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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第三十一話 永遠
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6

  挿絵(By みてみん)


 幼子の持つ筆は紙から逃げ出し、板の間へ線を描いていった。

「うわぁ!?やめろ春音!止まれ!」

 朔夜は濡らした襤褸切れを手にその線を追い掛ける。

「良いぞ。もっとやれ」

 父親は笑いながら煽る。

「やめさせろーっ!」

 春音はきゃっきゃと笑いながら縁側にも墨線を引いていった。もう筆先が乾いているのが救いだ。

 何とか捕まえて、元通り文机の前に座らせる。

 設えた筆を使って、初めての手習をしているのだ。

 まずは好きに筆を使わせると師匠代わりの父親が言うお陰でこうなった。

「まだ早いんじゃないの?」

 華耶は苦笑いしながら朔夜から襤褸切れを受け取って床を拭く。

「そうかな。でも賢いからな、この子は」

 言いながら紙の半分の大きさに『あ』と書いて見せる。

 手は震えて力が入らぬが、これだけ大きな字なら問題無い。細かい文字はもう書けないが。

 手本を渡された春音は、あー、と読みながら横にその文字を真似て書いていく。

「あら。すごい」

「だろ?」

 もうその意味を理解している。まだ文字は形を成してないが、満足そうに春音は言った。

「わっこえらいよー。てんさいよー」

 さっきまで怒っていた朔夜も思わず吹き出した。

「於兎の英才教育が効いてるな」

 龍晶も笑いながら言って、次の紙に『い』と書いた。

 ちなみにこの紙も桧釐に頼んで送って貰った。普通に買うには紙は高価過ぎる。捨てるような古紙でも良いからと頼んだら、新品をどっさり送ってきた。

 きっとこれも春音の為にと於兎が張り切ったのだろう。

「お、やってんな」

 波瑠沙も近付いてきて上から眺める。

「私も一緒に習おうかなぁ」

 冗談混じりに言うと、春音は振り返って彼女を見上げ、自分が書いた文字を見せて教えた。

「はーさ、これ、いー」

「おお、そうですか先生。勉強になります」

 皆が笑う。開け放った戸の向こうで、十和も繭玉から糸を紡ぎながら笑っていた。

 麗らかな春。人の心を解かす。

 燕雷と巡宗は裏の畑で作物を収穫していた。祥朗は里の人にも向けて薬を作り、妻の夲椀は懐妊した体を大事に傍で見守っている。

 このまま何事も無い日が続けば良い。龍晶と怒鳴り合ったあの日から、朔夜は祈るように日々を過ごしていた。

「朔、ちょっと」

 笑い合う輪の中から、波瑠沙は朔夜を呼び連れ出した。

「何?」

 親子三人に見えぬ土間に降りて問う。そうしろと無言で伝える波瑠沙の難しい表情があった。

「韋星の野郎がさっき来てな、お前に用のある連中が来るからここで待てと言っていた」

「俺に?」

 龍晶ではなく、わざわざ自分を名指ししてくる事に不審を覚える。

「灌王府を通してお前に接触を図ろうとする奴だ。何を企んでいるか…。今のうちに逃げとくか?」

「逃げた所でまた来るのは目に見えてる。龍晶にもどんな累が及ぶか分からない。待ち受けてやろう」

「ああ。久しぶりに刀を出しとくかな」

「春音も居るし、あまり大ごとにはしないように…」

「流血沙汰にしなきゃ良いんだろ?」

「いや…まあ…うーん」

 何が限度かは難しい。

「春音は向こうに行っておいて貰うか」

「それが良いだろうな。ああ波瑠沙、持っておくなら短刀にしてくれ」

「なんで?」

「大刀を持ってたら戦うって宣言してるようなもんだし、お前の実力なら短刀で十分だろ」

「ふーん。分かった」

 波瑠沙は廊下へ向かった。言われた通り短刀を懐に仕込みに行ったのだろう。

 朔夜は三人の元に戻った。

「どうやらこの後、俺に客が来るらしい」

 説明しながら座る。すぐに春音が懐に登って来る。

 筆を握ったままの手で攻撃されないように軽く手首を握って操りながら、胡座の上に座らせて。

「お前に客って…」

「招かれざる客だろうな。恐らくは」

 龍晶は腕を組んで春音の手習に目を落とした。『こ』まで進んでいる。

