第四章 野犬の怪 2
そんな前置きのあとでストライヴァーが説明したのは以下のような状況だった。
ニーナ・ラングレーの死骸がルディ川西岸のウェスト・リヴァーサイド地区の貸倉庫で見つかったのは五月十二日の早朝で、発見者は近くの馬捨て場に馬車馬の躯を引き取りに来ていた郊外の皮なめし業者だったのだという。
「--貸倉庫のある広場の近くに辻馬車の駅になっている旅籠がありましてね、そのすぐ近くが馬捨て場になっておるのですよ」と、ストライヴァーは説明した。「死に馬飼いのジャックーーああ、それが第一発見者の通称なんですが、ジャックは馬捨て場に躯があると知らされてすぐに解体に向かったらしいんですが、こいつが犬を連れているんです。
その犬が川辺に並んだ貸倉庫の扉の前でやたらと吼えまくるから、こいつはおかしいってんで中に入ってみたら、中二階に若い女の死体があったって寸法らしい」
「それがニーナ・ラングレーだとは、何から判明したのですか?」
「服装と髪の色ですね」と、ニーダムが答える。「ニーナ・ラングレーはもうその三日前から行方が分からなくなっていて、あの人気女優のセアラ・オズボーンから捜索願が出されていたのです」
「その特徴とぴったり一致したと?」
「そういうことです。顔は――正直、破損が激しくて見てもはっきりとは分からなかったかもしれませんが」
「……破損とは、腐敗が酷かったということ?」
エレンがずばりと訊くと、ストライヴァーが口元を掌で抑えて首を横に振った。
いつもは血色の良い顔が心持青ざめている。
「そんなにひどい状態だったのですの?」
訊ねるとニーダムが頷いた。
「ええ。―-実は、貸倉庫で発見されたとき、ニーナ・ラングレーの遺体は野犬に食い荒らされていたのです」
「――死体の傍には酒瓶が転がっていましたし、服装も乱れていましたから、何かの事情で泥酔して貸倉庫で眠り込んでいるところを野犬に襲われたのかもしれない――というのが検死結果のひとつの仮説でしてね」と、気を取り直したらしいストライヴァーが忌々し気に言うと、まわりの警官たちも不服そうに言い添えた。
「レイノルズ警視はそっちの線で捜査しろと、その一点張りなのですよ。それが一番楽ですからね」
「でも、あなたがたはその仮説に疑問を持っているのですね?」
「ええ勿論」と、ニーダムが少しばかり挑戦的に応じた。「ミス・ディグビー、あなたは今の話を聞いて疑問には思われませんでしたか?」
淡青の眸が悪戯っぽくキラキラと光っている。
エレンはわくわくした。
まるで子供の頃に戻って、新しくできたばかりの友達に駆け足の競争でも挑まれているかのようだ。
「そうですわね――」
少し考えるとすぐに思いついた。
「ねえミスター・ニーダム、ひとつ確認したいのですけれど」
「何でしょう?」
「先ほどのお話にあった馬捨て場の馬車馬の死体、そちらのほうも野犬に食い荒らされていましたの?」
訊ね返すなり、事務作業を続けながら静かに聞き耳を立てていた他の警官たちがホーっと感心するのが分かった。
ニーダムがちょっとばかり悔しそうに応えてくれる。
「勿論、馬は全く綺麗なものだったそうです。死んだ馬として叶う限りはね」
「ですから、我々はこりゃおかしいと思ったわけですよ」と、ストライヴァーが食い気味に口を挟んでくる。「外に血の滴る馬の死体があるのに、わざわざ倉庫の中二階にあがってやせっぽちの若い女を食い殺す野犬ってのは、野犬としちゃちょっと珍しいでしょ?」
「そうね。あまりにも目的意識がありすぎる気がします」
「そうなんですよ。まさしく目的意識です」と、ストライヴァーが頷く。「ですからミス・ディグビー、あんたに教えていただきたいのは、魔術でそういうことが出来るかってことです。つまり、あんたがさっきの可愛い火蜥蜴を使役するみたいに、牙のある大きな獣を操って人を殺させることは出来るかってことです」
「結論から申し上げれば『できる』でしょうね」と、エレンは即答し、片方の眉を吊り上げて釘を刺した。「それからサラは契約魔です。彼とは対等な契約を結んでいますの」