九話 不良だって避けられると傷つくんだよ!
『ピンポーン』
資料の住所を二度三度確認してからインターホンを押した。そのまましばし待っていると、なかからぱたぱたと急いだ足音が近づいてくる。
――……よーし、落ち着け自分。
笑顔だ笑顔。ふっと短く息をはき、努めて親しみやすい表情を作る。
カッカッと靴のかかとを詰める音がして、ゆっくりと扉が開けられた。よしっ、いまだ!
「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけ――」
『――ガチャン! カシャッ』
「ど……」
中から出てきた高校生くらいの男子と目が合った瞬間、ドアを閉じられた。ちなみに『カシャッ』は鍵をかけられた音である。もう今日何度聞いたので間違いない。
「いったいなにしたのよ、飛島君」
「俺のほうが聞きたいわっ!」
冷ややかな声を飛ばしてきた葵に食って掛かると、さっと距離を置かれた。
現在俺と葵は、枇杷島から渡された資料にある住所を訪ねて回っていた。幸之助や他の研究員だと変な警戒をされるかもしれないとのことで、若い俺たちがこうして駆り出されたわけだが……結果はこのざまである。
「噂には聞いていたけれど……あなたって本当にヤンキーだったのね」
「ははっ、すごいだろ」
「目が笑ってないわよ」
「ハッハッハ……はぁ……」
今みたいな反応をされたのは今日で三回目。しかも、今のやつはうちの高校の生徒じゃない。他の学校の人間からもこんな反応をされるようになれば、もう笑うしかない。
「もういいわ、次から話すのは私がやるから、飛島君は地図で住所を探しておいて」
「ああ、わかった……悪いな、迷惑かけて」
「問題ないわ」
葵から資料を受け取って次のお宅の住所を探す。えっと次は……ちょっと遠そうだな。
現在時刻は午後六時過ぎ。今日のところはここで最後だろう。
俺が悲惨な一方で葵の聴取力は非常に高い。あの圧倒な容姿に加え、俺の前じゃ絶対みせないにこやかな表情にほだされ、相手がペラペラと色々しゃべってくれる。おかげで情報は集まっている。
こうして聞くと俺ってば完全にいらない子だな。若干ヘラっていると、隣を歩く葵と目が合った。
「どうかしたかしら?」
「あー、いや。なんか、悪の組織の捜査だってのに、結構地味だなーと思って」
適当に口を開くとそれっぽい話題が出て来てくれて助かった。
勝手なイメージだが、悪の組織の捜査と言えば、真夜中にとある建物の中に侵入して、重大な機密を持ち帰ろうとするもセキュリティーに引っかかってバトル展開! みたいなのを想像していたので、いまのこれはちょっと拍子抜けだったりする。俺としては完全に腕っぷしが求められると思っていたので、身の振り方が正直分からない。
「何事にも準備が必要なのよ、それで、いまはその時間よ。これを怠ればなにもうまくいかないわ」
「おっしゃる通りでございます」
ぴしゃりと言われ、思わず足を止めて敬礼した。すると葵はふっと頬を緩めて、
「ほら、行くわよ」
駆け足で横に並ぶ。
それからしばらく歩いていると、小さな丘を登る階段に差し掛かった。今向かっている場所は丘を登って少ししたところにある一軒家だ。
「そういえば、葵はどうして研究所に協力してるんだ?」
階段の半分辺りに来たところで、ふと気になってそう訊ねた。
「急ね」
「階段が?」
言った瞬間に肘をぶつけられる。痛い。
「まあ冗談はさておくとしてさ、普通に気になったんだよ」
俺には能力の記憶を削除するか、この研究所に協力するかの二択しかなかった。そして番長としての地位を守るために後者を選んだわけだが、葵のそう言うのは聞いたことがない。
「……まあ、いつか聞くことになるでしょうしね」
「? どういうことだ?」
「話してあげる、ということよ。そうね、じゃああそこにしましょうか」
そういって葵が指さした先には小さな公園があった。
すでに歩き出していた葵の後を追ってえっちらおっちら残りの階段を登り切り、公園に足を踏み入れる。さびたブランコと対象年齢がとうに過ぎた滑り台、塗装が剥げたベンチだけがある小さな公園だ。さくさく生い茂った草の上を歩き、俺たちは並んでブランコに腰かけた。
「あそこでお茶を買ってきてくれないかしら、喉が渇いたわ。お金は私が出すから」
「もしかしておごりか?」
「経費よ。あとでお父さんに請求するわ」
「意外とケチなのな」
茶化した途端ものすごい目でにらまれた。だから怖いって。
