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一杯目 『下戸で奥手の鬼医者、島原に捨て置かれるの巻』

 青々としたよもぎの葉に朝露が光っている。

 一枚一枚丁寧に積む。よもぎは万能な薬草の一つだ。特に子供のちょっとした傷にはこれがいい。

 それに、もうすぐ冬がやってくる。乾燥させたもぐさを作っておかなくては、年寄たちの不調に応えられない。そういえ婆様達が若葉は別にしておいてくれと言っていた。子供たちに草餅を作ってやると言って。もう秋口で葉はどれも硬いが、新芽だけをして別にして摘んでみる。

 酒天白童(しゅてんはくどう)はよもぎを部分別に分け、頭上の柿の木からちぎり取った葉で区切った。

 遠くで名前を呼ばれた気がして、白童は畑から立ち上がった。

 明け方から座って薬草を積んでいたため、腰が痛い。

 籠を持っていない手で自分の腰をさすりながら遠くを見ると、施薬院せやくいんの入り口で手を振っているわらべがいる。

 何か背に乗っているように見えているのは、赤子かもしれない。

 白童は籠を手に走った。

 赤子を背負っているのは最近、大江山の麓で助けた娘だ。志乃といった。口減らしで山に捨て置かれたにしては物心もつく年だった。一言、親に売られたと言った。助けたものが島原あたりから逃れてきたようだと言っていた。花魁道中に付き添う禿のような装いだったらしい。これが、実によく働き、年寄りも赤子の扱いにも手慣れていて助かっている。

「白童先生、熱を出してるみたいなの。長介ちゃん」

「よく気がついたな。ありがとう」

 そういうと白童は志乃から幼児を預かった。確かに熱い。

「お志乃。ちょっと手伝ってもらってもいいか」

「うん。私にもできる?」

「ああ、藁と薪があるだろう。湯を沸かしておいてくれるか」

「わかった」

 施薬院は入ってすぐに土間があり、かまどが作ってある。志乃はすぐに、甕から鉄の鍋に水を注いでかまどに藁を入れて火をつけだした。手慣れている。

 赤子はどこが痛いと言ってくれるわけではない。けれど、熱をだしては何かと戦って強くなっていくものなのだと薬種問屋の娘だった母、うたがよく言っていた。

 戸口で大きな翼が羽ばたく音がした。

「熱か?」

 施薬院の中に入ってきた男が言った。

 背中の黒い翼はまだたたまれていない。こちらに近づいてきながら徐々にその翼は背中に吸い込まれていった。

(げん)(よく)様」

 志乃がぺこりと頭を下げた。もともと、ふもとで彼女を見つけたのは、目の前にいる大天狗、玄翼坊だ。衰弱して死にかかっているところを見つけ、玄翼が天狗と暮らすことになっても家に帰りたくないのかと聞き、志乃はそれでも帰りたくないと言ったから連れてきたと言っていた。

「お志乃、息災か。あとは私が手伝うから、婆様たちの手伝いに帰っていいぞ」

「ありがとうございます。では、白童先生」

「お志乃、そこにある、積んできたよもぎを婆様たちに渡してくれ。若葉以外はいつも通りっていってくれればいい」

「わかりました」

 志乃はそう言うと、白童が抱えてきた籠をもって出て行った。

 隣の長屋は()田院(でんいん)。いわば身寄りのない人たちの保護施設だ。口減らしに山に捨て置かれた老人達が、同じように間引きされかかった子供の面倒を見てくれている。薬草園の世話も婆様達の役目の一つだ。

「昨日は風が強くて夜は冷えたからな」

「普通の風邪ならいいのだが……」

 白童は赤子を布団の上に寝かせると、触診をしながら様子を見た。汗をかいている。志乃が置いていった新しい産着に着せ替えながら、井戸水で冷やした手ぬぐいを小さくたたんで額に当てた。

「おやじ殿と話をしたのか?」

 天狗の団扇であっという間に湯を沸かしてしまった玄翼が言った。

 白童は黙って首を横に振った。

 酒呑童子の末裔、酒天銀童(ぎんどう)は白童の父であり、ここ大江山の主だ。

 代々、この山の(あやかし)達を守るため、大江山の鬼達が交代で結界を張り、暮らしてきた。人間社会に溶け込みたいものは結界から送り出し、残りたいものだけでこの山を守ってきた。

