八話 飛島君には一線超える勇気がある
堀田と愉快仲間たちと適当に雑談をしていると、葵から研究所に来るよう連絡があった。すでに毎度のことになった不自然に待ち構えているワンボックスカーに乗り込み研究所を目指す。なんというか、ここまで来るともうこの運転手の人も超能力者なんじゃないかと思うが、まあそのへんは置いておくとしよう。
さて、前と同じく十分ほど車に揺られ、人生初の網膜スキャンをクリアして研究所の中に入るとその先には葵が待っていた。
「あら、無事に入れたのね」
「この通り」
そう言って自分の身体を示すと葵は満足そうにうなずいた。
それから何も言わずにひらりと踵を返し廊下を歩き出す。ついてこいと言うことだろう。細い廊下に、カツンカツンと靴底がアルミ床を叩く音が反響する。突き当りのドアをカードキーで開けると、昨日と同じ椅子に幸之助が座っていた。
そしてその横に、無精ひげを生やした四十代くらいの見知らぬ男性が立っている。
もしかして研究所のメンバーか? などと考えていると、幸之助がこっちに気付いたように軽く手を上げる。
「よっ、昨日ぶりだな、飛島」
「きょ、今日からよろしくお願いします……」
「おいおい、敬語はやめてくれ、おれたちはもう同じ研究所の一員だ、ため口で頼むよ。敬語はこっちも疲れる」
「そういうことなら、わかりま……わかった、幸之助」
俺のぎこちない返事に幸之助どころか葵までもが苦笑していた。ちくしょう。こんなところ堀田に見られたらなんて言われるか分かんねえな。
しかしとはいえ、中三のころから番長をやっている弊害で俺は敬語が得意ではないので、この提案は願ってもない。ここは甘えておくのが安定だ。
するとそこで初めて、幸之助の横に立っていた男性が口を開いた。
「……幸之助、この子は?」
「昨日づけでこの研究所の一員になった飛島昴だ。一応言っとくが、こいつがおれの言ってた薬の適合者第一号だぞ」
幸之助のその説明で男性は得心がいったようにうなずいた。
が、俺はこの人のことを知らない。解説を求めるべく葵に目を向けると、なぜだかすこし嫌な顔をされた。それから煩わしそうにさらりと銀髪を払い、口を切る。
「枇杷島さんよ。フルネームは枇杷島哲人――県警の方よ」
「えっ、は、警察⁉」
嘘だろ? 入所初日で摘発とか俺ってばとんだ疫病神じゃねえか。
……しかし確かに冷静に考えると、給食センターへの不法親友から薬品の散布、それに超能力とか言うよくわからんことの研究まで。完全に役満である。
……もしかしてこれって、俺も捕まるのか? 研究所に加担した的な罪とかでそうなってもおかしくない。もしそうなら、入所初日だからクーリングオフ的に許されないかな。
なんてことを考えていると、枇杷島が申し訳なさそうに腰を折った。
「ああ、悪いな飛島くん、安心してくれ。俺の仕事は警察だが、幸之助の大学時代の友人だ。だから一応、こいつの研究については理解があるつもりだ……一応は」
「そうなん、ですか……」
「まあともかく、捕まえたりここのことを報告したりはしないから、そう身構えないでくれ」
それを聞いてほっと安堵の息を吐く。でも、一応を二回言うあたりほぼ理解していない気がするが、まあそのへんは突っ込まないほうが良いのだろう。
でも、なんでこんなところに警察がいるんだ? 普通に同級生として遊びに来たとしても、今は仕事中のはずだ。
その疑問に答えるように幸之助が声を上げる。
「昨日、悪の組織の捜査をしてるって言ってたろ? こいつはその捜査に協力してくれてるんだ」
なるほど、そう言うことか。研究所で悪の組織を捜査して、その成果を警察の枇杷島に伝えることで研究所の存在を隠しつつ捜査ができるってことだな。知らんけど。
「まあ、本来の仕事そこそこに協力し続けた結果、この年でまだ警部補のままなんだけどな。そろそろ巡査部長の背中が見えてきた」
「いいじゃねえか、どうせ結婚まだだろ?」
「相手さえ……相手さえみつかれば俺だってなあ……っ」
枇杷島の返事を幸之助が『よく言うわ』と茶化す。初めから疑っていなかったが、大学時代の友達ってのは本当らしい。