触らぬ神に祟りなし。渡された小銭を握りしめ、すたこらさっさと自販機に走る。適当にアイスティーと緑茶のボタンを押して急いで戻った。おつりとともにアイスティーを渡し、俺も元のブランコに腰を下ろしてキャップを開ける。
なにげに二時間近く歩きっぱなしだったのでお茶がうまい。
「それで、何だったかしら」
「葵が研究所に協力する理由だよ」
さっき言ったばかりだろ、と言いかけて口をつぐむ。これ以上話をややこしくするべきではない。
葵はしばし瞑目したのち、ゆっくりと目を開けた。
「私が研究所に協力するのは――お父さんのためよ」
「え」
知らず、間抜けな声が出ていた。
「ちょっと、その反応はなにかしら?」
「いや、なんでもないです……」
葵の言うお父さんってのは幸之助のことのはずだ。というか間違いなく幸之助のことだ。
にしても、親父のためねえ。
…………。
もしかして葵ってもしかして、ファザコ
「――ファザコンだなんて勘違いしていたら、どうなるか分かってるかしら?」
「とんでもない!」
葵の手からバチバチっと地面に向かって電撃が迸る。
いま一瞬でも返事が遅かったらあれが俺のところに来ていたわけだ……。恐ろしいなこの女。
「確かに私はお父さんのために研究所に協力しているわ。けれどそれは、お母さんのためでもあるわ」
「葵のお母さん?」
「葵千代子。少し前に研究所で言わなかったかしら?」
そういえばそうだ。
そして、誰かが口にした瞬間場の空気が暗くなったことも。
「てことは、もしかして葵のお袋は……」
「……もう亡くなっているわ。十年前、空港で悪の組織に捕らえられて、それきり……。その頃からよ、お父さんが本格的に超能力について研究するようになったのは」
だから、と葵は続ける。
「研究することでお父さんの気が少しでも紛れるなら、私はそれで構わない」
葵は寂しげにそう言って、パキリとペットボトルの蓋を開ける。
けど、まだ一つだけわかっていないことがある。
「でも、どうして超能力だったんだ?」
「……まず前提として、あの人の行動原理を探ってもまともな答えは出て来ないと思うのだけれど」
ひどい言われようだな。おそらく間違いないんだろうけども。
「超能力だった理由は、私とお母さんが超能力者だったからじゃないかしら。聞いたわけじゃないけれど、身近にある不思議な現象を、あの人が放っておくとは思えないもの」
言い終えると、葵はペットボトルを傾けた。綺麗な銀髪がさらりと流れ、その雪のように白い首筋があらわになる。ほんのりとにじんだ汗が非常に色っぽいが、今の俺にはそれ以上に気になることがあった。
「……ちょっといま、聞き捨てならない言葉があったんだが……葵のお袋が超能力者だって?」
「そうよ? あなたは知る由もないだろうけれど」
あ、当たり前のようにすごいこと言いやがる……。
ってことはなんだ? 葵一家は超能力ファミリーってことか? ここまで来ると幸之助まで超能力者とか言い出しそうで怖くなってきた……。
「安心して頂戴、お父さんはただの人よ」
それを聞いて安心した。……けど、ちょっとまて。今も俺心読まれてなかった?
「どうして胸を隠してこっちを見てくるのかしら?」
「こっちは隠しと来たいこといっぱいあるんだよ……」
ちょっとアレな本の隠し場所とか、あっち系のサイトのアクセスコードとか……いろいろ男子には隠したいことがあるのである。
そんな俺を葵は心底馬鹿にしたように一瞥して、ブランコから立ち上がった。ちなみにブランコとブラコンって文字列が似すぎてたまに見間違えるよね。それから、んっと伸びをして俺のほうを向いてくる。
「じゃあそろそろ時間もいいころだし行きましょうか」
そう言えば、そうだ。いつまでもこうしているわけにもいかない。スマホで時間を確認してみれば、もうよい子は帰る時間である。
「ああ……そうだな」
「どっちに行けばいいかしら?」
「公園出てすぐに右」
「了解よ」
そうしてまたふたり歩き出し、さっきまでと同じような時間が流れていく。
お袋がもういないって話をした後だってのに、もうケロッとしてやがる。葵はもしかしたら大物なのかもしれない。それともただの強がりか。
前者であることを願いつつ歩を進めていると、ほどなくして目的地に到着した。
周りをブロック塀で囲った、少し年季の入った一軒家。玄関につながる道の両脇には色とりどりの花が咲いたプランターが並べられており、かなりおしゃれな雰囲気が漂っていた。
「ここに住んでいるのは戝賀夫妻と、それぞれ高校二年生と中学二年生の兄妹ね。組織の人間と接触があったのはお兄さんのほうで、妹の麻理さんがふさぎがちになったところに、組織とつながりがあるとみられるカウンセラーを呼んだようね」
