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十杯目 『結界破れるの巻』

 山道をよく知っている里の者に案内を頼んだというのに、がけ崩れがあったらしい場所までどうしてもたどり着くことができず、信理は困っていた。

「この辺りに、山の中を切り開いたような平地があったはずなんですが」

 案内人はそういいながらも、雑木林のけもの道を行ったり来たりしている。行ったり来たりというより、いつの間にか同じ道に戻ってきているというのが正しいとわかった。目印になるような木の枝に落ちていた小枝を引っかけておいた。引っかける時に小枝には傷をつけて、自分が引っかけたのだとわかるように。

 四半時の半分くらいの時間を行き来して、結局その木を見つけた時には、やはり、道に迷ったのかもしれないと思い始めた。

 だが、そこを抜けると、なぜか山頂付近まではたどり着ける。山頂付近の地震の被害は確かに、里からも山肌が少し見えていたくらいだったので、がけ崩れがあったのだろうとわかった。新屋方にも見てもらったが、一部すでに岩ごと山肌がはげ落ちた形跡があるものの、途中で分散して土砂は止まっているとのことだった。亀裂や岩の脆いところはなく、この後、続けて大きな被害になるような気配はないという。とはいえ、細いけもの道をいくつかつぶし、岩が山からのせせらぎをせき止めるくらいの被害が確認された。多少の水の濁りも確認されている。新屋方の役人は後日、人足を雇って被害が広がらないように整えると言った。

 がけ崩れがあったかもしれないという切り開いた場所がわからないことに、里の案内人が困った顔をしていた。後日、もう一度来る場所として目印の板を新屋方が建てた。

 が、その時、その奥でどーんという音とともに空気が揺れた。

 信理は地震かと思い、足場の確かなところで数名とともに身をかがめた。

 だが、それ以上の変化も山崩れもない。山鳴りとも少し違った。

 と、立ち上がると、先ほど建てた板の向こうに今まで見えていなかった平地が突然姿を現した。

「なんだ、これは」

 新屋方の役人も、里の案内人も狐につままれたような顔で、その平地を見ている。

 ふもとで調べをしていた同心と手下もちょうど追いついたところだ。

「零条様、あれはいったい?」

「わからぬ。だが、人が住んでいそうだ」

 切り開いた平地の最初に目に入ったのは、手前の畑だ。結構な種類の作物が見えている。その向こうには家屋が二つ、一つはあたらしいが、もう一つは古い。古い方からは気配がないものの、奥の新しい家屋の周りには人の気配がある。実際、年寄りと童が竹竿で作った物干しに、衣を干している。家屋からはかすかに湯気が立ち上っている。中で煮炊きがされているのだろう。

 失踪届の出ている人相書きを持った同心がほし竿に手を伸ばしている子供を指さした。

「零条様。あの娘。島原でいなくなった娘、禿のお志乃と似ております。妓楼の亭主の言っていた左効きだったという特徴ともかさなりますね」

 志乃かもしれない娘が竹竿に着物を干す時に左手を使ったのを見て、手下が言った。

「あの年寄りも、家族からある日突然いなくなったという職人の辰五郎って爺さんに似ています。飾職人だったらしいのですが、病気をして右の手が効かなくなって仕事ができなくなったと」

