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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第三十一話 永遠
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7

 巡宗に手伝って貰って、太く長い枝を細かく切り分ける。

 手頃な大きさになった丸太を波瑠沙が斧を振るい燕雷が鉈を持って薪にしていく。

 そうは言ってもあまり余裕の無い生活だ。桧釐に頼り切るばかりでもいけない。使えるものは無駄には出来ない。

 ようやく庭に横たわっていた枝が全て細断された頃、縁側から華耶が声をかけた。

「皆さん、お茶にしましょう」

 近ごろ漸く茶葉が買えた。白湯に慣れた舌で茶を飲むと旨さが違う。

 長屋の中では龍晶と春音が昨日の手習の続きをしていた。今は『つ』を書いていたらしい。

 一枚の紙に蚯蚓がたくさん這うような『つ』の字を描いている。春音は飽きずに別の紙にまで『つ』ばかり書きだした。簡単で気に入ったのだろう。

 隣の間では祥朗夫妻が薬学の書物を広げて何やら相談している。夲椀の腹はふっくらと膨れていた。

 華耶は十和と共にそれぞれへ湯呑みを出していった。二つの部屋と縁側に戔から来た全員がそれぞれ座る。

 暑くもなく、寒くもない、春の陽気の良き日だ。

「そう言えば、朔夜君」

 共に枝を切っていた流れで横に座った巡宗が口を開いた。

「道場の師範をする気は無いかい?」

「…ん?なんで?」

 きょとんと朔夜は問い返す。

「先日、頼まれて里の道場の屋根を直しに行ったんだがね。師範が高齢で毎日弟子の相手をする事が出来ないらしい。それで刀を使える人を探しているらしいんだが」

 昨日の立ち回りを見て巡宗は思い付いたのだろう。

「波瑠沙さんと共に如何かな?数日に一度来てくれたら助かると言っていたんだが」

 指名された二人は目を見合わせた。

「当然報酬はあるんだよな?」

 波瑠沙の着目点はまずそこだ。

「勿論だ。それなりに弟子の数もいるようだから、そこの心配は無い」

「刀振るって稼げるなんて良い話じゃねえか。里の包丁を全部研いじまったのか近ごろ依頼も少ないしさ。なあ朔、行こうよ」

 うーん、と朔夜の返事は煮え切らない。

「道場は子供も居るんですか?」

 横で聞いていた華耶が質問した。

「見ていると子供と若者が半々といった所かな」

「良いじゃない朔夜。子供に教えるの好きでしょう?」

「だから、それがさあ…」

 後ろの龍晶を振り返って。

「俺、あの時の子供達を半分も守れなかった。苴との戦の後、あの子達は峯旦(ホウタン)で食糧輸送をしてたらしいんだけど、それを敵に襲われたんだ。お前に身を守れるよう強くしろって言われてたのに。だから…もう、そういうのは良いかなって」

