で宿舎の廊下を走っていた時だった。「廊下を走らないでくれる?」と寮母さんから厳しい注意を受けてしまった。
「すみません、急いでいたものですから」
私はとっさに言い訳をぶつけてしまった。
「急いでいても走らないでください」
「すみません」
結局、その日20分の遅刻となってしまった。
「今日は珍しく2人で重役出勤?」
朝礼を終えたユイさんが私とクレアにイヤミをぶつけてきた。
「昨日の疲れが残っていたものですから……」
「一生懸命頑張って疲れたのはわかるけど、一応社会人だし、ちゃんと時間の管理をしてちょうだいね」
「すみません、次から気を付けます……」
「それで、今日は2人に罰を与えようかしら」
「罰と言いますと?」
私は不安を抱えながらユイさんに質問をした。
「2人にトイレの掃除をやってもらうわよ」
「えー!」
「何その声。自分が遅刻したのが悪いんでしょ?」
「確かに……」
「クレアも同じルームメイトなんだから、連帯責任として一緒にトイレ掃除をやってもらうわよ」
「わかりました……」
「何、その返事」
クレアが嫌そうに返事をした瞬間、早速ユイさんの雷が飛んできた。
「あの、せめて違う罰にして欲しいんだけど……。トイレは囚人たちに任せるというわけには……」
私が最後まで言い終わらないうちにユイさんは私に目を向けた。仮面をしているので表情はわからないが、ものすごい怒りのオーラを感じてしまった。
「鈴鬼、ユイさんが爆発する前に……」
クレアは私の腕を引っ張って、トイレへ向かおうとした瞬間だった。「待ちな」と言ってピンクのゴム手袋を二組用意してくれた。
「ありがとうございます」
私がお礼を言ったあと、クレアもユイさんに「ありがとうございます」と言って、自分の席に制服用の長手袋を置いて、ピンクのゴム手袋に嵌め変えた。
トイレは男女両方あり、中もそれなりに広かった。入口に「清掃中」の看板を設置したあと、床や便器、洗面台をすべて終わらせた。
「これで終わりだね」
「うん」
私が確認を取ったら、クレアは短く返事をした。
事務所へ戻り、ユイさんに終わったことを報告したら、「まだ1階が残っているでしょ?」とイヤミぽく言われた。
「1階ってかなり汚いですよね?」
「だからなんなの? 毎日使っていたら汚れるに決まっているでしょ? 文句を言わずに早く行きなさい」
ユイさんに言われ、私とクレアは1階のトイレに向かった。
「あれ、鈴鬼とクレアじゃない。どうしたの?」
後ろを振り向いたらシンディとレイラが立っていた。
「先輩方、お疲れ様です」
「白い長手袋じゃなくて、ピンクのゴム手袋って、もしかしてトイレ掃除?」
シンディは私に意地悪そうに言ってきた。
「はい、そうなんです……」
「なんで?」
「遅刻したので、罰としてやらされています……」
「もしかして寝坊?」
「そのまさかなんです……」
「私も昔遅刻してトイレ掃除をやらされたんだよ」
「シンディ先輩もやったのですか?」
「そうだよ。ちなみに私たちだけでなく、他の人たちも同じようにペナルティとしてトイレ掃除をやらされてきたの」
「そうなんですね……」
「これで2人も私たちの仲間だね」
シンディは笑いながら私に言ってきた。しかし、こんなことで仲間扱いされても嬉しくもなんともなかった。
「じゃあ、私はこのあと巡回だから2人とも掃除頑張ってね」
「掃除頑張れよ」
シンディが言ったら、レイラもあとに続くように私たちに言って、そのままいなくなってしまった。
トイレのドアを開けた瞬間、案の定悪臭が漂ってきた。おまけに汚い。私は仮面を着けていることを忘れて思わす鼻をつまんでしまった。防臭・防毒効果があっても、あまり意味がなかった。これ、絶対に掃除していない。私は思わずトイレのドアを閉めてしまった。
「鈴鬼、どうしたの?」
「ここのトイレ、悪臭がひどすぎる」
「わかっているわよ」
「ここ、パスしない?」
「もしかして、やったことにしてユイさんに報告するってこと?」
「ばれたら、囚人たちが受ける懲罰どころじゃなくなるわよ」
「どんな罰だっていうのよ」
「私だって知らないわよ。それくらいの覚悟が必用ってこと。わかったなら、早く済ませよう」
クレアは私を置いて1人トイレの中に入ってしまったので、私も覚悟を決めて中に入った。これは汚れと悪臭との戦いだった。私が床をブラシで掃除している時、クレアは便器の掃除をやっていた。
床掃除を終えた私はクレアと一緒に便器の掃除をやり始めた。中には黄ばみがひどすぎて手に負えないもがあったり、便器をつまらせて、そのまま放置されていた。便器の黄ばみは塩素系の洗剤で綺麗にして、便器のつまりは大きな吸盤で解消した。
