第七章 大女優の来歴 1
翌日である。
エレンは辻馬車でタメシス市域北東のテイラー通りへと向かっていた。
国会議事堂に近く、名の通り高級仕立て屋が多く軒を連ねるこの通りの別名は「愛人通り」。
左右に並ぶ瀟洒なテラスハウスに有力者の愛人が数多く住まっている――と、専ら噂されている。
「――そのあたりは誤解されがちなのですが、セアラは誰の愛人でもないのですよ」
甘く物柔らかなテノールで物憂げに言うのは、同乗者の一人であるアンソニー・コットン。
王立劇場付きの劇作家で、セアラ・オズボーンの母方の叔父にあたる人物だ。
年齢は三十五歳のはずだが、すらりとした細身と繊細で優美な美貌のためか、実年齢よりもはるかに若い印象を与える。
さらさらとした長いプラチナブロンドを黒天鵞絨のリボンで束ね、袖にも衿にもたっぷりとレースをあしらった白いシャツに鮮やかな青いウェストコートを重ねて、黒いキュロットに真っ白な絹のストッキングを合わせた様がまるで宮廷貴族のようだ。
右隣に座ったもう一人の同乗者であるニーダムが、短めの鼻のまわりに雀斑の散った童顔に、相変わらず分かりやすい緊張の表情を浮かべている。
「ねえミス・ディグビー、そのあたりはどうか誤解なさらず」と、コットンが甘いあまい声で囁く。「この頃すっかり評判になってしまったボローニアス・ハドソン提督とはれっきとした婚約者の間柄ですしね。信じがたいかもしれませんが、姪は提督の先の夫人が存命中は、ただの一度だって二人で逢ったことはないのですよ」
「ええミスター・コットン。勿論誤解など致しませんわ。姪御さまにはあなたのようにしっかりとした叔父さまが付いているのですもの」
コットンの美貌に気を取られないよう必死に自分を戒めながら、エレンは礼儀正しく答えた。
さすがに大女優セアラ・オズボーンの肉親だ。
美貌が人間離れしている。
――セアラ・オズボーンはそもそもこのミスター・コットンの仲介で王立劇場の舞台に立ったのよね……
エレンは昨日熟読したニーダムの手による調書の内容を思い起こした。
今やタメシスで知らぬものはない大女優セアラ・オズボーンは1778年エリー州生まれで、父親は村の教会の牧師補だったという。意外に堅実なロウアーミドルクラスの生まれだ。
しかし、四歳で父を亡くし、未亡人となった母親ナンシーともども、母方の祖父であるタメシス在住の事務弁護士エドワード・コットンのもとに引き取られた。
不運なことに、この祖父も六年後に死亡したため、祖母と母、十歳のセアラという女三人の所帯が、遺産として残されたテラスハウスの二階を下宿として貸し出すことで、辛うじて生計を立てていたのだという。
母親は二年後に再婚し、セアラをタメシスに残して北部のカレドニア王国へ行ってしまった。
少女時代のセアラはずいぶん貧しく生活していたらしい。
その暮らしが好転したのはさらに二年後、セアラが十四歳になったときだった。
十代の頃に家出して劇作家を目指していたコットン家の息子のアンソニーの脚本が王立劇場に採用され、すでに美貌の萌芽を見せ始めていた姪のセアラが端役として出演することになったのだ。
十四歳のセアラ・オズボーンはたちまち大人気を博し、数年のあいだに王立劇場の看板女優と呼ばれるようになった。
叔父で後見人格のアンソニーは――セアラが名を上げるのと同時進行で――劇作家としての評判を高め、史上最年少で王立劇場付きの劇作家に任命された。
八年前、アンソニーが二七歳、セアラが十八歳の年だ。
セアラはこの年、祖母のミセス・コットンと同居していた小さな下宿屋を出て、テイラー通りの高級テラスハウスに住まい始める。
ニーナ・ラングレーが付き人として住み込み始めたのは二年後の1798年。
御針子として入ったニーナを私的な付き人にするのはセアラ自身の希望だったという。