 己の命令が原因となって命を落とした子供達。それを知らされるのは辛かった。

 龍晶は大きく息を吐いて、しかし朔夜には言ってやらねばならなかった。

「それはそれだろ。お前がやりたいなら行くべきだと思うが」

「やりたい…かな…」

 それは自分でもよく分からない。ただ、稼ぎたいとは思う。収入があれば、友に良い物を食わせてやれる。それで病気が快方に向かうかも知れない。

「とりあえず一回様子を見て来たら?ねえ波瑠沙さん、一緒に行ってあげてよ」

 華耶に頼まれて、波瑠沙は当然と頷いた。

「しょうがねえなあ。この人見知り、初めての場所だと固まっちまうもんな」

「そんな事無いって」

「私に初めて会った時に石のようになってたのは誰だよ。果ては燕雷の陰に隠れてさ」

「そうだったの?朔夜」

「だって!あれは波瑠沙が余りにも突然やって来て酒を飲みだすから!」

「はあ?酒を飲む前からお前はかちんこちんだったじゃねえか。大体、酒宴になったら初対面でも仲良く飲むもんだろ」

「飲まされたじゃん!仲良くかどうかはともかく、お前に滅茶苦茶飲まされて酷い目に遭った!」

「人生初の二日酔いを経験させてやったんだろ?感謝しとけ」

「ぜんっぜん有難く無いんですけど!?」

 やり取りに華耶が声をたてて笑う。

 華耶だけではない。皆笑っている。

 春音もいつの間にか父親の懐に潜り込んで笑っていた。

 その頭上で、龍晶は鼻で笑って揶揄った。

「仲が良いな、お前ら」

「そりゃまあ、体の隅々まで知り抜いてる仲だし?」

 言った波瑠沙の口を顔を赤くして朔夜が塞ぐ。もう遅い。

 またあらぬ事を口走られる前に朔夜は話を戻した。

「巡宗、いつでも良いからその道場に連れて行ってくれよ」

「分かった。ちょうど明日、里に用事があるから行ってみるか?」

「うん。良いよな波瑠沙」

 まだ塞がれている口で彼女は良いぞと言ったらしかった。


 道場と言えば桧釐が飲んだくれていた場所が思い浮かぶが、ここはその比較にならないほど広くてきちんとした場所だった。

 門弟達が整然と並び掛け声と共に素振りをしている。その横を案内されながら歩く。

 朔夜は既に浮足立っている。全て自己流でやってきた自分はこういうきちんとした剣技を身に付けていない。彼らの上に立って務まるとは思えなかった。

「なあ波瑠沙、やっぱり…」

 やめようよ、と小声で言いかけたのを口を塞がれ返された。

 彼女の目は楽しそうに細められている。そこにはいつもの悪戯っぽい毒気がある。

 何か企んでる、と更に震え上がった。他人の振りをして今のうちに帰りたい。

 号令が掛かり、素振りが止まった。

「場を空けろ」

 案内した師範代の一言で整然と並ぶ列が割れ、左右に分かれる。中央に空間が出来た。

「まずは実力を測らせて頂きたい」

 そう告げられて、門弟の一人を呼び出した。屈強な若者だ。

「どちらからでも」

 二人は目を見合わせる。

 波瑠沙はその門弟を見て問うた。

「兄さん、どっちとやりたい?」

 彼の目は二人を小馬鹿にしている。女と子供にしか見えない相手なのだから当然かも知れないが。

「私は女人を打てませんので」

 相手の答えに波瑠沙は肩を竦めた。

「なるほど?それなら打てる所まで行けるか試してみるか」

 言いながら立ち上がる。

「何でやる?得物は持って来たけど、怪我をさせる訳にもいかないし」

「それは貴女こそ。どうしてもやると仰せなら、竹刀で如何か」

「ん。じゃあ木刀」

 全く相手の意に沿わない答えで唖然とさせ、別の門弟から投げ渡された木刀を片手で受け取った。

「あまり愚弄しないで頂きたい」

 相手もまた木刀を受け取りながら、気分を害した事を隠しもしない。

 波瑠沙はにっこり笑った。

「最初に馬鹿にしてきたのはそっちだよ?ま、一発やれば解るさ。それで惚れるなよ?どっかの誰かみたいに」

 後ろで朔夜が顔を顰めて、えっと声を出したが無視。

「参る」

 先手を打ってきた相手を波瑠沙は余裕の笑みで受け止めた。

 力尽くで弾き返し、相手に出来た隙を突く。

 何とか間に合わせてきた刀を強い力で横から打ち込み木刀ごと飛ばした。

 それだけの力が込められながら完全に制御された木刀は、弧を描いて相手の目前に止まった。

「どうだ?解ったろ?」

 相手は空いた両手を挙げた。

「お許しを」

「解りゃ良いんだよ」

 木刀を引く。振り返って師範代に問うた。

「そいつは私よりすばしっこいからな、それに見合う相手を選んでやれ」

 顎で朔夜を示しながら言う。

 頷き、別の名を呼んだ。

