第06話 ◇りふ◆た◇憩
カフェ通りに差し掛かる少し手前。辺りに立ち込め始める、珈琲独特の芳ばしい香り。
「着いたぞー。此処だ」
「へえ、良い香りだね」
「だろ?」
木造の温かみのある庇の下のオープンテラスには、まばらな人影。
まだ、八月半ばにしては暑くはない。外でもお茶できなくもないってことだろう。
「さて、この店は司さまのお眼鏡に適いましたかねー?」
「それは勿論。入ろうか」
「ははー、仰せの通りに」
「何キャラなんだ、それは……」
苦笑いしたような司の背を押して、カランとドアベルを鳴らして入る。
なんだかんだ『珈琲&砂糖』に来るのも久々だな。ふわりと冷たい空気と、一層濃くなった芳ばしい香りが鼻腔をくすぐって。
それになんだか、何だろうか。名状しがたい感覚が、何か違和感が過ぎる。
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませ、二名様でしょうか」
「あ、……はい。二人です」
「かしこまりました。二名様、ご案内いたします」
何度か見たことのある店員さんが、ささっと案内をしてくれる。少し時間が早いからか、まだ席が疎に空いているな。
「こちらのお席へどうぞ」
「はい」
二人席、向かい合って座る。お、ソファがふっかふかだー。大体いつもカウンターで一人飲み食いしているから、この眺めは新鮮新鮮。
その間に店員さんが手際よくさっきは持っていなかったお水をコップに注いでテーブルに置いていく。いつ持ってきたんだろう、じゃなくって。
「司、荷物貰おうか?」
「いいや、荷物置きの籠があるから大丈夫だ。有難う」
「そかそか」
話している間に、さっと店員さんがランチメニューを広げてみせる。どれもこれも美味しそうで目移りするな。
「本日の珈琲は、イタリアンローストの特製ブレンド豆を使用したアイスカフェオレです」
はい、もうこれドリンクは本日の珈琲で決定ですね。
珈琲は酸味があってフルーティーな味わいよりも、後味すっきりなキレのある味わいの方が好きな僕にとって、『珈琲&砂糖』の特製ブレンドはドンピシャで好みの味。
「お決まりになられましたら、呼び鈴を鳴らしてお申し付けください」
「はーい」
「どうも」
うーん、どうしようか。トマトやニンジン・オリーブとかの野菜がたっぷりとハムが入ったサンドウィッチ、粗挽き胡椒が効いたローストビーフっぽいヤツとクリームチーズ、レタスのパニーニ。趣向を変えてエッグベネディクトや、目玉焼きが美味しそうなガレット。
「なあ、どれにする??」
「どれにしようかな。本当にどの料理も美味しそうで、これは決め難いね」
「だよなあ……。季節ごとにメニューがちょっとずつ違うから、来る度来る度迷いに迷いながら決めてるもん」
「ということは、結構前から通い詰めてるのか?」
「そんなに頻度は高くないけどなー。実は此処、絢香のバイト先だからさ。あんまり来れなくって」
「それは初耳だね。なら七海のことだ。今日はあの子が居ないから来た、ってことだろう?」
「流石幼馴染みモドキ。分かってくれてる」
「まあ、伊達に長い付き合いしてないからね」
「だな。……じゃなくて、早くメニューを決めないと」
悩ましすぎて会話に逃避してみたけれど、やっぱり本当にどれも美味そうで、どれも一度食べてみたい。かといって、いつまでも悩んでいたら料理は出てこないよな。さくっと此処は決めていかないと。
今日の気分はそうだな。うん、肉が食べたい。病み上がりだけど、いや病み上がりだからこそ元気が出そうなものを食べておきたい。がっつり肉が入っているのは、コレか。
「うし、決めた」
パニーニのセットに決定。飲み物は勿論、本日のドリンク。これで今日のランチは決まりだ。
「早いな。どれにするんだ?」
「これ。このパニーニってヤツ」
「それか。うん、美味しそうだ。じゃあ俺はこれにしよう」
「エッグベネ、……ベネディクトか。セットドリンクは決めたか?」
「うーんそうだな、アイスブレンドコーヒーで」
「おっけー、じゃあ注文するわ」
「よろしく頼む」
にっと笑って返すと、呼び鈴を鳴らす。リンゴーンという電子音らしくない、古めかしい鈴の音がどこか遠く響く。それに呼ばれたさっきの店員さんが戻ってきた。
「お待たせ致しました。ご注文をお伺い致します」
「このランチセットのパニーニを一つ、ドリンクは本日の珈琲で」
「はい、パストラミとチーズのパニーニのランチセットで、本日の珈琲ですね」
「それと、……このエッグベネディクトを一つで、ドリンクはアイスブレンドコーヒーで」
「エッグベネディクトのランチセットで、アイスブレンドコーヒーですね」
最早、此処までくると呪文だな。それを今時珍しくデジタル化していない紙の注文票へすらすらと書き込んでいる店員さんは凄い。意外と空中での書き取りは安定しないから大変なんだよな、僕も他所のバイト先でやってるから分かる。
「以上でお願いします」
「かしこまりました。ドリンクは先にお持ちいたしましょうか?」
「……どうする?」
「料理と一緒でお願いします」
「かしこまりました。メニューをお預かり致します」
司が手早くメニューを一纏めにする。それを受け取ると、店員さんはまた去っていく。
「流行ってるよなー、このお洒落た名前のヤツ」
ちょっと前に絢香が、『とうとうウチのカフェでもエッグベネディクトを出すようになったんだよね。試作してたんだけど、なかなか美味しそうだったわ』とか何とか早苗先生と話していたのを聞いたけど、この事だろうな。
流行物は廃り物だ、と店長はあまり流行りに乗らない人だし、意外なことだったんだろうな。こうして見てみると、考えていた以上に美味しそうではある。
「洒落てるかどうかはともかく、美味しいと思うぞ」
「ほお、そうなのか。でもなんか名前が言いづらくね? エッグ、……エッグベネディクト」
「エッグベネディクト。確かに、馴染みが無い発音ではあるね」
「お、上手いな。注文するとき、噛むかと思って自分の事ながら冷や冷やしたわ」
エッグベネディクト。言えてた、言えてたはず、だと思う。店員さんも聞き取ってくれてたし。と、普段表情筋が動かない司が、フッと笑みを見せた。
「……実際甘噛みしてなかったか?」
「いや! あれは未遂、未遂だってセーフセーフ」
セーフだと思いたい。てかそこで笑うなよ、あんまり発音したことないんだよ。こればかりは仕方ないのさ。
「ところで、なんだけれど」
「うん」
少し変わった声色。それが、何か重要なことを言うときの柳先生の素振りと同じ感覚を呼ぶ。眼鏡越しに視線を合わせる。なんとなく、何秒かずつおいて視点があってないような、珍しく遠慮しているような。
「少し、聞きたいことがあるんだけれど」
「? どーぞ」
「……あまり良い気分ではない話かもしれないけど、良い?」
「構わないよ、答えれる範囲で答えるから」
「本当に?」
こんなにも歯切れが悪い司はあまり見たことがない。つまりはそれなりの内容ってことだろうが、話題が分からないことには何とも言えない。
「勿体ぶるなって。ほら早く言え」
「じゃあ、遠慮なく。……成瀬は――」
「――成瀬は、今でも未だ。魔術を使いたいと思っているのかどうか。それを、聞かせて欲しい」




