第十章 二対の「分離」羊皮紙 2
「――よし、そうなりますと、ニーナ・ラングレーはハドソン提督に対する何らかの策謀が進んでいるのではないかと察して、ミス・リンジーに怪しい菓子を渡すことでわれらの魔術師殿に繋ぎを取ろうとしたものの、その行動が露見したため、今度は自分でハドソン提督のもとへ向かおうとしたところを殺された――と。そういう流れになりますかね?」
ストライヴァーがエレンに確認を求めてくる。
「ええ」と、エレンは慎重に頷いた。「今の時点では、そう考えるのが一番自然であるような気がします」
「じゃ、ひとまずレイノルズ警視にその線で報告しましょう」と、ストライヴァーがあからさまにうんざりした口調で言い、忠実な猟犬の群れみたいに待機している部下たちを見まわして破顔した。
「みなよくやってくれたな! そろそろ糸口が見えそうだ。――それからミス・ディグビー、もひとつ頼まれてもらえますかね?」
「なんでしょう?」
「つまりね、海に出ているハドソン提督と大急ぎで連絡を取ることはできますかね? 何かおかしな企みが進んでいるのだとしたらあの方の身の上が心配だ。ご無事でいらっしゃるか、それだけでもすぐに確認したいのですよ」
ストライヴァーは心底心配そうに言った。
連合王国の大抵の人間と同じく、この警部も海軍の英雄たるボローニアス・ハドソン提督の熱烈な信奉者であるようだった。
「ええ、それは勿論―-」
答えかけてエレンは口ごもった。
ハドソン提督の無事を今すぐ確かめることは、技術的にはそう難しくない。
提督旗下でスループ艦を率いる長兄のコーネリアスに、緊急連絡用の「分離」羊皮紙を持たせているためだ。
しかし、エレンの属するタメシス魔術師組合は「軍事不介入」を鉄則にしている。
身内の軍人に何かあったとき家族の魔術師にそちらから連絡を寄越すことは前例があるため認められているが、開戦間近の艦隊の勅任艦長に、身内とはいえ魔術師側から連絡をして指揮官の安否を尋ねる行為は、露見したらおそらくは違反行為とみなされるはずだ。
――どうしましょう。できないことはないのだけれど……
エレンが悩みこんでいると、
「ミス・ディグビー?」
ストライヴァーが訝しそうに見上げてくる。
混じりけなしの信頼の籠った目である。
エレンは躊躇いを振り払って笑った。
「できますとも。すぐにご無事を確かめましょう」
もしも露見して組合から放逐されそうになっても――そのときはそのときだ。
ニーナ・ラングレーは命を懸けて何かを報せてくれようとしていたのかもしれないのだ。
こちらだってこの程度の危険を冒さなければ、あまりにも彼女が可哀そうだ。
警視庁から馬型の自動機械人形の引く辻馬車でドロワー通りの事務所兼下宿へ戻ったエレンは、軽い夕食を済ませるとすぐ、寝室の窓側に据えた桃花心木の猫脚の書き物机の鍵付きの引出しを開けて象牙色の羊皮紙を一枚取り出した。
上部にエレン自身の筆跡で「コーネリアス」と記してある。
羽ペンをとってインクに浸し、一呼吸おいてから書き始める。
――親愛なるコーニー。元気ですか? こちらに変わりはありません。先日仕事でミス・オズボーンとお会いしました。彼女は婚約者の安否を気にしています。ハドソン提督はお元気にしているでしょうか……
あくまでの私信の範囲で、さりげない文面を心がける。
この羊皮紙にはエレン自身の魔力が注いである。
もともと一枚だったものを二枚に分離させた魔具で、一方をコーネリアスに持たせている。元が同じ紙だったために、一方に書いた文字はもう一方にも記される仕組みだ。
よほどの緊急用にしか使わない品だから、コーネリアスが必ずしも今日見てくれるとは限らないが、あの兄の性格上、少なくとも週に一回程度は目を通しているはずだ。
――お願いコーニー。早く気づいて。
エレンは祈るように思いながらペンを動かした。
ちょうど同じころ、テイラー通りのセアラ・オズボーンの住まいのはす向かいにある豪奢な調度の一室で、アンソニー・コットンが恐怖に強張った表情でペンを動かしていた。
――魔術師殿、〈お嬢さん〉に嗅ぎつけられた。至急対策を求む……