 今度は細身の男だ。流石に朔夜より背は高いし肉付きも良いが、確かに素早そうな雰囲気はある。

 波瑠沙は朔夜に持っていた木刀を渡した。

「お前にゃ長くて重いか」

 双剣使いの場面ばかり見ているからそう問うたのだが。

「いや。これなら普通に使えるよ」

 彼女の得物くらいになると無理だと思う。まだ持たせて貰った事は無いが、重過ぎて扱える気がしない。

 木刀は燈陰との稽古で日常的に使っていた。尤もあの頃のものは身長に合わせてもっと短かったとは思うが。

 朔夜は相手と対峙した。

 それだけで実力は測れる。舐めている訳ではないが、長年の経験がそういう目を鍛えた。

 尤もこうして一対一で対峙する事は戦においてまず無い事だが。

 相手には実戦経験が無い。それはすぐに分かる。教本通りとも言うべき端正な構え。

 それが悪いという訳でもない。ただ、実戦でそれは役に立たない。

「誰か合図してくれよ」

 木刀を片手で弄びながら朔夜は周囲に言った。

 自分から打って行っても良いが、それではあっという間に勝負が付いてしまう。

「始め!」

 師範代が声を上げた。

 その声の余韻が消えぬ瞬間に。

 弄ばれていた筈の木刀の、その切先が若者の顔面に迫っていた。

 彼は慌てて構えていた木刀を横に薙ぐ。が、当たった感触さえ無かった。

 瞠目する。相手の姿が消えている。この瞬時の間に。

 その気配を察する前に、背中に軽い衝撃を覚えた。

 いつの間にか背後を取られていた。

「そこまで!」

 余りに一瞬の勝負だった。周囲がざわつく。

「大丈夫か?」

 打った相手を心配して朔夜は声をかけた。

 彼は頷き、頭の混乱を収めるべく問う。

「一体どういう動きを?」

 笑いながら答える。

「お前の横ががら空きだったから、走って通り過ぎて背後から打っただけ」

「なっ…」

「敵は正面にしか居ない訳じゃないからな。戦では」

 道場では正面から打つのが当たり前だろう。だが朔夜は戦場の当たり前しか知らない。

 知るべきはそっちだと信じている。その為の剣術だ。

「お前は何の為に刀を持つ?」

 朔夜は問うた。純粋に疑問だった。

 若者は真っ直ぐに答えた。

「灌を守る為。戔のような動乱に巻き込まれた時、我々の手でこの国を守らねばならない」

 小さく、民の少ないこの国では、いざという時に国軍任せにはしておけないだろう。

「皆そうなのか?」

 頷く顔がいくつもある。随分幼い顔までがそうだ。

 隣国の混乱を見たからこそ、それは真に迫って彼らの共有する危機感となったのだろう。

 その動乱の真っ只中に居た朔夜は、師範代に確認した。

「戦で生き残る為の戦術しか俺は教えられないが、それでも良いか?」

 頷かれる。その為の道場だと言わんばかりに。

「そっか。それなら良いか」

 己の中の蟠りに納得を見て、朔夜は波瑠沙の元に踵を返した。

「やる気になったか」

「うん。俺の方法で良いって言うなら」

「お二人共」

 師範代が向き直って問う。

「是非ともお二人の立ち合いが見たいものだが、一つ如何だろうか」

 請われて、波瑠沙がにやっと笑った。

「タダじゃ見せられないぜ?」

「無論、その分の謝礼はお支払いする」

 座興の為に金を払える、良いご身分だなと朔夜は皮肉に笑ったが。

 場を見て肩を竦めた。期待に満ちた目がいくつもこちらを向いている。

 どうやら必要な事らしい。

「木刀なんかむっさいものでやる気は無いよなあ、朔」

 既にその気になっている波瑠沙に問われた。

 彼女は己の得物を装着し始めている。

「俺、何も持って来てないよ」

 刀は置くと決めたのだから、そう簡単に持ち出すつもりは無かった。

 彼女はにやりと笑って、懐に両手を突っ込んだ。

 その両手に握られて、長年の相棒が姿を現し出番を待っていた。

 差し出されて、無言で受け取る。

「遊びだから、な?」

 頷いた。彼女と対峙する為に持つのなら本望だ。これほど楽しい事は無い。

 双剣を装着し、その場で目を見合わせて。

 波瑠沙の重い刀が引き抜かれるなり振り下ろされた。

 朔夜は後ろに大きく跳ぶ。周囲を考えて、広い場所に彼女を誘いたい。

 何の前触れも無く始まった真剣勝負に観客はただただ息を呑んでいる。

 波瑠沙は朔夜を追いかけて刀を振り回した。

 上に跳んで躱す。その空中でやっと双剣を抜いた。

 頭上から降って来た刃を紙一重のところで彼女は躱す。靡いた髪が切られていた。

 横から薙がれた大刀を二本の双剣で受け止める。それでも重さの余る斬撃を受け止めるより、動力として利用して背後に跳ぶ。

 それはもう予想済みとばかりに切り返した刀が襲って来る。朔夜は身を屈めて刃を潜った。

