第04話 地元案内の道すがら
一歩外へと出て眺める街並みも、僕の目には以前と違って映る。新鮮だった。街路樹や道端に咲いた花とかに比較的魔力の光が集まり、道路を走る自動車や忙しそうに歩くサラリーマンは、逆に魔力を弾いているように見える。
探偵事務所を訪れたときと変わらず、陽射しは強く照りつけたまま。折角アイスティーと涼しい空気で冷えた僕の身体が、まだ五分と経ってないのに暑さで茹だり始めていた。
「暑い。というか、まさか歩いて行くとは」
「だって君。探偵事務所兼我が家に、車が仕舞えそうなガレージなんて無かっただろう?」
「ソウデシタネ」
ちらりと横を盗み見る。こんな暑さであるというのにも拘らず、師匠は汗一つかくことなく涼し気な体だ。僕なんてもう既に汗ばみ始めてるのに、暑さなんて知らない顔で歩いている。
「ところで、ナナミ君。まず何処に連れて行ってくれるのかな?」
「とりあえず、御影タワーに向かおうかと。行きたそうだったし」
御影市の真ん中に堂々と聳え立つのが、御影タワーだ。市内を三百六十度すべて眺望できる展望台があるが、そりゃもう地元の人はわざわざ見に行かない。隣街の人や観光客が物見遊山で記念に登る程度のもの。
「ふふ、楽しみだなぁ」
ふわっと笑う師匠。それにしても、だ。
師匠は御影では目立ちすぎるな。
何も考えずに案内役を買って出たけど、道行く女性が時折こちらを振り返って見ている。それくらいには視線を集める顔をお持ちだということを、すっかり忘れていた。あー羨ましい。
「ん、何か顔についてるかい?」
「そうですね。強いて言うなら目と鼻と口がついてます」
やけっぱちだ。話題転換しよう。
「……そういえば師匠は、最近御影に越してきたんですよね」
「うん、そうだよ」
「それまでは何方に住んでいたんですか?」
住んでそうなのはヨーロッパの国々だけれど、いや、はたまたアメリカという線もある。むしろ東京だったりして。
「ロンドン、英国だよ」
「ロンドン!?」
思っていたよりもお洒落な街に住んでいたことに驚いて顔を見る。と、ほんわかとした笑い顔で師匠は続けた。
「仕事柄、色々なところを転々としていてね。他にもフランスやアメリカとか……あとはオーストラリアにエジプトなんかもね。多くの国で生活をしたものだよ」
師匠は、予想よりもなんだか物凄い人生を送ってきたようだった。様々な景色を見て、僕には予想が付かないような多くの事柄を体験してきたんだろなぁ。
「その仕事ってどっちの、ええと。本業の魔術師の方ですか、それとも副業の自称探偵の方ですか?」
「言い方がグサッと来るね。……両方だよ。そのお蔭で、多くの言語を操れるようにはなったかな」
歩きながらそう言う師匠の横顔には、楽しそうに笑みが浮かんでいた。
なんというか、羨ましいな。
色々な理由が重なって、御影市よりも外へは出たこともない。せいぜいニュースで見たりするぐらいで、普段の生活は完全に市内で完結している。
この街の外にある景色を、僕はまだ知らない。
「やっぱり、言語は軽く学んでおいて、詳しいことは現地で学ぶのが一番習得が早いよね。必要性に駆られたときに、人間は底力を発揮するものさ」
昔は苦労したなあ、とどこか遠い目をして歩く師匠。そういえば、何の気なしに会話しているけどその顔に似つかわしくない流暢な日本語を使ってるな。
「……と、いうことは。師匠が日本語がとても流暢なのは、以前にも日本を訪れたことがあるから、とか?」
「ご名答。本日付けで探偵見習いとなったにしては、ナナミ君は筋が良い」
「どうも有難うございます」
横断歩道を目の前にして、赤信号で一旦立ち止まる。ぎらぎらとした陽射しだけでなく、コンクリートからの熱も大気の温度を上げている。車道の方を見ると、ゆらゆらと陽炎が見えた。
「あとどれくらい歩いたら着きそうかな?」
「そうですねぇー」
視界の中の御影タワーの姿は、もう既にまあまあの大きさだ。元々探偵事務所自体が街の中心部に近いところに建っているので、そう遠くはないはずだ。
「順調に行けば、十分前後くらいかと」
「結構掛かるね。それじゃあ着くまでの間、最初の魔術講座としようか」
「っ! よろしくお願いします」
