六話 飛島君にもいちおう番長としての自負がある
「堀田!」
「こっちです先輩!」
ここまで送ってくれたワンボックスカーから飛び降り、まっすぐ河川敷に降りる。その先には、アジトから逃げて来たうちの連中が集まっていた。
「アジトはどうなった?」
「……申し訳ありません、占拠されました」
「そうか……。まあ今仕方ない、ここには全員集まってるのか?」
「はい。ですが、今日は杉山君たちが来てなくて……」
なるほどな……。まあ偶然であってほしいが、そう考えるのは楽観的過ぎるかもしれない。
今回の件は杉山が引き金を引いた可能性が高い。いままで何度も杉山が第一工業にちょっかいをかけていたのは知っている。それの狙いがおそらくこれだ。
そして今日、最後の一押しをして第一工業の連中をけしかけた。見たところ何人かはすでに負傷しているようだった。
……杉山の奴め、ずいぶん面白いことしてくれるじゃないか。
杉山は俺が番長になる前に番長の座に座っていた男だ。でも、兄貴との約束を守って番長になるためには、俺にとって杉山が一番の障害で、倒すべき相手だった。
不良において、喧嘩の強さはそのままグループ内での地位に直結する。
だから俺はあの日、グループのメンバー全員を相手取ったあの日の最後に、杉山を全員の前で倒すことで番長としての地位を確立した。
そして同時に、グループの空気がギスギスし始めた。
俺のせいだってのはわかってる。
でも、それでも俺は番長にならなきゃいけなかった。兄貴との約束を守るために、憧れの兄貴と肩を並べるために。
「どう、しますか?」
おずおずと堀田が訊ねてくる。
「……ぶっ飛ばす、当たり前だ」
杉山がその気なら、俺も相応の覚悟でもって受けて立つ。それが番長としての落とし前。
抵抗するなら力でもって叩き潰す。それで折れないなら、折れるまで拳を振り続ける。
それが俺の正義だ。
「行くぞお前らっ!」
「「「うおおおおおおおおおお!!」」」
野太い声を上げ走り出す。
目指すは、俺たちのアジトだ。
***
到着したアジトには異様な空気が漂っていた。
堀田から電話を受けたのは二十分前。そして河川敷に逃げたのがついさっきだとすると、まだアジトが占拠されてから時間は立っていないはず。
だというのに、建物にはほとんど人気を感じなかった。その違和感に堀田も気づいたみたいに小首をかしげる。
「行ってみるしかない」
「……そう、ですね」
そうして、慎重にアジトの中に足を踏み入れた。
持ち込んできた漫画本や雑誌が床に散乱している。ゴミ捨て場から拾ってきた椅子やロッカーはボコボコにへこみ、完全に使い物にならなくなっていた。
一通り一階を回ってみるが、他校の連中は誰ひとりとして見つけられなかった。
もう撤収した? いや、それはない。杉山が関与しているなら俺をどうにかするまでここに居座るはずだ。それにもし杉山が関わっていないとしても、ここまで早く退くのは不自然だ。となると、
「二階か」
コンクリートの階段をゆっくりと上がる。
二階は三階と同様一層がブチ抜きの広い空間になっている。喧嘩をするにはもってこいのスペースだ。
階段から慎重に頭を出し……。
「ひっ……!」
その先の光景を見て、堀田が女子みたいな声を上げた。
それもそのはずだ。
「これは、すごいな……」
目の前には、三十人以上の第一工業の制服に身を包んだ生徒が倒れていた。
中には頭から血を流し、口から泡を吹いているやつもいる。おそらく聞くまでもなく、こいつらが今日ここに襲撃をかけてきた連中のことなのだろう。
でも、そいつらがこんな状態……。
つまり、第一工業の連中を倒したやつがまだこのアジトに残っている可能性があるってわけだ。見たところ派手な外傷はないことを見ると、相手も大きな武器は持っていない。
それなら……。
「堀田、こいつらを安全なところに移しといてくれ」
「えっ、でも……。」
「俺はちょっと三階を見てくる」
言うが早いか、俺は後ろから堀田の制止の声が飛んでくるのを無視して、階段をゆっくりと登っていく。
相手はこの先にいる、と不思議と確信めいた予感があった。
三階にたどり着く。
果たしてそこに、そいつはいた。
