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第十三章 月室庁裁判所 2

 エレンたちが全員入ると、衛兵が左の小部屋から椅子を三つ運んできた。

「立ち話もなんだ。みなかけなさい」

 スチュアード卿が重々しく促し、自らは奥の壁際に置かれた肘掛椅子に座った。


 衛兵たちが敬礼を残して部屋を出るなり外から扉が閉まった。

 そのさまを見届けてから、魔術卿が改めて口を切った。

「では、まずミスター・コットン、あなたに訊ねたい」

「はい猊下(モンシニョール)

「あなたは二年前、姪のセアラ・オズボーンのために、王立植物園魔術分室の管理官トマス・エッジワースに依頼して、〈恋人同士の合わせ鏡〉を作成してもらった。このことに間違いはありませんか?」

 訊ねられた途端、コットンは一瞬だけ愕きに目を瞠ったが、すぐに沈鬱な表情を浮かべて頷いた。

「はい猊下。間違いありません」

「ミス・ディグビー、鏡に籠められた魔力(グラマー)はあなたが確かめたのだね?」

「はい」

「間違いなくエッジワースのものだったかな?」

「その点は間違いありません。新緑を透かした陽光を思わせる明るい翠の光でした」

「そうだな。まさしくそんな色だ」と、スチュアード卿は頷くと、一転して鋭い視線をコットンに向けた。


「すると、ここでひとつの疑問が生じる。――レイノルズ警視、あなたから提出された報告書によると、ミスター・コットンは警視庁に初めに聞き込みを受けたとき、〈鏡〉はボローニアス・ハドソン提督自身が手配して婚約者に贈ったものだと、そう説明したそうですね?」


「――その点については、あの黒妖犬の襲撃のあとで、改めてミスター・コットンから説明を受けております!」と、レイノルズが噛みつくように応える。


「ほう、どのような?」

「それは、その――」と、レイノルズが口ごもる。


 と、それまでうなだれていたコットンが、顔をあげ、悲痛そのものの表情でレイノルズに笑いかけた。

「警視、私から話します」

「しかしミスター・コットンーー」

「いいのです。――この場においでの方々は、たとえ真実を打ち明けたとしても、可哀そうな私のセアラの名誉を何としても守ってくださるでしょうから」

 コットンはそんな前置きをして、まるで芝居の独白(モノローグ)のように情感たっぷりに語り始めた。




「――すべての始まりは二年前、セアラがハドソン提督と出会ったときからでした。提督はあの通り多忙な方で、ああした職の男性にはよくあるように、決してそう筆まめというほうではありませんから、姪は提督からの手紙が滅多に来ないことを悲しんでいました。彼女はとても繊細なのです。

 そのため、私はステアブリッジ時代の知己だったドクター・エッジワースに頼んで、彼女のために〈合わせ鏡〉を作ってもらいました。エッジワースはもともとセアラの崇拝者でファンレターも寄越していました。――その手紙は証拠として提出できますよ?」


「その点は警視庁のほうでもすでに確認しているようですよ。続けなさい」


「はい猊下。――そんな具合にセアラの熱烈な崇拝者だったエッジワースは、〈鏡〉を彼女の寝室に運び込んだとき、唯一の使用人だった付き人のニーナ・ラングレーに大金を与えて席を外させ、可哀そうなセアラに暴行を加えたのです――」

 コットンが口元を抑え、堪えかねたように喉を鳴らす。


 エレンは愕然としていた。



 ――あのドクター・エッジワースが女性に暴行を? まさかそんな、ありえない。あの方はそういう罪を犯すような人では……



 呆然としながら、エレンはそのときどこかから誰かに見られているような気配を感じた。


 どこかから――前のほうからだ。


 視線の源と思しき向きへと目をやると、スチュアード卿の背後の壁の一対の円柱のあいだに鏡が架かっているのが分かった。鏡の両側は肖像画だ。よく見れば左右の壁の柱のあいだにも、揃いの金の額縁に収めた肖像画がずらりと並んでいるのだった。


 装束からして歴代の魔術卿(ロード・マギステル)だろう。

 みな右手に黄金の笏を持ち、多くがそれぞれの契約魔を連れている。



 --そういえばスチュアード卿の契約魔は何なのかしら?



