第03話 神秘を見る瞳
目元からひんやりとした手の感触が離れて、僕は顔を正面に戻した。
「はい、お終い」
「……は、い」
なんというか、解術というのも思っていたよりも呆気ない。
何と無く、目を瞑ったままでいる。こつ、こつ、と遠ざかる足音がしてから、ぼすっという音。シエルさんがソファへ戻ったみたいだ。
「さて、目を開けてみてくれるかな?」
少し期待するような、楽し気な声で急かされる。確かにちょっとわくわくするような、何かしら今までとは違うような気分がしてきた。
「はい」
少しずつ瞼を開けようかとも思ったけれど、一息に思いっきり全て見開く。
そして、ただ息を飲む。
「なんだ、これ……!」
部屋の内装は至ってそのまま、シエルさんも変わらずそこに居る。でも、違う。
見える視界の中、空中に沢山の淡い青色の光が浮遊してる!
「全然、ぜんぜん、違う」
蛍が舞うように明滅したかと思えば、ふっと蝋燭の火のように消えるものもある。幻想的で、まるで現実ではなく夢を見ているみたいで。
神秘が見えるってこういう事なのか、としみじみ思う。
本来であれば、友達やクラスメイトと同じように、世界はずっとこんな風に見えていたのかと。どこを見ても、部屋中を見渡しても、ふわふわ揺蕩う光があって映画みたいだ。
「……き、君!」
「っえ?」
驚嘆に眼を向けると、シエルさんがじっと此方を見ていた。しまった、まだお礼を言っていない。
「シエルさん、有難うございます。全くをもって、見えてる景色が違います!」
「あ、ああ。うん、目の部分の魔封じの術は無事解けたみたいだね」
なんだろうか? シエルさんの声音は、僕と対照的に少し驚きで強張っているように聞こえる。何か、気にかかるようなことがあるということだろうか。
「どうか、しましたか?」
「少し、此処で待っててくれるかな」
ゆらり、と立ち上がると、長い髪をなびかせてシエルさんは奥の方へと消えていく。そして、戻って来たその手には、手鏡が握られていた。
「どうやら、ナナミ君。君に秘められていた魔力はだいぶ強いものだったらしい」
見てごらん、と手鏡を渡される。シエルさんの意図はよく分からないが、取り敢えず受け取る。何も考えずに覗き込んで。
「は……?!」
唖然とした。鏡に映り込んだ、僕の瞳の色は。
「うそ。なんで、こんな青緑色、に……」
日本人といえば、黒髪黒目が普通だ。僕の周囲にだって、黒い髪に黒い瞳の者がほとんどで、そして勿論僕もそうで――いや、今となってはそうだったというべきか。
「その、魔術学で習わなかったかな?」
試すようにシエルさんが言う。鏡に映りこんだ自分自身の顔を眺めながら、思考を巡らせる。
魔術学という学問に対しては、実技ができないからこそ一字一句に至るまで詰め込んだと自負している。真っ黒だった瞳。それが今では、光が反射する水面のような緑がかった青だ。
関連するワードは、魔力、色。記憶を手繰り寄せて、そこから答えを導く。該当するものは、と。
「……魔力色素、ですか?」
「ご名答!」
シエルさんは、にっこりと笑みを浮かべる。
魔力色素は確か、強い魔力を持つ者に発現する、身体の色素異常だ。魔力は、その性質を強く持てば持つほど、その魔力自体が持つ色彩を発するようになる。それは人が持つ魔力でも同じ。
本来の血筋のみでは持ちうることのない瞳の色や髪色を持つ者が、高位の魔術師では多いんですよ、と魔術学の先生が確か言っていた。
「魔封じが解けたことで、ナナミ君が持ち合わせていた魔力色素が見える形となったみたいだね」
まじまじと、鏡の中の自分を見る。目の色が違うということだけで、ぱっと見ただけでも大分違和感がある。
「なんというか……現実味がないですね。知識として知っていても、こうやって目の前で見せつけられると驚いてしまうっていうか」
「A picture is worth a thousand words. 『百聞は一見に如かず』、ってことさ」