「華耶、春音を連れて十和と向こうで待っててくれ。戸を閉めて、開けるな。燕雷も行かせる」

「そんなに危ない事?仲春はどうするの?」

「俺はここで寝ておく。俺が居ないとなれば向こうは不審に思うだろうし、どんな客なのか気になるからな」

「大丈夫?」

 華耶の問いには朔夜が答えた。

「大丈夫だ。変な事にはさせない。波瑠沙も居るから」

 夫も頷いて見せ、華耶は納得した。

「分かった。じゃあ待ってるね。行こう春音」

「春音、続きはまた明日だ。次は『さ』からな」

「さくーのさー」

 春音は嬉しそうに言いながら振り返った。その可愛らしさに油断していた。

 鼻先に筆の冷たい感覚。やられた。

 龍晶が吹き出す。

「犬みたいになってるぞ、お前」

「さくー、わんわん」

「元からだよ、どーせっ!」

 波瑠沙のお陰で動物扱いには慣れた…訳ではなく臍を曲げて洗いに行った。


 その連中は程なく現れた。

 実質的な客は二人だ。あとは護衛兵だった。

「お前、得物は?」

 波瑠沙の問いに朔夜は肩を竦めた。

「必要無い」

「そりゃ、手荒な事にはならないって自信があるのか、それとも…」

「どうとでもなるって自信かな」

 波瑠沙は嘲笑を浮かべて近付いてくる客人達に目を向けた。

「立派なのは外見だけで、へっぴり腰には違いないな」

「ああ。あんな奴らに刀は必要無い」

 捨てると決めたものを持ち直すつもりは無い。

 それを相手に解らせるつもりだ。

 顔が見える所まで相手はやって来た。

 二人の元まで来たのは一人だ。残りは庭で待っている。

「お前が月夜の悪魔か」

 初対面で随分な物言いだ。

「まず自分から名乗れよな」

 呆れて朔夜は返す。

「悪魔に礼儀など必要あるまい。だが依頼をする以上は教えてやろう。あの方は」

 後ろを半分振り返り、庭で待つ貴人を視線に入れさせて。

「お前が(しい)した(さき)の陛下の第五王子である、泰辞(タイジ)様だ。私はその一の臣である按湧(アンユウ)

「はーん、苴の王子さんか。でもお前さっきから人違いしてるぞ?俺が悪魔だなんて誰が言った?」

「皓照殿だ。悪魔は銀髪の子供の(なり)をしていると確かに聞いた。(とぼ)けて言い逃れなどさせぬぞ」

 苦く、痛く笑って、朔夜は短く息を吐いた。

「話だけは聞いてやろう。庭でな」

「ふざけるな。王族を相手に庭で立ち話など、それだけで不敬罪に値する」

「だってさ龍晶。俺何回不敬罪を犯したかな?」

 奥に向けて冗談混じりで問うと、(とこ)の中から馬鹿にした声が返ってきた。

「庭で立ち話どころの騒ぎじゃねえからな、お前は。罪に問う方が面倒臭い回数だろ」

「だって」

 意味が分からないとばかりに無視されて、臣は主を呼んだ。

「殿下、悪魔が話を聞くと申しております。どうぞ中へ」

「俺何も言ってないのに」

 数人の護衛を連れて王子はずいと中に入ってきた。

 仕方なく朔夜も彼らに対峙する形で座る。

「おい女、茶など出さぬか」

 波瑠沙に向けて按湧が命じる。朔夜は隣の殺気を感じてまた肩を竦めた。どうにでもなれ。

 波瑠沙は殺気をそのまま笑みにして問うた。

「その茶に何か入っていたら貴様はどう責任を取るのかな?」

「何を!?」

 護衛兵達が刀に手をかける。彼女はにやりと笑った。

「良いじゃん。やるなら表でやろうや」

「どーどー。まだ早いから。話だけは聞くって言っちゃったし」

 一応止めて、王子へ目を向ける。

「さっさと喋ってくれ。俺達もそんなに暇じゃないんでね」

 第五王子だという男は自ら口を割らず、気弱な目を臣へと向けた。

 自分に王位が回る事はまず無い立場だ。いかに朔夜が二人も上の王子を消したとは言え。

 それ故にだろう。気概は無く、腑抜けた顔をしている。歳の頃は三十程で男盛りだろうに、青白い顔をして波瑠沙の気迫に慄いている。

 そういう主に代わって按湧が口を開いた。

「お前のお陰で苴では後継者争いからなる内乱が起きている」

「へー。そうなんだ」

 他人事な相槌。

「第一王子 泰白(タイビャク)殿下と第二王子 泰環(タイカン)様との争いだ。我が主は泰環様に王位に着いて頂くべく行動を共にしておられる。泰環様こそ文武に優れ王位に相応しいお方だからだ」