「すごいな、そんなところまでわかるのかよ」
「ただ、麻理さんがふさぎ込んだところにカウンセラーを呼んだのは確かだけれど、その人が組織とつながっているかついては憶測でしかないわ。とにかく、話を聞いてみないとわからないわね」
「そういうことか」
葵がインターホンを押し、しばし待機。
正直言うと、ここまでで集まった情報から悪の組織を特定するのはかなり難しいだろう。今日はこれで最後だし、なにか有益な情報があればいいのだが……。
「……出ないわね、いないのかしら?」
「そうっぽいな。カーテンも閉まってるし」
固く閉ざされた二階の窓には、かわいらしい柄のカーテンが見えている。あそこがふさぎ込んでいる妹さんの部屋なのだろうか。
「なら今日はこの辺りにしておきましょうか、また後日ここに来ましょう」
「そうだな。んじゃ、帰るか」
「ええ、そうね」
流石に今日はワンボックスカーもお休みのようで、俺たちはまた来た道を引き返す。
住宅街を歩き、公園を通り過ぎ、階段を下りる。チラリと時計を確認してみればもう六時半だ。研究所に一度よってからだと、家に着くのは七時を超えてくるだろう。
なんだか、エージェントとはいえ活動は思ったより地味だし、感覚としてはちょっと変な部活にでも入った感じだ。命の危険も今のところはない。それよりもいまはグループの連中のことが気になる。
短い階段を降り切って、閑静な住宅街をひた歩く。
「ところで、飛島君にはなにか悩みはないかしら?」
と、不意に葵がそう訊ねてきた。
「悩み? なんで急に」
「私だけ研究所に協力する理由の話をさせて、不公平じゃないかしら」
「それもそう、なのか?」
「そうよ。何かないかしら?」
悩み……。まあ、正直ある。というかありすぎて困るくらいにはある。
そのなかで直近、一番の悩みと言えば、
「最近、というか前から……グループの空気があんまよくないんだよな。ぎすぎすしてるっていうか」
「一応確認なのだけれど、グループと言うのは、あなたが番長をしているヤンキー集団のことでいいのよね?」
それに首肯すると、葵は足を止めてずずいと詰め寄ってきた。ち、近い。
「詳しく教えてもらえるかしら」
「おお……なんかめっちゃ食いつくじゃん」
ちょっと茶化してみるが全く効果なし。これは続けるよりほかなさそうだ。
「……まあ、俺の最初の対応を間違えた感はあるんだよ」
「最初の対応?」
「ああ。当時俺は、手っ取り早く番長になるために、その時番張ってた杉山ってやつを倒してのし上がったんだが……」
「結果、その杉山くんに恨まれてしまったというわけね」
「話が早くて助かる」
そしてその杉山が近ごろ、他地区の不良どもをけしかけてうちを襲撃させたり、ほかの地区で暴れまわって俺の悪名を広めたりとやりたい放題なことを伝えた。
「兄貴が番張ってた頃は、こんなことなかったんだけどな……」
「飛島君、お兄さんがいるの?」
「あ……まあ、正確に言えば、いた、だな……」
「――ごめんなさい、配慮がなかったわ」
「い、いやっ! 今のはこっちがその話題に誘導したわけだし、それに俺ももう、受け入れられてるから」
「……そうなの?」
葵の言葉にブンブンうなずくと、下げかけた頭をもとに戻してくれた。
すると自然、至近距離で見つめ合う形になってしまう。柑橘系のすっきりした香りが鼻腔をくすぐった。それからどちらともなく距離を取って、またふたり帰り道を歩き始める。
「俺さ、兄貴みたいな番長になりたくて番長やってんだ」
独り言のようにつぶやいた。それに答える声はない。けれど俺は続ける。
「強くてかっこよくて、面白くて。兄貴を中心にして、グループのみんないっつも笑ってた。たまに起こるいざこざも、全部こう、拳で黙らせちゃってさ」
兄貴の十八番だったコークスクリューパンチの真似をして葵を見ると、なんだか子供を見守るように生暖かい目だった。
けれど口が止まってくれない。久々に兄貴のことを話せてテンションが上がってしまう。兄貴のことならいくらでも話せる。それくらい兄貴のことが好きだ。
ブラコンなんだ。仕方ない。
兄貴は俺の憧れで、正義そのもの。
「だから俺、番長になった後も、ずっと兄貴のマネばっかして。でもそれじゃ、誰も着いて来てくれなかった」
「それでよく番長をやれているわね」
「正直、誰もってのは盛ったな。俺のことを慕ってくれる連中も、十人くらいはいる」
真っ先に思い浮かぶのはやはり堀田の顔だ。そのほかにも中田に石川に村山。
