第01話 あ◆ふ◇た◆◇
鼓動が一段大きく胸を突く感覚で、ひゅっと息を呑んだ。
大きく息を吸って、息を吐いて、吸って、また吐いて。大丈夫大丈夫、なんてことはない、落ち着いた。
最後に一際ゆっくりと、ゆるゆると息を吐き尽くしてから。
「お前さぁ」
頬杖をついて、じっと目を見る。司の喉仏がごくり、と上下する。口の片端を上げてみせると、不機嫌そうに眉根が寄せられる。
「……何が言いたい、成瀬」
「いや、お前。別れ話とかカフェでするタイプだろ」
「な、にを」
お、みるみる耳が赤くなってくな。図星だ。というか、知ってて言っているんだけれど。幸太が情報ソースだが、二番目の彼女とは最後に口論をそれはもう、やりあったとか。
「こじれるぞ~。よりによって、デートの最後とかで決行するタイプな」
「い、や、見ていた訳がない、何を根拠に」
「見ては無いが伝え聞いたってところさ」
「っ、それは誰が!? いや違う、そうじゃない。うん、ハァ……」
顔に手を当てながら深く息を吐いた。分かってるねえ、情報源は秘匿するのが僕の鉄則だ。誰が、なんて言う訳が無い。
「いい加減問いに答えてくれるか、成瀬」
「はいはい、そうだねえ」
珍しく照れたような怒ったような顔が見れたことだし、これ以上追い詰めるのは止すとしよう。頬杖をやめて、居住まいを戻す。さて。
「――じゃあ話を戻すとしますか。魔術を使ってみたいか、だっけ」
魔術を使ってみたいか、使ってみたくないか、どっちなのか。
その二択が存在するのはこの世界で僕だけだけれど、僕の中では二択ですらない。
言うまでも、問うまでもない話なんだよ。
「勿論、使ってみたいさ。ずっと」
僕の言葉に、驚いたように目が見開かれた。
「……言い切るね」
「言い切るさ。そりゃあ」
そんなに意外な考えだっただろうか。不思議そうに見ていれば、司はふいと目を逸らして視線をテーブルへと落とす。
「てっきり、成瀬は魔術のことを嫌っているものだとばかり思っていたけれど」
「あー、そりゃあ魔術学の授業は嫌いだよ? 大嫌いだ、正直苦痛でしかない」
「という表情を頻繁に見ていたからな」
「だろうなあ。でも、魔術学と魔術に対しての感情は、僕の中では別物なんだ」
「……まあ、授業については先生のこともあるからな」
「そうそう。それが無ければもっと魔術学の授業も好きになったと思うんだけどね」
教科担任の柳先生は落ちこぼれを目の敵にしているし、必修科目だから実技以外での努力を要求される。他の教科の負担になっていることは確かだし、僕に力が有れば、と思う事は多々ある。
「……出来ることならば。使ってみたいし、目にしてみたい。自分以外が見ている景色を、魔術が有る視界を」
幼い頃のお伽噺。輝く星のように小さくササヤカな、でも忘れがたい、諦めがたい――夢だ。例えそれが叶わないと言われていようとも、きっと自分の中でなくなることはない。
「魔術という存在が絵空事じゃないのなら尚更、な」
「確かにそうだな。魔術を扱うということは実際問題絵空事なんかではなく、そして成瀬が魔術を使える可能性はゼロじゃない」
「そうそう」
魔術は才能。言われてしまえば、すっぱり諦められるかもしれなかった。でも、事実としては魔力が扱えていないだけで。それが残酷にも僕にまだ希望を抱かせる。
「ある意味一番残酷な宙ぶらりんだけれどね? それでも」
「それでも?」
「なんていうかな。子どもっぽいかもしれないけどさ」
カラン。汗をかいたグラスの中で氷が溶けていく音に視線を向けて。僕の心を捕らえて離さない、解けない魔法のような夢物語に笑みを浮かべて司を見遣る。
「――夢をみるのはタダだろ?」
おっと、丁度良いタイミングだ。あー、美味しそうというのがこの距離でも分かる。僕たちのプレートを手にした件の店員さんが、颯爽と歩いてくる。
「お待たせいたしました。パストラミとチーズのパニーニのランチセット、本日の珈琲のお客様」
「は~い!!」
「失礼致します。では、エッグベネディクトのランチセット、アイスブレンドコーヒーですね」
「有難うございます」
「ご注文の品にお間違いないでしょうか」