シエルさんは、丁寧に避けられていたローテーブルを元に戻すと、グラスを手に取りアイスティーに口付けた。それを見て、ごくりと喉が鳴る。なんだか緊張して、喉が乾いたな。
少し汗をかき始めたグラスを、滑って落とさないように慎重に掴む。口に入れると、爽やかな香りが鼻を通り抜けた。いや本当に美味しいなコレ。
「――ところで、ナナミ君」
「はい?」
なんだろうか。グラスを置いて、居住まいを正す。
「さっき言ってたように『壊れた神秘』で、店のご主人さんから探偵事務所のアルバイトの話は聞いているんだよね?」
「そうですね」
「じゃあアルバイト、してくれない?」
「はい?」
グラスの縁で僕を指しながら、ほんわかとした笑みを浮かべるシエルさん。唐突な提案、いや、よく考えれば予測できた提案か。
「仕事内容はそうだねー、私の探偵補佐。いや、探偵見習いってことで。魔力に慣れる為にも色々手伝ってもらおうかな、と」
「は、はあ……」
グラスを置いて、シエルさんは独りでに仕事についての話を進めていく。
この人は悪い人ではないと思う。でもやっぱり何というか、第一印象の胡散臭さがどうにも拭いきれない。その所為で人としては一歩引いてしまうところがあるけど、取り分け魔術については一流なんじゃないだろうか。
「先程も言ったけれど、知っているのと実際に見るのとでは訳が違う。ナナミ君は、今まで魔術の仕組みを実際に見ることができなかっただろう?」
「そうですね。とても、新鮮な気分です」
口がにやける。魔力が視覚的に感知できるだけでこうも変わるものか。人生損して生きてたなぁ。
「それは良かった。私も頑張った甲斐があるというものだよ。じゃなくって!」
ふにゃりとした顔でノリツッコミのようなものを一人でするとは、全然掴めない人だな。
なんて思いながら眺めていれば、一転してシエルさんは真面目な顔つきに変わる。
「もし、ナナミ君にその気があるのなら。君がここで探偵見習いとして働いている間に、魔術の師匠として私が実技的な魔術を教えよう」
そう言いながら、パチリ、と指を鳴らす。シエルさんの手の辺りの魔力が一瞬――揺らぐと、そこには綺麗な花が一輪現れた。魔術の発動ってこんな感じなのか。
「今はまだ見ることしかできないけれど、それでも今までの完全な魔力遮断状態とは話が違うからね。知るべきことは多いよ」
「……それは、大丈夫なんですか?」
神秘をつまびらかにするということは、魔力の性質の強さを失うことに等しい。
連綿と古くから続いている魔術師の家系は、その魔力の強さを保つためにその各家に伝わる魔術を秘匿している、と学んだ。手品と一緒でタネと仕掛けが分かると、呆気ないものになってしまう。
魔術を教えるということは、一種の危険性を孕んでいると学んだ。けれど、予想に反して、シエルさんは柔らかな笑みを浮かべていた。
「ああ、私はちょっと特殊でね。弟子を取ることなんて瑣末な話さ。それに、ナナミ君の魔封じの術を完全に解く為にも、必要なことだからね」
パチリ、パチリ。指を鳴らす毎にぽんぽん、と一輪一輪違う花が手元に現れる。さながら手品師のような鮮やかさだ。
「どうかな? 勿論、れっきとした仕事だからね、報酬は弾むよ」
「……好条件すぎて、逆に騙されてないか不安ですね」
「ええ、騙すつもりなんてないよ!?」
いやそういう反応が余計に怪しいんだけれどなぁ。
何故ピンポイントで胡散臭さを醸し出すような反応ができるのか、全く不思議な人だ。
「悪い話じゃないと思うんだけど……」
「ま、そうですね。では、不束者ですがどうぞ、よろしくお願いします」
かなりの腕を持つ魔術師に直々に教えを乞うことができる機会なんて、滅多にない。いや、今まで有るには有ったが、僕には意味を成さなかった。だけど、今ならきっと。
「……え、本当に? 後悔しない?」
疑わしそうな目で見られた。なんで提案した貴方がそういう顔をするんだ。予測不可能、まさに変わり者って事だろうか。
「本当ですって。よろしくお願いしますよ、師匠?」
にやっと笑って見せると、指を鳴らしてないのにシエルさんの周りにぽわぽわと花が咲いては散る。