にしても大学時代の幸之助か。まったく想像がつかない。今と同じく平然としたマッドサイエンティストなのか、それとも意外と情熱的な生徒なのか。
「って、そんな話してる場合じゃないな。飛島、これ」
幸之助はそう言って枇杷島との会話を中断すると、ホッチキスで止めた資料を渡してきた。受け取ってぺらぺらめくってみると、どうやら施設内の注意事項やらマップやらが印刷されているみたいだ。
「そいつは研究所のマニュアルだ。ま、適当に読んどいてくれ」
「わかった」
「で、こっちが本題」
研究所マニュアルを確認する暇もなく、もう一つの冊子を渡された。
表紙に意味ありげに㊙と銘打たれた、前の物より少々分厚い冊子。軽く内容を確認してみると、なにやら大量の住所や会社名が一覧になっているようだった。
「なんだこれ?」
「ま、簡単に言えば、悪の組織を見つけるための作戦資料みたいなもんだ」
瞬間、全身で鳥肌が立つのが分かった。指先から熱が失われていく。
……覚悟はしていたはずだけど、実際そう聞かされるのは別だな。
幸之助はずずっとコーヒーをすすると。硬直した俺ににやりと笑みを向けてくる。
「どうした、やっぱやめとくか?」
「……いや、大丈夫だ。続けてくれ」
「ん、そうかい」
正直なところを言えば、やっぱり悪の組織の捜査に参加するのは怖い。当然だ。なんたって日本の一番黒いところへ飛び込むわけだ。怖くないわけがない。
……でも今の俺には、力を失って、番長の座を下ろされることのほうがもっと怖い。
だから、もう後戻りはできない。
「で、今日はその作戦会議なんだが……おい、あいつからの連絡まだか?」
幸之助がそう言うと、枇杷島がめんどく臭そうにため息を吐いた。
「神領の連絡先知ってるの、幸之助だけだぞ」
「そういやそうだったな」
なんかまた知らない人の名前が出てきたな。ふたりはそのまま雑談タイムに入ってしまったので、葵に聞くとしよう。
「なあ、神領ってだれだ?」
「枇杷島さんと同じく、お父さんの大学時代の友達よ……それより、さっきから私をいいように使うのやめてくれないかしら?」
「しょーがないだろ、俺まだ入所初日だぞ? 色々分からん事ばっかなんだよ」
研究所内にいる人に挨拶をする機会はあったが、本当に挨拶だけで済んでしまったのでそれ以上についてのことが聞けなかったのだ。それにやはり、大人相手よりも同級生相手のほうが聞きやすいのである。
「……研究所のためだものね、わかったわ」
そんな俺の気持ちをおもんぱかってか葵は渋々そう言った。
と、
「っと、神領の野郎、ようやく連絡寄こしてきやがったか」
幸之助は電話の差出人を確認して小さくため息をつく。けれどその表情はどことなく楽し気で、満更でもないのが見え見えだった。幸之助がスマホをスピーカーにすると、そこから精悍な印象の声が聞こえてくる。おそらく神領のものなのだろう。
『すまない、前の会議が押してしまった』
「何の会議だよ」
『社外秘の内容だ。そう簡単に部外者に教えられるか』
神領の返しに幸之助は口をとがらせて文句を言うが、神領はそれをきっぱりと断り続ける。いたずらを注意される子供の図式みたいでちょっとおもしろい。
がまあ、きっちりした神領と適当な幸之助。はたから見れば真逆な二人って印象だが、それもここまでくると逆に心地いいのかもしれない。
「……まあいい、そろそろ本題に入るぞ。お前のせいでもうこんな時間だ」
『こっちのセリフだとだけ言っておく』
「ああん?」
『事実を言ったまでだが?』
……うーん。アラフォーのする喧嘩内容じゃないんだなあ。
するとそこでようやく枇杷島が声を上げた
「おい二人とも、いい加減にしろ。子供の前だぞ」
「へいへーい」
幸之助はやはり子供みたいに平謝りして、ずずっとコーヒーをすする。枇杷島がスマホに顔を向けた瞬間に舌を出すまで完璧な一連の流れだった。こんな大人にはなりたくない。
「それと神領、お前もだぞ」
『…………あっ。あぁ、すまないな……』
「? どうかしたか?」
『……いや、なんでもない。……いたんだな、枇杷島』
