第16話 知識とは力なりて
ぺら、ぺら、と、紙束を捲る乾いた音だけが響く。
「ううむ……」
すらすらと紙の束に眼を通せば通していく程に、師匠の表情は探偵モードの真面目なものへと変貌していく。魔術師の視点からだと、僕らの魔術学の指導内容はどんな風に見えてるのだろう。
まあ、今の論点はそこじゃないか。
「どうですか?」
「う~ん」
何回か見返した後、一度紙束から目を上げて師匠は口を開いた。
「魔術適正の測り方のように、明らかに意図して隠されている知識はなさそうだね」
「そうなんですか?」
「うん。いくつか足りないところもあるけれど、基礎知識としては、不必要と考えられるものばかりだ」
そう、か。何かまた柳先生が魔術について隠していることがあったとしたら、知られたくない知識を知るってのは意味があることだと思ったんだけど。そう簡単な話じゃあないってワケだ。
妙案だと思ったんだけどなあ。
「無駄足になっちゃいましたね」
「いいや、そういう訳でもないよ?」
僕の予想とは外れて、師匠の顔には微笑みが浮かんでいる。
「このリストが有ることで、私は君が魔術について何を知っていて、何を知らないのか。それが分ったんだからね」
「おおっと。それ程気に掛けてもらえているとは、嬉しい限りですね」
にいっと、口の端が上がるのを感じた。
「確かに、より効率的に魔術について教えていただけられるかと?」
「言ってくれるねえ。まあ、そのつもりで居るからね」
「よろしくお願いしますよー?」
今、その魔術の腕だけが、唯一僕と師匠の関係を成り立たせているもの。そのことを忘れちゃいけない、忘れてはならない。
魔術適正の件があった今。魔術学を教えてくれていた柳先生も、イマイチ信用できない。この状況で魔術についてちゃんと学べると僕が思ったのは、この人からだけだから。
「ところで。さっき言っていた足りないところについて教えてもらってもいいですか?」
「え? 嗚呼、勿論だとも」
ちょっと話題転換が強引だっただろうか。まあ、いいか。教えてもらえるなら問題ないな。
少し不思議そうな顔をしながら、師匠はぺらぺらと紙を捲る。そして、紙束の内の二枚を引き抜いて僕に見せた。
「ちょっと気にかかったのは二つだね。この魔術結界の種類ついてと、魔術詠唱について、かな」
魔術結界の種類に、魔術詠唱についてか。どちらもなんだか重要そうな気がするけど。
「それじゃあ、魔術結界についてからお願いします」
「分かったよ、では早速。足りないのは、魔術結界の種類についてだ」
「種類、ですか」
「そう。――防御結界については、知っているんだよね?」
「はい。結界内の結界外の境界を強固にすることで、外部からの攻撃などから内部のものを守る術、と」
「その通り」
確か、中学に上がった後に習ったはずだ。実際に見たことはない。魔術の素養ゼロな僕には、勿論起動すら不可能だったし。その所為で、二人組の模擬魔術戦では、絢香の防御結界のお世話になりっぱなしだった。
いつか、僕も使えるようになれたら。アイツの負担も減らすことができるだろうか。
僕に掛かっている魔封じの術を、完全に解いてもらえたらの話だけれど。
「だけれど、それ以外にも魔術結界には種類があってね。大まかに分けると二つ」
「二つ、ですか」
「嗚呼。特殊結界と、後は特有結界というものだ」
師匠は、順にすらりとした指を二本立てる。口から出てきたそのどちらもが、初めて聞いた単語だ。
魔術結界。界を結ぶと書くように、魔術によって限定的に位相をずらした世界を結実させる術。それを防御以外の目的で使うことがある、ってことか。
「まずは一つ目、特殊結界についてから話していこう」
「はい、お願いします」
「では。特殊結界というのは、防御以外の用途で作成される結界全般を指していてね。その内側に特殊な力場を発生させるものなんだ」
「特殊な力場? って、例えば何でしょう?」
