その頃の従者
◇◇◇
――そっくりだ。
フィデルは翌日、仕事の現場でも上の空だった。頭を占めるのは、ミーシュのことばかりである。好きな食べ物、好きな色、好きな服まで、記憶にある限り、すべてのプロフィールが完全に一致していた。
部屋の内装も、ドレスも、かつてミーシュが好んでいたものを再現していたに過ぎなかったが、彼女は好みだと褒めてくれた。
あれが本人でなければ何だというのだ。
外見も、髪と目の色を除けば、特徴がほぼ一緒だ。はにかんだ笑顔、少し間延びした愛らしい声、くっきりとしたまぶたの下の、大きな瞳。優しそうな垂れ目に、ぷっくりした涙袋。
昨日だけでも、フィデルは何十回とミシェルのことを想起した。大切な記憶とはまた別に、フィデル自身も意識していなかったような、些細な部分がミシェルを思い出させてくれるのだ。
初めて魔法の用品店ですれ違ったとき、夢かと思った。フィデルが彼女を好きすぎるあまりに、とうとうあらぬものが見えたのか、と。疲れ目、幻覚、何かの罠、様々な可能性が頭を駆け巡ったが、最終的に、彼女の特異体質に目がいった。
その特徴が決め手といってもよかった。
かつての彼女と、まったく同じだったのだ。ずっと側にいたから、気配だけで分かる。
あんなに珍しい特徴を持っていて、同じ顔だったのだから、フィデルは初めて会ったその瞬間に、逃がしてはいけないと思った。
気を引かなければいけない。きっかけを作って、何でもいい、繋ぎ止める口実が、何かひとつでもあれば。
とっさに思いついたのは、外道も極まる方法だった。
――そうだ、軽く事故でも起こしてやればいい。
フィデルはこの十年間で魔力の精密制御を徹底的に身につけていた。その気になれば、相手に気づかれぬよう、怪我を負わせることだってできる。
やりすぎだ、と、いうのは分かっていた。でも、あの短い時間では、他に何も手を打てそうになかったのだ。
本当に彼女だろうか。
焦って、思い違いをしていないだろうか。
でも、こんなに似ている。
何から何までそっくりだ。
もしも間違っていたら、取り返しがつかない。
でも――
最終的に、フィデルはその賭けに勝ってしまった。
事故を起こし、ことの重大さに震えているフィデルを、少女は責めようとしなかった。それどころか、かつてのミシェルとまったく同じ抑揚で、こう言ったのだ。
――思い詰めすぎよ。
軽やかにフィデルの陰気な性根を笑い飛ばしていたあのころと、寸分違わぬ笑顔。何年も会えないうちに、記憶が少しずつ漂白され、薄れていくことに焦りを感じていたが、その瞬間に彼女の輪郭とぴったり重なって、鮮明に思い出せた。鳥肌が立つくらいの感動だった。
様々なところで辻褄は合わない。
しかし、絶対に彼女だという確信があった。
聞けばミーシュは、義理の家族に養われていたという。詳しい経緯はおって確認するが、真相は案外と単純なところにあるのではないか。
フィデルのことは覚えていないようだったが、おそらくそれにも事情があるのだろう。
だって彼女は、約束してくれた。
何があってもそばにいてくれる、と。
ミシェルに限って違えるはずはない。彼女はいつだってフィデルのワガママは何でも叶えてくれた。フィデルがどうしてもと言えば大好物のデザートだって残らずくれるような、無欲でお人好しの娘だったのだ。
おかげでフィデルは、ミシェルが優しすぎるのにつけこんで、同情を引く癖までついてしまった。悲観的なところを見せれば必ず構ってもらえるので、必要以上に辛そうなそぶりをしていたことは秘密である。
ともかく、フィデルのご主人様はちゃんと生きていた。
今は何も思い出せないようだが、それならそれで構わない。
(だったら、それまでに囲い込んでおけばいいじゃないか)
そう思いついた自分は、天才なのではないか。これまでの空白を埋めて余りある、最高の結末だ。
――かつてのミシェルは、フィデルにたっぷりと目をかけ、惜しみなく愛情を注いでくれた。幸福な毎日だったが、一点だけ大きな問題があった。
貴族とその使用人では、恋愛はおろか、結婚もできない。
そしてミシェルは、そのことが分かっているのだかいないのだか、フィデルがどれほど熱心に口説いても、「まぁありがとう」だとか、「私にとっては大事な家族よ」などといって、まったく取り合ってくれなかったのだ。あれは、本当に辛かった。
もちろん、従者のフィデルには出過ぎた態度だったと、ちゃんと理解していた。家族だと言ってもらえること自体が奇跡のようなもので、それだけでもミシェルがいかに優しい娘だったのかが分かる。しかし、フィデルはそこまで弁えられるほど、大人ではなかった。そして、子どもであるがゆえに、ミシェルに振り向いてもらえる策はついぞ思いつけなかった。
あの当時はできなかったことが、今ならできる。
ミシェルがフィデルに取り合わなかった理由も、今こうして振り返るなら、実に簡単なことだった。
おそらく彼女がマイペースであまり考え込まない性格だったのもあるのだろうが、一番は、そういう目で見ていなかった、ということに尽きる。
フィデルは、恋愛対象とは意識してもらえていなかった。
徹頭徹尾、年下の、ちょっと頼りない、でも目に入れても痛くないほど可愛い弟として扱われていたのである。
おそらく彼女は、記憶を取り戻したら、その瞬間にフィデルのことを「弟」としか認識しなくなるだろう。それでは困るのだ。
やれることは何でもやって、彼女が思い出したころにはすべて手遅れになっている、というのが望ましい。
最終的にはミシェルだったころのことも思い出してもらいたいので、その方法も模索していくつもりではあるが、まずは素敵な婚約者を演じることに注力をしていこう。
――フィデルはとにかく早く家に帰ろうと、午後いっぱい集中し、担当区分の魔獣を驚異的な早さで駆除してから、その日の仕事を終えたのだった。
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