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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第三十一話 永遠
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 朔夜は刃物研ぎの内職を始めた。

 自分に出来る事はと考えたら、そんなに無かった。力仕事は体格的に心許ないし、手先がそこまで器用でもない。武器なら作れるが。

 外に働きに出るには懸念材料も多く、何より友の様子が近くで見れないので内職にした。

 ずっと得物を手入れし研いできたのだから、これくらいは出来るだろうと始めてみた。まずは長屋の住人達に華耶から宣伝して貰うと、案外好評で、今度は里から包丁や鉈が集まった。

「刀以外なら何でも研ぐから、そう言っといて」

 華耶が買い物ついでに宣伝すると言うので、朔夜はそう言った。

「分かった。行ってくるね」

 彼女を見送って、仕事を手伝う波瑠沙が訝しげに訊いた。

「何だよ、刀以外って」

 包丁を砥石に当てながら、朔夜は答えた。

「刀を研いだら誰かが誰かを斬るって事だろ?だからやらない」

 波瑠沙は横目に朔夜を見つつ、ふーん、とだけ言った。

 本気でそういう世界から離れようと決めたのだ。否、今だけでも心を休める為かも知れないが。

 それならそれで良いと波瑠沙は思う。少し物足りないけど。

「寒くないか?」

 朔夜は縁側の龍晶に声を掛けた。

 柱に背中を預けて座っている。何をするでもなく、ただ虚ろな目で深まる秋の景色を見て。

 華耶が出立前に冷えた手足の上に毛布を掛けてはいたが、中に入るようには言わなかった。

 好きにさせたいのだろう。

 ここに来てから、病状は数日おきに悪化と良化を繰り返している。

「そろそろ炭が要るな。火鉢があったかな」

 答えない龍晶に変わって波瑠沙が言った。

「土間の物置で見たような気がする。これが終わったら探してみる」

 朔夜は言って、もう一度友の姿を確認した。

 動かない。心が飛んでいっている。暴れたり自傷する事が無くなった代わりに、こういう時間が増えた。

 確かにここの生活は平穏だ。何も憂慮すべき事は無い。明日の飯をどうしようかと考えるくらいだ。

 だが、そうやって初めて出来た心の隙間に、これまでの負荷がじわじわと蘇っているのだろう。

 それが消化出来れば良いのだが、虚ろな目の中で何を考えているのか朔夜にも分からずに居た。

 包丁を研ぎ終えて朔夜は立ち上がった。

 仕上げの磨きは波瑠沙が担当してくれている。そうやって仕事を終えたら、畑に行って明日の糧に手を入れる。春になれば自給自足の生活が成り立つだろう。

 土間に降りて、物がごちゃごちゃと並ぶ一角に目を凝らす。

 あまり労せずに火鉢は見つかった。埃を拭き、竈から炭を入れ、縁側へと運ぶ。

 濡れ縁の床はもう冷たい。裸足には辛い。足袋も必要かなと毛布から出た青白い足先を見ながら思う。

 龍晶の隣に火鉢を置いて、火種を落として。

「寒いのか?」

 逆に問われて朔夜はきょとんと友を見た。

「要らない?」

「いや、お前が必要だと思うんならそうなんだろ。俺は何も感じないから分からない」

 思わず手を伸ばして額に当てる。

 熱くはなく、寧ろ冷え切っている。

 心が病んで、感覚が麻痺しているのだろう。

「中に入って寝た方が良いんじゃねえの?」

 横から波瑠沙が言う。龍晶は素直に頷いた。

「そうする。俺はどのくらいこうしていた?」

「半日ほど」

「半刻くらいの感覚だった」

