クローゼット
(……? 中はずいぶん広い……)
華麗なタフタの天蓋がかかった四本柱のベッドは、俗に言う『お姫様ベッド』だ。ミーシュはそのきらびやかなつくりに目をみはった。もちろんミーシュの普段使いだったベッドとは比べるべくもない。
「魔法がなくても生活用品が使えるようにしてあります」
そう言ってフィデルは、手近なオイルポットを手に取った。マッチで芯に火がついて、ちらちらと淡い影を落とす。そのポットの表面に施された細工が、まるでアクセサリーのように凝っているので、相当に珍しい品なのだと推察できた。のみならず、部屋の至る所に装飾が施してある。大きな暖炉は大理石製で顔が映り込み、窓はいっぱいに広く取られていて、カーテンで覆われていた。
「お姫様のお部屋みたいですね」
圧倒されてしまったミーシュが、思わず素の感想を口にする。
すると、フィデルは本当に嬉しそうに表情を蕩かした。
「お気に召していただけたのなら何よりです。何か追加で欲しいものはありませんか?」
「いえ、そんな――ただ、私なんかがこんなすごいお部屋に住んじゃっていいのかな、って」
部屋は、元から用意されていたものだろう。数日で専用の設備が調うとは思えない。
「誰か、他に住んでいた人がいたんじゃ……?」
「いえ、ずっと帰りを待っていた人がいたんですが……結局一度も使われずじまいでした」
ミーシュは質問したことを後悔した。またしても立ち入ったことをずけずけと聞いてしまったようだ。そういうことはもっと落ち着いてから、ゆっくり時間のあるときにでも聞き出せばよかったのに。
しかし、フィデルは気にした様子もなく、むしろミーシュに微笑んでくれる。
「でも、ミーシュが使ってくれるのなら、その方も納得してくれると思います」
改めて内装を見渡す。品のいいパステルカラーの小花模様が散った壁紙に、華奢な猫足の家具調度類。女性のドレスにでも施したら合いそうな、美しい刺繍の布張り。
(可愛らしいお部屋。女性だったのかな? ご家族の方か、それとも、恋人かな)
いずれにせよ、親しい相手だったのだろう。これから婚約するというフィデルに女性の影があるのは望ましいことではないのだろうが、ミーシュはあまり気にならなかった。不幸な事故からの慌ただしい婚約である。彼の方にも色々と事情があって当然だ。様々な親切を施してもらって、融通まで利かせてもらっている以上、彼のことを束縛するわけにもいかないだろう。
(私が結婚を望んでないように、フィデルさんにも望みはあるはず)
おいおい尋ねていけばいいことだ。まずは荷解きを済ませてしまおう。
重労働を覚悟していたミーシュだったが、その作業もあっけなく終わってしまった。フィデルが、魔法でさっさと片づけてくれたのである。服だけは恥ずかしかったので、触らないよう頼み、クローゼットに案内してもらった。
そこもだだっ広い空間だった。ミーシュの部屋がすっぽり納まるスペースに、整然と服や帽子が並べられている。
ミーシュは、何気なくそのうちの一着に目を留めて、すっかり魅了された。
レースと刺繍が凝らされた華麗な衣装。アイボリーを基調に、チャコールグレーとゴールドを重ねたワンピースは、一見地味でありながら、普段使いにはもったいないほど豪華だった。まるでお姫様が着るドレスだ。
「綺麗なお洋服……」
思わずため息をもらすと、フィデルは丁寧にその服を取り上げて、ミーシュに手渡してくれた。
「どうぞ」
「え……?」
「お召しになってください」
ミーシュは目を瞬かせる。純粋に、理由が分からなかった。
「人の服を勝手に着るのは……」
「あなたのものですよ。この部屋にあるものはすべてあなたのために用意されていますので。処分するなり、ご自由に」
ミーシュは、焦ってクローゼットを見渡した。少なくはない衣装が並んでいる。開いたスペースには小物と化粧箱も積まれていた。どれも素晴らしいが、ミーシュには眩しすぎる。
「手伝いに人を呼びましょうか」
「い、いえ! そんな……」
着替えに手伝い? 庶民の感覚からは考えられないことだ。
慌てているミーシュに、フィデルがにこやかに言う。
「では、私がお手伝いしましょうか?」
「え……!? も、もっと困ります……!」
「ですよね」
あっさりと前言を翻すフィデル。ミーシュの返事など想定内だったようだ。
「では少々お待ちください」
フィデルは勝手にそう言い残して、部屋の外から人を引っ張り込んできた。使用人らしき女性は、ミーシュをひと目見るなり訳知り顔でうなずく。
「準備が出来たら呼んでください」
取り残されたミーシュは、使用人の手によって、下着姿に剥かれることになった。どうしても着なければならないらしい。知らない人に下着姿を見せるなんて、という恥ずかしさと、分不相応な贈り物をされてしまったという引け目から、ミーシュは頭がくらくらしてきた。
洋服の着付けはさほどの時間もかからずに済んだ。軽く髪をまとめてもらい、素敵な靴まで履かせてもらった。
(サイズがぴったり)
ぶかぶかだったり、小さすぎたり、といったこともなく、吸い付くようにフィットしている。
(なんで? 私、靴のサイズなんて教えてないよね?)
それどころか、洋服のサイズだって、なぜだか妙に合っている。使用人の手でぴったりになるようウェストなどを調整してもらったおかげもあるだろうが、袖の丈から身頃のサイズ感までばっちりだ。初めからミーシュのために仕立てたとしか思えない。しかし、そんなはずはないのだ。もともと別の女性のために用意されていた部屋だと、彼も言っていたではないか。
(その人と私が、たまたま同じ体格だった……ってこと?)
ありえない話ではない。ミーシュは何事も標準くらいだ。中肉中背、とりたてて目立った特徴はない。
女性の使用人は、満足のいく出来映えだったのか、いくつかお世辞を口にした。それから、廊下に出ているフィデルを再び部屋へと呼び戻す。
すすす、と音もなく部屋の外へと消えていく使用人と入れ替わりに、フィデルがクローゼットの入り口に現れ――
凍り付いてしまった。
「……とてもよくお似合いです」
絞り出した声は今にも泣きそうだ。手のひらで覆われた口元や、ミーシュの視線を避けるように逸らされた瞳には、感動を押し隠したいという意図が透けて見えた。
ミーシュはその瞬間、フィデルをとても遠くに感じてしまった。いっそ引いていたと言ってもいい。
(泣くことある……?)
何で、どうして、と聞いてみたかったが、彼の尋常ならざる重い空気がそれを拒む。それでなくとも今日は詮索のしすぎで、フィデルに負担をかけてしまっているというのに。馬車の中でしてもらった話だって、決して軽々しくできるものではなかっただろう。