第12話 探偵事務所にて
腕時計の針は、九時五十五分くらいを指す。
インターホンを鳴らすと、リンゴーン、とベルの音が響いた。間も無くして扉が開いて、見慣れない亜麻色の髪が広がる。
「はいはーい」
「おはようございます、師匠」
「ああ。おはよう、ナナミ君」
出てきた師匠は、長い髪を結わえずにふわふわと揺らしていた。扉の間から流れてくる空気が涼しい。
「ところで」
「なんでしょ?」
何だろ。いやに良い顔で、いやにまじまじと顔を見られるとか恥ずかしい。
「……砂遊びでもしてきたのかな?」
そう言いながら、微笑みながら師匠はほっぺを指差す。手の甲で頬を拭ってみると、茶色い土が付いていた。
「あー……これは話すと長くなりますね」
「じゃあ、中に入ってからとしようか」
どうぞ、と誘致されて中に入ると、外の暑さが嘘みたいな涼しさだ。文明の力に感謝しかない。いや、昔はそもそも外気温がもっと涼しかったんだっけ。まあそんなことはいいや。
「それで、どうしてそんな砂だらけになってるんだい?」
「や、えっと、ですね」
案内先は何故か洗面所兼風呂場。ホテルとかでよく在るユニットバス、っていうヤツだ。立ち止まって振り返った師匠は、苦笑いをしていた。
「それは、かくかくしかじかで……」
掻い摘んで事の顛末を話す。
結局、戦闘にかかったのはものの三分程度だった。
我ながら天晴れと言いたくなるほどの作戦勝ちのスピード決着。最終的に怪我をしたのも僕だけだったし、結果としては上々だろう。
おまけに、ダガーを使った戦いについても身を以て知ることができたし。
三人はこれからまた遊びに行く、とか言って御影中中学校で別れたけど……僕がこんなだったら彼奴達もそこそこ砂だらけになってる筈だ。その状態で大丈夫なのだろうか。
ま、どーにかするか。
最後の最後まで、今度こそ勝ってやるからな、とかまた負けるフラグを駿は立てていたのには笑った。
「……という訳で、大変だったんですよ」
「それはそれは、朝から災難だったねぇ。学校では、魔術を用いた戦闘も行っているのかい?」
「はい。魔術学の授業の一環としてやってますよ」
「ふうむ、そうかい。じゃあとりあえず」
そこで一拍置いて、師匠が指さしたのはバスタブ。これまた絵にかいたような猫足で、センスのいい逸品だ。
「シャワーを浴びなさい。……そのままでは居心地が悪いだろう?」
「うぁっ!?」
いやいやいや待て待て待て!!
「や、イヤイヤイヤ……」
「嫌々、じゃないの」
「いや、そういったイヤじゃなくて」
「じゃあどういったイヤなんだい?」
「どういった、と言われましても……」
むっとした顔をされても困る。だって、何というか、そこまでお世話になるのも良くないし、倫理的なアレとかソレとかドレミファソラシドとかあるだろ多分!!
「っていうか論点ソコジャナイ」
「そうだね、話を戻そう」
焦ってるのが僕だけなのがなんか癪に触る。なんでそんな余裕綽々なんですかね。
「まあ、衛生的にも良くないだろうし。我が弟子には、身綺麗でいて欲しいと師匠は願っているんだよう」
「本音は、なんですか」
引っかかる言い方に突っ込むと、うへえ、という顔つきをする。じーっと見つめると観念したように溜息を吐いてから、師匠がぼそっと告げた。
「……砂だらけで歩かれると掃除が面倒だなって」
「申し訳ございません。申し開きのしようがないです入ります!!」
直ぐ様頭を下げて、有難くシャワーを浴びた。それはもうしっかりと。
* * * *
持参のタオルで大まかに頭を乾かしてから、荷物片手に応接間に向かう。多分、話をするとしたらそこだろうと思った。そして考えは見事に的中。
「お風呂頂きました」
「おかえり~」
はにかんだ師匠はソファに深く座り、優雅にティーカップを傾けていた。ローテーブルにはティーポットともう一つ、空のティーカップ。加えてお茶請けとしてマドレーヌがお皿に綺麗に並べられていた。美味しそう。
その間も何故か、師匠から微笑ましそうな視線を感じる。
「どうかしました?」
「うん、いいね! 似合ってるよ」
「ソウデスカ……」
再度、着ている服を眺める。
師匠サイズの大きな半袖シャツにループタイ。どっから引っ張りだしてきたのか分からない、七分丈のズボン。ご丁寧に細身のベルトも置いてくれたので着れたけれど、全体的にちょっと大きい。
「それ半ズボンなんだけれど、丁度良い丈になったね」
「嫌味ですか……!? 身長差を考えてください身・長・差!」
「はは、ごめんよ~」
にへらっと朗らかな笑顔でそういわれると、なんだか毒気を抜かれるんだよな。師匠の向かい側に座ると、ティーカップに湯気立つ紅茶を注いでくれた。
「有難うございます、……あとこの服も。お借りしてすみません」
「どういたしまして。意外とナナミ君は線が細いことも発見できたし、ね」
思いっきり白い眼を向ける。
「……冗談だよ」
さてどうだか。敢えて何も言わずに、注いで貰ったティーカップを取る。
「今日は無難にダージリンを淹れてみたよ。どうかな」
「いただきます」
口に近づけると、もう既にいい香りがする。火傷しないようにゆっくり傾ける。
「……美味しいです」
「それは良かった」
すっと鼻を通り抜ける、これこそ紅茶! という良い香りと、ほんの少しの嫌にならない苦さ。いやこれは渋さだろうか。