 言いながら立ち上がる。すかさず朔夜が支えた。

 立ち上がって、広くなった視界で。

「いや…待て」

 皆の動きが止まる。

 龍晶の視線の先を追って、朔夜も見た。

 麓の道から丘を登ってくる馬車と、騎馬が三騎。

 確かにここへ近付いてきている。

「誰だろう」

「北州の紋だ」

 馬車の屋根にある紋様の事を言っているのだろう。

 それが見えるまで近付いてきたのだ。

「北州?」

 疑問を声に出した時、支えていた体ががくりと重みを増した。

 波瑠沙が手を出してくれなければ、共に倒れていた。

「おい、龍晶!?」

「朔、布団を敷け。私が運ぶ」

 頷いて、意識の無い体を彼女に一旦預けて中へ入る。

 そこに畳まれていた布団を広げた。

 波瑠沙が龍晶を抱き上げて後に続き、そこへそっと寝かせる。

 時たまある事だ。急に、一時的に意識を失って倒れる。

 今回もすぐに目が開いた。

 その時にはもう、馬車は庭先に着いていた。

 賑やかな声がする。

「誰だろう」

 薄目でまだ意識のはっきりとしない友に問いながら庭に目を向ける。

 まず燕雷が縁側に顔を覗かせた。

 笑いながら親指で後ろを指す。

「来たぜ。戔からの御一行様が」

 考える間も無くこの長屋に似合いの声が響いた。

「なっつかしいわねー!何年ぶり!?あらあ、元気してた?」

 旧知を見つけたのだろう。そのまま話し始めた。

 もう説明不要だ。燕雷が手招きし、馴染んだ顔がひょいと覗いた。

「よお。うちの陛下はどうしてる?」

 従兄の声を聞いて龍晶の目がはっきりと開いた。

「上がって。今起きれないから」

 苦笑いして朔夜は言った。今倒れたと言えば話が大きくなる。

「相変わらず無茶してんのか」

 (とこ)の横にどっかりと座って顔を覗き込む。

 龍晶からすれば、ぬっと視界に現れた顔に眉根を寄せて細い声で言い返した。

「無茶はお前だ。何故来た」

「これまた随分ですねえ。本当は嬉しい癖に」

「分かるだろう。俺とお前が接近すれば、有らぬ疑いを招く…」

「残念でした。俺はもう戔の重臣じゃないんですよ。北州に帰ったんです」

「なんだと?」

「何しに来たって、あなたの御子を返しに来たんですよ。ほら」

 桧釐の視線の先。龍晶も何とか身を起こして庭先に目を向けた。

 幼子が、身を屈めた十和の指先を握って歩いて来る。

「あれは…」

「ほとんど一年ぶりでしょう?やんちゃっぷりがあなたに似て手を焼いてますよ」

「どうして俺に似る。お前だろう。やんちゃなのは」

 桧釐は軽く笑って立ち上がった。

 春音は自分の顔の高さにある縁側を登ろうと頑張っている。いくらなんでも無理だが。

 そこを上から桧釐が抱き上げて、父親の元まで運んだ。

 その短時間でぐずり始める。

「あー、もう、どうして懐いてくれないかな」

 大泣きになる前に床に下ろした。

 それで満足した顔に変わった春音は、真っ直ぐに龍晶へ向かって四つ足で進み出した。

「はは、分かってるなこいつ」

 朔夜が横で笑う。その隣で波瑠沙も笑って頷く。

「漸くご対面だ」

 当の龍晶は軽く目を見開いて血の繋がらぬ我が子を見ている。何も言えずに。

 春音の方から手を伸ばしてきた。

 父親の顔に小さな手で触れ、笑う。

「春音、お前の父さんだぞ」

 朔夜が本人に代わって教えてやった。

 幼子は回らぬ舌で、とーと、と呼んだ。

 くしゃりと、無表情が崩れた。

 龍晶は片手で顔を覆った。身を支えていた腕を外し、仰向けになって。

 歯を食い縛る。嗚咽は漏らすまいと。

「…良かったな」

 温かく、朔夜は言ってやった。

