第05話 推し量られる理・上
「……待たせたな」
「店主!」
タイミングを見計らったかのように響く、威厳を含んだバリトン。そろりそろりと注意深く歩いて、カウンターにお盆を置く。
「水、と言ったが茶だ。いいか?」
「勿論です! すみません、お手数をお掛けして……有難うございます」
「おや、私の分もあるなんて嬉しい限りだ」
お盆には、三つのグラス。三人で飲むように持ってきてくれたんだろう、大玉の氷と並々と麦茶の入った水差し付き。ガラス細工ってだけで、なんだか見た目からもう冷たそうで美味しそう。
「……客は客だ」
「それはどうも! 有難く頂くとしよう」
「ああ。先に、七海君」
「有難うございます」
麦茶が注がれたグラスを貰う。だいぶ頭はすっきりしてきたけど、此処まで炎天下を歩いてきたし。ごくり、ごくり、と喉を冷たさが通って気持ちいい。
「魔術師殿」
「では、遠慮なく」
「……っは」
しまった、勢いでもう七割くらい飲んでしまった。師匠へとグラスを渡していた店主と、自然と視線が合う。珍しく口の端を少し上げて、店主は苦笑したようだった。
「多めに持ってきた。気にせずに飲むといい」
「す、みません!」
「我が弟子はこういった素直なところがいいよねえ」
くつくつと師匠も珍しい笑い方をしてから、麦茶に口を付けた。所作がいいと、どんなもの持っててもどんな飲み物でもある程度は様になるのが羨ましい。
パッと見、缶コーヒーと思いきやエナジードリンクとか飲んでても、最後まで気が付かなさそうだ。
「では、丁度良い機会だ。ナナミ君」
「? ……はい」
「君の推理を聞くとしようか」
残りを飲み干してしまったグラスを店主に渡したところで、にこやかな師匠の笑顔。
「藪から棒ですね」
どの辺が丁度良い機会なのか全く分からないんだけども。
「そうかな? しかしながら出来ているんだろう? 我が弟子」
師匠の視線が試すように僕を見る。まあ確かに、逸話に対してある程度の理屈にかなった説明はできる、とは思う。それが推理といえるものなのかどうかは分からないし、それに。
「でも、店主さんが」
麦茶を並々注がれたグラスをまた受け取りつつ、表情を窺う。急に話を振られたことに驚いて、ほんのちょっとだけ目を見開いてから。
「……なんの話かわからんが、俺のことは気にするな」
くっそ予想外だ。此処で店主が断ってくれてこの話はまた今度、オシマイという筋書きは虚しく消えさった。
グラスの縁に、口を付ける。
「どんな話だろうと知ることは一向に構わない。加え商売柄、自衛には長けているつもりだ」
「ということなら、守秘義務もないことだし構わないね。さて、ナナミ君」
喉を潤しておこう。どこまで店主が見越していたかは分からないけれど、水差しごと持ってきてくれたことには感謝しかない。
ゴクリ、と麦茶を半分ほど嚥下して、グラスをカウンターに置く。
「何か反論はあるかい?」
「……無イデス」
長丁場になること必須だ。麦茶のお代わりは何回まで許されるんだろう。
* * * *
所狭しと並べられていた魔道具は整理され、整頓され。空いたスペースにドン、ドン、と置かれた二つの一人用ソファ。
片方に座るは、師匠。
他方に座るは、店主。
その間には、飲み物を置くためのミニテーブルが置かれて準備万端。
カウンターを背に、吸って、吐いた。
安楽椅子なんていかがかな、とか押し付けられたけど、座ってない。安楽椅子探偵どころか探偵にさえなれない、見習い風情には相応しくないと思うし。
最初の言葉は、そうだな。
「――では、店主も聞かれるということなので。今回提示されている謎についての確認から始めましょう」
「……よろしく頼む」
そう返答し、両足を床に付けてどっしりと座る店主に対し。何も言わずにふふっと微笑んで、師匠は優雅に足を組んだ。
「店主は、御影市に存在する逸話についてご存知でしょうか?」
「ああ。確か……『紅い月夜の魔物』、『イツツ杜の扉』、と……『終焉の鐘』の三つだったか?」
「はい。現在確認されている逸話はその三つです。では、そのそれぞれの内容についてはどうでしょうか?」
「噂程度にしか、だな。説明を頼む」
頷きで答える。
噂程度でも、魔道具屋をやっていると情報として入ってくるんだな。結構、子どもの間では盛んに聞かれる噂とかって、大人には知られていないイメージがある。
