第13話 魔力の色と魔術適正
「嗚呼。よく気が付いたね、我が弟子」
師匠は笑みを深めていた。なんていうか含みのある、真意を隠した笑み。こういうときに自称ながらも探偵の気質が伺えるんだよな。
「実は『珈琲&砂糖』から帰ってきた後、君が寝ている間にまあ、ちょいちょいっと魔術を掛けさせてもらったんだ」
片目を閉じて、その瞼を指差す師匠。
「やっぱり、そうでしたか」
「うん、ごめんね?」
成程、カモフラージュとして瞼に魔術を掛けたのか。
思い返してみても、誰かに目の色について何も言われた覚えはないし、鏡の前で違和感があったこともない。瞳の色が変わったなら、一回くらい鏡でまじまじと見ると思うし。
黒色、だったもんなあ。
というか、師匠が謝ったということは、これはつまり、だ。
「……魔術を掛けたのはいいものの」
「……」
「……うっかりしていた、とか」
「……」
「……伝え忘れていた、とか」
「……てへ?」
にへらっと笑ったこの反応は確実に図星。ご丁寧に自前のスクリーントーンも背景に入れやがって、全くもう。ちっともしおらしくならないのが、なんとも師匠らしい。
「いやあ、無断でやったのは悪かったと思っているよ……?」
じっと見つめながらそう言う。けれど、けれども、だ。一見悪びれているような言葉なのに、声色に特になんとも思っていないのが滲み出ているんですよね。なんでわかってしまうのか。
はあ、この件についてはもう何も言わないことにしよう。
「何から何まで、有難うございマス」
「どういたしまして~」
「それで、もう一つ質問なんですが」
「うん、何だい?」
急な話題転換にも微笑を浮かべる師匠。その髪は亜麻色で、その瞳は青い色。対して、僕の目は確か、それよりもちょっと明るい水色みたいだったはず。
「……発現する魔力色素の色によって魔術の属性って違うんですよね?」
「ああ。大まかにはそうだね」
魔力の色は、魔術の属性の色だ。
戦いの中で僕の目に映った、駿や司、幸太の魔力の色。あれも、大体これに準じているはずだ。まあ、初めて見たから何とも言えないけど、推測は出来る。
「じゃあ、僕の魔力色素としては、魔術の適正とかはどうなのでしょう?」
駿は風を操るのが得意だったから、四元素の区分で氣に属するんじゃないか。地形変化をしてくれた幸太は、土に馴染みが深いから言うまでもなく、四元素・五行思想のどちらもある土の属性。
ただ、司の幻惑魔術はよく分からないけど。魔術学の授業でも、法則の外側にある特殊な魔術って言ってたから、この枠組みじゃあ捉えられないってことだろう。
「うーん、ちょーっと失礼」
「はい?」
そう言うと、師匠はソファから腰を上げる。んでこっちに手を伸ばして――。
「……っ!?」
何で、下瞼を引き延ばされてるんですかね、僕。
「あの……師匠?」
「うん?」
語尾を上げても可愛くないから。とりあえず大人しくしておいた方が身の為、てか目の為。だいぶ見慣れてきてはいるけれど、やっぱ師匠にじーっと視線を合わされるとちょっと恥ずかしい。
「師匠、……?」
見慣れない青色が、空みたいな瞳が見える。
「――君の目の色は、空色だねえ」
「え? ……あ、そらいろ、ですか」
目の色見てたのか。パッと手を離して、師匠はソファへと座り直す。
本当、先に言ってくれないとビックリするからやめて欲しい。今回は仕方がないことなので何も言わないけどさ。
「うん、綺麗な空の色さ。降霊魔術の適正があると思うよ」
「レルム・マギア――降霊魔術ですか? ……じゃあ、四元素とか五行思想ではどれに属するんでしょう?」
あれだけ出来損ないと、落ちこぼれだと言われ続けた僕にも適正がある。それだけで何だかわくわくするなんて言ったら、確実に子どもっぽいって絢香に笑われるな。言わないでおこう。
