第14話 御影市立図書館
暑い。ただ暑い。こうも晴天の昼間を歩くなんて全く、師匠は日本の夏の暑さを舐めているのか、あるいは知らないのか。夏は暑いのが仕方ないけれど、暑いと思わず言ってしまうほど暑い。
そんな昼間の炎天下を歩きに歩いて着いた図書館はやっぱ。
「はー……さいこう」
「語彙力をどこに置いてきたんだい、ナナミ君」
「とけました。あつさで」
図書館特有の静けさを前に、ぽそぽそと小声で返す。師匠のホットティーをちゃんと飲んで、水分補給をしておいて良かった。
探偵事務所から市立図書館まで距離はそんなにないけど、疲れてるし、やっぱ暑いものは暑いし汗かくし。
「そうかい。図書館でまた固まるといいね」
よく分かんないこと言ってる隣の人は、案の定嫌味なくらい涼しい顔で汗一つ見せてないし。此処まで差があると、同じ人間とは思えない。じゃなくて。
「師匠」
「なんだい、我が弟子」
「――どーやって探します?」
入口で立っているのも通行の邪魔なので、腕を引っ張って中の方に先導する。書籍を探すとしたら……取り敢えず。
「あそこに書籍検索機ありますけど」
「それで探せると思うのかい?」
体調は大丈夫ですか、とでも言いたげに珍しく戸惑った顔を見せる。
「まさか。冗談ですよ」
「良かった、ナナミ君の知性まで溶けちゃったかと」
「んなわけねーじゃないですか」
おいそこ、心底安心したような顔をするな! 流石に暑くても本気で言うわけないだろ。ったくもー。
「んで。……どうやって探すんですか?」
――魔導書は、傍目にはただの本と変わりない。特に神秘なんて全く理解らない僕にとっては尚更。今なら違いが分かるかもしれないけれど。
ちらりと見ると、きょろきょろと師匠は辺りを見渡した後、僕を見た。
「ちょっとコツがあってね。とりあえず、今回は私が探そう」
そう告げると、ぎゅっ、と目を瞑ってから軽く目頭を揉んで、目を開く。
「その間、ナナミ君には逸話について調査をお願いできるかな?」
にっこりと笑った顔。視線を合わせればちょっとだけ、見える虹彩の色合いが違うような。これがコツってヤツだろうか。
ま、今度教えて貰えばいいか。
「りょーかいです」
「じゃあ、一時間後にまた此処に集まろう。それじゃ、解散」
師匠がふらりと本棚へと向かうのを見送ってから、ぐーっと一つ伸びる。
さて、と。
逸話。街の逸話なら地域史とか郷土史に分類されるだろうか。
それか、はたまた歴史文献に分類されるのか。いや、でも師匠曰く御影でしか存在していない逸話っていうか現象だって言ってたし。
やっぱり、地域史とか郷土史になるのかね。棚は、っと――あっちか。
涼しい空気でもう既に汗も引いてきた。あとちょっとお腹空いたな。段々と暑さでぼんやりしていた感覚も研ぎ澄まされてきて、図書館ならではの本の匂いとか、人の歩く音だとかが心地良い。
夏休みってのもあって勉強している学生とか、本を読みに来たチビッ子や、音楽や雑誌を楽しみに来ているお年寄りの人もいるな。結構利用している人が多くて驚きだ。
おっと、この一帯の棚かな。
地域史、郷土史と書かれた棚。意外と多いな。一冊ずつ背表紙を見て、関連していそうな本をピックアップしていくしかないか。
『御影ができるまで』、『御影市構想』、『御影タワーの建設』。そうか。御影は計画都市だから、その成り立ちとか着工からの変遷とかが大量に書籍になっているのか。
『計画的ニュータウン』、から『計画都市の必要性』。いや、違う、こういうのじゃなくて。
* * * *
んー、見つからない。本当に無い。逸話のいの字も見つからん。何週目したかも分かんないぐらい回っても、御影についての本で逸話が載ってないってどういうことだ。
これも神秘だからということか。あるいは、名状しがたき概念のみの存在なのか。
