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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第三十話 復讐
62/72

10

 華耶が里から芋や野菜を持って帰ってきた。

 同時に燕雷が大袋を持ってやって来た。

「よお坊ちゃん達。何縮こまってんだ」

 縁側より外に身の置き場の無い二人に言って、その傍らにどさりと袋を置く。

「何だこれは」

 龍晶が問う。

「開けてみな」

 中を覗くと、大量の雑穀が入っていた。

「城から分けて貰った。当分はこれで凌げるだろ」

 龍晶は苦い顔で恩人を見上げる。

「なんだよ」

「王城の世話にはなりたくない」

「意地張ってると飢え死ぬぞ」

「でも」

 上から気配が有り、波瑠沙の手が袋をひったくった。

「燕雷の言う通りだよ。貰えるもんは貰っとけ」

 片手でひょいと肩に担ぎ、厨で働く華耶の元へ運んで行った。

「相変わらず頼もしいお嬢さんだ」

 言いながら朔夜を見下ろす。

 寝ている。

「さっさと傷を治させなきゃならん。治ったら働きに出るんだと」

 本人に代わって言い訳して、龍晶は立ち上がった。

 何かと思えば。

「華耶、何か朔夜に掛けてやる物あるか?」

「押し入れに布団はあったよ」

 厨から声を張って華耶が答える。

「使えるかどうかは分からないけど。ちょっと見てみて。黴が生えてるかも」

「おい、ほんとかよ」

 苦笑いしながら押し入れを開ける。

 確かに黴の匂いが襲ってきた。

 引っ張り出そうとしたが、そこまでの力が自分に残っていない事に気付いた。

 手に力が入らない。これだけの事で手先が震える。

「貸してみ」

 横から燕雷が割って入って、数枚纏めて引っ張り出した。

「あー、黴入ってるけど使えなくはない。一晩我慢だな、これは」

 華耶に向けて燕雷が報告する。彼女は笑っていた。

「そっかあ。明日は良いお天気になりそうだから、全部干しちゃおう」

「だってさ」

 横に座り込んでいる龍晶を見下ろす。

 震えの止まらない両手を見ていたが、やがて咳込み始めた。

「あ…いけない仲春」

 華耶が走ってきた。背中を摩りながら、手にしていた器を差し出す。

 その中に赤い液体が溜まる。

「ごめんごめん。こんな事させちゃいけなかった」

 華耶が言いながら、尚も体を摩り、頭を包み込む。

 咳の止まった荒い息で彼は否もうとしたが、まだ声が出ない。

「悪化してるのか」

 跪いて器に溜まった血を見ながら燕雷が問う。

「肺だそうです」

 多くを語らず華耶は答えた。

 それで燕雷には十分伝わった。

 向けられる沈痛な表情から龍晶は目を逸らした。

 哀れまれる視線を少しでも忘れていたかった。

「少なくとも、こいつはこの布団で寝ない方が良いな。借りて来ようか」

「お願いします」

 燕雷は立って、まだ人の残る隣の長屋へ向かった。

 随分人数は減ったが、梁巴の民がまだここに残っている。

「華耶ー!吹きこぼれてっけどこれどーする!?」

 厨から波瑠沙が叫ぶ。

 腰を浮かそうとすると、慌てて付け足された。

「良い良い、そこに居ろ。言われた通りにするから教えてくれ!」

「熾火だけにして、火を弱めて!」

「了解」

 炊飯は竈の火を弄る波瑠沙に任せて、華耶は夫を抱え直した。

「ごめん、世話かけて」

 華耶は微笑んで首を横に振り、頭に頬を付けて言った。

「ここからだから。ね、仲春?今から良くなっていく。何もかも」

「…そうかな」

「そうだよ。…ああ、月が出てきたね」

 二人の視線の先の山の端から上弦の月が覗いた。

 冷たくなった秋の夕の空気の中を冴え冴えと輝く。

 光は縁側の朔夜の元に届いた。

 彼自身の持つ光が、傷跡の上できらきらと瞬く。

「良かった。早く治りそうで」

「あいつに仕事を勧めるなら何が良いかな」

「なんだろ。子供向けの道場の先生?」

「戔と同じか」

「それか、猟師さんになってくれたら助かるなあ。朔夜はお肉好きだし」

「確かに。でも優しいあいつに務まるかな」

「そうだねえ」

 喋っていると燕雷が布団を抱えて帰ってきた。

「ありがとう、燕雷さん」

「どこが良い?」

「朔夜の横」

「風邪引くぞ」

 笑いながらも縁側に近い室内に布団を敷いてくれる。