「なんだお前。まだ哲人と話せないのかよ」
幸之助が茶々を入れると、枇杷島が顔をしかめた。
一瞬、またさっきの喧嘩が再開されるかと思いきや、
『いや、本当になんでもない。大丈夫だ』
神領にきっぱりそう言い切られると幸之助も言い返せないのか、その一瞬の隙をついて枇杷島が進行しにかかった。
「さて、それじゃあそろそろ本題に入るが、いいな?」
「……ああ」
『よろしく頼む』
「よし。じゃあまずは事前に配った資料を見てくれ」
枇杷島に言われた通り、先ほど渡された住所一覧が印刷された冊子に目を落とす。
「今回の作戦は前回の反省を生かして、初心に戻ることがテーマだ」
「おい、前回の何が悪かったって?」
『何もかもだろうよ。適当に決めたビルに無策に飛び込んで、結果そこのセキュリティーに引っかかって警察沙汰。一歩間違えば不法侵入で逮捕状ものだったぞ?』
無茶なことやってんなあ……。横目で葵を見てみれば、もううんざりといった様子だった。超能力者として戦闘要員に連れていかれたのだろう、不幸な奴め。
「……なによ?」
ふと、その大きな相貌がジトっと俺を見据える。少し目を細めるだけですごい迫力だ。
「いや? なんでも」
「作戦会議中よ、しっかり聞いておきなさい」
そいつにへーいとか何とか返して、また枇杷島の言葉に耳を傾ける。
「ま、とにかく、今回は前回よりも慎重な作戦だな。ここに印刷してあるのは、俺の調べた範囲でわかった、悪の組織のメンバーとすこしでも交流があったとみられる方の住所の一覧だ。そしてやることはシンプルに、ここにある住所を訪問して回って、情報収集をすすめること」
「で、おれらみたいなおっさんが行くといろいろと警戒されるから」
「私が訪問する役を請け負うわけね、わかったわ」
枇杷島、幸之助と渡ってきたバトンをしっかり葵が受け止める。が、枇杷島が『いや』と首を振った。
「『私』じゃないよ、正確にいえば飛島君も入れて『私達』だね」
「……けれど枇杷島さん、彼はまだ入所して一週間もたっていないわ」
「それなら君がいろいろ教えてあげればいい。教育係ってやつだよ」
枇杷島がずぼらな見た目に反して優し気に言うと、葵は不服そうに頬を膨らませる。
「それとも、飛島君と一緒じゃできないかい?」
「――そんなことは無いわ」
すごい安い挑発に乗せられていた。なんかこいつ、見た目のわりにやっぱり抜けてる気がする。これも父親の遺伝なのだろうか。
「よし、良い返事だ。じゃあまかせたよ」
「え、あ……わかったわ……」
今頃挑発に乗せられたことに気付いたらしかった。不覚にも可愛いと思ってしまった。
と、葵がものすごいいやそうな顔でこっちを見てくる。
おいなんだその目。俺のほうがお前のサポートに回らされそうだしちょっと不安なんだけど? 初捜査なのに全く安心できない。
「俺からは以上だ、ほかに言っておきたいことがあるやつはいるか?」
『僕は特にない』
枇杷島の声掛けに神領がそう応じる。しかし、幸之助がなぜか黙ったままだった。
「なあ哲人、本当にこの作戦でいいのか?」
『……幸之助の焦る気持ちもわかる。けど、いまは千代子さんのためにも、じっくり進めるほうが良いんだ』
千代子? 誰だそれは? 何も言わずに葵を見ると、もう勝手に教えてくれる――ということはなく、目を逸らされた。
だがそのまま見つめていると、
「……葵千代子は、私の母よ」
ぽそりと、つぶやくようにそう言った。しかしそれとこの話はどうもつながらない。
一体どういうことだと問おうとしたところで、幸之助がスクリと立ち上がる。
「まあ、やってみないと分からないか」
『そういうやつだったな、お前は』
「これでも研究者だからな」
神領の言葉に自信満々で返して、幸之助は気合を入れるようにぱんぱんと頬を叩いた。
それから枇杷島に目配せする。
「さて、それじゃあ、早速出来る仕事から進めていくとしよう」
言って、枇杷島がふっと俺に笑いかけてきた。それにすこし心落ち着かせ、
「さあ、作戦開始だ」
ついに俺のエージェントとしての毎日が始まるのであった。