ア行の最初のあたり、『紅い月夜の魔物』。紅い月が昇ると、子どもを狙う魔物――魔力の塊だったけど――が湧き出てくるって話。子どもの夜遊びを止める為の脅し文句じゃないことは身を以て知っている。
少しその後ろ、『イツツ杜の扉』。緑地公園、イツツ杜にあるはずのない扉があるという話。断続的に噂話が流布して、真実を見た人が多くはないものの、その存在を信じる人は多い筈だ。
あと、少し場所が飛んで、サ行の真ん中あたり、『終焉の鐘』。全てが終わる時に鳴り響く、それだけの噂。鐘っていっても、市内の学校とか市役所とか、後は、この図書館とか市役所とか。
特定の一つの鐘を指しているとしたら、市内に鐘は沢山ある。御影のシンボルとして市内の施設に多く取り付けられてて、どれか分からないな。
はー、何処にも欠片も気配もない。
と思っていたが。ふと、視線が釘付けられる。
何だこの本、違和感がある。文庫本サイズの、何の変哲もない厚みの無い本。背表紙に題名がないからか。いや、題名が背表紙にない本は他に合った。
あ、これ。ラベルがないんだ。
図書館の本は、その全てが管理ナンバーのラベルが付けられているはずだ。引き出してみても、表紙、背表紙、やっぱり何も書いてないし、裏表紙に貸し出し用ラベルも付けられてない。
開いて見ると、紙の縁が黄ばんで、使い古されたっていうか、日に焼けたみたいな感じだ。何も書いてない白紙が続いて、これは。
『後継の為、此処に記す』
手記、のようだった。
丁寧な文字で、ただそう書かれたページ。これは誰かの私物、と考えるのが妥当か。
にしても、後継とは。
何か、後を継ぐ人がいる、と分かっていて書いたのか。それとも居て欲しいと思って書いたのか。
ページを捲る。
『迷い込んだココについて』
迷い込んだココ、って御影市のことか? いや、でもそれなら迷い込んだ、なんて言葉は使わないか。
『一見普通であるが よく観察すると異常性が多々見られる』
『人々は何も知らない? それとも』
『これは私のみが認識できているのか』
少し行間が空いて。
『調査を続ける』
ページが破かれた痕、白紙が続いて――ページを捲ると。
『不気味な赤い月だ』
紅い月ということは、やっぱ御影について書いてあるのか。迷い込んだ、ってのは何だ、たまたま辿り着いた? でもそんな隔絶都市じゃないはずだ。
『この街にはいくつか逸話があるらしい?』
つまりは、神秘を纏う逸話のことか。これを書いた人も、逸話の異常さに気が付いたんだ。
『どれも不可思議なものだ』
次のページ。
『逸話』
『街の教訓とも考えられる』
『暗喩の可能性も』
暗喩。直接的でない比喩、ね。確かに、街に古くからある伝承とか風習とかは、形を変えてわらべ歌とかそれこそ、逸話になったりすることが多い。
『何故こんなものが』
『本来必要がないもの』
『誰かへの何らかのメッセージ?』
必要がない。それに、メッセージ、か。街全体に流布するような逸話が、誰かに充てたメッセージって解釈はちょっと興味深いな。
間隔を空けて。
『もう少し調べる』
また何枚かページが破られた痕がある。次は、あ、あった。
『一つ分かった あれは道だ』
『私のような者の為の』
道。御影に通じる道、ってことか? 私のような、っつーことは“迷い込んだ”人のための道。あれ、とかこれ、って濁して書くなよ。いやはや後継の為ならちゃんと書いて欲しい。
『想定されていたということか』
『誰が為に此処まで周到に練る?』
『意図されているのか』
練られている、仕組まれている。この御影には何かがある、何がある?
『これでは まるで』
まるで、何なんだ。読めない、何でそこをぐちゃぐちゃと塗り潰した!?
まだ、まだ何か書いてないのか?