 様々な妖を大江山の結界の中で共存させるため、()狸族(りぞく)、河童族、天狗族、そして鬼族のそれぞれの代表が世代ごとに選出され、彼らが話し合った決まり事に従って暮らしている。

 その銀童の命が尽きようとしている。

 この大江山では、次の主を決める時期に来ている。 

 薬草を分別しながら白童は、子守歌のように母から聞かされたこの山の歴史を振り返っていた。

 国争いの最後の戦が終わり、政の中心が東の江戸に遷ってしばらく経つ。日ノ本は、平和な時代が訪れると、他国との交流を避け、国を閉ざした。そうはいっても、医術を中心とする技術は他国からも伝わり、人々は妖の存在を忘れていった。

 今まで治療法がわからない病気を鬼の仕業に、天変地異を天狗の仕業にしてきた人にとって、妖話は子供のしつけに使うお伽話に変わりつつあった。

 妖たちは、役目を終えたとばかりに、人の世に溶け込み始めた。河童は豆腐屋、水売り、キュウリ売りなど、水にちなんだ仕事に、妖狐狸たちは役者や商人に。

 大江山の妖たちも、その多くが京の都に人として紛れていった。

 戦のない世の中になり、もともとものづくりの盛んな都では、どんなものでも下りものと言って、江戸で珍重され、ますます産業は盛んになっていった。

 だが、富める人達ばかりではない。

 特に度々起こる天候不良による飢饉と流行り病が弱い立場の人たちを苦しめてきた。

 平和で豊かな世の中になっても、まだまだ、山に捨て置かれる人は減らなかった。

 銀童はそんな人たちを捨て置けなかった。

 銀童は結界を巧に操り、山に捨ておかれた人達を保護し始めた。そして、山に捨てられる人を救うには薬の知識が必要だと思ったのだという。人を食うと言われた鬼の末裔は人を生かす方法ばかりを考えていたらしい。

 ある時、父は薬問屋に薬を買い求めに行き、そこで母、(うた)に出会った。銀童がたびたび訪れるうちに、二人は恋仲になった。父は自分の正体と立場を明かした。詩は驚くことも恐れることもなかったという。

 都で買う薬草は高価だ。

 詩は銀童の志に感じいり、銀童とともに大江山に住むようになる。そして、まずは自給自足で薬草を賄えるように薬草園を作った。

 弱った人達を治療し、里に返す日々を送っていたが、薬を与えて都に返しても彼らにすでに行き場はなく、また戻ってきてしまうものもいた。母は彼らを見捨てられなかった。

 ある日、詩は山に迷い込んだ医者を救う。中脇(なかわき)(せい)(よう)というその若い医者は顔に大きくできた腫物のために人生を悲観し、死のうと山に入ったらしい。母は彼を招き入れ、働き場所を作った。二人は薬草園の隣に施薬院を作って行き場のない人たちを世話し始める。

 銀童は逆に山の主としての仕事に専念していた。

 大江山の主は、日ノ本全体の妖の主も兼ねることになる。人と妖との間の問題を解決する役割も担っていた。銀童の元には絶えず全国の妖から相談ごとが持ち込まれる。それらを整備し、時代に合わせた対処を考え、そして、全国に発信していく。自然、大江山に捨て置かれる人を救うのは詩と青陽の役割となった。

 大江山の鬼達は都の産業を取り入れた自給自足の村を結界の中に造り、大江山にかくまわれた人間と共存し始めた。棚田を作って農作物を作り、収穫で味噌や醤油、酒を作った。里に下りた狐狸族や河童族を通して足りない物資を用立て、人に働く場を、生きる場を作った。

 幼児は老人達によって育てられ、奉公に出られるような年になったら、彼らの記憶を消して、働き口を見つけて都に返した。老人達の多くは山に残って余生を送った。もちろん、元気になって都に帰りたいといったものには、同じように記憶を消して都に送り返していた。

 白童が生まれてからは銀童も度々夜は施薬院に降りてきて、親子三人川の字になって寝ていたこともある。だが、母、詩は白童が十代半ばでこの世を去った。

 それ以来、白童は母親の意志を継いで青陽の弟子となり、自分がこの薬草園と施薬院を守ってきた。数年前自分の命も長くないと悟った青陽は、白童に推薦状を書くから都の蘭学者の元に修行に出るように言った。