とにかく美味しい。師匠と最初に会った時のアイスティーも美味しかったけど、このホットティーも一口で丁寧に淹れられているんだろうなってことが感じられる。
ティーカップをソーサーに戻すと、師匠も同じようにティーカップを置いて、口を開いた。
「さて、じゃあ本題に入ろう――御影市の逸話についてだ」
「はい」
頷き返す。ティーカップを置いて、居住まいを正した。
「正直なところ、収穫は無いと言っていい」
「そうですか……」
「うん。昨日の今日っていうこともあるけれどね……特に何も掴めなかったや」
「では、僕から逸話についての情報を一つ」
何気なく今までのような日常を過ごしてはいたけれど、僕なりに情報収集はしてみたのである。まあ、さっきの戦闘の後に、駿達へちょっと聞いただけだけど。
「おっ、何かな?」
「先程の模擬戦闘の相手のうち一人に聞いたのですが、……『終焉の鐘』という逸話があるそうです」
「それまた物騒な名前だねえ」
終焉、命の終わりを冠するのは確かに物騒ではあるが、逸話って大体そんなもんな気がする。情報ソースが司だから、ある程度信頼はできるはずだ。
「内容としては、全てが終わる時に鳴り響く、と。それ以外には特に特筆すべき点はないですね……」
「成程、名前に違わぬ内容だ……――ん? ナナミ君、先程あるそうですって言ったかい?」
「え? ……ああ、その事なんですけど」
昨日の師匠との会話。そこで、神秘を纏った逸話達は、その市内のみにおいて当たり前の存在として人々に認識されているということだった。けれど。
「僕、知らないんですよね、この逸話を」
「……なんだって?」
普段ほんわかとしている顔から、笑みが消える。それだけでなんだか心が泡立つから変な感じだ。顎に手をやって、少し考えこむ様子を見せる。
「知らない者がいる、ということは、調査対象の逸話でない可能性もあると……?」
「僕が例外である、という可能性もあるとは思いますけど」
何事にも例外というものは付き物だ。御影市内の人口はそんなに多いわけじゃないけど、まあ一人ぐらい知らない人が居ても仕方がないような気もするし。
「ふうむ、確かに……情報提供を有難う、ナナミ君」
「はい。仕事は全うしなければ仕事じゃないですからね?」
「ははは、我が弟子は本当に真面目で頭が下がるよ。ささ、お菓子でも食べてくれ」
「じゃあ、頂きます」
一つ摘んで、口に放り込む。ふわっとした食感、くどすぎない優しい甘さ。飲み込むと、口の中に柑橘類のさっぱりとした風味が残った。
いやこれ美味しいわ。もう一個食おう。
「おいひい……」
「口にあったみたいで良かったよ」
そう言いながら、師匠もマドレーヌを美味しそうに食べた。マドレーヌに奪われた口の中の水分を、揃ってホットティーで潤して一息ついたところで。
「では、此処からは気楽に。お待ちかねの魔術講座を始めるよ〜」
「お願いします!」
今まで無用の長物だった知識だけじゃなく、ホンモノの魔術師からの考えを聞くことが出来る機会は本当に少ない。
「さて、第二回魔術講座だ。今日は魔術の属性についての話をしよう」
属性か。僕の瞳に現れている魔力色素とも関係がある話――あれ?
そういえば。
「ではナナミ君、手始めに四元素について解釈を」
「……」
「ナナミ君?」
「あ、はい。すみません、考え事を」
いや、この話は後にしよう。なんだっけ、四元素についてか。基礎は結構忘れかけているところがあるからなあ。
「現代では広まっている考え方はアリストテレスが提唱したもので、物質はその状態を例える火、水、氣、土の四元素で表されるとしたもので……」
もので、えっと。
「魔術学においてはその解釈に加え、魔力自体の扱われ方の得手不得手を示すものでもあります」
「うん、有難う」
満足そうに頷く師匠に、ほっと一息吐く。個人的には四元素よりも五行思想の方がなんだかしっくりきて覚えてる。今の今までちょっと忘れかけてたし。
「魔術師の源流とも言える、ヨーロッパで支持される思想だね。対して、頻繁に比較される五行思想という考え方についてはどうかな?」
「……五行思想は、火、水、木、金、土の五元素が万物を構成するという考えです」
ああ、やっぱそこはセットで聞かれるものなんだ。テストでも大体両者の違いを言え、とか両者を出来るだけ説明しろ、とかそういう問題の出し方してくるもんな。あー、嫌な記憶。
「古代中国での自然哲学を起源としていて、それぞれの要素に色や性質、方角、季節などが宛てがわれ、相生、相剋の関係が定義されています」
「オーケー! バッチリだね……こんなに答えられるなんて、本当にナナミ君は真面目だなぁ」
真面目というか、成績で五段階評価で一を取るわけにはいかない身の上ってのが真実だけれど。まあ、否定はしない。真面目だよ、一言一句覚えたんだし偉いよな、うんうん。
その所為で他の教科には時間を割けていないのが実情だけど。受験もあるしなあ、どうにかしないとな。
じゃなくって。
「あの、師匠」
「ん、何だい?」
「僕の瞳についてなんですけど」
そう、今さっき思い立った違和感。師匠の手によって瞳の色が変わってから僕自身何回か鏡を見たし、絢香や早苗先生、駿達とも会った。
なのに、僕自身を含めて何も違和感が無かったんだ。
「何か、魔術とか掛けましたか? ――友人も、知り合いも、何一つ瞳について触れないのは何故でしょう?」




