第五章 三匹の容疑犬候補
「私とポールで順調に調べていますよ」
フワフワ髪の若い警部補は胸を張り、長椅子の右隣に静かに腰かけていた大柄な黒髪の男を見やった。顎ががっしりと角張った厳つい顔の若者だ。
「ああミス・ディグビー、彼は巡査部長のポール・アーガスといいます」
「初めましてミスター・アーガス」
エレンがぎこちなく挨拶をすると若者は無言で頷いた。ニーダムが苦笑する。
「すみません。無口な奴なんです。砂糖菓子の件ですが、他にも忘却の症状が出ている人物は、五月一日の王立劇場の来客関係では、今のところ確認できませんでした」
「そうなると、ミス・リンジーの手元に渡ったひと箱にだけヒュノプシスが含まれていた――と、いうことになるのかしら?」
「そもそもその菓子はどこの店が卸しているんだ?」と、ストライヴァーがもどかしそうに口を挟む。
すると、ニーダムは申し訳なさそうに眉をさげた。
「どこの店でもありません。王立劇場付属の菓子工房で作ったのを、鑑札を受けた売り子が自腹で買って、劇場内で自由に販売していたのだそうです。――そのあたりはポールが調べてくれました。な?」
ニーダムが弟を気遣う兄さんみたいな態度で大柄な若者を見上げる。
アーガスはうっそりと頷き、
「あ――」
と、しばらく発声してから、意を決したように呟いた。
「ニーナ・ラングレーも売っていたそうです」
「ニーナ・ラングレー本人が?」
エレンはあっけにとられた。「じゃ、ミス・リンジーはニーナからヒュノプシス入りの砂糖菓子を買った可能性も――」
そこまで口にしたところでエレンははっと気づいた。
見れば、どうやら同時に同じことに気付いたらしいニーダムが口をへの字に曲げて首を傾げている。
「おいクリス、どうしたんだ? 魔術師殿も、なんだって二人してそんなしかめっ面をしているんです?」
ストライヴァーが心配そうに訊ねてくる。
声には出さないものの、アーガスも案じているようだ。
「いえね、今急に思い立ってしまったんですの」と、エレンは務めて平静さを装いながら答えた。「ミス・リンジーは五月一日、王立劇場で『クロニスとダフネ』の初演があった日に劇場内で砂糖菓子を買い、それを食べて一晩眠った結果、翌日には前日の記憶をすっかり失くしていたはずなんですの」
「ええ、そうお聞きしましたね」と、ストライヴァーが不思議そうに相槌を打つ。
エレンは今の今までこんな単純な矛盾に気づけなかった自分への情けなさにクシャっと顔を歪めながら訊ねた。
「じゃ、どうしてミス・リンジーは、自分があのお菓子を王立劇場で買ったと覚えていましたの?」
「あ、ああ! 言われてみりゃそいつは変だ。―-まさか、そのお嬢さんが嘘を?」
「ミス・ジュディス・リンジーに限ってそんなことはありえない――と、申し上げたいところですけれど」と、エレンは沈鬱に肩を落として答えた。「そういう思い込みはよくないですよね。――その件に関しては、わたくしが事情を訊いて参ります。まずは内々に、友人として個人的に訊くのでかまいません?」
「下院議員の御令嬢の事情聴取となるといろいろ厄介ですからね。そうしていただけると助かります」