 寝転がって、華耶の手でしっかり毛布を掛けられて。

 目前では、朔夜が眠っていて。

 こんな夢のような生活って本当に現実なんだろうかと思いながら。

 きっとすぐに覚める夢。皆の夢を覚ますのは、俺に違いないのだろうけど。


 翌日は波瑠沙が竹を切る所から始まった。

 切った竹を組み立てて洗濯物が干せるようにする。華耶は大きな盥を前にひたすら布団を洗っている。

 一晩で治癒が進んで動けるようになった朔夜が波瑠沙を手伝って竹を運び、燕雷と共に組み立てて行く。

 龍晶は縁側に面した相変わらずの場所で寝ながらその様を見ている。旅の後の常だが、夜のうちに高熱に襲われた。

 近隣に住む梁巴の民も華耶や朔夜を慕って手伝いに来てくれた。神の子を覚えていて未だ崇敬している者は多い。

 龍晶が寝たり覚めたりしているうちに全ては終わっていた。

 朔夜が草臥れた足で寄って来て、床の中の龍晶と垂直になる形で縁側に転がった。

「つかれた…」

「当たり前だろ。何日かぶりに自分の足で動いてんだから」

 薬のお陰か今は少し熱が引いている。朔夜と喋る気力はあるくらいに。

 青空を背景に、色とりどりの布が風に揺れる。

 その下で、華耶は手伝ってくれた人達に白湯を振る舞いながら笑っている。

「皇后様が帰ってきたって、みんな喜んでる」

 寝転んだままその様を眺めて朔夜は言う。

「まだそういう呼ばれ方されたら迷惑だろ」

「でも華耶は笑ってるよ。別に皮肉で言われてる訳じゃないからさ、良いんでない?」

「別に皮肉とは思ってないけど…」

 言葉を途切らせた友の目を見る。

 どこかまだ、悔しそうな。それでいて、寂しそうだった。

「お前に王様、続けさせたかったな」

 言っても栓の無い事を朔夜は呟いた。

 龍晶は溜息を吐いたが、その息が引っ掛かって咳込んだ。

「うわ、大丈夫か」

 慌てて起き上がって丸まった背中を摩る。

 龍晶は咳を治めて荒い息をしながら、口元を押さえていた手を広げる。血は吐いてなかった。

 安堵の混じった息を吐き出し、力の無い体を伸ばして再び床に落ち着けた。

「…続けた所で」

 自嘲混じりに返す。

 咳込みのせいで目に溜まった涙が溢れた。

「ごめん。そんな後悔は要らないよな」

 思い出させるだけ、考えさせるだけ、酷なのだと気付いた。

「いや、俺が役立たずなのが悪いんだ」

 龍晶はそう返して、仰向けに寝返りをうった。

 友の顔を見ながら言えなかった。

「国王を続けていたとしても、どうせ体が言う事を聞かない。だから、辞めて良かったんだ。周りに迷惑かけるだけになるから」

 今度は朔夜の方が溜息を吐いていた。

 そんな事は無いとは言えない。だが、それでも君臨し続けて欲しかった。

 何も知らない灌の王子にその地位を譲るのは、余りにも悔しい。

「溜息ばっかり吐いてんじゃねえよ」

 上から声がした。背後から波瑠沙が盆を持ってやって来て、朔夜の隣に座った。

「調子良いうちに食っとけ。華耶が作り置いておいた粥だ」

 言いながら椀を龍晶に押し付ける。

 床の上に身を起こして受け取る。椀の中は雑穀が入っていた。

「お前の故郷の人達だろ?行かなくて良いのか」

 朔夜には白湯を出しながら波瑠沙は問う。

「もう疲れたもん」

 子供みたいに答える。

 視線の先では華耶が笑いながら彼女らに頭を下げていた。

「人付き合いは苦手か」

 苦笑しながら波瑠沙は言って、自らも白湯に口を付けた。

「良い人達ではあるんだけどね。俺が普通じゃないから」

 神として崇められる視線が、どうしても好きになれない。

「ま、分かるけどさ。私もああいう人付き合いは出来ないや。…龍晶?ちゃんと食えよ」

 釘を刺されて頷く。どうも雑穀の舌触りが無いに等しい食欲をますます鈍くする。

 贅沢な白米に慣れ過ぎているんだと自覚した。

 これは反省して治さねばならない。そう思いつつも喉が閉じていくようだ。

 いくらも中身の減らない椀を諦めて置いたのと、朔夜が首を伸ばして目を見開いたのは同時だった。

「あれ…」

 指差した方向を見る。

 この場にそぐわぬ軍服が見えた。

「いつぞやのようだな」

 荒い溜息と共に龍晶は言った。

「まっさか。もう牢屋なんか入りたくないけど?」

 半笑いで朔夜が言う。そう言いながら目には殺気が見え隠れする。

