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第六章 二人で御茶会を 1

 翌日の午後である。


 エレンは事務所(オフィス)に一人の客人を招いていた。


 年頃は三十前後か、手入れのよさそうなブラウンの髪を簡素なシニヨンに結い、鼈甲の櫛を飾って、縦衿の白い絹のブラウスに黒いスカートを合わせて、袖口に真珠のカフスボタンを留めている。

 エレン自身ときわめてよく似た地味ながら上質な勤労ミドルクラス女性らしい装いである。


 客人の名はミス・ジョセフィーン・シェリダン。


 ジュディス・リンジーの元・家庭教師(ガヴァネス)にして今は母子の付添女性(コンパニオン)としてリンジー家に雇われ続けている、見るからに有能そうな女性だ。

 エレンは昨日、これも大層有能なこの事務所の秘書兼家政婦のミセス・マディソンを介して、リンジー家のミス・シェリダンにこっそり連絡を届けたのだった。

 内容は「午後のお茶の招き」だ。



「お呼びたてしてしまってすみません、ミス・シェリダン」

 エレンは手持ちのなかで一番上等の青い花を描いた白い陶器のティーカップにとっときの銀のポットで紅茶を注ぎながら詫びた。

 一対の肘掛椅子のあいだの黒檀のローテーブルの上に白いレースのセンタークロスが拡げられ、カップと揃いの皿の上に、ミセス・マディソンが朝から作ったり買い調えたりした軽食が並んでいる。


「いえいえミス・ディグビー、お近づきになれて光栄ですよ」やや年上の客人はカップを受け取りながら鷹揚に笑い、そのあとで急に眉をしかめた。「わたくしね、ミセス・リンジーに、今日は親しいお友達からお茶の誘われたのでーーと、急なお休みをいただいたんですの」

「あら、本当にすみません!」エレンが慌てて詫び直すと、客人は大仰に眉をあげ、おどけた口調で訊ねてきた。

「ですからね、あなたをエレンをお呼びしても? 親しいお友達なのですから」

「ええ勿論よろこんで」エレンは胸を撫でおろしながら応じた。「ではわたくしもジョセフィーンとお呼びしても?」

「ジョシーにしてくださいな」

「分かりました。ではジョシー、改めて、警視庁任命の諮問魔術師として、あなたにお訊きしたいことがあるんですの」

 役職の証である右手の銀の印章指輪を示しながら告げるなり、ジョシーは眉をよせた。

「--先日の王立劇場の件ですか?」

「ええ。単刀直入に伺いますわ。あの日、ミス・リンジーは劇場内で砂糖菓子(ボンボン)を購入していましたか?」

「ああ、例の魔術薬のお話ですね」と、ジョシーは顔を曇らせた。

「呼んでいただいて助かりました。実はそのことで、警察にお知らせしようか迷っていたことがあるのです」

「何でしょう?」

 エレンは緊張しながら訊ねた。

 ジョシーが一口茶を啜ってから続ける。

「ミス・ジュディスが劇場で砂糖菓子を買うとき、大抵はわたくしが小銭入れからお金を出しますの。でも、あの五月一日のとき、わたくしがお金を出して砂糖菓子を買った覚えはありません。ただ、幕が下りたあと、ロビーで馬車を待っているとき、わたくし一度だけミス・ジュディスの傍を離れましたの。その、つまりこう、ね?」

 育ちの良い勤労女性らしくものすごくはにかんでいる。


 要するにつまりトイレに立ったのだろう。

「ああそれはやむをえませんわね」と、エレンは務めてこともなげに笑って流した。「そのときにミス・リンジーがご自分でお菓子を買っていたかもしれないと?」

「ええ、そうです。まさしくそうなのです」と、ジョシーが小刻みに頷く。「王立劇場の薔薇色の砂糖菓子(ボンボン)はセアラ・オズボーンの好物として大人気でしょう? ミス・ジュディスは行けば必ず買います。ただ、あの日は行きの馬車が遅れて開幕ぎりぎりになってしまいましてね、前には買えなかったのです」

「ああ、それで後になって」と、エレンは納得した。

 そしてふと気づく。


「じゃ、ミス・リンジーはこれまでにも何度も劇場内で砂糖菓子を買っているし、そのお菓子は必ず薔薇色だったのですね?」

 訊ねるとジョシーは妙な顔をした。

「当然でしょう。王立劇場の砂糖菓子ですよ?」

 太陽は東から昇りますの?――とでも訊ねられたような顔だった。

 エレンはここ数年、自分がどれだけ忙しい生活をしていたのかを改めて思い知った。



 昨今の王立劇場の砂糖菓子が薔薇色であることは、少なくともジュディスの世界では常識であったらしい。



 そうであれば、ジュディスが覚えていなくても、私室のボンボニエールのなかの薔薇色の砂糖菓子を「昨日王立劇場で買ったものだ」と判断したのはごく自然な心の動きだ。

「ジョシー、ミス・リンジーは、劇場内で食べきらなかった砂糖菓子はいつも寝室のボンボニエールに入れていますの?」

 念のために訊ねるとジョシーは微苦笑して頷いた。

「ええ。とても嬉しそうに食べるのに、いつも必ず数粒は残して、『もうこれ以上は食べられない』って言いますの。小鳥くらいしか啄まない小食のお嬢さんのふりをしたいんですよ。そんなことをしなくたってとても可愛いのに」

「海に出ている婚約者どのもきっとそう思っていますよ」と、エレンも微笑した。

 謎はこれでひとつ解けた――ような気がする。



 ジュディスに渡されたヒュノプシス入りの砂糖菓子は、もしかしたらわざとジュディスを狙って手渡されたものだったのかもしれない。



 その場合、手渡した側の目的は、ジュディスに何かを忘れさせることだろうか?


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