「ふう、終わった」
トイレから出た私の最初の一言だった。
「お疲れ」
「クレア、よく平気だったね」
「平気じゃないよ。こういうのって誰かがやらないとダメなんだよ。汚いトイレって誰も使いたがらないじゃない? だからと言ってそのまま放置しておくと、悪臭も消えないし、汚れもそのまんま」
「そうだよね……」
私はクレアがもっともなことを言ってきたので、何も言えなくなってしまった。
「じゃあ、一度事務所へ戻ろうか」
クレアがそう言ってバケツを持って、私と一緒に事務所へ戻っていった。
「掃除終わりました」
「1階のトイレ掃除終わったの!?」
ユイさんはクレアの報告に驚いていた。
「やりましたよ」
「仮面をしていても悪臭が伝わってくる、あの汚いトイレだよ?」
「やってきましたよ。疑うなら確認しますか?」
クレアは強気な姿勢でユイさんに言った。
「じゃあ、行こうか」
ユイさんは私とクレアを連れて1階のトイレに向かった。ドアを開けて中に入ると、綺麗になっていたことに驚いていた。
「お前たち2人でやったのか?」
「はい、そうです」
「そっか……」
ユイさんは私の言葉をまだ信じていなかったらしい。
「ユイさん、消臭スプレーってあるのですか?」
「そこまでやる必要ない」
クレアが消臭スプレーまでやろうとしたら、ユイさんに断られてしまった。
「とにかくご苦労。これに懲りたら明日からきちんと時間通りに出勤すること」
「わかりました」
私が事務所へ戻ろうとした時だった。
「あの、ゴム手袋はどうしたらいいのですか?」
クレアが言いづらそうにユイさんに聞いた。
「あ、そうだった。こっちで管理しておくよ」
「ありがとうございます」
事務所に戻った私とクレアは机の上に置いてある制服用の長手袋を嵌めて、巡回に行こうとした時だった。
「トイレ掃除、終わったの?」
廊下でまたしてもシンディたちに会った。
「お疲れ様です。先ほど終わりましたので、これから巡回に行ってきます」
「そうなんだね。気を付けて行ってきてね」
「ありがとうございます。先輩たちはこれから事務作業なんですか?」
「うん。書類がたまっているから」
「わかりました。では、失礼します」
巡回して5分、窓の外をぼんやりと眺めていたら、囚人たちが外で球技をやっていた。「この時間って自由時間か……」私が独り言を呟いていたら、クレアが「何ぼーっと外を見ているの? 早く行くわよ」と促してきた。
さらに歩いて数分経った時、今度は正面からルイーゼたちがやってきた。
「ご苦労様です」
私がルイーゼに敬礼をしたら「ご苦労」と短く敬礼してくれた。
「夕方、臨時会議があるから3階の会議室へ来て」
「了解」
ルイーゼに知らされて、私は短く返事をした。
「何の会議?」
クレアは私に質問してきた。
「さあ? おそらく脱走者の件じゃない?」
私は適当に返事をした。
その日の夕方、会議室に入るとユイさん、ルイーゼ、ユナ、シンディ、レイラが座って待っていた。
「これで全員揃ったか?」
ユイさんが確認を取ってきた。
「あの、所長は?」
「所長は今日一日休み」
「そうなんですね」
「では、始めようか」
私がユイさんに確認をしたら、会議が始まった。
「みんなも知っての通り、最近囚人たちの間で不祥事が相次いでいる。その中でダントツ多いのは脱走とトラブルだ。他にも我々看守に対する犯行も目立っている。そこでみんなから何か意見があれば、聞かせてほしい」
しかし、みんなからは何も意見が出てこなかった。
「なんでもいいんだ。何か案はないのか?」
「そう言われても……」
私はボソっと一言呟いた。
「トラブルを起こした当事者同士には部屋を変えるってどうですか?」
クレアが手を挙げて意見を出してきた。
「なるほどね……。でも、そこでまたトラブルを起こしたら、また部屋を変えるのか?」
「はい、そうなんです」
「だとしたら、囚人たちを定期的にシャッフルさせたほうがいいかもしれないな」
ユイさんは独り言のように呟いた。
「脱走した囚人には他の囚人より懲罰期間を二倍にしたり、監視の人数を増やすのはどうですか?」
今度はルイーゼが意見を出してきた。
「そうしたいけど、他の人たちだってそんなに暇じゃないのはわかっているだろ。それにうちは看守の人数が多いほうじゃないんだから……」
ユイさんにあっさり却下されてしまった。
「先日、囚人が足をけがをした件なんだけど、医務室に到着するまで手足の拘束を解除しないってどうですか?」
今度はシンディが意見を出してきた。
「なるほどね……」