「ん~、そうだね。結界の中のものを腐らせない、とか。真空状態にする、あるいは水で満たす、とかね」
何だか実用的な例えしか出てこないけど、何となく想像がついた。結界の内側に対して、特殊な条件を付すことが出来る、っていう感じなんだろう。
「つまり、防御以外の特殊な状態を結界の中の空間に付与する、というのが特殊結界という訳さ」
「……成る程、特殊結界というのは理解しました」
そこで、一旦区切り、というように師匠はクッキーを一つ摘むと口へと放り込んだ。僕も今のうちにいただいておこう、ティーカップに手を伸ばす。カップの縁に口をつけるだけでもう。
あー、ふわっと良い香りが立ち上って鼻を擽ってくる。
香り良し、味良し。至福のひと時。
お互いそれぞれ味を楽しんでひと段落したところで、緩んだ顔を引き締めて。僕から質問を投げる。
「では師匠、特有結界というのは?」
防御の為、特殊な効果を付与する為。それ以外に、どんな定義の結界があるんだろうか。
「うん、二つ目の特有結界というのはね、その人の強い想いや深層心理、あるいは心象風景が魔力と結びついて出来る、いわば個人特有の結界さ」
「個人特有の、結界……」
んー、いまいちピンと来ない。そもそも魔術の定義だけを聞くと、性質上仕方ない部分もあるけれど曖昧な定義が多くて、どうにも僕にとっては想像しにくいんだよな。
そんなことを考えていると、分からないって表情を浮かべていたらしい。ふっと視線が合うと、師匠は苦笑を浮かべていた。
「例えば、ね」
一つ区切って、師匠はティーカップをソーサーごと両手で手に取る。そして、アールグレイの赤みがかった茶色の水面を眺めながら、続けた。
「ある人が居て、彼には大切な人が居て、不慮の事態で幼くして亡くなったとして。守れなかったことが、とてもとても無念だったとして。その時に」
「その、時に?」
「……その人の、『無念だった』という強い想いが、大切な人と明けない夜の町を過ごすという歪んだ世界――つまりは、特有結界を作りだしてしまう、とかね」
師匠はそう告げると、少し目を伏せたようにしてからティーカップを傾けた。たとえ話にしては内容が具体的だったのは、きっといつかどこかで師匠自身が体験したから、だったりして。
「つまりは、その人のみが、その個人だけが持ち得ることができる結界、って感じで合ってますか?」
「そう。他人と共有することができない、その個人だけが結ぶことができる世界、という具合かな。まあ、とはいっても滅多に特有結界を起動できる人はいないけれど」
私も、数えるほどしか見たことないよ。と、師匠は続ける。
そう言われると一回見てみたくはあるけれど。魔術師で探偵してる師匠が数えるほどってことなら、僕は一生掛かってもお目にかかる事さえ無いかもしれないな。
「まあ、分類としては特殊結界の中で殊更に特別な術が特有結界、といった感覚かな」
「成る程。有難うございます。大体ですけど、理解ができたかなと」
「お、そうかい。流石我が弟子、飲み込みが早い〜」
「それは師匠の教え方が良いからじゃないんですかねー」
「えっ、そうかなぁ?」
僕の言葉に、明らかに口元が緩んでへらっとした笑みになる師匠。こんな誉め言葉で軽率に上機嫌になるのは、いくらなんでもちょろすぎて心配になるぞ。
「まあ、冗談はさておき。次は魔術詠唱についてお願いします」
「え、冗談だったの……?」
へにゃりと師匠の眉尻が下がった。僕は無言で、にっこりと作った笑みを先生に向ける。
「うう、分かったよ。魔術詠唱について話せばいいんだろう?」
「はい」
「そんな君の素直なところは、嫌いじゃないけれども。傷心中の私に代わって、詠唱について簡単に振り返ってみてくれるかな」
そう言うと、ちょっとだけ口をへの字にした師匠は、がじがじと摘まんだクッキーを齧る。なんかハムスターっぽいな。髪色的にもジャンガリアンかな。
待て違う違う、そうじゃない。
「かしこまりました~」