その中央の椅子に腰かけている人物を見て、俺は思わず目を見開く。
「……お前、けがはもう大丈夫なのか?」
そいつの瞳は、数日たった今でも変わることなく憎悪の炎に燃えている。皮膚が切れた拳には血が滲み、制服は下での激闘を物語るようにずたずたになっていた。
俺はこいつを知っている。
なぜならこいつは、ついこの前、俺が馬乗りにして気絶させた男だったから……。
「お前、名前は?」
「……旺史郎だ、覚えとけ」
「じゃあ旺史郎。どうして来た。またボコボコにされたいか?」
こいつか来た理由は知れている。俺に対するリベンジと、グループに対する報復。そこに不幸にも居合わせた第一工業の連中が犠牲になったわけだ。
俺の問いかけに旺史郎は答えない。静かに椅子から立ち上がると、ぽきりと指を鳴らす。
そしてゆらりゆらりと近寄ってきて、
「御託はいらない」
「気に入った」
回戦の合図と同時に旺史郎が踏み込んでくる。
しかし、やはりさっきまでの戦闘の疲れがあるのか、その動きはすこしだけ鈍い。
これなら、避けられるっ。
拳をギリギリまで引き寄せて、カウンター一発で仕留める。プランは決まった、ならあとはタイミングを見計らって――
「――っ!?」
瞬間、金縛りにあったように全身が動かなくなる。それでも旺史郎の拳は止まらずに、
「……よく避けたな」
「と、止まって見えたぜ……」
っぶねえ……!
いまのパンチは緩めだったから間一髪対応できたが、相手が万全だったら完璧に当たっていた。けど、
「次はこっちの番だ」
ラッキーは二度続かない。ガードを上げたオーソドックスタイルのまま、ステップを踏みつつじっくり距離を測る。
相手はもう満身創痍。ここで詰めていきたくなる気持ちもあるが、下の連中の様子を見るに、なにか秘策があってもおかしくない。メリケンサックにスタンガン、催涙スプレー。
このあたりは警戒しておくことに越したことは無い。
なかなか攻撃を仕掛けない俺を不審に思ったのか、旺史郎が口の端を上げた。
「どうした、来ないのか?」
「カウンター狙いなんだよ、言わせんな」
「へらへら笑って、気に食わねえ……」
不意に、視界から旺史郎の姿が消えた。
気づけば拳が目の前に迫っている。
「っぐ!」
なんだ今の、速すぎて見えなかったのか⁉
旺史郎の拳が鼻先をかすめて、たらりとなにかが滴る感覚があった。ぬぐってみれば、そいつは案の定真っ赤な血。鉄の味が口の中に広がる。
「まだまだ!」
「くそっ!」
追撃してくる拳をガードしつつ反撃のチャンスを探す。
相手は大振りを連発している。つくべき隙は十分ある。
けど、
「っくは!」
再び金縛り。今度は避けられるはずもなく、みぞおちにキツイ一発が叩き込まれた。肺の空気を一気に吐き出させられる。
やはりスピードが異常に速いわけでも、パンチが重いわけでもない。
ただ、身体が言うことを聞かない。
まるで、その瞬間は相手が動くための時間だとでも言うように俺は止まり、旺史郎の拳は止まらない。
金縛りによって受けたパンチのダメージが蓄積されていく。相手も相当の手練れだ、当てる場所はすべて急所。
これはもう、超能力を使わずになんて言ってられないな……。
俺の超能力は一瞬だけ時間を飛ばすこと。だから攻撃には使えるが、防御にはあまり向かない。ぶち当たるまでの時間が短くなるだけだ。
でも、一瞬でも攻撃に転じられれば、瞬間拳で形勢を一気に逆転できる。
そのためには。
「……なんのつもりだ?」
だらりとガードを下ろした俺を見て、旺史郎が怪訝そうな反応をした。
だが、これが今できる最善の手段だ。
旺史郎のパンチが金縛りで避けられないのなら、避けなければいい。避けずにパンチを受けながら、一発あごに叩き込めばそれで終わる。
肉を切らせて骨を断つ。ガードを下ろすどころか全身を完全に腕を脱力し、相手の突進を誘う。
――打ってこい。
全身で男を挑発する。これはやつのパンチと、俺のタフネスの戦いだ。
空気が最高潮に緊張する。
それから互いにじっと睨みあい――
「――先輩っ! 大丈夫ですか!」
一瞬、階段から現れた堀田たちに注意をそがれた。
だがその一瞬の隙が喧嘩にとっては命取り。
「(しまった!)」