信号が、青に変わる。道行く人にぶつからないように気を付けながら、師匠と並んで再び歩き出した。
「さて、記念すべき第一回魔術講座だ。今回は魔術の基礎となる部分をおさらいしよう」
頷く。基礎部分を最初にやるのは、僕の魔術学に対する習熟度を図る目的もあるんだろう。気を引き締めていかないと。
「では、ナナミ君。魔術を扱うために必要とされるものはなんだったかな」
「……まずは、魔力。次に、魔力を扱う事ができること、魔術に対する正しい知識ですかね」
「うん、良い解釈だ。魔術学の知識だけでなく、実体験を基にしているのが私としては好印象だね」
よし、ちゃんと答えられた。なんというか、普段の魔術学の授業よりも謎の緊張感がある。
「じゃあ、魔術陣の使い方について説明してみてくれるかい?」
「魔術陣を書いた後、その陣自体に適正量の魔力を流し込むことで術式を起動するんでしたよね。あ、此処右です」
「右だね」
大通りに面した角を曲がると、あとは一直線に進めば御影タワーに辿り着く。目の前にはもうその全貌がはっきりと見えていた。
「注意するべきなのは、魔力が少なすぎると術式自体が起動しないという点、逆に多すぎる魔力を注ぎ込むと術式が暴走するっていう点です」
実際、魔術学の授業で魔術陣が暴走して、先生が怪我をしたこともある。あれは本当に怖かった。
「うん、有難う。教科書のような模範的な回答だね。次に、魔力は人の身体の中にどのような形で存在しているかをお願いするよ」
「えーと、……魔力は、人体の中で魔力管という器官の中に存在している。普段は体の隅々まで張り巡らさせた魔力管の中を循環していて、魔術を行使する際には管から放出される」
この辺はまだ序の口。意外と大丈夫だ。
それより暑いな。ポケットからハンカチを出して、額から流れる汗を拭った。
「そうだね。ではここで一つ知識を。魔力管というのは、実は血管の事なんだよ」
「えっ!?」
驚いて、師匠の顔を見た。魔術学では、先生はそんなことは言っていなかったけど。
「そうなんですか?」
「ああ。魔力を持つ人の血管のことを、魔力管と呼称しているだけなんだ。血と一緒に血漿に含まれて、魔力は身体中を循環しているんだ」
「へえ、そうだったんだ……。でも、なんでそうやって教えないんでしょ?」
「その方が想像しやすいから、かな。医学的な呼び名で血管と呼ぶのと同じように、魔術的な呼び名として魔力管と呼んでいるのさ」
「なるほど……」
何だかんだと九年間ほど魔術学を学んできているはずだが、それでも師匠の口から出てくる言葉に驚かされるばかりだ。二つ名を持っているのは伊達じゃない、ということだろう。
「では、質問だ。魔術を使うとき、多くの場合魔術詠唱と魔術陣のどちらかが切欠として必要となるよね。さて、どちらが魔術においてより重要かな?」
「……えっ!?」
師匠は変わらぬ笑顔だけれど、難易度が一気に上がってないか?! 待て待て、考えろ。
魔封じの術を解いた時に師匠がしていた詠唱と、魔道具屋で買ったダガーに刻まれていた陣が思い浮かぶ。どちらがより重要か、だなんてまた曖昧な線引きだな。
「どうだい?」
「……少し、待ってください」
「いいよ、ゆっくり考えて」
魔術詠唱は、その魔術と魔術陣を知った上で、その陣に宛がった言葉を唱えることで術式が起動する、というものだ。魔術陣は一番オーソドックスな魔術行使方法で、さっき答えたようにその魔術に対応した陣を描くことで術式を発動させるもの。
どっちが重要かだなんて、どっちも重要だから選べるわけがないじゃんか、と思う。
それでも選択をしなくちゃ。答えは二択、当てるも外れるも確率は五十パーセントだ。確証はないが、賭けるしかない。
「僕は、詠唱が重要かと思います」
「へえ。何故、そう思ったのかな?」
「……陣は、一度書いてしまえば何度でも利用できるけど、陣が破損してしまうと使えなくなってしまう。それに対して詠唱ならば、唱えるだけで何度でも魔術行使ができるから、です」
窺うように、顔を見上げた。すると、ほんわかとした笑顔を浮かべて師匠も僕を見る。
「成程成程。ちゃんと投げ出さずに自分なりに考えたみたいだね、よしよし」