初心忘れるべからず。ちゃんと魔術について教えを乞わなければ。
「二つある魔術を起動させる方法の一つで……、行使したい魔術とその魔術陣を知った上で、あらかじめ魔術を起動する為の言葉を宛てがって唱えることで、術式起動を行う、ってのが魔術詠唱ですね」
「そう、そうなんだけどね」
そこで、一息に何枚もクッキーを食べたことにより、口の中がぼそぼそになったらしい。師匠はティーカップを手に取って、ごくりと失われた水分を補給してから口を開いた。
「此処で質問です、ナナミ君」
「はい、師匠」
「言葉を口に出すときに、必要不可欠な事は何でしょう?」
「ええー」
うおう、急に来た来た。曖昧模糊な謎のクイズ。
「うーん、さて。何でしょうね?」
「こーらー。質問に質問で返さない!」
にへらっと笑って返してみるが、誤魔化される師匠じゃないか。ちぇっ。
言葉を口に出すときに必要なもの、ねぇ。普段話をするときに、無意識下で何をしているかってことだよな。
「ふうむ」
「そう難しく考えないで良いよ。こうして話している言葉の中には、どんな要素が含まれているかな?」
「言葉の意味、とか?」
「うん、それもあるね。その他には?」
「それの他に、ですか?」
挑戦的に、それでいて穏やかに師匠が見ている。
意味。それ以外に喋ってる言葉の中含まれている要素、か。話をする、意味を紡ぐ、その他には何があるだろうか。
こういうのは、連想ゲームだ。詠唱、言葉、意味、話す、声。
「音、だったりして?」
「そう、大正解!」
にっこりと満足そうな笑みでそう告げられる。確かに、音も口に出した言葉の構成要素ではあるけれど、首を傾げたくなる。
「言葉の音が、詠唱とどんな関係が?」
「ふふ、それはね。言葉だけじゃなくて、音の列――音列も詠唱に成り得るんだよ」
音の列が、詠唱になる、とは。
「音を言葉の代わりに、術式に宛てがう、と?」
「そういうこと。特定の音階を術式に固定することで魔術詠唱とするんだ」
つまりは極論、ららららら〜って歌うと魔術が起動するってことなのか。これは知らないと困る知識だな。
「実のところ、口笛だけで魔術を起動する魔術師だって少なくない」
「ええ、そうなんですか!?」
「うん」
そんな、口笛だけで魔術を起動させるなんて、本当にまるで御伽噺やゲームに出てくる魔法使いみたいじゃないか。やってみたい。
「以上が足りてないな、と思った知識についての補足だよ」
「教えていただき、有難うございます。言葉じゃなくて音を宛てがっても、詠唱は成り立つんですね」
「元々口から紡ぐ言葉自体、イントネーションとして特有の音列を為しているからね」
「! 確かに」
合成音声ソフトを使った歌とかを聞いたことがあるけど、人の歌を比べると音階の数とか、歌詞になってる言葉自身に含まれる音のニュアンスが足りない。それだけでもだいぶ違った印象になるもんなあ。
「話し言葉だって平坦な音じゃなくて、抑揚っていうか、微妙な音の上がり下がりがありますもん……」
「そうそう。だから、そこから音の高低に重きを置いた歌唱や、意味を削った音列でも、魔術を起動できないことはないんだよ」
「成る程、ですね」
言われて納得だ。魔術学にて、儀式などで使われる祝詞もある種の魔術詠唱の側面がある、と言っていたのを覚えている。
師匠の話も加味すると、日本の雅楽の音色や、神楽鈴の音色も何らかの魔術詠唱に似た力を持っているってことに成り得るし、実質そんな気がする。厄払いとかで使われる大幣、祓串の独特の紙が擦れる音とか、どことなく神聖な感覚がするし。
「……また一つ、魔術の知識が増えました」
「私も、こうして他人に教えるのは新鮮で楽しいよ」
ふにゃっと笑みを浮かべて師匠はそう言うけど、手際の良さからして教え慣れている感じがする。いや、ただ単に教え方が上手いのか?
たまたま出会ったのが、胡散臭くはあるが師匠で幸運だったってことなんだろう。
「では。今日の魔術講座はこれにて終了、かな」