「はあ。それで?俺に何をしろって?」

 ここまで来たら聞かずとも分かるが。

「泰白殿下の暗殺を」

「馬っ鹿じゃねーの?」

 間髪入れず朔夜は言い放った。

 按湧は流石に顔色を変えて周囲の兵に合図を出そうとしたが、主の手がそれを止めた。

「待て、断る理由を聞こう。相手は悪魔だ。私は殺されたくない」

 朔夜は赤い唇の端を引き上げて笑う。

 按湧は座り直した。同時に兵達も構えを解く。

「殿下、相手は断っている訳ではなく、貴方様を侮辱したのです。許される事ではない」

「暗殺は私が言い出した事では無い。兄上が私に命じた事なれば、その侮辱は兄上に向けてのものだろう」

 我慢出来ずに朔夜は下を向いてくくっと笑う。

「貴様!」

「いや、勘弁してくれよ。何の茶番だよ、なあ?」

 顔を上げて、愚かな主従を嘲笑って。

「その程度の覚悟なら素直に第一王子に付けば?その方が丸く収まるだろ。大体、王位が欲しいならてめえの力で捥ぎ取れよ。堂々と敵をぶっ倒して兄貴の首を取って来い。でなきゃ誰も認めねえぞ。なあ龍晶、そうだろ?」

「暗殺なんかじゃ民は納得しないのは確かだな」

「前の戔王陛下は兄を弑してその座に着かれたとか」

 按湧が冷たく問う。

「だから何だ」

 龍晶もまた、まともに相手をする気は無い冷たさで問い返した。

 泰辞が無言で立ち上がり、戸口を潜って病褥の前王を見下ろした。

 龍晶もまた真上にある相手の顔を睨んでいた。二人の兄に似た、狡猾な目。思い出したくもない顔。

「兄や父を誑かしたのはこの顔か。成程、女のようだ」

 目の奥に(よぎ)った怒りを、瞼を伏せて隠す。

「随分なご趣味をお持ちでしたね、殿下の父兄は」

 挑発し返して開いた目は、過去の怒りを現在の覚悟に変えていた。

「もう苴王家に関わるつもりは無い。友に代わり言わせて頂く。即刻お引き取り願う」

 按湧は嫌な笑い方で龍晶、そして朔夜に視線を回して言った。

「断れば、悪魔殿を王弑虐の罪で連行するが」

「だからさ、それは人違いだっての。俺はただの刃物研ぎで、王様殺すような事なんかしてない」

 ふん、と立ち上がった按湧は鼻で笑った。

「ならば研いで貰おうか。この刀、(なまくら)になってしまって困っていた所だ」

 ごとりと、重い音を発てて刀が膝元に落とされた。

「人を斬る刀は研がない」

 きっぱりと朔夜は言った。

「何故だ。人の血を見るのが怖いか?そう言えば聞いた事があったな。月夜の悪魔は故郷を自らの手で滅ぼした罪科に怯え、繍の桓梠(カンリョ)に泣いて許しを乞い、その傘下に入ったと」