 老人は右半身を不自由にしながらも、左手で志乃が干すのを手伝っている。

 同心の手下が、人相書きを指さして信理に訴えた。

「山の方にいったかもしれないという証言もありましたから」

 同心が聞き込みをしてきたと思われる証言を言う。

「近づきますか」

「そうだな、事情を聴くにはそうするよりしかたあるまい。人買いが一緒に暮らしている可能性もある。ここは慎重に行こう」

 腰に差したものをもう一度確認し、同心と手下だけを伴って、手前の古い建物の影を使ってそっと近づいた。

 物陰から見ていると、新しい家屋からは線香の匂いが流れてきている。誰かを弔っているのだろうか。

 後ろ姿になった志乃と思われる娘は頻繁に鼻をすすっている。付き添っている辰五郎かもしれない男が声をかけている。

「お志乃ちゃん。あんまり泣いたら、お美和さんが旅立てへんよ」

「うん……でも……泣かんとこうと思うても、何見てもお美和さんを思い出すし……」

「そうやな……ほんまや……」

 手下が、新しい家屋の中を見てきた様子を小声で報告する。

「年寄と子供ばかりですわ。人買いらしき男も女も見当たりません」

「あいわかった」

 信理はわざと少し足音を立てて、後ろから近づいた。後ろを振り返った娘は辰五郎と思われる男の後ろに隠れた。明らかにおびえている。

「すまん。地震の調べに来た奉行所のものだ。おぬしらに聞きたいことがあってな」

「お、お役人様……なんでこんなところに……」

 辰五郎は不自由な体を曲げて、膝間づこうとした。

「いや、そのままで」

 いったん立ち上がろうとして、こけそうになった辰五郎を志乃が後ろから支えた。

「まず、名前を聞かせてもらえまいか。私は奉行所、番屋、与力の零条信理だ」

「名乗る必要はない」

 信理と辰五郎の間に人が割って入った。男は小柄ながらも威圧的だ。頭に白い瘤をいだいている。

 やはり人買いが一緒に住んでいるのか。

「では、おぬしの名前を聞こうか」

「名乗るつもりはない。ここは我々の住む里、奉行所とは関係ない。帰ってもらおう」

「いや、帰るわけにはいかぬ。そちらの二人、特に、娘は妓楼から失踪届の出ている娘に似ておる。その男の特徴も、急に帰ってこなくなったという娘の訴えている男にもな。探している人間がいる限り、ほうっておくわけにはいかぬ。なぜ、この里にいるのかわけを話してもらわねば」

 後ろでは同心と手下が館に入り、子供や年寄を人相書きと照らし合わせているようだ。急に子供の泣き声が盛大に響き始めた。

「やめて! 連れて行かないで!」

 志乃が辰五郎から離れて館に走った。手下が志乃を捕まえる。志乃の悲痛な声が響く。

 手下に向かって何かが飛んだ。石だ。手下の頭にあたって、倒れる。いつの間にか角の男の手には石礫が握られている。

「乱暴はやめていただきたい」

「それはこちらの言い分だ」

 信理は男とにらみ合いになった。信理は刀のつばに手をかけた。訓練された石の投げ方だ。かなりの使い手とみえた。刀でやり過ごせるものでもなさそうだ。

 そして、にらみ合っている間に一体どういうわけなのか、自分の周りに蛇のような縄がはいよってきたと思いきや、あっという間に締め上げられてしまった。けもの道の方を見ると、待機させていた新屋方の一団も縄で締め上げられている。だれも身動きが取れなくなった。

 妖の仕業か。

 男が信理に近づいてきた。

 口元から鋭い犬歯が覗いている。目の光が尋常ではない。礫を握りしめた指の爪も恐ろしく長い。信理は唾を飲み込んだ。昔話に出てくる鬼の形相を思い出した。

 その大きな口がくわっと開く。

 信理は思わず目を閉じた。

「朱峰、やめろ!」

「食ってしまえ! 朱峰」

 空から二つの声が降ってきた。続いて人も。

 烏の何十倍もある翼がまず目に入った。それは人の形の後ろについている。そして、その二つの翼の人影は一人ずつ誰かを抱えて降りてきた。

 どこかからか大きな風が吹いた。

 と、同時に、意図しない眠気が襲う。

 眠るな、眠るなと言い聞かせるが、視界に入っている同心も、手下も、案内役までぐっすり眠りこんでいる。目の前の絵がゆがんでゆく。眠ってたまるかと口の中をかんだが、効果はなかった。黒い翼の恐ろしく綺麗な顔をした男に見つめられて、あっという間に瞼が落ちた。落ちる瞬間に空から降りてきた男にどこかで出会ったような気がしていた。


 白童と蒼親が施薬院一帯に駆けつけた時、すでに人が踏み込んだ後だった。結界が解けたことは知っていたが、こんなにも運悪く、人が里に分け入っているとは思っていなかった。報告にきた玄翼に連れられ、すぐに飛んだ先で、白童は、朱峰を見つけた。今までみたことのないような形相に、思わず割って入った。

 地上に降りたとたん、玄翼が団扇を振って人間を残らず眠らせる。

 興奮状態だった志乃を含む、悲田院の中の人もいったんすべて眠らせたようだ。

「朱峰……」

 殺気を放っている朱峰に白童は静かに近づいた。その手を取ろうとして、手をふりはらわれ、反動でよろめいた。

「朱峰……」

 目が血走っていて、その上、焦点があっていない。白童は素早く立ち上がって、朱峰の両肩をもってこちらを向かせた。

「朱峰。こっちを見ろ。私だ。すまなかった遅くなった」

 朱峰の目の焦点が結び始める。

 両手に握られていた石礫がころころと手の中から落ちた。必死で握りしめていたらしく、手は傷だらけだ。徐々に犬歯が短くなり、爪も短くなった。

 白童はその手をそっと取った。

「は、はく?」

 朱峰が漸く、白童を認識した。

「連れていかれると思った。みんな、子供もお年寄りも。彼らはまだ都に帰す用意ができていない。そもそも、都から追い出された人たちなのだ、だから……」

「ありがとう。みんな無事だ。朱峰がいてくれたおかげだ」

 白童は、朱峰の血に染まった両手を広げさせた。

「粗い石礫を握りこんでいた。手当をしよう」

 白童は朱峰を連れて施薬院に入り、上がり框に座らせた。手の傷はまず消毒だ。しみるぞと言いおいて綺麗な水で洗い流し、焼酎の徳利を開けて清潔な布にしみこませた焼酎で傷を拭いた。自分の目にもしみたが我慢した、酒修行が少しは役に立っている。傷の深いところには蓬の塗り薬を塗り、生成りの布を両手に手早く巻いた。

