不穏な気配
港町に帰り着いた時は、既に日が暮れていた。
だか、依頼主であるキストン商会の事務所はまだ開いていたため、帰宅する前に寄ることが出来た。
倉庫街近くの木造の建物、カイが読めなかった看板が上がっていたのが、件の事務所だ。
今ならその文字を読むことが出来る。
同時にカイは、キストン商会についての情報を思い返していた。
ダリウスが言った通り、商会は巨大な組織である。その勢力網は、広く大陸全土に張り巡らされていた。
現当主は、ゲオルグ・キストン。
高齢だが、その権力基盤は未だ磐石。
一代で巨大商会を作り上げた彼だが、その出自には謎が多かった。
一説によると、北方の大国、キルスヘルン帝国の皇室に繋がる者だという。
現在の皇帝の父である先帝には、多くの兄弟がいたが、その内の1人で、庶子だったと、まことしやかに囁かれていた。
事実なら、年齢からして、先帝の兄、現皇帝の伯父となるだろう。
言語はもとより、そうした基礎情報すらカイは忘れていたのだ。
内心大いにプライドが傷ついている。
今回、黒猫の姿で世界を渡ることにリスクが伴うことは知っていたが、そのリスクが、奇妙な記憶喪失であるとまでは想定していなかった。
たかを括っていたのだ。
過去、本来の姿で複数回世界を渡った時には、記憶喪失などありえなかったから。
人間ならともかく、まさか自分にこんなことが起こるとは。
しかし、ご主人は、ある程度予想していたのかもしれない。
出発前、情報のバックアップを2重で行うよう提案したのだから。
「お前だって生身の生き物だよ。」と。
ダリウスは、商会の階段を上がる。
カイは彼の後をトコトコと追った。
この国で3番目の町の出店ということで、内部はそれなりにしっかりした造りだ。
上がり切った2階の正面に、低いカウンターがあり、先客がいた。
ダリウスにとっては、顔見知り程度の知り合いで、便利屋のようなことをしている男だった。
カウンターの向こうの買い取り係と、何やら揉めているらしい。
ダリウスは黒猫と視線を交わした。
階段の脇で待つことにした1人と一匹の耳に、男の抗議の声が、否応なく聞こえる。
「だから、危険手当ってやつは出ないのかと、さっきからそう言ってるだろ?
考えてもみな、こちとら、あんたらが指定した時間に、指定の場所に出向いた訳だろ。そこで、どっかの騎士連中と鉢合わせしちまったんだぜ?
何処の騎士か、そんなモン知るか。
5騎で、1人は女だったが、奴ら、問答無用で切り付けて来やがったんだぜ。逃げられたのは、実際、運がよかったんだ!」
ダリウスとカイは、互いに目配せした。
いきなり切り付けるとは、穏やかでない。
リーン逹だったなら、本気で殺そうとまでは考えていなかったはずだが。
なぜなら、本気だったとすると、この男が生きているわけがないのだから。
しかし、そんな乱暴な威嚇をするなんて、一体何故なのだろう?
彼らは主命に従って行動している。
本来なら、要らぬ軋轢は避けて通るはずだった。
騎士ならば、主家の名誉を傷つけることには、極めて慎重になったはずだ。
この場で念話をするわけにはいかなかったが、魔法使いと黒猫はほぼ同時にそこまで考え、相手の内心も自分と同じと読み取っていた。
何かが起きている。
考えてみれば、このキストン商会の依頼もまた奇妙だった。
マジックアイテムの買い取り額は、相場よりやや高く設定されていたから、品物が集まれば集まるほど赤字が膨らむ。
大商人にとっては、大した金額ではないだろうし、損して徳とれなんて言葉もあるが、マジックアイデムの等級ごとの価格は安定しており、品物自体で儲けるのは難しいだろう。
同時期、同じエリアに、大貴族がソードマスターを擁する騎士団を派遣した。
ソードマスターは、大陸全体でもほんの数名しかいない。
それも、引退した2名を含めてである。
ダリウスは、リーンの存在から、騎士団が
グラツフェルド太公の麾下であると知ったわけだが、知らない者にはわからないだろう。
家紋や騎士団の紋章は、一切身につけていなかった。
ソードマスターとしてある程度、顔を知られていたリーンは、兜で顔を隠していた。
双方の目的がどこかで絡み合っている。
キナ臭い感じだが、まだ情報が少なすぎた。
その時、カウンター傍の、クラシックな電話そっくりの機器から、呼び鈴が鳴った。
受話器を取った係の男は、何らかの指示を受けたようだ。
彼は、クレーマー男に向き直った。
「クレモンが、詳しいお話をお聞きしたいとのことで、あちらへ。」
「クレモンさんが!さすが話がわかるじゃねえか!」
カウンターのクレーマー男は、買取係によってどこかへ案内されて行った。
カイは、意識を外へ広げる。
彼は電磁波を操る者だ。
記憶が全て戻ったいまなら、その権能を発揮することは容易い。
電磁波と、これに類似した性質を持つものの範囲は恐ろしく広いのだ。
そもそもカイが同胞より安全に異世界間を渡れるのは、素粒子を介して空間そのものにすら干渉できるからに他ならない。
なので、この場合、盗み聞きというよりは、たまたま特定の場所の会話が聞こえて来るようお膳立てしただけだ。
任意の場所に、遠隔で高性能盗聴器を仕掛けるようなものだった。
カウンター係はすぐに戻ってきて、ダリウスと買い取り手続きを始めた。
金と品物の受け渡しが済むと、係は、何か変わったことはなかったかと聞いてきた。
「さあなあ。そういえば、なんか一段とあちこち崩れてて、あれじゃ、すぐ野原になっちまいそうだった。」
カウンター係は頷いた。ダリウスがあの事件の生き残りだと知ってから知らずか、当たり障りのない会話のあと、魔法使いと黒猫は、商会を後にした。