「はい!」
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
伝票を置いて、去っていく店員さん。うわ、美味しそう。程よく焼かれて熱が入った赤みをみせるお肉、新鮮そうにヒダがしなやかなレタス。チーズもたっぷりで、ヴォリューミーだ。思わずごくんと唾を飲む。
司のエッグベネディクトも出来立てほやほやで、半熟卵の黄身が今にもとろーり溢れてきそうな感じがする。
「さ、さ、食おうぜ?」
「……そうだな」
「いっただきまーす!」
「いただきます」
* * * *
「ご馳走様でしたー!」
「ご馳走様でした」
ドアベルをカランコロンと鳴らして、外に出る。冷えた身体に、暑い空気が纏わりつくみたいだった。
いやあ。今回も食べ応えたっぷりな、それでいて味と量に対してコストパフォーマンスの高いランチでした。
「良い店だな」
「だろ? 僕が絢香の職場でも来たくなる理由よ」
「気持ちがよく分かる。珈琲も美味しかったしな」
司も食べてる間に頬を緩ませていたからな。今日は表情筋を使いすぎて筋肉痛になるんじゃないかね。
「これからどうする?」
「俺は図書館に行くよ。借りていた本を返さないといけないし」
「あちゃあ……ついさっき図書館には行ったばかりだ」
「じゃあ、此処でお別れか?」
んー、どうしようか。もう一回ついて行っていいけど、何かすることは、――あ。
「そーだな。ちょっと行く所あるし」
そういえば、魔道具屋に行かないといけない。夏休み前の模擬戦闘で杖を壊してしまったから、魔道具屋に行って新しい武具を買わないと。
「昼飯、付き合ってくれて有難うな」
「こちらこそ、美味しい店を教えてもらったよ」
「そう言ってもらえて光栄だ。……また来ようぜ?」
「勿論」
軽く口の端を上げて、司は笑う。普段笑わないくせして、時折こうして微笑むのが女子に好評だとかなんとか。
「じゃあ成瀬、またな」
「おう、またなー」
軽く手を挙げるだけの姿に、ひらひらと手を振って返す。魔道具屋へ、図書館と反対の方へ道を進んでいく。
でもどうしようか。七星デパートに行って、銀行でお金をおろしておくべきか? さっきの支払いをするときに財布の中を見たらお金が無かったからな。
いや、とりあえず見に行くだけ見に行ってみよう。
腕時計の針は十三時前を指す。幸い、時間だけはあるんだ。二度手間にはなるけど、一度魔道具屋に行ってから銀行に走ってもいい。武具の種類も杖以外でもいいかなと思い始めているから、家で一度戦術を考えながら一晩寝かせるのもアリだ。
木々の葉の隙間から、陽射しが肌に刺さるみたいだった。
ゆらゆらと陽炎が見える。赤信号で並ぶ車の列が、陽の光を反射して輝く。汗が首を伝う。焦げたようなアスファルトの匂い、混ざる湿った空気の匂い。蝉がつんざくように合唱する。五感の一つ一つ、その感覚自体が。
きっと違うんだろうなあと、歯痒く思う。
曲がっては歩き、曲がっては歩き、信号で立ち止まってはまた歩き出す。その途中だった。
ふと、何もない空き地が目に留まる。近くのビル群に連なる中ひっそりと存在する空き地。流石に立ち止まりはしないけど、どことなくその場所が空き地である、ということが異様に思える。彼処、何が在ったっけか。
『此◆は――◇◆事◇所があ◆た』
「んーと」
『◆処◇――確か、◆生の◇◆あっ◇』
「あー……なんだっけ?」
喉まで出かかってるんだけどな。いざ無くなってみると、何があったかって意外と思い出せないもんだ。何もなくなってるって事は何か新しく造られるんだろな。
入道雲が、青空に映える。
暑苦しいほどの夏が、足を引っ張っている。
それでも歩き続ければ、そのうち目的地にはたどり着けるというもので。
魔術という幻想を、人智としての道具に落とし込んだ。その事から、『壊れた神秘』という名前にしたとか。壊す、っていう表現が何ともしっくりくるな、と思った。
これでまた暑さとはオサラバ、ようやく涼める。
「こんにちはー」
庇の影になっている部分の取っ手を握り、チリンチリン、とドアベルを鳴らした。