「ちょっと、ナナミ君」
「なんでしょーか」
「魔術の属性について、君はどこまで習ったのかな」
「? どこまでも何も、……今さっき言ってた四元素と五行思想が全部ですよ」
魔術の属性は、基本的に四元素と五行思想に則って考えられているって聞いた。つまりはさっき師匠に言ったのが全てで、魔術ってそういうものなんだと聞いている。
「例外としてその枠外にある反魔力術とか、魔封じの術とかがあるって……」
「そうかい。ますますよく分からないな、君の言う魔術学の先生とやらは」
師匠のテノールの響きが、少し低くなった。
「反魔力術や魔封じの術は、確かに特殊な魔術だし、四元素や五行思想は現代でも根源的な考え方として導入はされてはいる、が……」
その顔には理解できない、という表情を浮かべている。
「つまり、簡潔にどうぞ?」
「現代では、その適正の測り方は廃れているよ」
なんと。
「今では――魔力の色から魔術の適正を考える際には、魔術の系統・種類ごとの性質で適正を図るのが一般的だ」
「ほお……?」
思ってたより低い声が出た。授業で聞いている話と違うぞ、柳先生。
つい昨日まで、神秘なんてなんぼのもんじゃい状態だったのだ。だから魔術についてはそうだ、と言われたら、そうか、と思うしかなかったのに。
「いやいや、両方ともいつの時代の思想だと思っているんだい? 現代に至るまで、どれだけ時間が経っているか。分かってるかい?」
珍しく感情を露にして、割と真面目に師匠が何を言ってるんだという声色で畳みかけてくる。それが当たり前だと思ってる僕としては師匠こそ何言ってるんだという話で。
「ざっと、二千五百年、とか?」
だけど、確かに、一理あるかもしれない。温故知新とは言うけれど、どんな学問も時代と共に進歩している。
「訳が分からないという顔をしている割には、近い値を繰り出してくるね」
大したものだ、と師匠は苦笑いをした。ただ、口の端を上げて返す。魔術学については記憶力だけが勝負。四元素と五行思想、どちらも紀元前の思想だったことは確かだ。
「魔術、というものが、自然現象に働きかける自然魔術のみだった頃はそれで事足りたんだけれどね」
自然魔術――確か、風や土みたいな自然物に働きかける魔術のことだったっけか。じゃあ駿や幸太の魔術は、自然魔術の一種って訳だ。
「時が経って、人々の神秘に対する意識も変化していく中で様々な種類の現象が神秘的、ひいては魔術として捉えられるようになった。段々と、四元素や五行思想の考え方だけじゃ足りなくなってしまったんだよ」
「成程、納得ですね……」
昔は、それだけだった。だから事足りた、と。
でも今は違う。司の幻惑魔術なんてその筆頭じゃないか。それをわざわざ、魔術というものの認識を捻じ曲げてまで。
「何で、教えてくれなかったんだろう」
柳先生はどうして、そんなまどろっこしいことをしたのか。
「うん、私がよく分からないのは其処、なんだよねえ」
一息ついてから師匠はティーカップを手に取って、一口飲んだ。
「昨日の魔術講座で、ナナミ君が魔術に対する基礎知識を持っているだろうことは推察できた。魔術学、というのはちゃんとした授業なんだろう」
「必修科目ですね」
「じゃあ、どうして魔術適正の図り方、過去から変化した魔術の捉え方という基礎知識は教えられていないのか?」
かちゃり、と置かれたティーカップ。師匠は顎に手をやって、考えこむ仕草を見せた。
「魔術を学問として使っていて、更には魔術の実践も行っているならば、魔術適正は必要な知識だというのに。教える知識と教えない知識、その線引きは?」
必要な知識。でも教えてもらえない知識。知っているのに教えないという単純な構図だったら、理由はこれしかないと思う。