「医務室にいる看守を2人から4人に増やすのはどうですか?」
「それでやってみるか」
「ありがとうございます」
そのあと、会議が終わったのは午後7時近くになっていた。
「みんな、遅くまでご苦労。今日みんなが出した意見は明日所長に提出して、採用してもらえるよう頼んでおくから」
「ありがとうございます」
「じゃあ、早く宿舎に戻って食事にしろ」
「お疲れ様です」
私はユイさんに一言挨拶して宿舎に戻ることにした。
部屋に戻った私とクレアは部屋着姿になって、ルイーゼとユナの部屋に入った。
「お疲れ、来たよ」
「あれ、今日は早いじゃん」
ルイーゼは私とクレアが先に声をかけてきたことに対して、意外そうな顔をしていた。
「たまには私らが先に声かけようと思ったの」
クレアはいたずら小僧のように「ニッ」と白い歯を見せながら言ってきた。
「ところで、2人ともまだ制服だったんだね」
私もルイーゼとユナが着替えていないことに驚いていた。
「巡回、監視、会議で疲れが出てしまったから……」
「じゃあ、今日は私が着替えを手伝うよ」
私は思わずルイーゼの制服に手をのばそうとした。
「大丈夫、1人で着替えられるから」
そう言って、黙々とルイーゼは1人で着替え始めた。
部屋着姿で食堂に向かったら、すでに入口の手前で混んでいた。
「どうする?」
クレアはみんなに確認をした。
「どうするって言われても……」
私も困った表情で返事をした。
「しかし、なんで混んでいるのかしら?」
ルイーゼも頭にクエスチョンマークを浮かべて考えていた。
「ここで立っていても始まらないし、売店に行かない?」
ユナが売店があるほうに指を差して言ってきた。
「そうだね……」
私は売店に行くことに賛成した。行ってみると、店の入口でシンディたちに会った。
「シンディ先輩、お疲れ様です。先輩たちもここでお買い物ですか?」
私は少し驚いた顔で声をかけた。
「お疲れ。今食堂へ行ってみたら凄い行列で……」
シンディは苦笑いをしながら答えていた。
「今日食堂で何かあったのですか?」
「それ、私も気になっていたの」
「シンディ先輩もご存知ないのですか?」
「うん……」
「あ、引き留めてごめんなさい」
「ううん、大丈夫。じゃあ、私たちは部屋に戻るから」
「お疲れ様です」
シンディはサンドイッチとりんごジュースを抱えて、レイラと一緒に部屋へ戻ってしまった。
「私たちも何か買って部屋に戻ろうか」
私はそう言って、みんなと一緒に売店の中へ入ってみた。中は小さなコンビニのような状態になっていて、パンやジュースなどの食料品から、お酒などのアルコールも置いてあった。
私はパンとジュースをいくつか手に取って会計を済ませたが、クレアだけがまだ迷っていたみたいだった。
「まだ決まらないの?」
「みんなおいしそうだったから……」
「気持ちはわかるけど、早く決めようよ」
「そうだね」
クレアはサンドイッチとハチミツの入ったコッペパン、オレンジジュースを選んで会計を済ませた。
部屋に戻った私たちは、ルイーゼの部屋に行って食事を始めた。
「こういう形で食事をするのって初めてだよね」
ルイーゼはパンをくわえながら言ってきた。
「そうだね。あと、食べながらしゃべるのはお行儀が悪い」
「あ、悪い……」
ユナが注意をしたら、ルイーゼは短く謝った。
「しかし、さっきの食堂の行列が気になる」
「確かに……」
私が独り言のように呟いたら、クレアも一緒に呟いてきた。
「私が思うには新メニューが出たから、それで行列が出来たと思うんだけど……」
ルイーゼもジュースを飲みながら自分の考えを言ってきた。
「それも考えられるかも……。あるいはオーブンが故障してしまったとか?」
「それだったら、食堂を閉鎖しない?」
私が憶測で言ったら、クレアがすぐに否定してしまった。
「仮に新メニューが出来たなら、入口に看板立てないか?」
今度はユナが口を挟んできた。
「レトランじゃないんだから、そう言うのはやらないと思うよ」
「確かに……」
再びクレアが否定した。
「明日の朝、誰かに聞いてみない? 行列の原因がわかると思うよ」
「そうだね」
私がそう言ったら、クレアが短く返事をした。
「明日も早いし、今日はお開きにしようか」
ルイーゼの一言で私とクレアは自分の部屋に戻ることにした。
「明日もハードなスケジュールになると思うから、早く寝よう」
私はそう言って、部屋の明かりを消して寝ようとした時だった。
「美鈴、まだ消さないで」
クレアが洗面所で歯磨きをしていたので、もう少しだけ部屋を明るくしていた。
11話へ続く