いやはや面白いね、と言いながら、髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「ちょっ!?」
髪の毛が絡まるから割と真面目にやめて欲しい。必死に抵抗すると、渋々やめてくれた。折角整えた髪が崩れてしまった。何故こんなことになったのか、解せぬ。
「ところで、正解はどっちなんです? 陣ですか、やっぱり詠唱ですか」
「いいや? 普遍的に正しい回答なんてのはないさ」
御影タワーを目の前にして、またもや赤信号で足止めを食らう。補足の説明を求めて隣の師匠を見上げると、ニヒルな笑みでどこかを見つめて言う。
「問いに対する答えすべてが正解でありながら、答えすべてが不正解になりうるのが魔術というものなんだよ」
全てが正解でありながら不正解になりうる、か。
師匠だから様になっているような気がするが、難解な言い回しを急に繰り出してくるのはちょっと困る。
「……奥が深いですね?」
「そこは断言してくれて良いんだよ?」
首を傾げながら言ったら、少しムッとした顔で師匠はそう返す。
青信号に切り替わり、また歩きだす。魔術講座もキリがいいところだ。
「着きましたよ」
「おぉ~……!」
立ち止まって空を仰ぐと、目の前に聳え立つ御影タワー。高さ百五十三メートルの御影市のシンボルだ。何やら有名な建築家が建てたんだ、とか、うんたらかんたら小学生の時に聞いた覚えがあるが、その詳細なんて覚えている筈もない。
「先程から見えていたけれど、真下から見ると益々大きく見えるねえ」
敬礼するように目元に日陰を作って、師匠はしみじみと言う。確かに馴染みがありすぎて、こうしてしっかり見たのは久しぶりだった。
でも、それよりも今は。
「……暑いんで中入って涼みません?」
「そうしようか」
夏場、太陽が一番眩しい時間帯の散歩ほど暑苦しいものはないね。
お陰で汗だくだ。どうやら師匠も同じ気持ちだったらしい。それでも相変わらず涼しげな顔をしているから、ちょっと腹立たしいわ、うん。
「このタワーって上まで登れるのかい?」
「上に展望台がありますよ、そこまでなら登れます。有料ですけど」
自動ドアが開くと、中から冷たい空気が流れてくる。生き返る心地だ。
「ふー、涼しーい」
「外とは大違いだねえ」
二人して数分間、空調の効いた涼しい空気を堪能する。次に口を開いたのは師匠だった。
「さて、ナナミ君。行くよ」
「本当に登るんですか? 特に目新しいものはないと思いますけど」
最後の確認として僕がそう言っても、師匠の決意はどうにも固いようだった。ずっと足先が展望台行き昇降用エレベーターの方へと向いている。
「それを目当てに来たようなものさ」
「分かりました。……ご馳走様です」
「ちゃっかりしてるなあ、我が弟子は」
なんて言いつつも、今日から出来た弟子に数百円を奢ってくれる師匠だから、胡散臭くても憎めない。
「じゃあ、展望台入場料を払ってくるよ」
「待ってますね」
師匠を見送って、エレベーターの近くで壁に凭れ掛かる。
師匠と会話するのは新鮮だ。仕事関係や学校で人と話す機会は少なくない方だが、しがらみなくただ、まるで友人のように話す。けれど。
「お待たせー、って。どうかしたのかい?」
「あ……いえ」
気が付くと、目の前には不思議そうに視線を合わせてのぞき込んでくる師匠。考え事をすると、他が疎かになってしまうな。
「師匠がこの街に来る理由になった依頼って、何なのかなと」
「ああ、その話ね。気になるかい?」
「そりゃあまあ気になりますし……弟子ですから知っておくべきかなと」
じっと見つめると、ただ、そうだね、と笑う師匠。その意味有りげで無さげな笑みがなんとも怪しい。
一応これでも給料を頂くのだから、それなりに仕事はしっかりやるつもりだ。
「それじゃあ、話すとしよう」
師匠が登るボタンを押すと、停止していたエレベーターの扉が開いた。先に乗り込んで、師匠が乗り終えたのを確認したら、アールのボタンを押して、閉じるボタンを押す。
「『上ヘ参リマス』」
エレベーター独特の足元の心許なさを感じつつ、ガラス張りの部分からどんどんと離れていく地上を眺める。そこでようやく、人目を憚るようにに小声で師匠が告げた。
「私はね、――この御影市に潜む謎を、解き明かす為に来たんだよ」