 医学の発達は日進月歩だ。より新しい知識を知ったものが、より多くの人を救う。

 白童は手紙を握って蘭学者に弟子入りしたものの、一年もたたずにあることが原因で破門になった。

「先生!」

 またも志乃の声だ。

 施薬院の戸口には、肩に婆様一人を背負った志乃がいた。

「井戸の近くでつまずいてけがを」

 悲田院では一番の長老、美和だ。見れば膝から血が出ている。

「お志乃、こっちにいったん寝かせてくれ」

 年寄が足を痛めると厄介だ。

「お美和さん、ちょっと痛むよ」

 白童が膝廻りを触っても、顔をしかめながらも声を上げない。打ち身だけのようだ。だが、膝は石でこすったのか、えぐられている。

「ただでさえ、もう、役立たずやのに、先生、堪忍やで……」

「お美和さんが役立たずだったら、私はごみ以下だよ。お志乃、そこの徳利をとってくれ」

 志乃は、白童が見た棚のずんぐりした徳利を持ってきた。酒蔵で通常の焼酎よりももっと濃度をあげてもらった毒消し用の酒だ。

 白童は栓を開ける前に、自分の顔を布でしっかりと覆った。

 美和の膝をしかと見るために、太もものほうに着物を押し上げて、志乃に押さえてもらう。

 白童の耳が真っ赤に染まった。

 男性の太ももを見てもどうも思わないのに、女性の柔肌を直視するのは難しい。すでに手が震え始める。

「しっかりしろ。白童」

 見かねた玄翼が呆れた声で叱咤する。

 焼酎の徳利から栓を抜いた瞬間、今度は目が充血しはじめ、何度も瞬きし、深呼吸をした。

「し、しみるよ、お美和さん」

「私は大丈夫だよ。それより、先生……顔色が……」

 震える手でなんとか新しい布に焼酎をしみこませた。その徳利をそばにいた玄翼が受け取った。患部を消毒するとよもぎの軟膏を塗り、布を当てて包帯を巻く。

 後ろで焼酎の徳利に素早く栓をした玄翼が、白童にひしゃくに入った水を差出した。

「すまん。玄・・・・・」

 水を飲んだ瞬間、ふと意識が飛びそうになり、自分で自分の頬をたたいた。

 蘭学者の元を破門されたのには理由が二つあった。白童は常軌を逸して酒に弱い。消毒用に造られた焼酎は飲むものよりももっと度数が高い。その方が効果があると言われているからだ。もっと酒精の薄い諸白(もろはく)の酒でさえも匂いもうけつけないというのに、手当てに使う消毒液は匂いを嗅ぐだけですでに目が充血し気分が悪くなる。外科治療を手伝うたびに自分がぶっ倒れていては、役にたたないどころか邪魔だ。そのうえ、女性の患部以外の柔肌に目が行くと、恐ろしく動揺する。何か神聖なものに触れている気持ちが抑えられず、目を向けられない。自分は最も向いていない仕事を選んだことになる。

 女性の患者を相手にできない、その上、外科手術に立ち会えば、患者を置いて倒れる白童はあっという間に破門になった。

「先生?」

「あ、これで大丈夫、夜、もう一度見にいくから。お志乃、お美和さんにあまり無理させないように」

「わかりました。あの、長介ちゃんは?」

「さっきなんとか熱さましを飲ませたから、寝かせて少し様子をみる。心配ない」

 志乃が美和の肩に手を貸そうとした。それを制して、玄翼がさっと美和の体を横抱きにした。今度は美和も、それを見ていた志乃の両方が顔を赤くする番だった。

 だが、当の玄翼は、まるでその反応はいつものこととばかりに、いったん出て行った。

 残された志乃と白童はどちらもぽかんとした。だが、丁度いい機会だと思い白童は聞いた。

「お志乃。朱峰が気にしていたが、自分にあう奉公先ではなかったのかな。断ったと聞いたが」

「先生……」

 志乃は大きく首を横に振った。

 (ほし)(くま)(しゅ)(みね)は大江山の鬼族の一人、悲田院の中に作ってある寺子屋で子供達に勉学を教えながら、彼等の奉公先を采配してくれている。実によく働く志乃を見ていて、朱峰は早いうちに都にかえしたほうがいいと、都で人として生活する妖達から情報をもらって候補を志乃に提案したのだという。