 春音は後ろに座った十和に、無邪気な笑顔で振り返って、父を指差しながら「とーと!」と繰り返した。

 十和は微笑んで頷きながら、応えた。

「そうです。若子様は本当に賢くていらっしゃいますね。この方が、お父様ですよ」

 そして龍晶に顔を向けて、両手を付いて頭を下げた。

「本当に…再びお会い出来て言葉もありません。若子様の為にも、よくぞ生き延びて下さいました。感謝申し上げます」

 顔を覆っていた手を口元までずらして、涙に濡れた目を彼女に向けた。

「とわ、とーとだよ。わっこのとーと」

 春音が喋る。思わず泣いていた目を細めた。

「どうやって仕込んだんだよ。知ってる筈無いだろ」

 嗚咽に声が震えないように従兄へ悪態をついた。

「何も仕込んじゃいませんよ。大体、俺の顔見たら泣くんですから」

「お前が父親なのに」

「血縁上はそうなんですけど、どうやらこの子にとっては違うようです」

 初めて。

 我が子に自ら手を伸ばした。

 どう触れて良いか分からず躊躇した手を、とりあえず頭に軽く乗せた。

 小さな両手が伸びてきて、手首を掴んだ。

「とーとの、てて」

 まるで遊び道具のように持って探る。

 掌を重ねられて、その大きさの違いに微笑んで。

「こういう気分なんだな。父親って」

 やっと、何か一つ受け入れて飲み込めた。

「十和、ありがとう。ここまで立派に育ててくれて」

「それは若子様ですか?それとも龍晶様ご自身の事ですか?」

 目を見開いて、少し考えて。

 気恥ずかしく答えた。

「…俺かな。済まなかった。心配かけて」

「いいえ。この日が来た事で、全てが報われました。お母上も、国母様も、小奈も、佐亥も…喜んでおりましょう」

 頷く。きっと皆見ていてくれるだろう。


 その少し前から朔夜は土間にしゃがんでいた。

「おい、貰い泣きして本人よりしゃくり上げてんじゃねえよ」

 波瑠沙が覗いて、呆れ笑いで言う。

「だって」

 震える口で言い訳する。

「今までの事、思い出して。あいつ、あいつさあ…」

「だーあ、もう、分かった分かった。分かったから笑え。嬉しい時は笑うもんだ」

 肩を抱えられ、わしゃわしゃと頭を撫で回される。

 ふにゃりと口元が笑う。まだまだと銀髪を掻き混ぜながら、波瑠沙は言った。

「こっちも養子を貰うか」

 思わず朔夜は真顔になって、震えるように首を振った。

「餓鬼が餓鬼の世話できないから…!」

「てめえで言ったな、餓鬼って」

「だって波瑠沙が言ったじゃん。あ、でもお前がどうしてもって言うなら俺頑張るから…」

「いや別にそこまでじゃないよ。お前の為にそれが良いかと思っただけ」

「俺の為?」

「うん。お前子供好きだろ?」

「ん?そうだっけ」

「なんだそれ」

 また呆れ笑いを浮かべながら、近寄る人の気配に顔を上げた。

 馬が二頭。一頭は荷物を乗せて知らぬ男が引いている。もう一頭には、華耶が乗っていた。祥朗が引き、横に彼の妻が歩いている。

「あ…祥朗」

 朔夜も気付いて立ち上がり、大きく手を振った。

 皆が手を振り返す。

 燕雷が馬達を引き取って、四人が土間に入ってきた。

「ただいま。ちょうど麓で皆と出会って。大荷物だから助かったわ」

 華耶が言う。祥朗夫妻はそれぞれ荷物を持っている。一つは買った食料と、もう一つは刃物を入れた箱。

「皇后様が荷を持つなど、有り得ぬ事ですから」

 見知らぬ壮年の男が言う。華耶は笑って首を横に振り、朔夜らに向いて紹介した。

「あ、こちらは十和の旦那さんで巡宗(ジュンソウ)さん。春音の為に夫妻で引っ越してくれるって」

 そして再び巡宗に言う。

「もうそういう身分ではありませんから、お気遣いなく。華耶とお呼び下さい。荷物も持たなきゃ生きていけませんからね」

