第四章 野犬の怪
フレイザー城の魔術卿から思いがけない紋章メダルを託された翌日、エレンは報告書を仕上げてふたたび警視庁へと向かった。
行き先は勿論あの忌々しいレイノルズ警視の部屋だ。
「おやお嬢さん、どうなさいました?」
エレンを迎え入れるなり、レイノルズはにやにや笑いながら言った。「お手の書類はもしかして月室庁への報告書――ですかな? われわれのほうでお預かりして提出してさしあげましょうか?」
「いえ結構」
エレンはこみあげる得意さを必死に隠しながら、愛用のワインレッドの革の書類挟みから報告書を取り出して書き物机に叩きつけた。
「こちらは警視庁に。月室庁からはこの通り、スチュアード卿の代理として特別捜査を行うよう委任を受けております」
小銭入れから〈赤い竜〉のメダルを取り出して示すと、レイノルズはぽかんと口を開いた。
思った以上に驚いている。
エレンはしてやったりと笑いながら告げた。
「アレン・レイノルズ警視。月室庁裁判所任命の特別捜査官として申し入れます」
「な、なにをです?」
「ニーナ・ラングレー殺人事件およびヒュノプシス違法流通事件について、月室庁裁判所とタメシス警視庁の合同捜査を。――要するに、わたくしを捜査チームに加えなさいってことです」
ピシッと言い放ちながら、エレンは内心少しだけ怯えていた。
――きっとわたくしの評判は今日から最悪になるわ。
権威を笠に着て威張り散らすいけ好かない女だとか、行き遅れ寸前の老嬢候補だとか、喫煙室でひそひそと陰口を叩かれ続けるのだ。
――でもいいわ。かまわない。わたくしを知っている人たちは、きっとそんなことで離れていったりはしない。
レイノルズは目を白黒させながら、厳しい顔をしたエレンを見上げていたが、じきにぎこちないニヤニヤ笑いを浮かべ直し、
「分かりました、分かりましたよミス・ディグビー。どうぞお好きになさってください」
と、我儘な子供に苦笑する大人じみた口調で認めた。
エレンは腹の底からふつふつとこみあげてくる怒りを必死で堪えた。
レイノルズの反応は最悪だったが、階下の大部屋へ向かうと、現場の捜査を行っているストライヴァー警部がもろ手を挙げて大歓迎してくれた。
「こりゃミス・ディグビー、われらが魔術師殿! あんたが正式に加わってくださるのは実に心強い。――おいみな、この方が例のグリムズロックの事件を鮮やかに解決なさった諮問魔術師どのだぞ!」
警部が得意そうに呼ばわると、大部屋で様々な事務作業に精を出していた五、六名の警官たちがわわらわと集まってきた。
中にフワフワした栗毛のクリストファー・ニーダムの姿もある。
エレンははにかみながらも誇らしく挨拶をした。
「初めまして皆様。ただいまご紹介に預かりました諮問魔術師のエレン・ディグビーと申します。それから――」
と、エレンは印章指輪を嵌めた掌を広げ、一同が興味津々と見守る視線を感じながらおなじみの契約魔を呼んだ。
「サラ、出てきて頂戴。仕事仲間を紹介するわ」
途端、手の上に淡金色の微光の柱が立ち昇り、入日を浴びて輝くルビーみたいな小さな火蜥蜴が現れる。
「彼がわたくしの契約魔のサラです。どうぞお見知りおきを」
「頼むぞ皆の衆」と、小さなちいさな火蜥蜴が渋い男声で告げる。
見守る一同はおおお、とざわめいた。
ひとわたりの自己紹介が終わると、ストライヴァー警部は早速仕事の話を始めた。
「実はですねミス・ディグビー、ちょうどあんたにご相談したいことがあったのです」
「まあ何でしょう?」
エレンが嬉々として応じると、警部はひどく申し訳なさそうに唇をへの字に曲げた。
「いやあ、こんな血生臭い話を嫁入り前のお嬢さんに聞かせるのは心苦しい限りなんですがね――」