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第十一章 怪しい二人組 2

「分からない姿って、変装でもするんですか?」

「まあそんなところね。ちょっとお待ちになって」

 ちょうどそのときマディソンがお茶とジンジャーブレッドを運んできた。


 エレンは客人二人を接客スペースに残して寝室へ引っ込むと、衣装戸棚の奥からとっときの変装衣裳一式をワクワクと引っ張り出した。


 肘に継のあたった黄ばんだ木綿のシャツと色褪せた黒いウェストコート。

 灰色のぼろズボンの一式は、もともとは兄たちの少年時代の古着だ。

 それらをくしゃくしゃに丸め、念のためちょっと暖炉の灰をまぶしてから身に着け、首元に安っぽい赤色のネッカチーフを結ぶ。ふさふさと波打つストロベリーブロンドをほどいてから手櫛で乱し、これも安っぽい濃い青のネッカチーフで束ねれば服装は出来上がりだ。


 長身痩躯で彫りの深い中性的な美貌のエレンは、少女時代に男女兼用の寝間着を着ていると新入りのメイドからよく次兄のトリスタンに間違えられた。

 そのためエレンには自信があった。



 ――男性の服装をしていればわたくしは男に見えるはず!



 胸を張って堂々と寝室を出て、衝立の向こうの接客スペースへと戻る。


「どうです三人とも。この格好なら誰だか分からないでしょう?」

 得意満面で言い放ったのに、思っていたような讃辞や驚嘆の声は帰らなかった。

 フィンチは何ともいえない顔をしている。

 アーガスはなぜか顔を赤らめている。

 エレンは不安になった。


「……――やっぱりもう男には見えない?」


 恐る恐る訊ねると、盆を手にして外のドアへと戻ろうとしていたミセス・マディソンがため息をついて答えた。

「いえミス・ディグビー。男性には見えますよ。とてもとてもお育ちのよい良家の御令息が気まぐれで変装しているように見えます」

「それから、男には見えますがあんたにも見えますぜ?」と、フィンチが肩を竦める。するとアーガスも頷いた。

「とても美青年です」

「そう。ありがとう」

 エレンはしおしおと肩を落とすと、諦めて全身に魔力の被膜をまとった。


 室内にふわりと爽やかな月桂樹のような芳香が広がる。

 匂いの形で表出されるエレンの魔力である。


 その芳香の被膜がエレンの全身を覆いつくすなり、フィンチが瞬きをした。

 アーガスがぽかんと口をあけ、厚手のグローヴみたいな拳でごしごしと目元を擦る。

 マディソンさえ言葉を失っている。


 エレンはにやりと笑った。

「どうです。この姿では」


「――すげえな」

 フィンチが感嘆した。「どう見てもウェスト・リヴァーサイドの破落戸だ。美人局か何かで稼いでいそうな色男のチンピラだ。そいつは一体どういう魔術なんだ?」

「服装に合わせた姿に見えるよう暗示をかけているだけよ」と、エレンは肩を竦めた。「問題は匂いですけれど――この程度だったら香水と思ってもらえるでしょう?」

「たぶんね」と、フィンチは頷き、そのあとでに眉をしかめた。「そのなりでその言葉遣いはいただけませんね。俺をご参考に」

「へい旦那。参考にいたします」

 マディソンが外へと出ながら堪えかねたように噴き出している。




 三時間後――


 エレンは二人の男と同乗して、ルディ川に架かるタメシス大橋を西岸へと渡る辻馬車のなかにいた。


 タメシス名物である馬型の自動機械人形(オートマタ)ではなく生身の馬の引く馬車なのは、動力である息吹(プネウマ)の網を張り巡らせた市街地を抜けて郊外へ向かうからだ。すでに陽の傾ぐ時刻で、前方のガラス窓の向こうから赤らんだ入日が差しこんでいる。


 薄暗くガタガタよく揺れる車内の後部座席に坐っている男は二名。

 右手の一方はがっしりとした大柄な体躯を白いシャツと黒いベスト、緑と茶色の細かい格子縞の半ズボンに包んで、古ぼけた茶色いブーツをはき、ズボンと揃いの鳥打帽を被っている。

 手に猟銃を持たせればこれから鴨でも撃ちにいく若い田舎紳士の格好だが、生憎と今は五月だ。この人物は当然アレン・レイノルズ警視だ。

 左隣に秘密の護衛役らしいフィンチがちんまりと坐っている。


 念のために雇ったもう一人の護衛だ――というフィンチの説明を、レイノルズは全く疑わずに受け入れ、エレンのことはそれきり、馬車の御者席で揺れるランタンほどにも気にとめていない。胸の前で太い腕を組み合わせて何やら熱心に考えこむ様子だ。


 この警視の密会の相手は誰なのかしら――と、エレンも考え込んだ。



 ――まさかセアラじゃないわよね……?



 もしかしたら、大女優の奇妙な忘却に劇場の誰かが気づいて、秘かに何かを報せてくれようとしているのかもしれない。

 目の前の忌々しいレイノルズは、忙しく捜査に走り回っていたストライヴァー警部以下の捜査官たちの尽力を評価せず、ここでひょいッと真相を手に入れて、自分一人の手柄として上に報告するつもり――なのかもしれない。


 そう思うとムカムカした。



 ――その場合はわたくしが月室庁(ムーンチェンバー)のほうに報告書(レポート)をあげてやる。この警視が始めは単なる野犬の仕業として事件を片付けようとしていたってことまで、きっちり報告してやるんだから。



 エレンが内心密かな闘志に燃えているあいだにも辻馬車はガタガタ揺れながら進んでいたが、じきにガタリと停まるなり、外から胴間声が響いた。

「旦那ぁ、着きましたぜ――!」

 レイノルズがエレンを一瞥する。

 エレンは慌てて扉を開け、声に魔力を被せながら告げた。


「どうぞ旦那(サー)

 レイノルズが特に反応を示さずに降りる。フィンチがそのあとに続く。

 エレンは最後に降り立った。


 そこはハンノキの林のなかの一軒家(デタッチドハウス)の前だった。

 家というより廃屋だ。

 ぼさぼさと伸びた野性的(ワイルド)なブラックベリーの生垣のなかに、ペンキの剥げかけた深緑の木戸が埋もれかけている。


 同じほど野性味たっぷりの夏草だらけ前庭の向こうに赤レンガ造りの三階建ての建物が見える。ドアの右手の白い窓枠の内側に沿ってうっすらとした光が零れている。


 中に人がいるようだ。


「戻るまで待っていろ」

 レイノルズが御者に硬貨を投げ渡し、

「こいフィンチ」

 と、命じて、自ら戸を押した。


 ギイイと軋んだ音を立てて扉が開く。

 青草に蔽われた前庭に一筋だけ人の踏み分けたあとが残っている。


 レイノルズはしばらく見つめてから、不意にエレンに目を向け、

「お前さきに行け」

 と、口早に命じた。


 とげとげしくぶっきら棒な口調だ。

 怯えていることを認めたくないらしい。


「はい旦那。お任せください」


 エレンも微かな恐怖を感じながらも足を踏み出した。

 

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