「えっ?!」
「ああ、ごめんよ。たまにこうして無意識に花が咲いてしまうんだ」
気を抜くと、直ぐに咲いちゃうんだよね。と、リアルに背景へ花のスクリーントーンを張ってみせたシエルさん。いやはや魔術でこんなことが出来るとは思ってもみなかった。
「もしかして、それが二つ名の由来だったり……?」
「さてね? 何はともあれ、契約成立だ」
そういうと、シエルさんはにっこりと人懐っこい笑みを浮かべて右手を差し出して来た。僕も右手を差し出して、しっかりと握手をする。
「よろしくね、探偵見習い君!」
「よろしくお願いします、師匠」
僕の手よりも一回り大きい、骨張った手だった。握手し終わると、シエルさん――いや、師匠は立ち上がると、ぐぐーっと一つ伸びをしてから言う。
「それじゃあ、出かけようか」
その言葉の意味を理解するまでに数秒を要した。何となく予感はしていたが、確認の為に僕は口を開く。
「……それは、僕もですか?」
「勿論だとも! 早速だが、探偵見習い君の初めてのお仕事さ」
「もうですか」
機嫌よさげな師匠に水を差すのも気が引ける。深くツッコむことなく、同じく立ち上がった。
「それで、何処に出かけるんですか?」
「……何処に行くかは君に決めてもらおうかな、ナナミ君」
まさかの丸投げ。思い立ったが吉日ってことか? それにしては、前々から行こうと決めていたような口振りだったような。
「ノープラン、ということですか?」
「いや、大まかな場所しか決めていないんだ。下調べが面倒でせずに此処まで来たんだよねぇ」
どういうことか、何を言っているのかよく分からない。首を無言で傾げると、ふふんと得意げな顔で師匠はこう続けた。
「ナナミ君、私に御影市の案内しておくれ!」
「御影の案内ですか?」
「そう、案内だよ」
きょとんとした僕を置いてきぼりにして、さっさと師匠は出掛ける為の身支度を始めていく。
「受けた依頼というのがこの辺りの話でね。どうせなら引っ越してしまおうと此方へ来たのは良いんだけれど、一向に慣れなくてね」
「現地民でたまたま捕まえられた僕に白羽の矢が立ったと」
「我が弟子は話が早くて助かるよ」
会話を続けながらも、持ち前の長い長い亜麻色の髪を一つに纏める。藍色の紐を取り出して器用にくるくると巻いて蝶々結び。手際がいいな。
にしても、御影の案内か……。
「いや、そもそも案内するほどの物が御影には無いと思いますけど……」
「ええー、色々あるだろう!? 街の真ん中の大きな塔とか、神社とか、お店とか!」
「あー、アレですか? まあ、ご所望とあれば案内しますけど。……あんま期待しない方がいいですよ?」
にっと笑うと、師匠は少しムッとしたような顔つきを見せた。以前友人に言われたことがある。僕は悪戯っ子みたいな、人の悪い笑みをよく浮かべているらしい。
「探偵見習い君は、つべこべ言わずに案内したまえ!」
「お師匠サマの仰せのままにー」
そんなつもりは全くないというのに、酷い話だ。
「前途多難だなぁ、これは」
ぼやく師匠を横目に、僕は置いてあった鞄を肩に掛ける。どうやら向こうも、出かける準備ができたみたいだ。
髪を整えただけだというのに、無雑作だった髪がスッキリしただけで、先程までとは見違える。
「よし、行こうか!」
そう言った師匠の後ろを歩く。と、ふと足元、師匠の歩いた道に花が咲いては散って行くのが見えた。
無意識に咲かせる、とかなんとか言っていたけど、これは魔術なんだろうか。幻影なのか。どういう原理が働いて顕現しているんだろう。
「うん? どうかしたかい?」
ハッとして見ると、付いてこない僕を師匠が不思議そうに見ていた。
「……いいえ? ほら師匠、さっさと行くとしましょう」
まあいいか、と笑う。すると、そっか、とまたシエルさんは歩き始めた。相変わらず花は、歩いた道筋に咲いては散っていく。
自称・探偵の『月花の魔術師』。僕の世界を一変させた人の背を眺めながら、しみじみと思った。
僕は、変な人を師に持ったもんだな、と。