 この生活を脅かすのなら、何人たりとも実力行使に出ると告げているようなものだ。

「話を聞かなきゃ分からんだろ」

 波瑠沙もそう言いながら、食器を盆に集めて隅に寄せた。咄嗟にでも動けるように。

 庭で喋っていた華耶達も、見慣れぬ男に目を向けて声を潜めた。

 軍服姿の男は、真っ直ぐに龍晶の元へやって来た。

 縁側を挟んで対峙する。

「前戔王龍晶殿とお見受けする」

「何用だ」

 簡潔に龍晶は問うた。

「私は灌王府親衛軍の韋星(イセイ)と申す者。王命により、貴殿を監視させて頂く」

 本人は黙ったまま相手を睨み返すだけだが、後ろの朔夜が不満気に声を上げた。

「はあ?監視だなんて、ふざけんな」

「いや、朔夜。当然の事だ」

 落ち着いた声音で当人から否定されて、朔夜は口を閉じた。顔は怒っているが。

「俺の存在を利用しようとする者は居るだろう。だから戔には置けなかったんだ。ここに居る意味はそういう事だ」

 説明してやって、見下す笑みで軍人に向き直る。

「だが、四六時中の監視とは骨の折れる仕事だな。同情してやる」

「それには及ばない。私の下された命は、一日二度ここを訪れ、貴殿の所在確認と、ここに足を踏み入れた者の調査をする事だ。協力頂きたい」

「なるほど。効率的で結構な事だ」

 韋星は頷いて、朔夜、波瑠沙、そして庭に居る面々を順に見渡した。

「彼らの身元調査をする前に、我が主人よりの伝言が二つある」

 灌王からの伝言という事だ。聞く気は進まぬが頷いて先を促す。

「一つには、私に同伴する形で王府の医者を遣わそうと仰せになっておられる。明日にでも診療を頼むが、如何か」

「断る」

 龍晶は一言で切って捨てた。

「何故。陛下のご厚意だぞ」

「灌王に伝えろ。俺は疑いは甘んじて受けるが、施しは一切受ける気は無いと」

 相手は目を剥いている。それだけ大それた事を言っている自覚はある。

「まーた意地張ってら」

 後ろで波瑠沙が小声で呟く。それに応えて朔夜は言った。

「張らなきゃならない意地もあるって」

 朔夜は分かっている。これは約束だから。

 祥朗の作る薬以外は飲まない。医者の診療を受ければそれを破る事になる。

 更に言えば、灌王はその薬に何を入れるよう命じるか分からない。龍晶はその危惧も考えていた。

「死に至る病だと聞いたが、本当にそれで良いのか」

「お前には関係の無い事だ。寧ろ俺が早く死ねば、それだけ仕事が早く終わるだろ」

「龍晶」

 非難を込めて朔夜が後ろから呼んだ。

「別に早く死ぬって言ってる訳じゃない」

 肩越しに振り返って面倒臭そうに言い訳する。

「どこがだよ。はっきり言ったよ今」

「お前らが居るならそれだけで病の進行は遅れるだろ。だから大丈夫だ」

 そう言われてしまうと口を噤まざるを得ない。

「もう一つの伝言は」

 韋星を促して話を変えた。

 彼は事務的に伝えた。

「鵬岷陛下の戴冠式は恙無く終えたそうだ」

 龍晶もまた、顔色を些かも変えなかった。

「そうか」

 何の温度も無い相槌だけを返して、韋星の肩越しに妻を見やった。

「済まんがここに居る人の事は俺よりも妻の方が詳しい。あとは彼女に訊いてくれ」

「奥方はどちらか」

 韋星もまた振り返って女達の中から前の皇后らしき面立ちを探す。

 同郷の人々に馴染んで華耶はすぐには見分けが付かない。

「おーい、華耶」

 波瑠沙が声を上げてくれた。

「はい?」

 返事をしながら駆け寄って来る。

 縁側に達した妻へ龍晶は言った。

「俺に怪しい者が近寄らないか見張りをするんだそうだ。ここに居る人達の事を教えてやって欲しい」

 彼女は納得した顔で頷き、韋星に言った。

「どうぞ、お上がり下さい。白湯しか出せなくて申し訳ないけど」

 丁寧な対応に龍晶が顔を顰めている。聞いてられないと思ったか、壁に手をつきながら立ち上がって言った。

「俺は奥で寝るよ。後は頼む」

 咄嗟に朔夜が懐に入って身を支えた。龍晶も朔夜の肩に手を回して体重を預ける。

 奥の部屋へと続く廊下を歩きながら、嬉しげな笑みで朔夜は言った。

「久しぶりだな。これ」

 戴冠前後、体が思うように動かなかった時はこうして二人で歩いていた。

「お前の背があんまり伸びてなくて良かった」

「悪かったな、チビで」

「良かったって言ってんのに」

 二人の後ろを布団を持って波瑠沙が続く。

