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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十五話 父親
9/72

7

 翌朝、灌王は帰ると言って支度を始めさせた。

 周辺国がこうも不安定だと、長く自国を空けている訳にはいかない。

 桧釐、華耶が見送りに出る。

「すみません。どうも夫は随分疲れているようで」

 後宮から駆け付けた華耶は灌王に主人の不在を詫びた。

「最後に話がしたかったが、まあ致し方ないの」

 灌王は言って、傍らの息子に目をやった。

「愚息をよろしく頼むと、婿殿にお伝えあれ」

「はい」

「しかし陛下、やはりここはご一緒に帰国した方がよろしくないですか?今後戦がどうなるか分かりませんし、灌の方が安全かと…」

 桧釐が口を挟む。灌王は鵬岷をこのまま置いて帰ると言うのだ。

 戔としては、それは困る。何もかも突然過ぎる。準備が出来ていない。

「それはどうかな。我が国の小ささは知っておろう?苴に包囲されればひとたまりもない。その点、戔の都が陥落する事はまず考えられんだろう。こちらの方が安全だ」

「しかしですね…」

「龍晶殿がこの城に居るうちに次代を手元に置いて育てた方が良い。この戦が終わった後では遅いやも知れん。そうだろう?」

 桧釐は反論を奪われて唸る。

 灌王は彼の死を近く見て縁組を急いだのだ。華耶の手前、これ以上何か言う事は出来なかった。

「まあ、儂としては連れ帰った間に心変わりされると困るのでな」

 それが灌王の本音だろう。これ以上、王子を手元に置いておけない事情があるのだ。

 桧釐は王子に視線を下ろす。

 少年は父を見もせず俯いていた。

 結局、そういうものかと桧釐は嘆息を密かに漏らす。

 おおかた新しく側女でも作りたいのだろう。皇后へのご機嫌伺いの為にも、庶子で長子の彼は国内に置いておけなかった。

 龍晶の言葉通り皓照が人の心の隙に付け入るのだとしたら、これほど使い易い隙は無い。

「分かりました。そこまで仰せなら」

「うむ。兵は早いうちに送らせる」

 代償のように人命を差し出すのかと、桧釐は腹の中で呆れもした。それを乞うたのはこちらなので表面上は慇懃に頭を下げるだけだが。

「そうだ、ぬしらに伝言を預かっておった」

 唐突に灌王は言った。

「誰からですか?」

 険しくなる目元を隠せず桧釐は問うた。灌からの伝言だ、恐らく皓照だろう。

 が、予想は外れた。

「燕雷殿だ」

 桧釐は思わず隣の華耶と目を合わせる。

 朔夜と共に発ったという彼は、無事なのか。

「旅の途中で灌に寄ったと言っていた。その目的は教えてくれなんだが、どうやら北上しているようだな」

 探るような前置き。桧釐は咄嗟に答えた。

「哥の状況を調べるよう、我が陛下が命じたようです。詳しい事は俺も知りませんが」

「成程。燕雷殿はそなたらに、一応達者でやっていると伝えてくれと言ってな。そのまま伝えたぞ。一応と言うておった」

「一応、ですか」

 華耶が相手の言葉を受けて繰り返した。

「そうだ。一応、だ」

 軽く苦笑いしながら喋る燕雷が想像される。

 その言葉の裏に、何があったのか。

「燕雷さん一人でしたか?」

「ああ、城に来たのはあやつ一人であった。同行人は宿に待たせていると言っておった」

 華耶が笑顔で桧釐を振り返った。

 逆に桧釐は眉を顰めていた。

 従者が馬車の支度が整ったと報告に来た。

 灌王は頷き、初めて己が息子へ向いた。

「鵬岷」

 呼ばれて、ぎこちなく顔を上げる。

「これは今生の別れではないぞ。だが親子としてはこれが最後だ。これからは、隣国の施政者として相見える。そうなるともう、肉親の甘えは無いぞ」

「はい。分かっております」

 呟くように答えた頭に、大きな父の手が乗せられた。

「母を亡くした身でここまでよう育ってくれた。これからは戔の人々の言う事をよく聞けよ。特にこの宰相殿の機嫌を損ねるなよ?」

 桧釐はややあってからそれが自分の事と気付いて顔を顰めた。

