第05話 御影に潜む謎
「御影の、謎、ですか?」
「そうだよ」
ただただオウム返しすると、師匠は微笑を浮かべたまま頷いた。
御影市にそんなものあっただろうか。生まれてこの方御影市から出たことの無い、そんな生粋の御影市民である僕でさえも心当たりが無い。
そもそも、だ。謎とは何なのだろうか。もんもんと考えている間にも、エレベーターは上へ上へと昇っていく。
「『間モ無ク、展望台デス。地上百三十三メートルカラノ景色ヲ、オ楽シミ下サイ……』」
音声案内が言い終えると、チーンと音がしてエレベーターの扉が開いた。師匠に先を譲ってから、エレベーターから降りる。背後で、重い金属の扉が自動で閉まった。
「おお! これは絶景だねえ」
先にエレベーターから降りた師匠は、そそくさと窓ガラスの方へと歩みを進めていた。ほわほわとまた無意識に花を咲かせながら、きらきらとした瞳で眼下に広がる景色を見ている。
その隣に並んで、御影の街並みを見下ろした。今日が雲一つない晴天なこともあって、御影の外、遠くの方まで鮮明に見える。
「そですね。上から街並みを見るのって楽しいです」
「ナナミ君も楽しそうで何よりだ。師匠、ちょっと一周して来るね!」
「行ってらっしゃーいです」
歩いた後にぽんぽん花を咲かせながら行く背中を、溜息を吐きながら見送る。
この様子じゃあ、依頼についての話は当分お預けかな。
どうにも気になるが、本人にその気が無いなら仕方ないか。透明なガラスの向こう側へ、視線を戻す。
道路を走る自動車やバスが、玩具みたいに小さく見える。ついつい走る自動車を目で追って。
「あー……」
真下を見てしまった。背中がぞわっとするような、足が竦むような感覚がして視線を窓ガラスから逸らした。高い所は嫌いじゃないけど、人並みの恐怖心はある。空調が吐き出す冷気で既に体は冷えて来ていたが、肝まで冷えて汗がすっかり引いた。
静かだな。
見渡してみると、展望台エリアに僕達以外にお客さんは居ないみたいだ。まあ、それもそうか、今は盂蘭盆会だし。帰省した人がわざわざ懐かしいからと展望台まで来るとは考え難い。
「ねえ、ナナミ君!」
「はーい」
響いたのは、柔らかなテノール。声のする方を見ると、展望台をぐるっと一周した師匠が、反対側から戻ってきた。
「どうかしました?」
「質問だ。この街の道路って、計画的に造られたものかい?」
「そうですよ。というか」
そうか、最近来たばかりだから師匠は知らないのか。ガラス一枚隔てた向こうに広がる街並みは、上空から見ても整然としている。必要性に駆られて逐次増築工事をするような都市では、こんな眺めにはならない。
「――御影市自体が計画的に作られた街なんです」
流石の師匠も、これには驚いたみたいだった。計画都市、と言って差し支えないだろう。この街は、他ならぬ人の手によって、作為的に造られたものだ。
「パリの凱旋門って知ってますよね?」
「ああ、行ったことがあるよ。エトワール凱旋門……Arc de triomphe de l'Etoileだね」
さらっと何気ない顔で師匠は外国語を挟むが、聞き取れなかった。色々な言語が操れるってのは本当だったらしく、今のは確実に英語じゃなかった。
いやはや。
「発音凄え」
「語学も教えてあげようか?」
「今はとりあえずエンリョしときます」
魅力的な話ではあるがもう既に魔術学でパンパンなのに、これ以上知識を詰め込んだら僕の脳味噌がパンクしてしまう。
いや違う、話がズレた。
「話を戻します。それで、そのエトワール凱旋門の辺りを手本として計画的に造られたのが御影市なんですよ」
確か、凱旋門は十二本ぐらいの大通りの中心に建っていたと思うが、こっちは御影タワーを中心に大通りが五本、放射状に伸びている。タワーを中心とする同心円の環状道路も二つぐらいあったはずだ。
「成る程。だからこの御影タワーを中心に、放射状に道路が伸びているんだね」