 部屋の前で追い抜いて、戸を開けて無造作に布団を放って敷いた。

「あの野郎が華耶に変な事言わないか見張っておく」

 言うなり踵を返す。見張りの見張りという事らしい。

「頼もしいな」

 笑って言いながら、龍晶は布団の上に座った。

 そこに向き合うように朔夜も腰を下ろす。

「お前さ」

 気になっていた。

「鵬岷の事どう思ってんの?」

 龍晶から笑みが消えた。

「どういう答えを期待してんだ、お前は」

「いやだって、お前が無表情過ぎて。俺は滅茶苦茶悔しいんだよ。あいつなんかにお前の代わりは務まらない」

 溜息を吐きながら瞼を閉ざす。ますます感情が窺えない。

「誰でも良いんだ。国王なんざ」

「そんな事無いだろ。お前が身を削ってきたものは何だったんだ」

「自分に不向きな事を無理矢理やり続ければそうなるってだけだろ」

 朔夜は不満げに鼻から息を吐き出した。

「鵬岷は道を違えた俺自身だ」

 瞼を開けて、龍晶は最初の問いに答えた。

 朔夜もまた、友の顔を真顔で見返す。

「…もし俺が、何も壊されず狂わされず、他人に従順なまま育っていたら、ああなっていたと思う」

 実父の言いなりになって、その道具として生涯を狂わせる。

 朔夜が彼に見たものも同じだった。

 同じ事を友も感じていたのだろう。

 薄く笑って言ってやった。

「そんなお前は面白くないな」

 にやりと、口の端を釣り上げて応える。

「だろ?」

 易々諾々と他人に従わず、疑い当たり散らして吠えまくる。それが生き方だ。

「まあ、あいつはまだ他人に振り回されて仕方ないだろ。あの歳の頃には俺だって…」

 不意に言葉を途切れさせる。

 頭を抱えて、左右に首を振った。

「考えるんじゃなかった。思い出したくもない暗黒時代だ」

 苦笑いで朔夜も頷く。

「十三とか、俺もあの頃が一番きつかった」

 人を殺しまくってたとか、鵬岷には偉そうに言ったが。

「確かに他人に従うしか無かったよ。それが間違いだと疑いながら、それでも手を汚すしか無かった。その矛盾がきつかった」

「月夜の悪魔の名が各国に轟いていた頃だろ」

「実物はそんなもんだよ。怖くて辛くて、どうにかして死ねないか、終わりに出来ないか、そればっかり考えてた…」

 伸ばした手が、傷だらけの左手首を触った。

「俺もずっと同じ事してたよ。小さい頃からの癖だった。切っちゃあ治して、また切って。小さい頃は母さんに悲しまれてたけど、繍に行ってからは誰も止めないしさ。…割と本気で切ってたから、もう遊びにもならなかった」

 結局死ねないんだけどさ、と痛々しい笑みで付け加える。

 龍晶は自分の手首と重ねられた手をじっと見ていた。

 同じ痛みを共有してきた自分達が、そこから解放されて、何処へ揺蕩っていくのだろう。

 否、己の足で進める意思が、今は有る。

「分からないんだよな。鵬岷には何も無い。助けてくれる親も居なければ、自分で走って転んだ経験も無い。そんな奴がお前の跡を継げるかって、想像が出来ない」

「だから希望はあると俺は思ってる」

 意地悪に細められていた朔夜の目が、見開いてこちらを向いた。

「今からあいつも戦って行くさ。それで分かるだろ、何を守るべきか。俺達もそうだったんだ。真っさらな所から始められるあいつは、寧ろ王として相応しいだろう」

「そういうものかねえ」

「そういうもんだ」

 己に重ねられていた手を、もう片方の手で挟んだ。

「俺はあいつに何もかも押し付けて忘れたいだけかも知れないけどな。お前と共に居たいから」

 そこにまた、手を重ねて。

「それならそれで、良いや」

 にやっと笑って、一番上の手を振り上げて。

 さっと龍晶は手を引いた。

 結局、自分の手を叩く羽目になる。

「どうして分かったかなあ!?」

「寧ろどうして自分が避けないんだ…?間抜けか?」

「…意地悪!」

「仕掛けたのはお前だろ」

 反論の余地も無い。顔を赤くして拳を上下に振っている。

「餓鬼」

 そうとしか言えない言葉を残して龍晶は横になった。

「もう餓鬼じゃねえよ!」

「やる事が餓鬼だ」

 もーっと怒りながらも顔は笑って、朔夜は床板に転がった。

 あの頃謳歌出来なかった少年時代を、今やっと楽しんでいる。



  挿絵(By みてみん)



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