 何故か。それはこの縁組に反対した当人であり、鵬岷の次の王位継承者の実父であるからに他ならない。

 つまり、桧釐がその気になればこの少年はいつでも捻り潰されてしまうと、そう言っているのだ。

 開いた口が塞がらなくなった。そんな事は関係無しに、親子の別れは進む。

「ではな。達者で暮らせ」

 鵬岷は、はい、と応えただけだった。

 父に縋る事も問い返す事も許されていないと、そう信じている風だった。

 灌王が外へ出るなり、一行は信じられないものを目にした。

 着飾った若い女が王へ走り寄り、ひしと腕に縋る。

「待っておれと言うたろう!?」

 明らかに狼狽して王は女へ言う。

「待ちきれませんでした。お許しを。でも私を共にお城へ入れてくれない陛下も陛下ですわ」

「子らの前だぞ!?」

「今更でしょう?それに私、皇后様の前でも怖くありません」

 やっぱりそういう事か…と桧釐は額を押さえる。

 鵬岷の姿を盗み見ると、父親と女を一瞥するなり背を向けていた。

 多感な時期にこれは辛い。

「鵬岷、お父上を見送りましょう」

 凛とした声にはっと驚いて隣を見遣る。

 母として、華耶が子に言い聞かせている。

「何があろうとも親子は親子です。さあ」

 少年は素直に言葉に従った。

 馬車の中の王は女に気を取られて子を振り返る事は無かった。

 華耶は遠去かる馬車を見詰めながら、桧釐に向けてぽつりと言った。

「私がこの子の母なら、夫を呪いますけどね」

 わざと鵬岷にも聞かせるくらいの声だった。


「あらぁ、華耶ちゃんも強くなったわねぇ」

 一連の話を聞いた於兎はまずそう言って目を細めると、くるりと表情を変えて怒りだした。

「にしても、何なのその王様は。さいってー。王様でも下衆だわね。全く」

「おい、外で言うなよ」

 苦笑いで桧釐は一応、嗜める。

 腰が痛いという身重の妻の肩から背中を揉み解してやりながら。

「うちの王様には言ったの?その事」

「まあ、一応な。あんまり目が覚めてなかったけど」

「何か言ってた?」

 そんな理由なら王子を突き返せと、於兎はそれを期待しているようだ。

「俺には分からんがそんなものなのか?って」

 桧釐は従弟の口ぶりを真似て答える。

 龍晶は義父を敬してはいるから、理解に努めようとしたのだろう。

 妻には言わないが、その後意味深に桧釐を見て王は言った。

 お前には解るんだろうけどな。

「ほんとよ。そんなもんなの?」

「えっ」

 どうして時間差で俺が二人から責められる。

「俺にも分からないって!王様だからじゃないか!?」

「なんでそんなに必死になってんのよ」

 こうして思えば他人事ではない。せいぜい隙を見せぬ事だ。

「次、足」

「はーい」

 差し出された妻の素足を両手に包んで揉みながら、顔色を窺って。

「それにしてもあの王様は老獪ってのかなんて言うか…。うちの陛下が可愛く思えたよ」

「実際可愛いじゃない」

「えっ」

 思わず手が止まる。

「子供みたいって事でしょ?あなたは子供の頃からお世話してるんだし。はい、続き」

 呆れたように妻が言う。敵わない。

「…俺に王子を謀殺する嫌疑をかけて行きやがった。そんな事までして春音を王にするかってぇの」

「あなた、そんな事外では言わないでよ?」

 そのままやり返される。敵わない。

「…そう言えば、皇后様は養子が来たら春音と後宮を出るって言ってたけど、あの様子だと心変わりしたのかな」

「華耶ちゃんは強くて優しい娘だから、そんな可哀想な王子様を放っておけないかもね」

「そうだなぁ…。優しくて綺麗で若いお母さん、良いよなぁ」

 踵落としが桧釐の頭を襲った。


「燕雷が?」

 丸一日眠り続け朦朧とし、やっと覚めた目で妻を見返す。

「そう。一応、達者にしてるって」

「それって…」

「宿に居たみたいよ?」

 二人の脳裏には、同じ顔が浮かんでいる。

「生きてるのか…」

 華耶が大きく頷いた。

「生きてる…」

 喜ぶのはまだ早い。それは確証とはならない。

 燕雷はこちらに気を遣ってそういう嘘を吐いた可能性もある。

 送られてきた銀髪の説明もつかないし、苴王が嘘を()く理由も思い当たらない。