「どこも私なんかには持ったいない奉公先で。選ぶ立場でもないのに。でも……」

 何かを想像したのか、志乃の表情はたちまちに暗くなり、握りしめた手が白い。

「無理をしなくていいのだ。都に帰るのはまだ怖いか」

 志乃はこくりと頷いた。売られた身だ。島原から遠く、滅多に知り合いには会わないほど南の方の奉公先だと朱峰は言っていたが、どこで知り合いに遭って連れ戻されるかわからないと思うと怖い気持ちもわかる。

 強く握りしめた志乃の両手に、白童は自分の手をそっと置いて微笑んだ。

「わかった。ただ、ここにこれ以上の仕事は無い。同い年の子供もいない。ここ以上の世界は広がらない。いつかはお志乃に人の世に戻って幸せになってもらいたいとみんな思っている。それだけは忘れないでくれるか」

 志乃は白童にこくりと頷くと、はにかむように微笑んで悲田院に戻っていった。

 入れ違いに玄翼が戻ってきた。冷たい布で自分の顔をぬぐっている白童の顔を見るなり、大きなため息をつく。

「何の話をしに来たかはわかってる。玄翼」

 そういうと白童は長介の額に乗せた手ぬぐいをひっくり返した。彼の寝息を耳のそばで確認する。先ほどよりも少し寝息が穏やかになっている。

「わかっているなら。腹をくくれ。白童」

「くくらない。私はふさわしくない。長老たちだってそう言ったのだろう?」

 大江山は三つの鬼の家族で守ってきた。

 酒天、茨木、そして、星熊だ。

 自分より少し若い朱峰は寺子屋の子供も含め、大江山全体の人的采配をしてくれている。(あけ)(くま)(あけ)(とら)(あけ)(かね)の三人の鬼の眷属を持ち、子供の奉公先や養子先を見つけるだけでなく、老人達が元気になって働きたい場合、都に返す場所を探したり、大江山の中で仕事を探したりしてくれる。時間があるときには薬草園の面倒も一緒に見てくれている。

 朱峰の一族は妖、人間に区別なく、知識と技能を持ち合わる血を重んじる家系で、学者肌だ。実際、都に返す前に児童たちに手習いと簡単な算術を教えているのは朱峰だ。悲田院の中の寺子屋だけではなく、別棟にちゃんとした寺子屋を建てたいという希望もある。

 そしてもう一人、白童とほぼ同い年の茨木(いばらき)(あお)(ちか)は、山で開いた産業をまとめてくれている。美丈夫かつ強靭な体格で、鬼の中でもひときわ強い妖力を持っている。彼の家系の家訓はより能力の高い妖と交わり、「妖としてより強い血を残す」だ。事実、狐狸族と雪女の家系から妻を二人娶っており、そしてそれぞれの間に跡取りがいる。

 そして何より、めっぽう酒に強い。

 朱峰や蒼親のほうが主にふさわしい。

 大江山の主の役割は大きい。妖と人とが平和に暮らしていけるための結界を制御する力を受け継ぐことになる。そして妖の世界にとって大江山は日ノ本の中心、ここでの決定がほぼ、日ノ本の妖の行方を決めると言っても過言ではない。

 施薬院でさえもまともに守っていけていない自分にそんな役割が務まるわけがない。

 誰かが山をまとめなくてはならないのはわかってはいても、自分にその資格があるとは思えない。

 銀童亡き後の大江山の主について、昨日、天狗族、河童族、狐狸族の長老たちで話し合いをするのだと聞いていた。

 自分も、山の主は蒼親か朱峰が継いでくれればと思っている。

 酒にも弱い、女性にも弱い、強い妖力も持たない自分に跡取りができることはない。

 妖の住む山と現生の都との境目を預かる大江山の主にふさわしいのは、強い指導者だ。長老たちが何と言ったか聞かなくてもわかっている。父の銀童が何と言おうと、残された妖達を守る主を選ぶべきは長老たちだ。

