第三章 夜のお使い 2
「フレイザー城というと――」と、火蜥蜴が考え込む。「伝える相手は国王なのか?」
「とんでもない」
エレンは微苦笑した。「大魔術師メルジンの活躍したウーサー・ペンドラゴン王の御代ならいざしらず、今の一般の魔術師はそうおいそれと君主に謁見はできないの。伝える相手は王室付き魔術師のスチュアード卿――世にいう魔術卿ね」
「魔術卿か。そっちにはおいそれと会えるのか?」
「あなただったら大丈夫。何と言っても火蜥蜴ですもの」
「ほほう」と、火蜥蜴は満足そうに焔の珠を吐いた。「人目は避けたほうがいいのか?」
「今のところたぶん大丈夫。それより速度を重視して。それから――」と、エレンは白麻のナプキンに微細な魔力を籠めて、活ける焔たる火蜥蜴の肢の熱にも耐えられるように淡い金色の微光の被膜で覆った。
「このお菓子を半分届けて。念のため、月室庁でも確かめていただきたいの」
「ううむ」
火蜥蜴は不本意そうに唸ったものの、じきにホーッと淡い煙を吐くと、燭台から飛び降りて、小さな金色の鍵爪で包みをつまみ上げた。
「ありがとう。助かるわ」
「――エレンよ、本当に人目は避けなくて良いのかね?」
「ええ。それより速度を重視して」
火蜥蜴のもの言いたげな視線に気づかず、エレンは濃いブラウンのカーテンをめくって窓をわずかに開いた。
「お願いね、わが活ける焔よ」
「任せろ。わが死すべき伴侶よ」
火蜥蜴は重々しく答えるなり、皮翼を広げ、薄暮のなかへ放たれた焔の砲弾のように西へと飛び去っていった。
タメシス市域からフレイザー城までは二十マイル程度だ。
サラの飛行速度なら、往復するだけだったら小一時間もかからない。
しかし、用件が用件である。
王室付き魔術師たる魔術卿と繋ぎをつける手間を考えれば、サラとは数日会えなくなるはずだ――と、エレンは覚悟していた。
しかし、思いもかけず、火蜥蜴は翌朝の夜明け前に帰ってきた。
寝室の窓のカーテンを開けたままにして待っていたエレンが薄明のなかを近づいてくる小さくも輝かしい塊に気付いて窓を開けるなり、サラはまっすぐに部屋へと飛び込んできた。
「エレンよ、若い娘が夜の夜中にカーテンを開けているのはあまりに不用心だぞ?」
飛び込みながら早速がみがみと言う。
その鈎爪が黄金色の小さなメダルのようなものを掴んでいた。
エレンはカーテンを閉めながら訊ねた。
「あなた何を言付かってきたの?」
「おおこれか」と、火蜥蜴はエレンの掌の上に落とした。
だいぶ熱されているようだ。エレンは左手の指先に魔力を集めて熱を吸収してから、改めてメダルをつまみ上げた。
「――これ、赤い竜の紋章ね?」
「ああ」と、火蜥蜴が得意そうに応じる。「当代の魔術卿から、翼もつ焔の伴侶たるセルカークのエレン・ディグビーにと託されてきた。魔術卿の代理として月室庁裁判所の特別捜査権を委任するゆえ、かの忘却の花の出所を見出して報告するようにと」
「――すごいわサラ。信じられない。まさかこの紋のメダルを手にすることがあるなんて」
エレンは半ば呆然としたまま、掌のうえの金色のメダルを眺めた。
純金製の美しい円盤だ。
中央に深紅の七宝細工で赤い竜の文様が嵌めこまれている。
王室付き魔術師の文様だ。
「そなたには似つかわしい紋じゃー―と、儂は思うがの」と、定位置であるエレンの右肩にとまりながら火蜥蜴が満足そうに言った。「しかし、あの魔術卿―-」
サラが言葉を濁した。
エレンは眉をあげた。
「そんなに凄い方だったの?」
「まあな。非常に愕いた」
おそらくは極めて永く生きているのだろう火蜥蜴が愕いたという台詞にエレンは戦慄した。
当代の魔術卿――
一体どれほど強大な魔術師なのだろうか?