「痛くないか? 他に怪我したところは」

「ない……白童!」

 はっと気が付いたように朱峰が言った。

「白童、私は、お役人にけがをさせた。石を投げた。殺してしまったかもしれない」

「わかった。様子を見てくる。ここで待っていてくれ」

「私も一緒に行く」

 白童と朱峰は縛り上げられたまま横たわっている人を調べた。志乃の近くに倒れている男が額から血を流している。どうやら、目に当たったわけではない。しかも金属のついた鉢巻をしており、丁度鉢巻に当たったようだ。そっと鉢巻をとると、金属がへこんで額に食い込み、皮膚が破れている。

 脈をとってみたが乱れはない。心の臓も動いている。

 白童は自分の袖を破ると、その額を強く押し付けた。だが、血がにじむ一方だ。もう一方の袖も取って、朱峰に抑えてもらう。施薬院にまずは運ばなくてはならない。二人で担ごうとしたとき後ろに気配を感じる。

「そいつはもうだめだ。食ってしまおう」

 後ろから蒼親がそう言って手を伸ばす。鋭い爪が目の前でぐんぐんと伸びた。

「だめだ。蒼親」

 そういって、白童は体で血を流している男をかばった。

「なぜ邪魔をする。お前の大事な場所を奪おうとしたやつらなのだぞ」

「それとこれとは別だ」

「止めたくば力づくでこい」

「その手にはのらん。断る。このものの手当が先だ」

「無駄なことをするな。人一人いなくなったところでどうってことはない。みな、思うだろうよ。神隠しにあったのだと。いや、大江山なのだから、鬼に食われたと。そうやって、人はずっと我々のせいにしてきたではないか」

 蒼親の言葉には昔年の恨みがこもっている。はじめて蒼親の気持ちを聞いたような気がした。だが、今共感している場合ではない。ひるんだ白童を同意と取ったように、蒼親は鋭い爪の手を再度伸ばした。白童は蒼親の腕をつかんだ。

 蒼親も白童の腕をつかむ。お互いにらみ合いとなった。

「そこまでじゃ」

「また山を揺らす気か」

 薬草園の前に玄翼が抱えて降りてきたのは、狐狸族の長老、海狸孝三郎と河童族の長老、河田辰之助。

「内輪もめしている場合ではないことくらいわかるだろう」

 玄翼が言った。

 白童にも、なぜ結界が解かれたのかはわかっている。父の、銀童の命がいよいよ尽きようとしている。

「ちょうどいい。二人おるんじゃ。この里の主にどちらがふさわしいか。決めようではないか。至急に結界を張り直さねばならぬ」

「はぁ? 親父たち、こんな有様をみてまだ白童の肩をもつのか? すべての元凶はこの場所とこいつなんだぞ」

「その恩恵を利用しているのは蒼親、其方ではないのか」

 孝三郎が言った。

「親父殿……」

 孝三郎は蒼親の嫁の一人、狐火の姫、燿花の叔父にあたる。嫁の実家だけに、蒼親の威勢が一瞬そがれた。

「蒼親、今、ここにおるのは、天狗、狐狸、河童の主だけだが、結界が解けたことで、この大江山を里にしているすべての妖達がこの場をみておる。ここは銀童の床ともつながっておる。この先の大江山についてどう思っているのか聞かせてもらおう」

 白童は一瞬、三人の長老たちに礼を尽くして頭を下げたが、けが人を前に今そんな話をしているときではないとばかりに、背を向けた。

 その背に手が当たる。

 見返すと玄翼がかがんでいる。白童の耳元で言った。

「朱峰と弁慶でこのものを施薬院に運ばせる。白童、このものを救いたくば、主になれ。自分の思いを話して戻ってこい。それまでこの怪我人の時間を止めておいてやる」

「玄翼……」

「もし蒼親が主になれば、自分の力をみせつけるために、このものを即刻食うだろうよ。他のものともどもな……悪くすれば、悲田院にいる子供達も無事ではすまぬ」

 玄翼はそういうと、怪我人の額に玄翼の団扇の羽を乗せる。ふっと、薄い膜に男が包まれたように色を失った。同時に血が止まる。

 すかさず、玄翼の隣に姿を現した弁慶がけが人を抱き上げた。白童は男が施薬院へ運ばれるところを見届け、立ち上がった。


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