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第十章 二対の「分離」羊皮紙 1

「――それじゃ、そのドクター・エッジワースの身辺は引き続き細かく洗うとして」と、ストライヴァーが話題を変えた。

「ポール、お前はニーナ・ラングレーの育った孤児院に聞き込みにいっていたんだったな?」

「はい警部」

 若い大男がうっそりと応え、何を思ったか、いきなり顔を歪めてむせび泣き始めた。


「え、おいポール、どうしたんだ?」

 兄さん格のニーダムが慌てて爪先立つ。大男のポール・アーガス巡査部長は大きな両手で顔を覆い、分厚い肩を震わせてひっくひっくとしゃくりあげた。


 エレンが呆然としていると、

「すみませんなあミス・ディグビー」と、ストライヴァーがあきれ顔で詫びてきた。「こいつはどうにも泣き上戸なんです。ポール・アーガス、しっかりしろ! ニーナ・ラングレーについて何か怪しいことでもあったのか?」

「はい警部。怪しいことだらけでした」

 アーガスが涙交じりに告げる。「ニーナは二年前からずっと、生まれ育った孤児院に月に五ポンドずつ寄付していたそうです」

「五ポンド!?」

 ストライヴァーが小さな目をめいっぱい見張る。

 ニーダムもぎょっとした顔をする。

「すると、年に六〇ポンド?」

「そいつはまた――偉く高額だな」

 ストライヴァーがため息みたいに言う。


 それは確かに高額だとエレンも思った。

 ーー二年前のエレンだったら、その額がどれほど高額なのかよく分からなかったかもしれないが、タメシス市内で部屋を借りて使用人を一人雇う生活のために必要な最低収入は一二〇ポンド程度だと分かり始めた今なら、月五ポンドがどれほど破格かよく分かる。


「二年前というと――セアラ・オズボーンがハドソン提督と婚約したころですね?」

「そうなのです」と、アーガスが沈鬱な声で応え、また大きく肩を震わせた。「院長先生が泣いていました。あの()が何か悪いことに手を染めていたとしても、それはみな寄付のためだと。ニーナはクリスマスには子供全員にお菓子を贈っていたそうです……」

 アーガスがそこでまた号泣してしまう。

 ニーダムがその背をぽんぽんと叩いてやる。


 ストライヴァーがエレンを見上げて訊ねてくる。

「そうなりますと魔術師殿(マギステル)、大女優に怪しい菓子を食わせていたのはニーナで、命じたのはコットン、薬を支度したのは王立植物園の先生と、そういう構図ですかね?」

「ええ。どうもそのようですね」エレンは渋々認めた。

「そうすると、ニーナが殺されたのは仲間割れってことになるのか?」

「そもそもなぜ彼女はウェスト・リヴァーサイドに?」


「それは、あ――」と、ストライヴァーが口ごもり、部屋の窓辺に目をやって、

「フィンチ、お前から説明してくれ!」

 と、命じた。


「俺ですかぁ?」

 やる気なく答えたのは身なりの良くない髭面の小男だった。


 しわだらけの灰色っぽいシャツに黒いウェストコートを重ね、茶色っぽいズボンをはいた服装自体はそこまでひどくないのだが、全体に手入れがよくない。

 くしゃくしゃの黒褐色のほつれ毛と不健康そうな青白い膚。顎の尖った細面の貌が油断のならない鼬みたいな印象を与える。

「ミス・ディグビー、そいつはフィンチといいまして、ウェスト・リヴァーサイド一帯を縄張りにしている巡査部長です」

「初めましてミスター・フィンチ。ディグビーです」

「勿論知っておりますって。お尋ねの件ですが、あのあたりの貸倉庫は、実は酒だの塩だのの密売業者の艀のつく一帯でしてね。殺されたニーナ・ラングレーは、まずもって間違いなくこっそり港へ行こうとしていたんだと思いますよ。何しろ関係者がみんな違法業者だからね。証言がひとつも集まらないんだ。だから間違いない」

「……という理由のようで」と、ストライヴァーが苦笑しながら言い添える。

 エレンは眉をよせた。

「港というと――ニーナは、もしかしたらハドソン提督に何かを報せに行こうとしたのかしら?」

「可能性はありますね」と、フィンチが応える。

「そして、そのために殺されたと?」と、ニーダムが傷ましそうに言う。「それってよほどの内容なのでは? 人が一人殺されているのですから」

「さあてね」と、フィンチが薄い肩を竦めた。「あんたたしか法学院崩れでしたっけ? お育ちのよろしい警部補殿らしいご意見ですが、俺らの縄張りのあたりじゃ、人は結構簡単に殺されますぜ? 懐に五ポンドでも持っていたら百万遍殺されたっておかしくはない」

「しかし、そうは言っても――」

 フィンチとニーダムそれぞれに加勢する形で、警察官たちが三々五々、各々の意見を述べ始める。

 そうするうちにしだいに推論が固まっていった。


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