 何より、龍晶にとって命の有無は既に問題では無くなっていた。そういう自分に気付いた。

 この身が向こうへ逝こうとしているのだから、その(こだわ)りに意味が無くなったのだ。

 それより今目の前で華耶が喜んでいる事が重要だった。

 目に涙を浮かべて笑う顔を片手で包み、抱き寄せる。

 口付けは躊躇われて、そのまま胸の中に収めた。

 愛する人が愛しい人を想って流す嬉し涙を身に染み込ませながら。

 これで良いんだと思えた。あとは夢の中であいつを少し責めてやるつもりだ。


 空気は(ぬく)もり、花の蕾が見て取れるようになった。

 が、如何にこの都でも花を愛でる余裕は無くなった。哥がいよいよ本格的に攻めてきたのだ。

 宗温は我慢ならなくなったようで、敵の数を減らしたらすぐに戻りますと言い置いて壬邑(ジンユウ)に駆けて行った。

 お陰で敵の大軍に対して持ち堪えているという情報は入ってくる。が、それ以上の進展はなかなか齎されなかった。

 苴の動きはまだ無い。

「父上…これからどうなるのでしょうか」

 玉座の横に座る鵬岷が顔を青ざめさせて問う。

 幼い彼はまだ戦を知らない。これからの為にも、今ここで学んでおかねばならない。

 報告と議論を行う重臣達を前に、玉座に在る龍晶はずっと瞼を伏せていた。流石に眠っている訳ではないだろうが、そうとも見えかねない動きの無さだ。

「なるようになります。今我々はただ、事実を聞き、祈るのみ」

 やっと龍晶は息子となった人に答えた。

 丁寧な口ぶりは崩さない。鵬岷が頼んでも断られる。理由は明かさない。

「何を祈るのですか」

 神に頼まねばならぬ事は多い。これ以上攻められない事、被害が広がらぬ事、自軍の勝利。

 龍晶は目を開けて、そのどれでもない答えを口にした。

「戦で亡くなった全ての者の冥福です」

 鵬岷は難しそうに眉根を寄せて考えた。

 死んだ者の事より、死者を増やさぬのが政ではないのだろうか。

 声に出さずに考えた筈なのに。

「戦地に居らぬ我々が何を考えたとしても無駄なのですよ。兵を生かすのは、その場に居る将の役目。王は命を落とした者に詫びながら、機が熟すのを待つのです」

「反撃の機会をですか?」

 王は(ほの)かに笑って首を横に振った。

 分からぬ事だらけだが、この父は全てを教えてくれない。考える手掛かりは与えてくれるけれど。

 それに玉座に在るせいか、何か存在感が超然としてしまって、以前とは違う。気安く何でも尋ねられる空気ではない。

 その空気感こそ王として必要なものなのだろうと鵬岷は思った。真似るのは難しい。

「陛下」

 (きざはし)の一段下に居る桧釐が声を掛けた。

 顔に驚きを貼り付けている。横には報告を持ってきた側近が控えている。

「苴より使者が参っております」

「会おう」

 即決した王に頷いて。

「その使者は、孟逸(モウイツ)だそうです」

 見開いた目は、すぐに細められた。

「来てくれたか」

 桧釐は頷いて、側近に言った。

「通してくれ」

 程なく、孟逸が現れた。

 が、その姿に違和感を覚えた。いつも折目正しく正装を纏っている彼が、軽装を旅に草臥(くたびれ)れさせている。

 態度だけはいつもと変わらず、戔王の前まで出ると膝を折って頭を下げた。

「陛下におかれましては…」

「孟逸、どうした?何かあったか?」

 相手の正式な挨拶を遮って龍晶は訊いた。そういうこの王に孟逸も慣れている。

有体(ありてい)に言えば、苴から逃げてきました。申し訳ありませぬが、私は正式な使者ではありません」

「俺に近い事で迫害を受けたか?だとすれば申し訳ない事になった」

「陛下のせいではございませぬ。真実を口に出来ぬ祖国を私が捨てただけの事。燕雷殿の助言もあり、足が戔に向かっておりました」

「詳しく聞かせてくれるか」

「勿論。しかしその前に皆様の前で申し上げねばならぬ事が」

 ここに集まる重臣、将、王族を見回して。

「苴軍は主力隊の編制を終え、都を出発しました。間もなく国境に現れるでしょう。まずは南部成州から、穣楊(ジョウヨウ)を目指すとの(よし)

