それぞれの事情 2
ダリウスの答えは、だいたいカイの予想通りだった。
「普通の猫なら、あいつの瘴気に耐えられないからな。」
あいつ。あのお化けガニのことか。
「逆に、寄ってくるなんて、絶対おかしいだろ。んで、フツーじゃねえな、と。」
やっぱり、と、カイは頷いた。
海岸では、魚も他の小動物も、あいつから逃げようとしていたっけ。確かに、凄い瘴気だった。それにしても、ダリウスのケガが大した事なさそうなのは良かった。
動きが少し鈍かったのは、もともと片脚が悪いせいだったらしい。
「あんた、失せ物探しが専門だって言ってたよね、魔法使い。あんな化け物作れるんなら、他のことした方が儲かるんじゃない?」
座って身体を拭いていたダリウスが、カイにキョトンとした顔を向けた。間抜け面とも言えるが、子供みたいな素の表情を向けられたら、逆にカイが落ち着かない。
「別のことって?」
「合法的なら、ボディガードとか。あと、危ない界隈で色々と需要ありそう。」
「あー、うん。」歯切れ悪く答えて、ダリウスは顔をごしごし拭いた。
「まあその、狙った属性とかを、確実に付与出来たらそういうことも・・・」
「ごめん。聞いたボクが馬鹿だった。」
カニの件で、ダリウスは魔法使いとしてのポンコツぶりを証明済みだ。
それはそれとして。
砂と汚れが落ちたら、ダリウスは、やはりなかなかのイケメンだった。
カイより少し年上、20台半ばか。麦藁色の長髪、澄み切った秋の空を思わせる、無邪気な青い目。整った顔立ちは、それだけで若い娘に騒がれそうだ。シャワーを浴びて着飾れば、バランスのいい長身だけに、なかなかの見応えだろう。
「彼の方には負けるけど。」カイは、内心で言ったつもりが、声に出ていたらしい。あり得ない美貌が脳裏をよぎったからか?
「あのかたって?」
「あ、そのー、ボクの上司、かな?実はよく分からないんだ。顔は思い出せるんだけど、名前が出てこない。」
カイは、自分の置かれた状況をかいつまんで説明した。
奇妙な健忘症についても。
ダリウスは聞きながら、温まったスープを器に注いでいる。自分用は、ある程度深さのある器、カイには平べったい器。
分かってらっしゃる、と、カイはよだれを堪えた。魔法使いとしてはダメダメでも、思いやりのある男のようだ。しかも、野菜とキノコだけの薄そうなスープからは、何とも言えない芳香が立ち上っている。
毒キノコじゃあるまいな?
美味しい毒キノコもあるらしいけど?
これまでの経緯から、一瞬疑ったものの、話し終えたカイはヨダレを抑えられない。
「どうぞ。」と、ダリウスが器をサービスするや否や、チャムチャム、ハグハグと、ネコ的に精一杯の速さで食事をはじめた。
お、美味しい!
ありえないほどおいしい!
「パンもあるぞ。ちょっと固くなってるが。スープに浸すか?」
「そのままください!ダリウスさまっ!」何故か敬語になっていた。
パンは、ちょっと酸味のある、黒っぽくて重たいタイプだったが、砕いたナッツと、ドライフルーツが焼き込まれ、これまた絶品だ。
「もう、いくらでも餌付けして下さい、魔法使いさま!」
後ろ足で立って揉み手する黒猫に、ダリウスは笑顔を向けた。
「器用だなあ、おまえ。」
「だってボク、猫じゃないんで。」
「じゃ、何だ?人間か?」
「人間の姿にはなれるけど、人間じゃないデス。」
「今、人間になれるか?」
「多分。だけど、ボクは今、ある方の命令に従ってて、全てが終わるまで、この姿でいなければいけないんだ。」
そう、その通りだ。わかっていたけど、口に出すと、よりはっきりした。
逆に疑問もわいた。これから何をすれば?
「全て終わるって?魔法契約かなんかで、縛られてるのか?」
「契約、なのかなあ?」
「つまりは、逆らえないんだろ?ご主人さまに。」
カイの脳裏に、再びあの顔がうかぶ。
ゾッとするほど美しいが、その容姿より更に類稀な力をもつ存在。
逆らう?彼の方に?とんでもない!そんな恐ろしいことは出来っこない。金輪際。
身震いする黒猫を、ダリウスは気の毒そうに見つめた。
「高位の魔法使いは、大抵容赦ないからなあ。可哀想に、お前も苦労したんだな。で、どんな命令なんだ?」
「えーと、この姿で、ある引退した女性の警護をしろと。でも。」
そこまで言って、カイは言葉につまる。
喪失感が、小さな胸を締め付けた。
カイの名前を呼ぶ、懐かしいあの声。
穏やかな眼差し。マンションの5階、小さな部屋の陽だまりで、微かな湯気を立てるティーポット。ハーブの香り。
全てはほんの短い間だったけれど、人間の慕うお母さんて、こういう存在なんだろうと、カイは思っていた。カイにとっては、生まれて初めての感情だった。
たしかに、そうだった。
だけど、あの人は、もういない。
「おい、大丈夫か。悪かった。聞いてはいけないことを聞いちまったみたいだな。」
ダリウスに言われて、カイは我に返った。
目が、変だ。視界が滲んでいる。
涙?ああ、自分は、泣いていたんだ。
そうか。
命令を下したとき、彼の方は言った。
『カイ、お前は優秀だ。たからこそお前は、人間を含めたこの世界について、これから学ばねばならないよ。』
いま、あの言葉の意味が少しわかった気がした。ボクは、何も知らなかった。
カイは、首を横に振る。
「ダリウスは悪くないよ。あのひとは、どのみち長くなかった。寿命だったんだ。でもね、はっきり思い出せないけど、ボクの受けた使命は、まだ完結してないと思う。この姿で、ここにいることこそが、その証拠なんだろう。」
「そうか。」
ダリウスはそれだけ言うと立ち上がった。
「寝るか。お前は、そこのクッション使え。ボロだが、ワラ入りで寝心地はそこそこだろ。ああ、長い一日だった気がする。」
「え、泊めてくれるの?ホント?」
本当はちょっとだけ、いや、かなり期待していたカイだった。
「命の恩人、いや、恩猫か?まあ、なんでもいいけどよ、お前行くアテないんだろ。やることが分かるまで、ここでゆっくり考えりゃいいさ。じゃあな。」
ダリウスは無造作に寝床に横になる。
木の空箱を床に並べて、藁布団を乗せた簡素な作りだ。布団の布は目が荒く、ところどころ麦藁が飛び出していた。
が、ダリウスもカイも、そんなことは全く気にならなかった。
疲れ果てた魔法使いと小さな黒猫は、すぐに穏やかな寝息を立て始めた。