「はい」
日本の中でも、だいぶ珍しい街だと思う。それでもあまり観光客が来ることも無く話題には上らないのは、ひとえに観光スポットとしての魅力が足りないからなんだろうな。
「いやはや、良いものを見ることが出来たよ」
そう言った師匠は満足げな声色。眼下に広がる整然とした街並みを見ながら返事をする。
「それは良かったです」
「さぁて、お待たせしたね。依頼の話の続きをしようか」
「え、ホントに?」
意外な言葉に、間抜けな返答をしてしまった。てっきり当分先延ばしされるものだと思っていたものだから、余計にだろう。
「守秘義務はあるけれど、ほら……君は私の弟子だし? 探偵見習いが仕事の内容を知らないままなのは、業務上不都合じゃないか」
最もな建前的理由が、さも当然のように口から出てくる。依頼主は何を思ってこの月花探偵事務所に依頼したんだろう。もしや、その手の界隈では師匠は有名だったりするということなのか。
「おーい、ナナミ君?」
初見でこの人が出てきたら、師匠には悪いけれど僕は依頼しないけどなあ。
「何か失礼なこと考えてないかい? それとも、私の顔に何かついているとか?」
ハッと気が付くと、師匠が不思議そうな顔をしているのに気がついた。
「あっ、はい。目と鼻と口が付いています」
「……」
じとっとした顔を向けられるが、此処はスルーしておくのが吉かな。本っ当にこのフレーズは、よく使える便利なものだ。
以前から友人にも指摘されていたことだが、考え事をするとぼーっとしてしまうらしい。その視線の先が壁だろうが人の顔だろうがお構いなしなのが、僕自身でも性質が悪いと思う。じゃあ直せよ、って話なのだが、困ったことにどうにも癖らしくて正しようがない。
「全く、君って子はもう。ほら、話を進めるよ」
呆れ交じりながらも、受け流してくれた。大らかで優しい男で何より。
こほん、と一つ。静かな展望台に、咳払いが響く。師匠の表情は、重要なときに見せる顔つきへと変わっている。
「私がこの街に来たのは、……御影市に伝わる逸話について詳しく調べる為さ」
「先程から考えてはいるんですけど、そんなのありましたっけ?」
「ああ、存在するとも」
間髪入れずにそう言われたが、本当に心当たりが無い。その後、考えこむように顎に手を当て、師匠は僕から目を逸らした。
「矢張り、君もということだね。その認識が私の求める謎に繋がるものなのだけれど、その話は後に回そう」
僕も。という事は、何か同じ現象が誰かにも起こっているということか。それは後々分かるということなのだろう、師匠は次へと話を進めていく。
「ナナミ君、『紅い月夜の魔物』を知っているかい?」
「勿論です。紅い月の夜は、子どもは家の中に居ないと危ないっていう話でしょう」
小さな頃から教え込まれた話だ。『紅い紅ーい月が昇ったら、魔物が街にやってくる。お外に出てはいけないよ、魔物は子どもが大好物! 怖ーい魔物に食べられちゃうよ……』という何処にでもある、子どもを躾ける為の教訓みたいなお話。
「頻繁に紅い月夜が来たときは、流石に怖かったな……。この街の人ならみんな知ってますよ? 有名な話じゃないですか」
だけど、恐ろしいのはこの話が全くの虚構でないということ。時折、一晩中紅い月が昇るときがあるからだ。これも、多分一種の神秘だろう。魔物が実在するかどうかは分からないものの、紅い月を人々は少なからず畏れている。
以前日本に住んでいたなら、師匠だって勿論――。
「――違うんだよ」
「え?」
思考を先読みしたように、遮ぎられた。
師匠は、師匠のその表情は、冗談を言っている顔ではない。青い瞳が、真っすぐと僕を射抜いている。
「有名なんかじゃない。そもそも、いくら神秘の存在があるにしても、そう頻繁に一晩中紅い月が出るということは有り得ないことなんだよ。加え、その話を知っているというのは、この御影市においてのみ当たり前なんだ」