「それは誰から聞いた?」

「軍部の旧友です。信頼出来ます」

 龍晶は頷き、そこに居る諸将へ命じた。

「成州国境に急ぎ軍備を固めよ。壬邑へ使者を飛ばし、宗温に報せを」

 そこに居た半数が席を立った。残るは文官と王、王子だ。

「さて…孟逸、席を移すか?」

 王の気遣いだと受け取って、首を横に振る。

「このままで構いません」

「いや、俺が構うんだよ。こんな所じゃ据わりが悪くてな」

 王ではなく、共に旅をした少年の笑みを見せる。相変わらず玉座は苦手らしい。

 意を受けた桧釐が場を解散させ、龍晶と孟逸を謁見の間から出させる。

 そこへ鵬岷もついて来た。

「孟逸さん、お久しぶりです」

 彼は目を見開いて王子を見下ろした。

「矢張り鵬岷王子でしたか!何故ここに居られるのか見当も付かず、別人だと思い過ごしておりました。失礼を致しました」

「俺の養子となられた」

 言葉少なく龍晶が説明した。

 孟逸は少し考え、思い当たったように確認した。

「陛下が灌の姫を娶られた、その御縁ですか」

「まあな。どっちが先の計画だったが知らないが」

 本当の目的は華耶よりこっちだったと思われる。それが灌王にせよ皓照のものにせよ、最早同じだ。

「苴にそういう情報は入ってないのか」

「一部は知っておるやもしれませんが、私などには全く…。言っては何ですが、今や苴は龍晶陛下を憎む声だけが溢れております。あなたがどんな方か知ろうともせずに」

「うん…そうだろうな」

 哥で目にした、何も知らずに兄を呪う光景。

 それと同じ事が今、苴で起こっているのだろう。

 それ以上深く聞く前に、孟逸は鵬岷を振り返った。

「ここからは王子のお耳には入れ(がた)い話となりますが…」

「構わぬよ、孟逸。俺は戦で起こる事をなるべくこのお耳に入れたいと思っている。あとは王子が聞きたいと思われるかどうかだ」

「聞きます。聞かせて下さい」

 若い親子の顔を見比べ、孟逸は微笑んだ。

「成長されましたな」

 それは二人に向けた言葉だ。

 回廊を渡り、階段を上がり、一つの小部屋へ通される。

 机と椅子、そして奥には寝台がある、見覚えのある部屋だ。

 以前に使者として来た時、酒盛りをすると言って集まった場所。

 あの時居たのは龍晶、桧釐、孟逸、そして朔夜の四人だった。

 そして同じように龍晶は桧釐に寝台へと導かれた。

 が、そこに寝るのではなく、床へ座り込んで寝台を背凭れにしている。そのまま目眩に耐えるように膝に額を乗せて目を瞑っていた。

「陛下、大人しく寝て下さいよ。孟逸なら気にしないでしょ」

 不満げに桧釐が上から言うが、緩く首を横に振る。

 そしてやっと顔を起こして面々に言った。

「前みたいに車座でやろう。どうも俺は、偉ぶるのに疲れてる」

 慣れない事をするのは鵬岷の為だ。龍晶自身は最初から型破りだったが、次代に型を教えておかねば自ら破る事は出来ない。

 それぞれが好きな位置に落ち着き、武官らしく王の対面に胡座で座る孟逸が口を開いた。

「お身体はまだ治りませぬか」

「ああ。治る病じゃない。波はあるけど。今は比較的落ち着いている」

「戦の為に無理して忘れてるだけですよ、陛下は」

 桧釐の言葉に苦笑して、隣にぴったりと座った鵬岷の心配げな視線も受け取って、龍晶は言った。

「これが最後の務めだからな。孟逸、聞かせてくれ。苴で何があったか」


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