とっさに衝撃に備え、首を元の場所に戻す。けれど、
「――は?」
その先に、旺史郎の影はなかった。
影も形もない。まるで夢でも見ていたように、あの男はまさしく雲散霧消した。
けれど、俺が動き回って滴らせた鼻血の後も、ガードの上から受けたパンチの重さもまだたしかに残ったまま……。
ってことは、やつは間違いなくさっきまでここにいて、夢なんかじゃ断じてない。
と、堀田が血相を変えて歩み寄ってきた。
「せ、先輩! はなっ、鼻血出てますよ!」
「いや、そんなことより」
「あっ、乱暴にこすっちゃだめですって! 誰か、ティッシュ持ってる人いない⁉」
「……大丈夫だ堀田。自分のがある」
偶然ポケットに入っていたティッシュを雑に鼻に詰め、いま一度周りを見回す。
やはり旺史郎はどこにもいない。空いた窓から外を見てみるが、後ろ姿も確認できなかった。
……増援が来たから逃げたのか? でも、一体どこから? いちおう排水管を伝えば逃げられはするが、それでも一瞬で目の前から消えたことには説明がつかない。
現状ではどうともいえない。けれど、目的は明確だ。
杉山とのつながりは……本人に聞かないとどうにもならなさそうだな。
「先輩、誰かいたんですか?」
どっちにしろ、あいつの目的は俺だ。それなら堀田たちを巻き込む必要はない。
「……いや、誰もいなかった」
「でも、その鼻血は……」
「あそこのタイルが剥げてるところで転んだんだよ。言わせんな、恥ずかしい」
「そう、なんですか……」
適当ぶっこいてそう言うと、堀田は不承不承ながらも納得したようにうなずいてくれた。
それから俺たちは、めちゃめちゃに荒らされたアジトの修復作業に入った。
***
「ふぅ」
作業を終えるころには外はすっかり暗くなっていた。堀田に護衛を打診されたがそれは遠慮し、冷たい夜風に心洗われながら閑静な住宅街をひた歩く。
……今日はものすごい一日だったな。
転校生に、研究所に、襲撃。
なかでもやっぱり一番のインパクトは……
「超能力、か……」
幸之助たちには答えを保留にして待ってもらっている状況だ。けれど、早いうちに決断しなくちゃならないのはわかっている。
記憶の削除か、それとも研究所への協力か。
……おそらく、賢い選択は前者だ。
超能力とかいう、いつ使えなくなるかもわからないようなものを守るために、あえて危険に飛び込むなんて、馬鹿げている。そんなものすべて投げうって身の安全に走るほうがずっと賢明な判断だ。超能力が無くなって喧嘩が弱くなれば、番長なんてやめてしまえばいい。
兄貴との約束も、慕ってくれる後輩も全部なげうって……。
そんな風に割り切れたら、どれだけ楽なんだろう。
「答えなんて、初めから決まってたのにな……」
不意に、ポケットで携帯が震えた。確認してみれば、そこには研究所に向かう時に連絡先を交換した『葵千種』の文字が躍っている。
『――明日、もう一度研究所に来てもらえるかしら。そこであなたの決断を聞かせて頂戴』
機械が打ったような文章をひと眺めして、俺はそれに分かった旨を返信した。
決意を固めるようにゆっくり息を吐き出して、俺は家路についたのだった。
***
そして翌日、研究所。
「――本当に、それで後悔しないんだな?」
幸之助は底冷えするような厳しい声色でそう言った。
けれど、俺の気持ちは変わらない
「ああ、俺は……研究所に協力する。記憶の削除はしない」
「昨日も言ったが、命の危険にさらされるかもしれないぞ」
「それでも構わない」
俺にとってこの力は、兄貴との約束を守るために不可欠なものだ。
その約束を破ることだけは、俺が絶対に許さない。
番長であり続けるために、少しでも兄貴に近づくために、この力を失うわけにはいかない。
俺にとって力こそが正義なら、この力を手放すことは悪だ。
だから、記憶を消すことは出来ない。それがたとえ命の危険につながるとしても。
「……わかった。それなら歓迎する。ようこそ、わが『ギフト研究所』へ」
幸之助の差し出した右手をしっかり握る。
その日、俺の肩書が一つ増えた。
飛島昴はブラコンである。
そして同時に、超能力者で番長でもありかつ――悪の組織を捜査するエージェントでもある。