「は、……え?」
ただ、目を瞬かせた。僕の普通が、市外では通じない、ということ。
支えるように、片手を頭に添えながら僕は師匠に確認する。
「つまり、ですけど。御影市を一歩でも外に出ると、『紅い月夜の魔物』の話は存在してない、と?」
「……その通り」
師匠は、ここぞという時に嘘をつくような人じゃない。それはもう、分っている。
「そう簡単には信じられないだろうけれど、それが私が解き明かすべき謎。神秘を纏った正真正銘の逸話の真相を詳らかにするというのが、私が受けた依頼なんだ」
窓の外へ視線を移した。再び静寂が訪れる。
「ちょっと、時間ください」
「勿論だとも」
返答はそれだけだった。黙って、眼下に広がる街を見つめる。
魔術学の先生に教わった。『神秘なるモノは、至る所に存在する』と。師匠の力によって、ほんの少し前にようやく、僕は目で魔力という神秘の源が見えるようになった。その神秘が、御影に住まう人々の意識に入り込んで誤認を誘発させているとは。
面白い、じゃんか。
「ナナミ、君?」
真っすぐ師匠を見た。
「その神秘とやら。暴いてやりましょう、師匠!」
無意識に口角が上がり、にたりとした笑みを浮かべる。
だって単純に知りたいと思った。何故こんな逸話が存在しているのか、その真相を。
しかし、返事は無かった。
最初は見たことの無いきょとんと間の抜けた表情で師匠は僕を見ていたが、次第に。
「ふっ……くく、あはははは!!」
「え?」
急に大声で笑い始めた。腹を抱えて、それはもう楽しそうに師匠は自前のお花スクリーントーンを貼りつつ笑っていた。
「どうしました? 頭大丈夫ですか?」
いきなり笑いだすなんて、とうとう頭がおかしくなっちゃったか。
「いやはや。我が弟子は肝が据わっているな、と思ってね。面白いなって」
普段のほんわかとした笑みに戻って、そう言われる。
肝が据わっている、か。確かに、探偵事務所に乗り込んで、昨日まで知らなかった自称探偵の魔術師を雇用主にするぐらいだから、否定はしない。できない。
「……僕の返答ってそんなに意外でした?」
「勿論。最悪、信用されないでアルバイトを辞められて、私一人を置いて帰ってしまう想像もしていたんだよ?」
そんなことを考えていたのか。まあ確かに、その予想もできなくもない。そう思うと僕の言葉は、さぞ予想の斜め上をいくものだったのだろう。
「それが、俄然やる気を出して、神秘を暴いてやろうなんて言うから、さ」
思わず笑っちゃったよ。端正な面立ちに溢れんばかりの笑顔を乗せて師匠はそう言う。いやはや破壊力が半端ない。他にお客さんが居なくて良かった。最悪鼻血の海だぞ。
そして、顔面破壊力を弱めてから師匠は続ける。
「改めて我が弟子、ナナミ君。この依頼について、私に協力してくれるかい?」
「勿論、協力しますとも。その代わりに!」
是非もなし、即答だ。ただ、勿論当初の目的は忘れていないとも!
「ギブアンドテイク、魔術学について教えを授けてくださいよ?」
にっと笑みを浮かべて、その顔を見据える。と、師匠は苦笑いで微笑ましそうな視線を寄越してきた。
「Give and take.『持ちつ持たれつ』なんて言葉が今出てくるとは……本当にちゃっかりしてるよ、君」
「そりゃどーもです」
ふと、足元に目をやると、さりげなくまた花が咲いては散っているのが目に入った。いつでもどこでも花を咲かすんだから、この『月花の魔術師』は。
「それじゃあ、目的を共有できたことだし。そろそろ次の場所へ案内してもらおうかな」
大の大人の男には不似合いな筈のほんわかとした笑みに、つられて口角が上がる。
「はい。降りるとしますか」
この街に蔓延る神秘。その何たるかを見届けてやろうじゃないか。
決意を新たに、澄んだ青い空に背を向ける。そのまま真っ直ぐエレベーターへ向かうと、下向き三角のボタンを押したのだった。