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第二章 タメシス警視庁 

 受付の事務員に訪ねると、ニーナ・ラングレー事件の担当者はレイノルズ警視という人物だった。

「ご案内いたしますよお嬢さん」

「いえ結構。西翼三階ですね?」

 やたらなれなれしい事務員を振り切り、狭い階段を上って目指す部屋へと向かう。



 西翼三階の廊下にはワインレッドの絨毯が敷かれていた。

 右手に列なるガラス窓の眼下に石畳の中庭が見下ろされる。左手にずらりと並んだ黒い扉の真ん中に、金色のプレートで名前が刻んである。


 アレン・レイノルズ警視の部屋は六番目だった。


 馬の頭を象った金鍍金のノッカーの環を掴んでタンタンと軽く鳴らす。


 すると、すぐに内側から扉が開いて、思いがけない人物が姿を現した。

 ひょろりとした長身を白いシャツと黒いウェストコートに包み、青灰色の長ズボンをはいた童顔の若者である。

 フワフワした栗毛と淡青の眸。


 警部補のクリストファー・ニーダムだ。


「あらミスター・ニーダム!」

 エレンは嬉しい愕きとともに告げた。「お久しぶりね。レイノルズ警視は御在室?」

「え、ええ勿論、いらっしゃいますよ!」

 ニーダムが大きく目を見張り、信じがたいものでも見るようにエレンを見つめながら狼狽えた口調で答える。

 エレンは首を傾げた。

「どうなさいましたの?」

「いえ、ちょっと愕きまして。まさかこんなところであなたに――」


 若者が耳を赤くしながら応じかけたとき、部屋の奥から焦れたような男の声が響いた。


「ニーダム君、お客様はどちらのお嬢さんなんだ? 君の知り合いか?」


「あ、ああすみません警視!」と、ニーダムが狼狽えきった声で応じる。「諮問魔術師のミス・ディグビーです!」

「え、例のお嬢さんか?」と、部屋の主が焦った声を出す。「すぐにお通ししなさい」

 わたくしはどんな風に噂されているのかしら――と、エレンは沈鬱な気持ちになった。

 ニーダムが申し訳なさそうに無言で頭を下げてくれる。

 エレンも無言で笑い返した。




 狭い控えの間を抜けて執務室へ入ると、窓を背にした重厚な書き物机の前に淡い金髪の大柄な男が立っていた。齢は三十前後だろうか? 堂々とした骨太の体つきをしている。

 エレンはその意外な若さに愕いた。


「レイノルズ警視ですか?」

「ええ」と、レイノルズは過剰にカトルフォード大学風の発音で答えた。「初めましてミス・ディグビー。お会いできて光栄です。ところであなたはエドガー・キャルスメイン・ジュニアとは相当お親しいのですか?」

「……スタンレー卿でしたら、先日のターブでの事件で面識を得ましたけれど」

「そうですか! 私は彼とは大学時代の同窓でしてね、ともにボート競技のオールをとった仲なのですよ」

 開口一番爵位貴族の嫡男との親しさを吹聴してくるタイプのようだ。

 エレンは冷ややかに顎をあげて、

「そうですか」

 と、儀礼的に応じた。


 レイノルズは相手の反応の薄さに失望したようだったが、さすがにそれ以上知り合いの貴族の話題は続けず、思い出したようにエレンに椅子を勧めてくれた。


「どうぞおかけください。本日はどのような?」

「実は、あなたが御担当なさっているニーナ・ラングレー殺人事件に関わりがある――かもしれない違法の魔術薬入りの食品を入手いたしましたの」

「食品?」

「ええ」

 エレンは愛用の旧いこげ茶の小型トランクから白いリネンのナプキンの包を取り出した。


 レイノルズの色の薄い茶色の目が小ばかにしたように細められる。

「なんですか、それは」

砂糖菓子(ボンボン)です。五月一日、セアラ・オズボーン主演の新作芝居の初演の日に、王立劇場内で販売されていたそうです」

「ほほう、砂糖菓子」と、レイノルズがますます小ばかにしたように繰り返す。「で、その砂糖菓子に何か?」

「――この菓子のなかにヒュノプシスから製する忘却薬が含まれていました。ヒュノプシスは月室庁(ムーン・チェンバー)が栽培と処方を厳しく統制している魔術性植物です」

「ほーう」と、レイノルズがわざとらしく間延びした声で応じ、なぜかニヤニヤ笑いながら訊ねてきた。「そのお菓子が殺人事件とどう関係があるとお嬢さんはお考えなので?」

「今の時点ではまだ何も分かりません」と、エレンは率直に答えた。「ただ、何か関わりがある――かもしれません。その関わりの有無を捜査して欲しいと、そうお願いしているのです」

「お嬢さん、それは無茶ですよ」と、レイノルズが分厚い肩を竦めて失笑した。「我々もこう見えて多忙なのです。あなたの思い付きに逐一お付き合いするわけにはいきません。ま、折角ですから、そのお菓子はお預かりしますよ。違法魔術植物の栽培だったら月室庁に報告すればいいのでしょう? 報告書をお書きになりたいのなら、我々のほうで届けてさしあげますよ?」

「いえ結構。こちらで何もなさらないなら自分で届けます」

 エレンは湧き上がる怒りを堪えて冷ややかに告げ、

「では失礼」

 と、言い置いて執務室を後にした。


「あ、ミス・ディグビー、門までお送りします!」

 ニーダムが慌てて追いかけてくる。




「――本当にすみませんミス・ディグビー、折角御知らせくださったのに」

 通用門の外で辻馬車を待ちがてら、ニーダムがいつかのときの同じく頭を下げてくる。

 エレンはますます腹が立った。

「いちいち謝らないでくださいミスター・ニーダム。あなたのせいじゃないんですから」

「え、あ、すみません――」

 またしても謝ってしまってから、ニーダムが顔をあげ、極まりの悪そうなはにかみ笑いを浮かべた。

 エレンはたちまち厳しい声を出してしまったことを後悔した。


「--そういえばミスター・ニーダムはなぜあの警視のお部屋に?」

「お話のニーナ・ラングレー殺人事件の実際の捜査に携わっているからです」

「じゃ、もしかしてストライヴァー警部も?」

「ええ」

 その答えを聞くなりエレンは嬉しくなった。


 ニーダムとストライヴァーは二か月前、グリムズロック村のクルーニー家の嫡男に違法の魅了魔術(チャーム)が使われていた事件を解決したとき一緒に働いた仲だ。

「まさしく神の援けね! あなたと警部のことはサラと同じほど信頼できるわ。さっきの話、どうかストライヴァー警部の耳にも入れておいて。月室庁に届ける報告書の内容もお知らせしておくから」

「そうしていただけると助かります!」と、ニーダムは目を輝かせたが、一転してすぐに心配そうな表情を浮かべ、首をかしげてエレンの顔を横からのぞき込んできた。

「でもミス・ディグビー、くれぐれも、お一人で危険なことはなさらないでくださいね?」

「一人じゃないわ。サラはいつも一緒です」

「そりゃ彼はいつも一緒でしょうけど」と、ニーダムが苦笑し、ふっと顔を横向けて口早に囁いた。「できれば僕もずっと一緒にいたいんですけど」

 ちょうどそのタイミングで、四つのブリキのバケツを石畳に叩きつけるようなガランガランという騒音を立てながら、馬型の自動機械人形(オートマタ)に引っ張られた辻馬車が近づいてきてしまった。


 ニーダムの最後の一言は、エレンにはもちろん聞こえていない。

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