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第八章 鏡の光 3

「うわ」

 セアラが目を見開く。

「なにこれ。小さいドラゴンなの?」



「ご婦人よ、お言葉ながら儂は火蜥蜴(サラマンダー)じゃ」と、火蜥蜴自身が渋い男声で応じる。

 セアラは目を瞬かせた。

「喋るの!?」

「然様。――エレンよ、こちらの麗しきご婦人はそなたの友か?」

「仕事関係の方よ。あなたにちょっとお願いがあるの。またいくつかお菓子を食べて、ヒュノプシスが含まれているかどうかを確かめてもらいたいの」

「ほほう」と、サラがまんざらでもなさそうに応じ、ポッと小さな焔を吐いた。「その菓子はいずこに?」

「ここよ」と、セアラが肘掛椅子から立ち上がり、ベッドサイドの小テーブルの上のボンボニエールの蓋をとった。中に入っているのは白い小さなマシュマロと褐色のタフィーのようだった。セアラがタフィーをとって、まるで犬でも呼ぶみたいに火蜥蜴に声をかける。

「ほらおいで。食べなさいよ」

「うむ」

 火蜥蜴が重々しく応じ、小さな皮翼を広げてエレンの掌から飛び立とうとする。

 その瞬間を見計らって、エレンは故意に慌てた声で命じた。


「――テーメノス。焔の照らす域よわが領域となれ!」


 声と同時にエレンの全身から淡い金色の微光が発され、ベッドサイドの蝋燭が照らしている範囲を――つまり、閉め切られた室内全域をぼんやりと覆っていった。同時に蝋燭の焔の色彩が鮮やかな金色に変わる。

「サラ、行っていいわよ」

 火蜥蜴がパタパタと羽ばたいて小テーブルの縁に留まる。


 セアラがタフィーをつまんだまま目をぱちくりさせる。

「今なにしているの?」

「念のため、このお部屋全域にわたくしの魔力(グラマー)を充たしました」と、エレンは大雑把に説明した。「火蜥蜴の肢は結構熱いものですから、家具に焼け焦げができると困りますので」

「然様」と、サラも口添えをする。「儂は活ける焔じゃ。魔力の被膜なしに死すべき人の子が不用意に触れれば火傷をする」

「危険な男なのね! 素敵。私の総督みたい」

 セアラがけらけらと声を立てて笑い、改めてタフィーを差し出した。

「はいこれ。食べてみて。結構おいしいのよ。ニーナが作ってくれていたのには負けるけど」

「有難く頂戴いたそう」

 サラが尖った口先でタフィーを咥えるなり、褐色の表面がとろりと蕩けて甘い糖蜜の薫りが立ち昇った。

 セアラもコットンもその様子に気を取られている。

 エレンはその隙に部屋全体に自分自身の魔力(グラマー)をほんのわずかに注ぎこんだ。



 ――物質に魔力を注ぐためには、本来ならばその物にエレンの肉体が触れている必要がある。しかし、部屋中の調度に逐一密かに触れてみることはできないため、苦肉の策として、部屋全体をひとつの領域とみなして、全体をまとめて確かめることにしたのだ。



 魔力の表出は体力を使う。

 そしてイマジネーションも使う。

 エレンはー―焔の性の魔術師としては些か不本意ながら――四角い箱に底から水を満たすイメージで室内の下部から上部へと魔力をしみ込ませていった。



 床と絨毯に異常はないようだ。


 ベッドの脚。

 小テーブルの脚。

 化粧台の脚にも異常は見られない。


 化粧台の上のこまごました品物まで魔力の微光が行きわたっても、なんの異常も現れなかった。


 火蜥蜴はと横目で確かめれば、エレンが何をしているのかどうやら気づいているようで、やたらゆっくりタフィーを啄んでいる。

 セアラもコットンもその様に夢中だ。


 エレンは安心してさらに魔力を上昇させた。

 化粧台の上に架かった楕円形の鏡の縁までシャンパンゴールドの魔力の光が染み渡ったとき、カッと鮮やかな翠の閃光が走った。



 魔力の阻害反応だ。



 気づかれてはまずい。


 エレンは慌ててベッドの横の蝋燭の焔を激しく燃え上がらせた。


「きゃ!」

「なにごとだ!?」

 セアラとコットンがびくりと蝋燭に目をやる。


「ああ、すみません」と、エレンはぎこちなく詫びた。「力の加減を間違えました。――サラ、どうなのそのお菓子は。何か妙な味がした?」

「ううむ」と、火蜥蜴がベタベタしたタフィーを丸のみしてから、ふーッと淡い煙を吐いて口先にくっついている褐色の粘つきを融かして洗い落とした。白いテーブルにポタポタと熱い雫が落ち、甘く濃いカラメルの薫りが立ち昇る。


「主に砂糖の味じゃな。それにアーモンドか?」

「じゃ、何も妙な味はしなかったんだね?」と、コットンが小さな子供を相手にするような口調で訊ねる。

「うむ」

 サラは重々しく応え、キラキラ輝くエメラルド色の目をボンボニエールのなかのマシュマロへと向けた。

「そちらの白い菓子は賞味しなくていいのかのう?」

「勿論あげるわよ!」と、セアラが嬉しそうに応じて菓子をつまむ。「はいどうぞ。召し上がれ」

「頂戴いたそう」

 サラが菓子を加えるなり、今度は甘いヴァニラの匂いが立ち昇った。



 そのさまを横目で確かめてから、エレンは化粧台の上の鏡を見やった。

 先ほど発された翠の閃光はすでに収まり、エレン自身の魔力である淡い金色の微光がひときわ色濃い靄のように押し出されている。


 間違いない。

 あの鏡には翠色の魔力がすでに籠められていたのだ。


 

 初夏の新緑を思わせる明るい翠の魔力(グラマー)――



 それが誰の魔力であるのかエレンは知っていた。


 ドクター・トマス・エッジワース。

 王立植物園魔術分室の管理官を務める、組合所属の魔術師だ。


 そして、黒妖犬(グリム)の使役者でもある。

 


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