ページを捲ると、文字。
『私は ココを出なければ』
『しかし』
『このままにするのも忍びない』
『これは置いていくことにする』
『どうか 役立ててくれ』
『この世界は』
この、世界は。
『神秘だ』
なんだよ、世界が神秘って。良い感じにまとめたつもりか?
足りない、全然足りない。何か、他には。
最初から最後まで、本の隅から隅までもう一度見直さないと。ページの破かれた痕、まばらな文字。ん、あれ。表紙カバーの裏、隅の方に何か書いて――。
「……え?」
『気を付けろ』
『どこに“目”が有るか』
『分からない』
わざわざ此処だけ、ダブルクォーテーションマークで強調されてる。目、目ってなんだ。ただ単なる目、という意味ではないとしたら。
目。ひとみ、まなこ、人の目。
そこからとんとん拍子で連想されるのは。
――監視。
何食わぬ顔で本を閉じて、棚に戻す。隠れた場所に言葉を濁して書かれていたってことは、必ず理由がある筈。
それにこの本は、市立図書館の本でないのにも拘らず、地域史・郷土史の棚の中で唯一逸話について述べられていた。
図書館の棚のどこでもなく、この棚に置いたのだとすれば。
その理由は一つ。
逸話を追って文献を探す人に、見つけて欲しかったんだろう。
そして僕が読んだワケだが、自身の体験を少しでも伝えたかったにしては情報不足な気がする。
いや、そうならざる終えなかったとしたら。最後の警告とも取れる文は、何者かに見られていたという確信があったからとしたら。
当然、此処に置いたと言うことも知られている筈だ。無数のページの破り痕は、知られたくない情報を消された痕跡だと考えても道理がある。
つまり、あれは何者かによる検閲が入ったということ。
作為的な妨害。にしては杜撰は気もするけど、御影の逸話に隠された何かについて、暴かれたくない者が居る可能性が浮上した。
それに、筆者は御影に迷い込んだ、と書いていた。ということは事は、そもそもこの街に、この街の存在に馴染みのない人だったのだろう。
ごくり、と唾を飲んだ。あの手記とそれに伴う仮説を全面的に信じるとすると――。
「ナナミ君!」
「……師匠」
ようやく見つけた、と本棚の間を進んでくる師匠。何でこっちに。
「もう、時間になっても集合場所に来ないからどうしたかと思ったよ……」
「え」
バッと腕時計を見る。う、確かに一時間経っている。
それで探しに来てくれたのか。悪いことしちゃったな。
「すみません、探すのに熱中してました」
「構わないさ。本当に、我が弟子は真面目すぎるきらいがあるみたいだ」
「褒めても何も出ませんよー」
呆れ混じりな笑顔についついニヤリと笑みを作る。最早、真面目が取り柄みたいなところあるな。
「それで、何か見つかったかい?」
真面目な顔に戻って、軽く首を傾げつつ聞かれる。首を振りながら口を開いた。
「いえ、何も見つかりませんでした。師匠は?」
「此方も、魔導書は見つからなかったよ。取り越し苦労、ってヤツだね」
ふぅっ、と息を吐いて、苦笑を浮かべた師匠。そのタイミングで、静かな館内でぐー、と腹の音が鳴った。
勿論、師匠な訳がない。
「さてはナナミ君。お腹空いてるね?」
「……空いてますケド」
なんでそう傷を抉るかなこの人は。スルーしてくれたって良いだろが!
時間は正午を少し過ぎた頃だし、朝からチビッ子の相手とか同級生の相手とかしたし、そりゃお腹減るってばよ。
「じゃ、ご飯食べに行くとしよう」
「そですね」
ふわっとした微笑みに頷き返す。うん、大丈夫、きっと隠せているはずだ。
回れ右して歩き始めた背中を追う。
師匠は、どっちなんだろう。
手記を全て信じた訳じゃないけど、御影に馴染みのない人が偶然にも此処に居る。
観光客の少ないこの御影に引っ越してきて、そして逸話について僕に教えてくれた師匠を信じたい。信じたくはある、けれど。
ちゃんと、一度考えないといけない。
敵が味方か、を――。