全員、かわいい後輩だ。
「一ついいかしら」
ふと、葵がそう切り出した。
「お兄さんの真似をして、と言っていたけれど、実際にはどんなことをしたのかしら?」
「あー、そうだな……。例えば、グループ内のいざこざに飛んで行って治めたり、下級生いびった連中しばいたり、とかだな」
「どうやって?」
「そりゃ……ヤンキーらしくこう、喧嘩で」
言った瞬間、葵は頭痛をこらえるように頤に手をあてがった。おい待て、待ってくれ。
しかしそんな心の声は届かず、なにか言いたげにちらちらと視線を送ってきて、
「……飛島君、おそらくだけれど、それがあなたが慕われない原因よ」
子供に現実を見せるようにバッサリとそう言いきった。
「……やっぱ、そう思う?」
「ええ。むしろそれ以外考えられないわ」
俺もそれは同感だ。だが、
「でも、兄貴はそれでうまく行ってたんだよ」
「カリスマよ、諦めなさい」
「バッサリ切りすぎじゃない⁉」
事実なので言い返せないのがこれまた悔しいが、もう少し言い方を優しくしてほしかった……。
なんとか葵に食って掛かろうとすると、ひらりと身をかわされる。
「それにお兄さんだって、あなたのように、むやみに暴力を振るっていたわけではないと思うの」
そして鋭いジャブが撃ち込まれる。全くもってその通りなので言い返せない。
「人にはそれぞれの正義があるわ。あなたはそれを尊重していたかしら」
「ぐぅ……っ、で、でも、喧嘩には勝ってたし……」
「まさかとは思うけれど、勝ったほうが全て正しいとでも言うつもりかしら? だとしたら愚かな考えかたね。だから慕われないのよ」
「かはっ……!」
右左のワンツー! 俺は膝から崩れ落ちた。
……って、なに効いてるんだよ。全部わかっていたことのはずだ。堀田たちが俺を持ちあげてくれていたから、見えないふりをしていただけ。
でもやっぱり、自分で気づくのと他人から言われるのとじゃ、ダメージが全然違う。
そして気づけば、
「……じゃあ俺は、どうすればいいんだ?」
すがるようにそう言っていた。
どこまで俺が自覚して、状況を改善しようとしても、結局最後はここに行きあたる。問題はわかっている、けれど、どうすればいいのか分からない。
見上げた先には、葵が厳しい表情で待ち構えている。
葵からなら俺には思いつきそうもない、ものすごい解決策が飛び出てくるんじゃないか。そう思った。けれど、
「知らないわよ、自分で考えなさい」
「そんなぁ……」
葵はそう言って少しばかり歩くペースを速めた。思わず、がっくり肩が落ちる。
一番大事なところなのに……。
しかし葵はそんな俺を見て、ふっと不敵に頬を緩めた。
「もう自分でも分かっていることじゃないかしら」
「……なにが」
俺がすっとぼけると、葵はまたやれやれと肩をすくめる。
「いま、あなたはどこに向かっているかしら?」
周りを見渡せば、そこはどこもかしこも見覚えがある場所だった。標識の位置も看板も、そこに落書きしたスプレーアートも。すべてに覚えがある。
それもそのはずだった。
「……結局、最後はこうするしかないんだな」
「当然よ。失敗をしたのなら、次にすることは決まっているもの」
「間違いない」
それは、ここまでおぜん立てしたにしてはあまりにシンプルで、拍子抜けな解決方法だ。
けれど結局、これが一番で、これがダメならもうダメだ。
あの角を曲がれば、目的地に到着する。葵に目配せすると、ゆっくりと相槌を返された。
「じゃあ、私はここでお別れね」
「ああ、今日は色々ありがとな」
「少しでも飛島君の力になれたのなら光栄だわ。明日、良い報告を待っているわね」
その言葉に相槌を打ってから、俺はくるりと踵を返した。
『お前の正義を見せてみろ』
兄貴がいつも決め台詞のように言っていたその言葉の意味がようやく分かった気がする。
誰にだって正義はあって、けれどそれは人によって異なる。
だから兄貴は、相手に自分の正義を認めてもらうために、不良らしく喧嘩というやり方を取っただけなのだろう。それゆえ、兄貴は慕われた。
けれど、俺にはそんな考えなんてなかった。ただ暴力を振るって、痛みで相手に認めさせようとした。そんなことで慕われるわけがない。
角を曲がった先に見えるは――うちのグループがアジトにしている廃墟。
葵は言った。失敗をしたらまず何をするか。
それっぽい言い訳を考える? ミスをカバーするために準備を始める? 失敗した理由を考える?
ちがう。まずはたった一言、こういえばいいのだ。
「――いままで、本当に悪かった!」