 下かと思うとまた上へと跳んだ。予想外の動きに大刀は即座に反応出来ない。波瑠沙は振った勢いのままに刀を手放した。

 上からの斬撃を身軽になった動きで躱す。躱しながら地面すれすれに身を屈めて得物を拾い、膝を着きながらまた飛びかかってきた朔夜の双剣を受けた。

 下から弾かれた短剣の一本が飛んだ。朔夜はにやりと笑う。絶対不利な状況で。

 瞬時に波瑠沙も気付いた。大刀は上へと向かっている。朔夜を懐に誘うように。

 また刃を潜って、彼は抱かれるように飛び込んで首筋に刃を付けた。

 同時に踵を返した波瑠沙の刀も朔夜の後ろ首を狙っていた。

「相打ちか?」

 睦み言のように朔夜は首筋に向けて囁く。

「良いんじゃねえの?同時に逝けたって事だろ?」

「理想だな」

 お互いにやりと笑って、刃を離す。

 まるで二人だけの世界。周囲はその世界に呑まれて、物音一つ発てられないで居る。

 踵を返した朔夜は飛ばされた双剣の片割れを拾い上げた。矢張りこの相棒を物置に捨て置くのは惜しい。

 今の生き方に満足出来るのなら、また懐に戻してやっても良いのかも知れない。

 この先の世がどうなるかは分からない。彼らが危惧する通りまた戦になるのかも知れない。現に苴では内戦が起きている。その飛び火を受けないとも限らない。

 だけどもう、国の為に振るう刃ではない。

 大事な人達を守る為。

 それも、こうして、誰も傷付けない方法で。

「波瑠沙、またやろう」

 清々しく笑って言った。近いうちにまた、という意味で。

「おう。もう一戦やるか」

「え」

 鞘に収まった筈の大刀がまた引き抜かれた。


 臨時収入で牡丹肉と玉子を買って帰った。

「わあ、今夜は鍋ね」

 歓声を上げて華耶は早速、準備に取り掛かる。

「良い顔してるな」

 (とこ)で寝転がる龍晶にそう言われた。

「うん。やっぱ、波瑠沙とやり合うのは好きだから」

「気をつけろよお前、別の意味に聞こえっぞ」

 通りすがりの彼女に手荒く銀髪を撫でられながら言われた。

「げ…ええ?」

 既に廊下の先に向かっている。風呂を沸かして着替える気らしい。

 龍晶は軽く笑って、それでも苦しそうに息を吐いた。

「体、辛いのか?」

「いつもの事だ。気にするな」

「うん…。鍋でちょっとでも栄養取ってくれよ。お前の為に買って来たから」

「俺に気を遣うなよ」

 朔夜の方が辛そうに顔を歪めてしまう。

 苦笑いして、言ってやった。

「せっかくだから鍋は頂くよ。春音と一緒に食べればちょうど良い」

「うん。あいつにも大きくなって欲しいし」

「せめて俺の背は超えて貰わないとな」

 ふっと遠い未来に目を向ける。

 それは十年後か、もう少し先か。

 この目では確かめられない未来だが、希望に溢れている。

「お前が居れば、あいつに父の背を超えた事を教えてやれる」

「人を物差しに使うなよ。自分でやれって」

「お前の頭一つ分上な」

「聞いてるか」

 咳が響く。朔夜は身構えたが、本人は大事ないと弱々しく笑って首を振った。

 冬を超えて体力は戻らず、確実に衰弱している。床の範囲から動く事が殆ど無くなった。

 一年持つかどうか。

 この場所に向かう馬車の中で彼はそう言った。あれから半年が経っている。

 このまま、二年でも三年でも時が経ってくれたら良い。

 このまま、何も変わらないで良い。

 飽きる程の平凡な日常が永遠に続いてくれたら。

「出来たよ」

 華耶が鍋を囲炉裏に運んできた。

 十和が春音を連れて来る。

「春音、肉だ。いっぱい食えよ」

 朔夜の言葉にすかさず龍晶は付け加えた。

「野菜もな」

 振り返ると、意地悪な笑み。

「誰かさんは野菜嫌いで父親に怒られてたんだろ?」

「なんで知ってるの…!?」

「お前、自分で言ってたよ」

「えっ!?いつ!?」

「忘れた」

 上体を起こして、春音を懐に座らせて、器に具を盛る。

「よくふーふーしてあげてね」

 華耶の助言通りに箸で摘んだ肉を冷まして、匙に乗せてやる。

 幼子は自ら匙を掴んで口に運んだ。

「美味いか?」

 朔夜の問いに笑って答える。

「んまーよ」

「へへ。そうか。良かった」

 自らも口へと掻き込む。その箸を、上から止められた。

「おい、自分ばっか食うなよ。肉を残しとけよ!」

「んあ、波瑠沙…」

 濡れた髪が顔に覆い被さる。

「食い物の恨みは怖いぞお?」

 上を向いたまま器用に頷いて、次は大人しく野菜を器に盛った。


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