 エレンはふと疑問に思った。


 目の前でコットンの訴えを頷きながら聞いている当代の魔術卿の右手にももちろん笏がある。頂に竜の像を飾った黄金の職笏だ。

 竜は翼を広げた形で、ルビーとエメラルドと琥珀と真珠の粒にびっしりと覆われている。



「……狂った卑劣なあのエッジワースは、セアラとは合意の上の密会をしているのだと言い張り、逆らえば新聞記者にすべてを話してやると脅して、そのあともしばしばセアラの部屋を訪れては彼女を意のままにしました。そして、その都度、ヒュノプシス入りの砂糖菓子を与えてはすべてを忘れさせていたのです――」

 コットンが顔を歪め、膝の上で拳を震わせる。

「私は何もできませんでした。もしもこんな話がハドソン提督の耳に入ったら、彼は姪を不道徳な女だと思って婚約を破棄するかもしれない。そう思うと何もできなかったのです。

 しかし、ニーナは違いました。

 あの()は大金に目が眩んでエッジワースの言うままに部屋を空けてはいましたが、そこで何が行われているかまでは知らなかったのです。何らかのきっかけで真実を知ったニーナは怒り、ヒュノプシス入りの砂糖菓子(ボンボン)をそちらのミス・ディグビーに渡るようにして事件を表ざたにしようとしたのでしょう。しかし、可哀そうに、その前にエッジワースに気付かれてしまった――」


 コットンが掌で顔を覆い、肩を震わせながら続けた。


「ニーナ、ニーナ、可哀そうに! あの恐ろしい黒妖犬(グリム)に独りで襲われて、あの()はどんなに恐ろしかっただろう……!」

 その声は聞くからに悲痛そのものだった。

 レイノルズが涙ぐんでいる。


 エレンも昂ぶる感情の波に押し流されそうになったが、すぐに矛盾に気付いた。



 --今の話はおかしいわ。

 何がおかしいって、第一に前提からしておかしい。コーネリアスが嘘をつく必要は何一つないのだから、ハドソン提督は艦隊勤務中だってこまめに婚約者に手紙を書いているはず。

 ミスター・コットンはどうしてその事実を隠そうとするの? 

 今の話が真実だったとしたら、提督のほうからセアラに手紙が届いていることを隠さなければならない理由って何?



「――猊下(モンシニョール)、僭越ながら」


 エレンが口を挟もうとしたとき、


「なるほど、よくできた筋立てだ」

 と、スチュアード卿が頷き、不意に立ち上がると、煌びやかな笏を高く掲げ、ダン、と床をつきながら天井の巨大な燦水晶(グリッタール)を仰ぎながら命じた。



「ドクター・エッジワース! 次はあなたの言い分を聞こう!」



「え?」

「ドクター?」

「彼がどこにいるんだ?」

 エレンもレイノルズもコットンも、一様に愕きながら燦水晶(グリッタール)を見あげる。


 黄金製の籠の中で巨大な結晶体が陽光のような光を放っている。


 眩しさに目が眩んだとき、




「はい猊下。お話いたします」


 スチュアード卿の背後から静かな怒りの籠った男の声が応えた。


 エレンははっと目を向けた。


 すると、柱のあいだの鏡の前に、今しがたまで影も形もなかった三人もの人物が立っていた。


 深い深紅のローヴをまとった背の高い初老の女性と、ダークブルーのローヴをまとった小柄な若い男。

 そのあいだに、黒い口髭を生やした小太りの中年男が立っている。


 パリッとよく糊をきかせた白いカラーとカフス。

 黒いコートと緑の絹のウェストコート。

 植物園務めにしてはお洒落すぎる身形とむき卵を思わせるツルっとした禿頭は見まがいようがない。


 ドクター・トマス・エッジワースだ。


 エッジワースは、いつもは人懐っこくキラキラ光っている黒いビーズみたいな目にむき出しの怒りを湛えてコットンを睨みつけた。


「アンソニー・コットン! お前の言うことはすべて嘘だ! よりにもよってこの私がミス・オズボーンを、わが人生の女神たる美しきわがセアラを暴行しただと? お前は大ウソつきだ! ここが月室庁(ムーンチェンバー)でなかったら、今すぐ私のトビーに命じてひき肉の塊にしてやるところだ……!」

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