「では、一つ目。『紅い月夜の魔物』について」
「名の通り、紅い月の出る夜には魔物が出る。……この程度しか耳には入っていない」
「そうですか。まあ、名は体を表すの如く、大雑把に捉えるとその通りです。ですが、この逸話には唯一、よく知られる謳い文句があります」
早苗先生の声で再生される、幼い頃の思い出。今でこそ紅い月は禍々しくも美しく見えるけど、あの頃の僕は怖くて仕方がなかった。
咳払いをして、声色を変えて。
「『紅い紅ーい月が昇ったら、魔物が街にやってくる。お外に出てはいけないよ、魔物は子どもが大好物! 怖ーい魔物に食べられちゃうよ……』」
「それは、初めて聞いたな。夜歩きをしないように、という教訓か」
「概ね、その通りじゃないかと」
師匠は、何も言わなかった。とりあえずは様子見、このまま続けてということだと思われる。
それなら、僕のペースで話を進めよう。
「二つ目。『イツツ杜の扉』に移りましょう」
「……確か、どこかの公園に無かったはずの扉が現れた、とか言っていたな」
「簡単にするとまあ、そういった話ですね」
『珈琲&砂糖』で、絢香に聞いた話。
話として存在していることが馴染みすぎて、逸話、と言われても自覚できなかった話だ。
「『イツツ杜』というのは、御影の緑地公園の通り名――丁度公園が五つあるから、『イツツ杜』と。そこに『異界に繋がる、光り輝く扉』が現れる、というのがこの逸話の内容です」
「……目撃者が居るのか?」
現れる、ということは、無かったものが顕現するということだ。店主の質問は至極当然のものだけど。
「直接的に会ったことはないので、居る、と断言はできません」
居るか居ないか、という質問には、僕自身見たことがあるわけでもなし、こう答える他ない。
「しかし、小学生・中学生の間では不定期ではありますが、一、二回どころの話ではなく、何回も目撃談が回って来る程度には」
自分たちが小・中学生の頃にもあったし、今も小学生の風太や勇人伝てに聞くくらいには、なんというか、ポピュラーといっても過言じゃあない。
「奇妙な話が、あるものだな」
「本当にそう思います」
ぽつり、と店主が零した言葉に、心から同じ意見だ。だけど、そうでなくてはならないんだろうと思う。
「――では最後、『終焉の鐘』について。これについては全く以って詳しい話は分かっていません」
「そうか。……こちらも、こればかりは名しか聞いたことがない」
「内容としても、全てが終わるときに鳴り響く、ということのみ、掴めています」
それどころか、この逸話については存在すら知らなかったからな。三つの中でも、特殊な代物だと思われる。
さて、逸話についての振り返りはこんなところか。
じゃあ、本題に入ろう。
「では、今回提示されている謎についてへと移ります。師匠がこの街に来たのは、……ええと」
「『神秘を纏った正真正銘の逸話の真相を詳にする』、だね」
「そう、それです」
視線を感じ取って引き継いでくれて有難う、師匠。流石に一言一句全てを覚えているほど、記憶力が良くはない。
「真相、というのを、僕は逸話の存在理由と捉えました。何の為に御影市に存在しているのか、どのようにして神秘を纏い、存在するに至ったのか」
これが、僕の思う逸話の謎。
御影市にのみ存在する、神秘を纏った逸話の謎だ。
「これらを前提条件として、僕の推理を聞いてください」
一度グラスを手に取って、喉を潤す。ただ話すだけとはいっても、緊張感が違って普段よりも喉が乾く感覚がする。
コトリ、とグラスを置いて。
「ではまず、御影市に逸話が存在している理由から」
この部分から、話していこう。
「何故御影市にのみ存在するのか、端的に言ってしまうと――」
「――御影市以外で存在する理由がないから、です。そしてこれは、逸話の成り立ちにも関わっている」
誰も何も、言わなかった。ただただ、僕の声だけに注意が向けられているのがわかる。
たった二人の傍聴人でも、声に出してしまえば戻れない。だから、言葉を選んで。
「逸話は、何者かの手によって意図的に作成されたものであり――」
堂々と、探偵然として。
「――御影市の外から訪れる者を、排他する為の機構であると、考えます」
自分なりの、推理をしよう。