 屈み込み、少年の細い顎を指先で持ち上げて。

「桓梠に尻尾を振る為に悪魔となったのだろう?本当は人など殺せぬただの餓鬼が」

 膝元にあった刀が瞬時に抜き放たれた。

 刃が閃き、返す刀で反撃しようとした護衛兵の手を峯で打っていた。

「これがなまくら?よく切れるじゃねえか」

 冷笑して朔夜が言う。刃は、按湧の(もとどり)を切っていた。

 垂れた前髪の奥で血走った目が睨む。

「貴様…」

「俺を捕まえる?やれるもんならやってみろ。待たせたな波瑠沙、やるぞ」

 自ら縁側から庭へと躍り出る。波瑠沙もそれに続いた。そこで待っていた苴兵とぶつかる。

 攻撃は斬らぬよう全て峯を使った。逆刃にして打ってゆく。短刀を使う波瑠沙は致命傷とならぬように敵の手足を狙って筋を断っていた。

 このくらいの数など訳無い。それこそ、月夜の悪魔を完全に侮った数だ。

 だが。

「貴様、友がどうなっても良いのか」

 按湧の声に振り返る。

 敵は龍晶の身の上で刀を抜いていた。

 朔夜は動きを止めた。

「捕らえろ」

 冷たく言い放つ。兵が朔夜へと動き出す。

 彼は空を仰いだ。傍目には、諦めたように。

 すると。

「――うわあぁ!?」

 突如として太い枝が兵達の前に落ちてきた。そこに(うわ)っている柿の木のものだ。

「うん。剪定したかったからちょうど良かった」

「お前な」

 流石に呆れて波瑠沙が振り返る。

 少年の悪戯な笑顔を浮かべ、朔夜は地面を蹴った。

 縁側を飛び越え、一気に按湧までの間合いを詰めて。

 振った敵の刀を刀で下から掬い上げる。斜め上へと刃は飛び、その行方を目で追わす暇も与えず。

 回し蹴りを喰らわせ、衝撃を受けた体は建具を外して諸共(もろとも)に転がった。

「人の上で迷惑な」

 足元には寝たままの龍晶が眉間に皺を寄せている。つまり、彼の頭上を通過して蹴りを入れていた。

「悪い悪い。お前の上に刀を落とさなかったから許して」

「んな事されたら死んでるっての」

「治してやるから大丈夫」

 大丈夫じゃねえと当たり前の反論を聞きつつ、倒れている主従を見下ろす。

 泰辞は情けなく腰を抜かしている。何もしていないのに。

「まだやる?」

 一応訊いてやる。

 痛みに呻く按湧より先に、泰辞が蒼白の顔を激しく横に振った。

「そっか。じゃあお開きだな」

 言いながら、自分の手にある刀を振り下ろした。

 手から離れ飛んだ刃は、倒れている持ち主の鼻先に突き立った。

 ひっ、と引き攣った声をあげる。それを聞いた朔夜の笑みに毒が混じった。

「さっさと失せろ。忘れ物の無いように。二度とそのツラ見せんなよ」

 主従の頭上に回り込んで、見下ろす。

 嫌でもこの顔を覚えさせるように。

「もし次会ったら、髷より下を斬るからな?」

 苴の人間達は逃げるように去った。否、実際逃げていた。

「やれやれだな」

 波瑠沙が言いながら中に入ってくる。彼女も彼女で逃げる按湧の尻を蹴っていた。それで済んだのだからあの男は幸運だ。

 忘れ物は無い。つまり、負傷した苴兵は綺麗に持ち帰って貰えた。屍は出していない。

 残ったのは、屋根にぶつかりそうで困っていた太い柿の枝だけ。

「こういう力の使い方なら許して貰えるかな」

 苦笑いしながら龍晶に問う。彼は顔色を変えずに一言返した。

「上出来だ」

 一つも命を奪わなかった事。それが。

 朔夜は褒められて嬉しげに笑みを見せる。春音と同じだ。

「もうちょっと細かく切ってくれよ。片付けに困るだろ」

 波瑠沙に苦言を呈されて、その笑みが苦くなる。

「あとは鋸で頑張るからさぁ」

「一瞬で切れる便利な力があるのに」

「そうそう使うもんじゃないんだよ」

 使い過ぎて暴走し始める危惧がある。しかし柿の木を切って暴走する力だとは思えないが。

「さくー」

 隣の長屋の戸が開いて、幼い声がした。

「春音、終わったぞ。父さんの所へ戻るか?」

 頷いて、後ろ向きに縁側から降り、庭を歩いて。

 まず朔夜の元へ寄って来た。

「さくー、つおい」

「あ?あれ?見てたのか?」

「戸の隙間から夢中で見てたぞ」

 万一に備えて女子供を守っていた燕雷が笑いながら教えた。

「見せちゃ駄目だろ。教育上良くない」

「教育上良い事もあるぞ。これでお前の言う事には逆らえなくなった。いたずら防止だ」

「それって、毎回俺が怒って止める役割…」

「さくー、こわいこわい」

 顔は全然そんな事を考えていない。

「もう舐められてるぞ、お前」

 波瑠沙の指摘の方がご尤もで、こんにゃろうと脅しながら小さな体を抱き上げて父の元まで運んでやった。


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