 自分の問いかけに玄翼が黙しているのが事実を物語っている。

「長老たちの意見は蒼親に主を、補佐に朱峰をつけるだった。お前は人間界との中立の立場で、都に溶け込もうとする妖の世話係という名の隠居を考えていたそうだ」

 玄翼は「隠居」という言葉をゆっくり言った。

 その言葉に白童は半ばほっとした顔をし、干しておいた蓬をもぐさにするべく籠を引き寄せた。

「なら、もうこの話は終わりだ。私はここを守っていければそれでいい」

 晴れ晴れとした顔でそういうと、手元にもぐさを取りまとめ、一つ一つ小さい塊にしていく。

「そのままでは守れないぞ」

「そ、それは青陽先生が言ったように、ちゃんと進歩についていかなくては守れないのはわかっている。何とかして、また都に修行に出るつもりもしている」

 毒消しの酒でぶっ倒れるような醜態は一日も早く何とかしなくていけない。いっそのこと飲んでみたらわかるのだと蒼親に言われ、宴会の席で酒をあおったが、ぶっ倒れるどころか、二日も目覚めず、使い物にならなかった。何か他の方法を考えて、この施薬院をよりよい施設群にしなくてはならない。

 大江山に行けば病が治るなんていう迷信ができるぐらいの努力はしたい。具体的な案は考えられていないが、だれもがこの場所の価値を認めてくれれば、守れるはずだ。母が残したこの場所を価値あるものとすれば。

 だが、玄翼は深いため息をつくと、首をゆっくり横に振った。

「そういうことを言っているんじゃない。蒼親が主になったら、真っ先にここをつぶそうとするだろうと言っている」

「潰す? なぜ?」

「蒼親は人は妖に使われるものだという考え方だ。共存するとか助け合うとかという考えはない。ここで老人達や子供を預かって面倒を見ているのも、元気になれば、自分達の生業にいいように使えるからだ」

「うそだ……蒼親は……」

 蒼親は朱峰同様、いつも白童と一緒だった。お互いに協力してやってきていた。いつの間にか、白童がこの施薬院に閉じこもるようになってからは、お互いに行き来がほとんどなくなった。それはある意味、お互いが大人になって、大事にしなくてはいけないものがあるからだと思っていた。

 実際、棚田での農作も、酒、味噌、醤油、みりん作りも、皆、蒼親が里からやってきた人と一緒に発展させてきた。

「反対の立場で考えてみろ、白童。前任の大江山の主の息子が目の前で皆の人気を集めていたら、そして、働き手だと思っている人間に肩入れしていたら、どう思うか」

「どう思うか……」

 目ざわりだと思うだろう。確かに。だが、昔からの友達だ。そんなひどいことをするだろうか。

「長老たちが隠居扱いにしたほうがいいと言ったのは、お前を守るために、目立たない存在になるべきだと思っているからだ」

「蒼親に聞いてみる。ここを残してもらえるように頼んでみる」

「やめておけ」

「どうして」

「蒼親の考えはそうそう簡単には変わらない。それよりも、お前にはやるべきことがある」

「やるべきこと?」

「私は、さっき長老たちの考えを過去のものとして言っただろう」

「……」

 そういえば、蒼親を主に、補佐を朱峰にするつもりだったといった。

「私は力の均衡を保つには、白童、お前が主を務めるのが一番いいと思う。実際、条件さえそろえば、河童や狐狸族の長老たちも同じ意見だ。ただ、今のままで主として認めるわけにはいかない」

「……条件?」

「そう、妖でもいい、人間でもいい、酒に強い嫁を貰い、跡継ぎを作れ」

「よ、嫁……?」

 白童の手からもぐさがバラバラと板の間に零れ落ちる。

「ああ、そうすれば、お前の立場は強くなる。この大江山を継ぐにふさわしい鬼として認められるだろう」

「いやだ。そんなことのために大事な伴侶を選ぶなんて考えられない。私は一緒になるなら、両親のような出会いで、天命の相手だと思える人と一緒になりたい」

「はぁ?」

 所帯を持つことを嫌がっているわけではない。できれば、父母の銀童と詩のように、だれかと二人三脚で施薬院をやっていければと思っていた。自分の理想は彼らのように同じ目的を持ち、お互いに必要とされて、愛しいと思える相手と結ばれることだ。なのに、酒に強い子供を作るためだけに嫁を選ぶなど、ありえない話だ。大体、相手に失礼だ。確かに、酒に弱いのは母、詩の体質を受け継いでしまったためだが。