「……知られたくないから、ですかね」
不都合が生じるから。何か不利益が生じるから。教えない。
街に潜む、神秘を纏った逸話に、隠されていた魔術学の理論。何かが意図的に、作用している結果のように感じられる。
師匠は少し驚いた表情をした後、何故か生暖かい目を向けてきた。
「かも、しれないね」
「何ですか、その視線は」
「いや、ナナミ君は本当に逞しいなって」
マドレーヌを口に放り込んで、打って変わって普段と変わらない笑みを浮かべていた。そりゃあ、ある程度逞しく生きていかないとやっていけないからな。
「ほらほら、ナナミ君も食べなよ〜。折角のマドレーヌも余ったら、勿体無いだろう?」
「あ……はい、じゃあ頂きます」
マドレーヌを摘んで囓る。優しい甘さに、頬が緩む。いやこれ本当に美味しいんだよな……何処で買ったんだろ。
「ナナミ君は美味しそうに食べるねえ。ふふ、餌付けのやり甲斐があるよ」
「餌付け!?」
美味しそうに食べる、はよく言われるけど、餌付けって、餌付け。
「……鳥の雛じゃないんですから、言い方考えましょうよソレ?」
「うーん、なんだろう。手懐け甲斐がある?」
やっべぇ、きな臭い言葉しか出てこない。
「師匠への信頼度が下がりました、今」
「ワタシ、日本語、ワカリーマセーン」
「うわ、それ本当に言う人居るんだ……。後、それは出会い頭の初手以外では使えませんよ」
「えぇ、駄目?」
「ダメ。どんだけ流暢に日本語を話してると思ってるんすか」
しょんぼりした顔で首を傾げて見せる。それをやったら許されると思ったら大間違いだぞ、師匠。ティーカップに手を伸ばす。マドレーヌで口の中がぱさぱさする。
飲んでいると、また一つマドレーヌを摘まんでから、師匠は真面目な表情に戻った。
「まあ、それはさておき」
「さておくんですね」
「……さておき」
二回言った、わざわざ英語に変えて二回も。
真面目モードに入ったので突っ込まないでおく。
「逸話についての調査と一緒に、ナナミ君が習っている魔術学の内容についても、確認をしなくてはならないね」
頷いて返す。僕が知らない魔術学のことと、御影の逸話は関連が無いかもしれないけども、足りない知識を教えてもらう事で、僕でも師匠の役に立つ可能性が広がる。ま、元々そういう約束だしな。
「じゃあ今日帰ってから、魔術学で習った内容について紙にまとめますね」
「うん、そうしてくれると有難いな。教科書とかは、有るのかい?」
「いえ、よく考えたら無いですね……。基本的には先生が黒板に書いたり、口で話すのをひたすら書き留めるって感じです」
「矢張り、そうなんだね」
小学校の時は座学ってよりはフィールドワークが多かったな。聞くより慣れろって言うスタンスで、中高になってから法則とかを勉強して――その全部が柳先生の口伝だった。
「まあ、下手に書物に力が宿っても困るからね」
「魔導書、ってヤツですね」
「それそれ。危険だからね~」
魔導書。魔術について書かれた書物。ごく、ごく稀にだけど、書物自体に魔力が宿って悪さをするとかしないとか。実物を見たことがないから知らんけど。
「……そういえば、この街に図書館はあるかい?」
思い出したように師匠は言う。図書館、図書館なら確か学校の近くに。
「市立図書館がありますよ」
「ふむ。では、一息ついたら今日は其処へ行こうか」
「図書館に?」
市立図書館か、久しぶりだな。受験の時は涼しいし、静かで教材も沢山あることから勉強が捗るのでよく使ってたな。
魔導書の話題の次に、図書館の話題。
「ということは」
「うん」
にこりと微笑んで、師匠は予想通りの言葉を言う。
「一つ、魔導書探しでもしようかと思ってね」