 にっこりと笑って言う顔は嫌味は無く、悔いている風も無い。

「華耶はこっちの生活の方が好きだよな」

 朔夜の言葉に大きく頷き、客人達に言った。

「さ、入って入って。ちょっと狭いかも知れないけど」

 そこへ於兎も花音を抱いて現れた。

「あっちゃー、私ったら感動の再会を見逃したわね!」

 思わず華耶は笑う。

「私も見逃しました。どんな顔してるんだろう、彼」

 一部屋に、寝ている龍晶を囲む形で、華耶、春音、桧釐夫妻と花音、十和夫妻、祥朗夫妻、燕雷そして朔夜と波瑠沙が入るともう一杯だった。

 朔夜らは遠慮して縁側に座った。中では穏やかな談笑の時が続く。

 喋るのは矢張り主に於兎だ。春音のやんちゃな逸話を披露している。なんでもよじ登りたがって困るとか、自分でやらないと気が済まない性格だとか。

 当の本人は大人達の周りを這い回って楽しそうだ。近付いた大人からそれぞれ構って貰っている。それでもきっちり桧釐は避けているのが可笑しい。

 龍晶は付き合って笑って見せてはいるが、疲れが見え隠れする。視線は動き回る息子を追っていた。

「大丈夫かなあ」

 小声で波瑠沙に問う。

「後で熱出さないかな、あいつ」

「仕方ないよな。連れて行く訳にもいかんし」

「まあ祥朗が居るから薬は作って貰えるだろうけど」

 背後に人の気配を感じて振り返る。その顔を顰めた。

 韋星だ。

「この状況を説明してやるか」

 溜息混じりに波瑠沙も言った。

 近寄って来る物々しい姿の軍人に、客人達も口を閉じて注目を集めた。

 朔夜らの前まで来て、彼は言った。

「邪魔をする。貴殿らの事は王城で聞いた。これより政の話などされぬように。私はここで聞かせて頂く」

「誰だよ、あんた」

 桧釐の問いに、朔夜が答えた。

「灌王府から来た番犬だよ。龍晶を監視してる」

「はあ?ただの家族の団欒だってのに、お前の居場所は無いぞ」

「貴殿は国政を退いたとは言え、北州の長である事は違いないだろう。王の腹心であったというだけで我々が疑う余地は大いにある」

「何を疑うんだか」

 呆れた口調だが、顔は十分に怒っている。

 龍晶はそんな従兄ににやりと笑って言ってやった。

「構うな。庭石だと思え」

 桧釐も吹き出して笑い、頷いた。

「なるほど。まあ、どうせ実のある話は何も聞かせてやれませんしね」

「鵬岷は達者でやっているか」

 国政について聞くべき事と言えばそのくらいだ。

「ええ。元気だと思いますよ。俺も辞めてから顔を見てないけど」

「そうか。なら良い」

 主従は横目に軍人を見て、皮肉に笑う。

 彼は面白くも可笑しくも無い顔で突っ立っている。

「入って座れば?そこに立ってられると流石に邪魔だし」

 波瑠沙が親切かどうか分からない促し方をして、星韋は部屋の隅に座る事になった。

 その流れをがらりと変えるように、華耶が明るく声を出した。

「ねえ、皆がいるうちに、朔夜と波瑠沙さんの式を挙げようよ!」

「ええっ…?」

 本人達が寝耳に水だ。

「どうかな?祝う人は多い方が良いでしょ?」

「あ、まあ、そりゃ有難いけど…」

 口籠る朔夜の頭を抑えて、波瑠沙は身を乗り出して言った。

「宴だろ。酒だ酒。皆で飲めば美味いぞぉ」

「飲みたいだけ!?」

「だってそういうもんだろ」

 笑い声が響く。幼子達も分からないなりに笑っている。

 幸せを絵に描いたような光景。

 それが幻なのではないかと心の何処かで疑っているのは、朔夜と龍晶だけのようだ。


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