「酒に! 酒に……強くなくても主をしようと思えばできる……はずだ」

「何を寝ぼけたことを言っているんだ。消毒液の酒でぶったおれているような中途半端な医者にここを守れるのか?」

「そ、それは……」

「もういい、とにかく伴侶を選べ。河童の一族なら水に強いとともに、酒に強い女子が沢山いるだろうし、体の一部のように徳利を持ち歩く狸の一族にもいる。ああ、天狗の仲間にも見目麗しい女たちがいるぞ。川天狗の女たちは歌も上手く、たいてい酒に強い。川天狗なら、都への往来を飛行か、縮地で運んでくれる。都で修行をしたいといっても、通えるようになる。たいてい子宝にも恵まれる」

「伴侶となる人を便利な道具のようにいうな!」

 あれこれ妖種族の候補を挙げる玄翼に、白童は不快な気持ちをあらわにした。

「大体、玄翼だってそんな基準で伴侶を選んでないじゃないか。たいてい人でも妖でもお互い思いあって結ばれて、相手を大事にしている。天狗の里に招きいれて仲睦まじく暮らしているじゃないか」

 玄翼自身は年を取らず、おそらく今の年齢も千年を下らないというのに、妻を看取っては、新しい妻を迎えている。歴代の玄翼の子供たちは天狗の血を継いだ子もいれば、継がなかった子もいるらしい。力を継いだ子は、妖力が増すまでに天狗の里に迎え入れ、一緒に暮らしている。彼の子供や孫たちとも仲良くしている白童は、彼がどんなに家族を大事にし、一人一人を個として尊重しているか知っている。なのに、白童にそんな生活は望めないとでもいうように、割り切った言い方だ。

「私の話をしているのではない。白童、お前の話をしてるんだ」

「いやだ。打算で伴侶を決めるなんて絶対に嫌だ」

「わがままを言うな。私が声をかければおおかたの妖達は姫を嫁候補に選んでくれると言っているのだ。河童族も、狐狸族も、長老たちが声をかけてもいいと言ってくれている。見合いをして決めればいいと言っているだけで、だれでもいいとは言っていない」

「余計なお世話だ」

「じゃあ、どうしたいんだ。隠居をしていてはここを守ることなどできまい! ここを守ることがお前の一番の望みなのではないのか」

「そうだ。だからこそいやだ。信頼のおける伴侶と一緒になって、ここを守りたい」

 肩から大きく玄翼はため息をついた。

「白童。修行だと言って都でそれなりの間、人として里に下りたというのに、女子の知り合い一人も作れなかったお前に一体何ができるんだ。自分で探すとでもいうのか?」

「そうだ、じ、自分で探す。玄翼の助けはいらない……」

 一瞬の沈黙が流れた。

 白童はこわごわ、玄翼の顔を見た。翼は広げていないというのに、何倍にも大きくなったように見える大天狗の両の目がスーッと細くなり、奥から黒い瞳が光った。人が真に激すると沈黙するというのは本当らしい。気まずい空気が流れた。

 口汚くなじられるよりつらい。

 この沈黙を埋めようと、よくないとわかっていながらも白童は言い続けた。

「長老たちから条件を引き出してもらったのには感謝している。けど、相手は自分で探したい。この人だって思える運命の出会いをしたいんだ。自分にだって理想はある。夫婦になるなら、志を一緒にできる人と一緒になりたい。母様のように」

 自分から女子に話しかけられもしない。婆様達でも、赤子でも女子とわかれば、極端にあがって話しかけられもしない自分に何ができるのかと玄翼の心の声が聞こえてくる。いっそ言葉にしてくれたほうがいいと思いながらも、自分が言ったことは覆せない。

「いいだろう。だが、まずは島原で筆おろしでもしてくるんだな。そのままでは、どんな天命の相手に会ったところで話かけられもしまい!」

「ふ、ふでおろ……」

 白童は黒い翼に包まれたと思った瞬間、眼下に広がる色町の明かりが見え、自分が緩やかに落下していくのを感じていた。


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